ラオウを目指す羅王のブログ

退かぬ、媚びぬ、省みぬ!我が生涯に一片の悔いなし!!!

15年越しの夢が叶った話③〜幸せの定義〜 #1176

time 2017/10/19


 

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2003年3月にペルーはクスコ(マチュピチュへの玄関口)で出逢い、その圧倒的な視座で僕の人生観を変えてくれた人生の師匠こと、中国系オランダ人で数カ国後を話すスーパーガールCho-nin。その彼女が、なんと日本にファミリーで旅行に来ているということで、突撃。あれから15年、Cho-ninにいつか再会すると誓ったあのときの夢が、ついに叶ったという話。

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前回までの話はこちら。

15年越しの夢が叶った話①〜ペルーでおもひでぽろぽろ〜

 

2年で9割が去るフルコミッションの業界で10年間暮らしてして、そして3000万円以上も貯金しとけば良かったのに自己投資に使ってきて、およそ人間という生き物の原理原則みたいなものは、大体分かってきた感覚があるので少し紹介したい。

人間は、基本的には幸せになることを目的として、幸せになることを目指して生きている。

このあたりはあまり異論のある人はいないと思う。

 

では、何を以て幸せとするのか?

これには色々な意見があると思う。思うのだけれど、僕が探し、発見したのは、老若男女、人種、宗教を問わず、これは全人類皆にとって、等しく幸せなことなんじゃねーか?というものである。

それが見つかれば、そのなかには一応入る僕だって、幸せへの道が見つかるはずだ。

お金があることが幸せか?

そうじゃない、と答える人は多いだろう。お金があっても不幸な人は一杯いる。ちょっと考えるだけでも、すぐに数人程度は思いつくことができる。

では家族がいれば幸せになれるのか?

婚活女子が勘違いしているのはココで、別に家族がいるから幸せになるわけではない。少なくとも、水面下の縄張り争いや他人の噂話に精を出している奥さん方を見ると、あれを目指す人生というのもどうも違う気がする。

じゃあ宗教?

僕はほとんどの宗教は幸せからは最も遠い位置に在るのに、なぜかくも多くの人が頼り、有り難がるのか、不思議でならない。宗教が人間の幸せのために存在するのは構わないが、宗教が人間の上に来て暴走を始めた途端に、どこぞの国の狂信的なテロリストや、それを遠回しに創り出した世界最大の正義ヅラしたあの宗教になる。

ある人が言っていてなるほどな、と思ったのが、

「世の中には、人に寄生しないと生きていけない種類の人間がいる。

政治家と宗教家だ。

労働をする側の人間が、その利益を享受する側に過ぎない人間を崇めているのは、滑稽とすら言える。」という話。

あ、ちなみに、田中芳樹という、言語の天才であるシャンポリオンの現代版の方の言です。

「銀河英雄伝説」は経営者、ビジネスパーソン必携の書なのでよろしこ。これ読んでるか読んでないかだけで、億は売上が変わると思う。政治、戦略、戦術、人事、組織を網羅的に学べるバイブルだす。

 

だったら健康?

ないと不幸は確定だが、五体満足で親に感謝すべきなぐらい健康なのに、不幸そうなヤツも沢山いる。

さて、どうしたもんか。

***

上記はどれも人が求めるものではあるけれど、それだけではダメな気がする。

コレ!というものが1つあれば、それだけで人は幸せになれる。そんな「お手軽なな何か」が見つかればいいと思って試行錯誤してきた僕の結論を述べよう。

若男女、人種、宗教を問わず、これは全人類皆にとって、等しく幸せなことなんじゃねーか?というもの、それは、

人の役に立てる(と思える)分野で、全力を出し尽くす人生

だ。

おお、いきなり立派な話になってしまった。

 

子どもは大体どの国でも幸せそうに生きている。

彼らの短い人生そのものが、全力を出し尽くす毎日だからだ。

大人はそれをしないで出来る範囲のことしか極力しないから、少なくない人が幸せを感じにくい生き方をしているのであり、子どもは毎日全力だから、出来る出来ないは別として最高に人生を楽しんでいる、というのが僕の持論。

ケーキを食べるときすら、鬼気迫る表情で全力のウチの二号機。

見習いたい。

 

全力を出し切った大人も、素晴らしい顔をしている。

個人情報保護のため、身元が分からないように加工させてもらったが、あるイケイケの会社の幹部である。(仮に「ナガサキトオル」と呼ぶ)

 

 

ナガサキトオルは、とある人生の一大イベントを機に、高収入、高待遇、やりがいのある仕事にも関わらず鎖につながれた象のような生活をしていた。

社内では、翼を失った後のイカロスのような漢という認識をされていて、彼自身、それを認識していた。昔は光GENJIのように輝いていたが、今は良いところ、最近の諸星和己である。

