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退かぬ、媚びぬ、省みぬ!我が生涯に一片の悔いなし!!!

15年越しの夢が叶った話②〜月の引力に導かれて〜 #1175

time 2017/10/19


 

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2003年3月にペルーはクスコ(マチュピチュへの玄関口)で出逢い、その圧倒的な視座で僕の人生観を変えてくれた人生の師匠こと、中国系オランダ人で数カ国後を話すスーパーガールCho-nin。その彼女が、なんと日本にファミリーで旅行に来ているということで、突撃。あれから15年、Cho-ninにいつか再会すると誓ったあのときの夢が、ついに叶ったという話。

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前回の話はこちら。

15年越しの夢が叶った話①〜ペルーでおもひでぽろぽろ〜

2003年3月にCho-ninと出逢い、1ヶ月後の4月から就職。

他の多くの新卒と同じく夢に心躍る気持ちで入社したわけだが、実際に就職してみると、予想通りのことが起きた。

Cho-ninと話した世界平和のことなんて、頭からすっ飛んでしまったのである。

当然と言えば当然。新卒は世界の平和以前の問題として、企業にとってのただのコストから、利益を生む人材にならないといけない。

ここをせずして世界も日本もないわけである。早起きして6時に会社にいくなど、結構頑張って勉強してた記憶がある。

一度だけ、入社して数ヶ月経ったときだったか、スカイプなるものを使えることが分かったので、Cho-ninをどうにかこうにか捕まえて、話をしてみた。

「ケイタ、英語がうまくなったね。」とCho-ninは言ってくれた。

当時の僕は、外資系の会社なのに上司もその上司も英語が全くダメで、「んふぅ〜?」、「あは〜ん?」、「グゥレイトぉ!」しか言えない方々ばかりだったため、お鉢が回る形で、US本社とのテレカン(=テレ・カンファレンス=電話会議)など、結構英語を勉強させてもらった。

ちなみに、最初に「昨日USとテレカンでさぁ、大変だったぜ」と先輩がしゃべっていたのを聞いたときに、脳内変換で

「昨日US(嬢)とテレ姦でさぁ、大変だったぜ」

に聞こえてしまい、まぢか、外資系ってそんなにスゴいところなのか、と焦った記憶がある。誠実そうな先輩が言っていたので、なおさら変態に見えたものだし、そら電話でプレイするのは大変だろうなと思ったものである。

話戻ってCho-ninと「いつか会いにいく」と約束したものの、我慢できず数ヶ月でスカイプしてしまったわけだが、何の戦力にもなっていない状態で、人生に進捗があるはずもなく、Cho-ninに報告できることがあるわけもない。

また改めて進捗があってからにしよう、とこのとき心に誓った。

そしてそのうちに、Cho-ninのことももちろん覚えてはいるけれども、多くの人がそうであるように、現実に流されることとなった。

そこからの数年はあっという間に経ってしまった。

***

人生の多くの場面において、一時興奮を覚えただけのものは、そのうち忘却の彼方に押しやられることになるのは、皆さんご承知の通り。

しかし不思議なことに、人や出来事から受けた本当の衝撃というのは、頭で忘れていたとしても、ふとしたときに心が思い出すのが人間という生き物のようだ。忘れようと思っても、絶対に忘れられない。

数年前のCho-ninとの出逢いは、僕にとってそういう類いのものだった。

 

外資系IT会社に入社して3年が経ったとき、僕はふとしたタイミングで思った。

「自分は何のために生きてるんだろう?」

「自分の人生はこのままで良いのだろうか?」

「自分の命の使い道は、振り返って後悔がないものになっているだろうか?」

 

答えは、すぐに出た。

僕は外資系IT会社から、生命保険のライフパートナーという、他にあまり前例のない転職をした。2006年、25歳の夏だった。

転職理由は、「大切なものを大切に出来る人生」を手に入れるためだった。外資系IT会社でそれが実現できてる人も沢山いたんだろうけど、人には明らかに得手不得手があるということだったのかもしれない。僕には、よりダイレクトに自分の人生をデザインできる生命保険という仕事が合っているようだった。

といっても、それは単なる若かりし頃の思い込みで、半分はチャレンジでの転職だったが、半分は逃げるための転職だった。なんせ、同じ日本人なのにしゃべっている言葉が分からない、というのは、この最初の会社で初めて経験したこと。それぐらい、頭が良い人が多かった。自分は選ばれし人間ではないのだと、知ってはいたが改めて知ることなった。

もっとも、転職した先の生命保険業界も、入ってみて知ったことだが、統計的にはなんと2年で9割がいなくなるという、戦国無双な業界だった。

おいおいまぢかよ、聞いてないぜ。

エボラウイルスよりも致死率が高いぢゃないか。

どうする?どうする俺???

オダギリジョーのように手元のイマイチ過ぎるカードを手に右往左往しながら、とにもかくにも業界で生き残ることを最優先に考える日々が始まった。

まずはじめにやったのは、どういう人間が生き残り、あるいは成功し、どういう人間が失敗して業界から去るのか?を研究することだった。

そこから、僕の投資額累計額3000万円(貯金しとけば良かった!!!)の自己投資ジャーニーが始まった。半分は事故投資ジャーニーになるのだけれど、そんなことはつゆしらないケツの穴の青い若者だった。

なんせ、僕は当時婚約していたのである。一応「家族を食わせてる亭主ヅラ」ぐらいはしたかった古風なわたくしめにとって、生き残ることは至上命題だった。

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人間は、環境の奴隷である

と言われている。良くも悪くも、環境で全てが決まるということだ。

僕は、極めてラッキーなことに、素晴らしい環境を手に入れることが出来た。周りの先輩方が、素晴らしかったのである。

清く、正しく、楽しく、激しく仕事をすれば、三方良しが実現できることを、先輩たちは背中と言葉と愛で教えてくれた。鍛えるためには罵倒する、殴る、みたいな少しはき違えた人が普通はいるものだが、そういう人も皆無だった。

