慶應で何が得られて、それが社会でどう役に立っているか、というのをなるべく具体的に書いてみる #1137


 

少し前、

東大で何が得られて、それが社会でどう役に立っているか、というのをなるべく具体的に書いてみる

というエントリが流れてきた。ではわたくしもということで、母校バージョンで書いてみたい。

ちなみに僕は学歴賛成派である。学歴の何に賛成しているかというと、学歴で人を判断するのはよろしいとは思わないけれど、学歴を持つことに対しては大賛成、ということである。

だって損はないもん。

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1、大学の授業や研究で得られること

よく「大学には、やりたいことがあるなら行かせます」という親御さんに会うのだけれど、もし自分の親がそうであったなら、僕は大学には行かせてもらえなかったと思う。要は何も考えずに進学した、非常に残念な青年だったということだ。

さて、そんな僕が大学の学業に関して得たことと言えば、

 

残念ながらほとんど無い

 

としか言えない。あー残念だ。思い出そうと必死に頭を絞ってみたけれど、どうしても思いつかない。慶應云々の問題ではなく、どの大学に進学しても同じだったと思う。

もちろん、大学の学問のレベルと範囲は高校までのそれとは比較にならないため、やる気のある人間にとっては、知の桃源郷であったと思う。上記エントリの東大の方は理系ほどではないが、それでもかなりの時間を学問に費やしていたように見える。

 

一方で僕のように専攻が

・テニス

・極真空手

・飲み会

だった人間としては、どの授業も難しすぎて、今では2年間力を入れたはずのゼミの内容まで含めて、綺麗に忘れてしまっている。至極残念だ。先生ごめんなさい。

 

さて、得たことはほとんど無かった、というか当時はあったと錯覚していたが、今はサッパリ蓄積していたものが無くなってしまったということを述べたけれど、一方で気づいたことは沢山あった。

具体的にいくつか挙げてみたい。

・高校のとき以上にワケの分からない授業が多かった。世の中には国語、英語、数学、理科、社会、体育、保健体育しかないと思っていたのが、びっくりするほど科目が多く、さらにそれを専門にしている人(=教授)がいるということに驚いた。ほとんど画一的ななかで生きてきた自分としては、「多様性」なる言葉の意味をちゃんと分かったのは大学だったかもしれない。

・ワケの分からない授業を受けていて、ほとんど理解をしていないにも関わらず、「A」を取ることが可能だという現象に初めて遭遇した。高校までは、ゆうてもある程度理解していないと点は取れなかった。世の中には高校までに知った幾万倍もの情報が氾濫しており、それをどう短時間でまとめて成果につなげるか、という思考を、まったく努力をしないなかで少しだけ身につけることが出来たのは、得たものだったと言えなくもない。

・英語を話せることはガイジンの特権ではない、と知った。慶應には当然のことながら色んな地方からの学生が入ってきていて、配下の慶應附属からも沢山人が来ていた。なかには「慶應ニューヨーク」なる高校があるらしく、英語がペラペーラな同級生というのを初めて見た。同じモンゴロイド系の顔なのにこんなに綺麗に話せるのか!と驚くと同時に、おかげさまで高校までのイマイチすぎる英語教育に見切りをつけ、スピーキングに力を入れるという舵きりをしたおかげで、留学経験者と勘違いしてもらえるレベルにはなれたと思う。

・「教授」というのは必ずしも絶対的な存在ではないと気づくことができた。幸いにして僕のゼミの先生の授業は面白く、先生自体も面白い人だったから良かったものの、それ以外の教授の先生方に関しては、ほとんど「授業が面白い!」と思えたことがなかった。人は、そのタイトルだけで価値が決定するのではないのだなと思った。少なくとも、大学生に教える教授であるならば、大学生から興味を持たれるような授業ができなければ、失格なんじゃないかと僕は思う。

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2、大学の人間関係で得られること

東大に入ると、「自分はかなり賢いとは思ってたけど、周りには自分より賢いヤツしかいない!ヤバい!」となって、それまでの自信過剰な自分が適正な水準にまで落ち着いてくるらしい。

さて慶應はと言えば、

「世の中にこんなバカなヤツがいるのか!」

と自分のことを差し置いて思える機会が多かった。(わたくしは高校時代の最高成績が、数学0点で偏差値20前半、現代文は偏差値8まで行った。)

酒に飲まれるヤツ、酒に飲まれて寝ゲロをするヤツ、酒に飲まれて寝グソをするヤツ、酒に飲まれて寝ゲリをするヤツなど、酒にまつわるトラブルはとにかく多かった。ただ、大変遺憾ながらいま問題となってしまっているような問題は論外。そういうおかしいヤツが周りにいなかったのはラッキーだった。

それから平気で留年するヤツもいた。1度と言わず2回ぐらい。留年というのはそれまでの僕にとって「この世の終わり」みたいなもので、いくら自分がアホで数学がゼロ点で国語の偏差値が8でも、絶対に避けねばならないと思い込んでいるものであった。