知らず知らずのうちに、70%程度の出力で「人生をこなしている」様子を見てとった僕は、ナガサキトオルをトライアスロンに誘った。

初心者は特に、全力を出さねば、トライアスリートにはなれない。

結果、スイムで溺れかけ、バイクでは観客がチャリに乗って応援してるのと間違われ、ランではボロボロでデビュー戦のタイムはとても褒められたものではなかったが、そんなのは他者比較の話であって、ナガサキトオルには関係なかった。

彼は彼自身の限界を突破し、こんなにも素晴らしい顔を僕に見せて、いや魅せてくれた。誘った者冥利に尽きる。

***

このように、全力を出し尽くす人生というのは、人の幸せを感じる確度に大きく寄与する。

そしてその確率を更に高めるのが、ある枕詞がついたときである。

人の役に立てる(と思える)分野で

がそれである。

 

「ナルコス」という、めっぽう面白い麻薬カルテルの物語がある。一時期はNetflixでも話題になった。

 

シーズン1はパブロ・エスコバルという、一時期はForbesの世界大富豪ランキングにも載ったほどの富を築いた麻薬王を主人公にしている。

彼は、1980年代に世界の麻薬市場を支配し、文字通り全てを手に入れた。カネ(お金、ではなく、「カネ」と呼んだ方がふさわしい)、権力(国会議員にまでなった。コロンビア人アホすぎ)、忠犬、家族。ドラマ内でも、それはそれは羨ましい生活をしていた。

全力で(麻薬)ビジネスを拡大していく様は、言っちゃなんだけど爽快ですらあった。

しかし、一点だけ欠けているものがあった。「人の役に立つ」という点では、麻薬は全く機能していなかったのである。

もちろん、麻薬で潤ったカネで故郷の街、メデジンの貧困層に教育や医療を提供するなど、悪党にしてはなかなかに思慮深い一面もあったし、少なくとも庶民には人気があった。

がしかし、本業の麻薬はどこまで行ってもただの害悪でしかなかった。それが、どれだけカネや人気に寄与するものだったとしても、本質的に人を不幸にするという点で、致命的であった。

パブロもそれは分かっていたようで、どれだけのものを手にしても、どこか寂しげであった。彼は、人から見たら最も全てを手に入れていて、そして実際のところは最も幸せからは縁遠い人間であったのではないだろうか、と僕は見ている。

「ナルコス」は、なかなかに激しいカルテル同士のやり取りや、腐敗した政治や警察がいかにポンコツなものなのかについての描写が多いのだが、僕にとっては幸せの在り方を教えてくれた、貴重な教科書番組となった。

***

そんな感じで自分のなかで「人の役に立てる(と思える)分野で、全力を出し尽くす人生」という「幸せの定義」が決まると、人から見たら充実極まりないようにも見える生命保険の仕事に、ひとつの疑問、というか、余地が生まれてしまった。

自分はもっと多くの人に多くの面で役に立てるのではないか、という勘違い(!!)

である。

いや、知らんよ?ほんとのところは。

実際に役に立つか立たないかなんて、市場や顧客が決めること。

だけど、10年間とてつもない致死率の業界で生き残ってきて、ホリエモンの「多動力」を先取りするがごとく色々やってきて、実際に僕は色々出来るようになってきてしまったのである。

それが世の役に立つかどうかは分からないけれど、少なくともそう確信するに至る能力のいくつかは、既に開発し終わっていて、あとは市場に出して需要の程を確かめるだけだった。ただの勘違いではあれど、確信に似た勘違いだった。

が、会社では変わらず専業を求められる日々。当たり前だけれど、信用を問われる金融機関にとって、社員が色々「余計なこと」をやるのはリスクでしかない。余計なことはしてくれるな、生命保険を売ることだけ黙ってやってくれ。

そんなプレッシャーを、誰もそうとは言わないが感じる日々に、僕の疑問と余地は大きくなるばかりであった。

会社の言い分も分かる。しかし僕には、Cho-ninとの約束も最近フラッシュバックするし、幸せの定義もなんとなく分かっちゃったし、踊る舞台を移すタイミングが来たとしか思えなかった。

そうして10年ぶりに、僕はこれまでフィールドとしていた「碁盤」の外に、自らの意志を込めた石を打つことを決定した。

Cho-ninの言葉は、この時点でペルーで初めて会ってから15年を経過していてなお、僕の人生に幕ノ内一歩級の重いボディブローを放ってきたのである。

そしてこのときはつゆほども思わなかったが、まさかの再会が、迫ってきていた。

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世知辛い世紀末にこのエントリを読んでいただいたことを感謝します。

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家族とか教育とかの話

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羅王(AKBとも呼ぶ修羅も多いです)

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