みんな等しく変態だったが、それは、性的にという意味ではなく、人間的にという意味である。(英雄色を好む人も勿論沢山いる。プ◯デンシャルは19時以降は「プッシュデンシャル」と言われている。)そしてそういう先輩方をこれまた分析していくと、怠惰や過食や惰眠や独占や恐怖など人間本来の本能を理性と情熱でコントロール出来る人だけが、成功できることが分かってきた。

変態というのは、多くの人が流されるものに流されず、むしろ鯉の滝登りがごとくモーセの海割りをして自分の人生を手に入れてく人たちのことだと分かった。変態に対するリスペクトが湧いてきた。

 

同時に、とはいえそんな素晴らしい環境だとて、去っていく人間が多いのもまた事実だった。

同期は20人ほどいたが、「社長杯」という名の海外表彰のタイトルを入社時に全員で誓ったはずなのに、たった3ヶ月で別人のように暗くなったある同期は、それからほどなくして辞めていった。

2年で9割までではなかったが、半分は消えたと思う。支社でも、先輩後輩を問わず、多くの人が辞めていった。

そういう人たちの原因を分析すると、大きく3つあったように思う。

1、素直じゃない。

2、危機感がない。

3、他人(顧客、同僚、社会)の利益を考えない。

の3つだ。

頭が悪いとか、知識がないとか、そういうのじゃないことに注意。生命保険業界に限って言えば、頭は多少悪くてもやってはいける。

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少し解説すると、素直じゃない人は、例外なく「原理原則」より自分の考え方、やり方、価値観を上位に置いている。

どの業界にも、それなりにうまくいくためのバイブルや、失敗する典型例みたいなのがあるが、そういうありがたいお宝を、大した能力もないのに「私のやり方はこうです」とエルサのような「ありのまま原理主義」を前面に出してくる。

たとえば、野球ではホームランを打ちたければ、如何に効率よくボールにバックスピンをかけて遠くに飛ばすか、が勝負になる。これが野球の原理原則だ。

しかし、素直じゃない人は、「僕はテニスをやっていたので、トップスピンをかけます」みたいなアホなことを言う。いやそれ、競技違うし、競技の原理原則にも反してるから、と言っても、テニス時代の栄光を引きずっている。そういう人はうまくいかない。

 

危機感がない人は言わずもがな。

どの業界でもそうだけれど、トップセールス、トップパフォーマーほど「ヤバい、ヤバい」と言っていて、劣績セールス、ローパフォーマーほど、温泉に浸かってるがごとく、リラックスしている。

ある日、トップセールスの先輩が、「ヤバい、ヤバい」と言っていて、「どうしたんですか?」と聞いたら、「2年後の見込み客がいない」と喚いていて、この人には一生勝てないと思ったものである。

通常、生保業界の見込み客に関する思考のレンジというのは、数週間から数ヶ月がせいぜいなところ。2年後のことまで危機感を持てるというのは、変態の証拠である。

 

生保業界の有り難かったところは、トップセールスほど利他の人が多かったことである。

一時期だけ活躍しようと思えば搾取的な行為もまたアリなのかもしれないが、幸いなことに僕の周りには長く活躍している人が多かった。

そういう人たちは、別に建前でもなんでもなく、利他、つまり誰か周りの人に利益を与えるということを、当然のこととしていた。

こりゃ数百万の価値があるなという話でもタダで何時間でもしてくれたし、他人のために色々やることが、結局その人自身を豊かにするという、どこかの本に書いてありそうなことを、ほんとにそのままやっていた。

御礼をしようとすると、「てめー、ふざけんな、そういうのは俺がお前にやったように、お前が下のヤツにやってやれ。」と返してくるような、カッコいい人ばかりだった。

辞めていった人たちは、少なくとも自分以外の誰のことも考えてはいなかったように見えた。

***

そんなこんなで良い環境の奴隷となった僕は、いつのまにか全社最年少で10年連続で社長杯に入賞するという、悪くはない成績を挙げるまでになっていた。MDRTの終身会員も見えてきた。

収入もまぁそこそこ悪くはない程度に安定し、「エグゼクティブ」と呼ばれる社内での最高位への就任も、間もなくだった。

人様の役に立っている実感も、勿論あった。なにせ、僕の仕事は保険業界の浄化の役目も担っていたからだ。2年で9割の人が辞めるのは、それはそれだけ劣悪なセールスが蔓延している証左でもあった。

良い環境の奴隷生活で教え込まれたのは、正しい事をしていれば、成果は勝手についてくるという、精神的に極めてヘルシーな原理原則だった。

結婚し、めっちゃ可愛い娘に2人も恵まれ、仕事はそこそこ順調。

僕は知らずしらずのうちに、温泉に浸かり始めていた。

しかし、である。

もうお分かりだろうが、10年以上前にCho-ninに言われた言葉が、安定を手に入れかけた僕に再び語りかけてきた。

「ケイタ、あなたは何のために生きてるの?」

「ケイタ、世界をもっと良くしましょうね。約束よ?」

そうして僕は、再び苦難の道を選ぶことになった。

本当の衝撃とは、月の引力が潮の満ち引きに影響を与えるがごとく、どこかで自分の方向性を決めていくのだと後から知ったのであった。

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世知辛い世紀末にこのエントリを読んでいただいたことを感謝します。

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