んが、周りを見ると留年している人間が沢山いた。そしてそれを誇らしげにしているようでもあった。留年が、「この世の終わり」ではなく、「選択肢のひとつ」に過ぎないということを知った。(親御さんのことを思えばブルシットでしかないが。)

その他挙げるとすると、

・高校までは憧れの存在と言えばサッカーのロナウド(クリスティアーノじゃない方)、テニスのピート・サンプラスであった。しかし慶應で、「コイツみたいになりたい!」と心の底から思えるヤツに出逢えたことは、財産だったと思う。彼は帰国子女で、しかし空気も読めて、カッコよく、将来のビジョンが明確な人であった。

・長い休みを利用して行った一人旅(トルコ、エジプト、イタリア、ペルー、ボリビア、メキシコ)では、多くの「コイツはんぱねー!」に出逢った。それこそ価値観を根底から揺さぶられるほどの衝撃で、その後の人生で目指すべき方針が決まったのは彼らのおかげだった。あ、慶應の人じゃないや。

・全部がダメなように見えて、ある特定の部分で輝きまくるヤツがいるということを知った。高校時代までは、スゴいヤツは全部スゴいヤツ、ダメなヤツ(=僕)は全部ダメなヤツ、という区分けであった。しかし、頭も僕以上に悪く、成績もダメで、グループで一緒に作業をしても何の役にも立たない友人が、海外の貧乏一人旅の話になった瞬間、圧倒的なリーダーシップと迫力を以てプレゼンを始めたときには驚いた。彼の熱意としつこさのおかげで、僕は旅に踏み出すことができた。彼は慶應生である。

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3、大学を卒業することで得られること

東大を卒業してしまうと、ややもすると期待値のハードルが激上がりする。その落差は大きく、「東大ならこれぐらいやれるでしょ」とか、「東大のくせにこんなのも出来ないのか」といった、本人の能力や人柄には関係ないところでゲタを履かされて勝手に期待されたり、ハシゴを外されたりする。

これは精神衛生上、あまりよろしくないと思う。日本の学歴信仰の弊害の最たるものだ。

 

慶應の場合、世間の期待値はそこまでではないからかなりラクだ。

「慶應なの?ま、まぁ頭良い人だけじゃなく色々いるからね・・」

と東大卒なら許されない場面でも許してもらうことが何回か出来た。東大にアホはいないが、慶應には沢山いるということが知れ渡っている証拠だろう。

「慶應なんですか?立派ですね」

とありがちな称賛をされることもちゃんとある。特に地方では絶大な威力を発揮する。東大だと敬遠されかねないお客さんにも、慶應だと「優秀だけど親しみやすい」と思ってもらえる魔力があった。話している本人が「優秀ではなく、親しみやすいだけ」だったとしても。

 

その他の点としては、

・「慶應閥」とか「慶應優遇措置」というのはあまり感じたことはない。言われているほどの影響力はないと思う。なぜなら、特定の分野には慶應の卒業生がうじゃうじゃいるので、閥も優遇措置も取りようがない。

・こちらから相手を人物鑑定する際に、勝手に信用調査の手段として慶應を使っていることに気づいた。「慶應です」と言われると、東大にはない幅広さがあり、早稲田にはない柔軟性があり、上智にはない雑多さがあり、京大にはない面白さがある人だと勝手に勘違いしてしまう。初対面の相手を信用しないことにはどんな話も進まないので、あちらから信用されるのと同様にこちらからも信用することが必要になるのだけれど、そのプロセスを一言で端折れるのは果たして良いのか悪いのか。。

・「母校愛」というものの素晴らしさに気づいた。出身校にこだわる人というのは、昔の僕は単なる過去に対する郷愁の念に囚われているだけのようにしか思っていなかった。でもそうではなく、自分が自分であることの由来や系譜に誇りを持つことは、人生色々ありながら生きていく上で、実は非常に大事なことである、ということに気づけたのは大きい。慶應を卒業した人は、慶應が大好きな人が多い。今では僕もそんな一人である。

 

学歴なんて関係ないって声もある。受験で得られるものなどないという意見もある。

それはその通りだと思うけれど、でもそうじゃないと思う人がこれだけいるのだから、その価値を見直してみることは、決して意味のないことではないと思う。

少なくとも僕は、順当に行けば80年ちょっとある人生のなかで、たった4年だけでも慶應に通うことができて、本当に良かったと思う。

 

最後に。

「慶應のどこが一番好き?」

と聞かれたら、

「慶應を好きな慶應卒の人が多いところ」

と答えたい。

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世知辛い世紀末にこのエントリを読んでいただいたことを感謝します。

退かぬ、媚びぬ、省みぬ!!!

我が人生に一片の悔いなし!!!

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