今の日本に必要なのは、「定年延長」ともう一つ、「テイネンエンチョウ」 #929


 

「昔の人の定年って、何歳だったか知ってますか?」

仕事の面談中、ふと聞くことがある。

大体の人は、「60歳ですか?」と答える。「いま65歳だから、前は60歳ですよね。」と。

違う。

正解は55歳だ。1970年代はみんなそうだった。55歳で「定年退職」だった時代があった。55歳から年金をもらっていたのだ。

今は条件付きで65歳定年になり、これからの年金問題や少子高齢化問題、またその一方での従来と比較した寿命の延びを考えると、70歳、75歳への「定年延長」は今の日本に必要な方策であると言える。

昔の高齢者よりも今の高齢者の方が家事や農作業などで腰を痛めたりしていない分、はるかに元気だから、その人たちに年齢をあまり気にせず働いてもらうというのは、理に叶っている。昔の50歳が今の70歳ぐらいじゃなかろうか。

60歳〜70歳の高齢者が消費人口ではなく生産人口に変わるだけで、国としては一気に元気が出てくる。「ここからはあなたの人生は『老後』ですよ。今までおつかれさまでした。おとなしくしていてね。」という宣告をするのは、これからは75歳をすぎた本当のおじいちゃんおばあちゃんだけで良くないか?

「若い高齢者」には、仕事でも趣味でも、何でもいいから「現役」を続けてほしいなと思う。それはきっとその人自身の生き甲斐にもなるはずだ。毎日日曜日というのは、正直言ってかなりツラいのじゃないかと思う。

ただ僕としては、その「定年延長」のためには、もう一つの「テイネンエンチョウ」が欠かせないと思っている。それは、

「諦念延長」

だ。

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世の中のほとんどの人は、物事を諦めるのが早過ぎる。

「えー、走るのなんてできなーい!運動神経ないしー。」と叫ぶギャルは、走ってないから走れない。

「英語なんて無理ですよ、今更・・」とのたまうサラリーマンは、そもそも英語に割く時間が少ないから英語を話せるようにならない。

「俺、デブだけど文句ある?」と開き直ってる友人が1人いるが、そいつは運動を一切していない。運動をすれば人類皆痩せるように出来ているにも関わらず。

僕も含めた一般ピープルが何かを諦めるのは、高橋大輔選手がオリンピックの金メダルを諦めるのとはワケが違う。錦織圭選手がフェデラーの世界ナンバーワン在位記録を破ろうとするのを諦めるのとも全然違う。

彼らトップアスリートは、膨大な質と量を伴った努力を自分の専門分野に投下して、それでも到達出来ない神の領域を巡って戦っている。畢竟、どこかで限界が来て、「諦める」ということを選択せねばならない時期がきて、引退する。

対して一般ピープルは、大体がやりもせずに諦めるか、ちょっとだけかじって諦める。ドラクエで言えば、最初の街から一歩も出ないか、出たとしてもレベル3になったぐらいで「あー向いてないわぁ。」とか言いながら冒険を止めてしまう。

冒険が本当に面白くなるのは勇者になって魔法が使えるようになって、素敵な武器防具を身にまとって魔王を倒す算段が出てきた時なのに、ほとんどの人はそこまでたどり着かない。

「諦念」がほとんどの人の人生が輝くのを邪魔している。

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一方、一部ではあるけれど、多くの人にとって物事に取り組む序盤に現れるこの「諦念」が、しばらく顔を見せない性質の人もいる。それに気づいたのは、ここ数年マラソンやトライアスロン、囲碁を始めてからだった。

マラソンなりトライアスロンなりのレースに出ると、ピチピチの30代である僕が逆立ちしても勝てないような50代、60代、場合によっては70代のおっさん、おじいさんたちがいる。

マラソンでは僕はサブ4ランナー(4時間切り)だけれど、60代の最速が2時間40分とかだったりする。超人としか思えないが、そんな人に限って話を聞いてみると、競技開始年齢が5年前、すなわち50代とか60代とかだったりするのだ。

先日囲碁二段を獲得した方もそうだった。御歳70歳で、好々爺といった風情の方だったけれど、わざわざ主に若者が集まる「三ヶ月で初段プロジェクト」に参加し、勢い余ったのか錯乱してしまったのか、当日うっかり二段の試験を受けてしまい、見事合格してしまったという。

お話を聞くと極めてポジティブで、言っちゃ失礼かもしれないが子どものように楽しそうに、「初段プロジェクト」でのチャレンジの話をしてくれた。

この手の方々には、「諦念」という概念があまりない。あるいはあったとしても、物事に取り組みもしないでそういうモードになることはあまりない。「諦念延長」が意識に刷り込まれてるから、「定年延長」になっている。そこらへんの60代、70代と比べたら、比較も失礼なぐらいパワフルである。

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「定年延長」は、寿命が伸びたから、少子高齢化だから、生産人口を増やしたいからという理由だけで導入しても、あまりうまくいかないと思う。

心を燃やせるなにか、心底楽しいと思えるなにか、仲間と盛り上がれるなにかがあって、「諦念延長」がなされたときに初めて、「定年延長」はなりたつのだと思う。いや、そこまで行けば、「生涯現役」を地で行く人が増えるのだろうと思う。

ま、一つ言えるのは、おっさんおじいさんたちですらそんな感じで「諦念延長」しまくってる人がワラワラいるので、20代とか30代の我々がため息なんぞついてる暇はないなと、そんな資格はないなと思うわけであります。

諦めかけてたダイエットをもう一度。

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世知辛い世紀末にこのエントリを読んでいただいたことを感謝します。

退かぬ、媚びぬ、省みぬ!!!

我が人生に一片の悔いなし!!!