ラオウを目指す羅王のブログ

退かぬ、媚びぬ、省みぬ!我が生涯に一片の悔いなし!!!

15年越しの夢が叶った話①〜ペルーでおもひでぽろぽろ〜 #1174

time 2017/10/18


 

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2003年3月にペルーはクスコ(マチュピチュへの玄関口)で出逢い、その圧倒的な視座で僕の人生観を変えてくれた人生の師匠こと、中国系オランダ人で数カ国後を話すスーパーガールCho-nin。その彼女が、なんと日本にファミリーで旅行に来ているということで、突撃。あれから15年、Cho-ninにいつか再会すると誓ったあのときの夢が、ついに叶ったという話。

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2003年の2月から3月にかけて、僕は中南米を旅していた。

といっても、就職まであまり時間がないので、行くのはメキシコ、ペルー、ボリビアの3カ国だけ。遅まきながら大学4年生になって気づかされた一人旅の面白さにハマり、バックパッカーを気取りながら、迫り来る就職のプレッシャーから逃げるように、僕は自由な国々を闊歩していた。

いつだかにテレビで見て、どうしても行きたかったのがマチュピチュ。「天空の城 ラピュタ」のモデルになったとも言われている遺跡で、そのためにメキシコとボリビアを旅程にくっつけたようなものだった。もしかしたらシータに会えるかもしれない。

マニュピチュへの玄関口であるクスコという街は、かつてのインカ帝国の首都で、ある意味で強烈だった。何が強烈かというと、その高度。なんと3400mの場所にあるため、富士山とそう変わらない。畢竟、高山病に襲われる。

高山病の恐ろしいところは、激しい頭痛がすること・・・だけだと思ってたら、なんと腹を下しまくるではないか。高度によって消化器官がおかしくなるとかならないとかで、1日に20回はトイレに行ってプップカプップカやっていた。

15年経った今でもスペイン語で絶対忘れないのが、

¿Dónde está el baño? 「トイレはどこですか?」

になったのは当然のことだろう。

クスコの名誉のために言っておくと、世界で最も美しい夜景を魅せてくれた街のひとつだ。

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さて、頭も痛いわOPP(お腹PP)も止まらないわで、なんとかしたいと思い「地球の歩き方」を見ると、「高山病になったら数日は酒は飲んではいけませんよ!当たり前のことでしょうが!」と説教じみた口調で書いてある。

よって僕はその日から飲みにいくことにした。マニュアルに逆らうことがカッコいいと思っていた時代だった。

前置きが長くなったが、クスコに着いて頭痛とOPPにのたうち回った最初の夜に出逢ったのが、Cho-ninだった。

「外国だと普段弱気な漢が強気になる症候群」というのをご存知な男子は多いことと思うが、日本ではナンパのナの字もしたことのない僕が、この日はどういうわけか調子に乗っていた。

普段は鎖のついた象の足のように重たい僕の心は、心なしか偽りの翼を得たイカロスのように軽くなっていた。

見た目が日本人にしか見えない女性が、バーで飲んでいる。

ここは異国の地、日本人はほとんどいない。

あちらも寂しいはずだ

これはなんか良いことがあるかもしれない。

 

妄想駆け巡る中、「どこから来たの?」と話しかける僕。

刹那、振り向いた「日本人女性」が切り返す。

「Hahhhhhh?」

応えた彼女が日本人じゃないことは、すぐに分かった。そういうハニートラップでしたか。まぁ良い。こちらはTOEIC900超え(当時)のジャパニーズだ。

中国人か韓国人か知らんが、きっと英語は苦手だろう。この僕と仲良くしたまえ。

が、少し話してみると、悲しいほどに英語はペラペラ。外国限定の強気はあっという間に弱気に逆戻りした。太平洋上をものすごい勢いで北上していたのに、陸地に入った瞬間いなくなる台風のように、僕の心はみるみるしぼんでいった。

しかし最後の最後にほんのちょっとだけ勇気を出して、「明日、食事をしよう」と踏み出した。

彼女の名前はCho-nin、大体同い年(当時22歳)。何か魅かれるものを感じたのは確かだった。

***

翌日、約束したクスコの中央広場に行ってみると、驚くことにドタキャンもせずにCho-ninは来てくれていた。

外国人との口約束は、1時間単位でズレることを経験していた僕は、軽く感動を覚えた。

レストランに入り、食事を始めた。この時点ではまだ、僕はなんか良いことがあるかもしれないぐらいに考えていた。

食事と酒が進むと、驚くべきことが分かってきた。簡単に言うと、彼女は見た目は僕とほとんど同い年だが、中身は完璧なる大人だったのである。

両親は中国人、生まれはオランダ、住んでるのはベルギー。話すのは北京語、上海語、地元語、英語、オランダ語、フランス語も少々。ダメなのは日本語ぐらいだった。

そしてスペイン語を学びに、ペルーに来ているという。そして世界平和を本気で目指していて、どうやったらもっと世界が良くなるか、そのためにどういう人生を送るべきか。

目標を定めて、その実現に向けて生きる

という、今なら息をするがごとく自分にとっては自然な行為を、しかし当時22歳の僕はまだ理解する入り口にすら立っていなかった。

楽しければいいじゃん、稼げればよくない?

そんなふうに考えていたケツの穴の青いヤングメンだったのだ。

一方のCho-ninは、口にする言葉の通りに生きていた。

彼女は言った。

「ケイタ、人生は短いのよ。

私たちは何のために生まれてきたのか、何のために命を使うのか、

それを考えなければ、生きてる意味なんてないのよ。

私は世界をもっと良い場所に変えていく。

そのための一歩目として、今クスコに来ている。

で、あなたはこれから何をするの?

あなたはなにしにクスコに来たの?」

 

悔しいを通り越して唖然とした。彼女の質問には答えられない。だってそんなこと、考えたこともないから。

ただ単に、世界がより良い場所になれば良いな程度のことは、他の皆さん同様、僕だって考える。だけど、それをどうやって実現するのか?自分はそのためになにをするのか?なんて、就職間近の僕は考えもしなかった。

「良い企業に就職して頑張るよ」なんて、口が割けても言えなかった。

「クスコには観光で」というのが正直な答えだったが、Cho-ninの求めるその先の答えは、僕には用意出来なかった。

***

ほぼ同い年の人間が、これほどまでに深い考えと圧倒的な行動力を持って生きていることに感動した僕は、その後数日間、Cho-ninと行動をともにし、何度も何度も何度も何度も議論をした。

これほどまでに人生について議論し考えたことは、それまでの22年間、ついぞなかった。

Cho-ninは僕の拙い英語にも優しく付き合ってくれ、しかしビシバシと深いインサイトを与えてくれた。

そして別れの日、僕は彼女にこう言った。

「今から僕は普通に就職をする。

ただし、絶対に今回話したことは忘れないし、自分だけが良いという人生を生きるつもりもない。

どうやって世界をより良くするかはまだ分からないけれど、今は力を溜める時期と考えて全力で努力する。

もう少し、色々出来るようになったら、考えられるようになったら、必ず君に会いにいく。

考えてる、とかだけじゃなく、具体的な行動を以て、君に報告しにいく。

それまで君は、僕のことを覚えていてくれるだろうか。」

 

Cho-ninはこう返してきた。

“I will never forget , and see you soon.”

 

“soon”がそこから15年も先の話になるとは、このときは予想もしていなかった。

***

世知辛い世紀末にこのエントリを読んでいただいたことを感謝します。

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羅王(AKBとも呼ぶ修羅も多いです)

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