ラオウを目指す羅王のブログ

退かぬ、媚びぬ、省みぬ!我が生涯に一片の悔いなし!!!

「鷲と共に飛べ、鳩とともに飛ぶなかれ」と言ったら「冷たいですね」と言われた話 #1196

time 2017/11/08


 

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「北斗剛掌派」:世紀末の日本を救わんとする一派。少子高齢化と人口減少のなかでも、日本人の生産性を1.5倍にすれば帳尻はギリで合うと固く信じている。モヒカン、ボーガン系ヒャハり気味DQN男子はお断り。明日への希望となる種もみが好き。尊敬する人はウイグル獄長とミストバーン。

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先日、とある会社の研修(やる方)で成功哲学的な話をしていて、営業としてうまくいきたいならこうしたほうがいいよ系の法則のなかで少々極端なことを言ったら、「冷たい考え方ですね」と言われてしまったので、面食らって少々反省した。

しかしそのあとどんなに考えてもやはり僕の言ったことは間違ってないと思うに至ったので、備忘録と言い訳代わりに書いてみる。

 

昔、とある研修会社で、その後の人生に結構影響を与えることになる言葉を習った。

 

「鷲と共に飛べ」

 

要は仕事が出来るようになりたければ、仕事が出来る人と一緒に、サッカーが上手くなりたければ、サッカーが上手い人と一緒にいなさいよ、という法則だった。

考えてみれば当たり前の話ではあるけれど、こういったシンプルな本質論ほど、気をつけていないとつい実践を忘れてしまいがちであり、一方でちゃんと実践すればかなりのご褒美がついてくる。

 

事実、25歳で生保業界に入ってからは、この言葉の威力をまざまざと感じさせられることとなった。

生保業界は、一部の会社を除くと、フルコミッション形式である。固定給はない。報酬には上にも下にも限度がない。

よって、出来る人と出来ない人の差、つまり売れている人と売れていない人の差は、軽く10倍以上になる。報酬も普通に数十倍異なってくる。

ただ、不思議なことにそういう状況でも殺伐としているわけではなく、気を抜くと死ぬ報酬体系なためか、みんなで助け合って色々教え合うというかなり健全な文化がある。

そんな厳しいけれど愛情溢れる業界に入って僕が最初に習ったのは、前述の鷲云々に一言加えた、

 

「鷲と共に飛べ、鳩と共に飛ぶなかれ」

 

 

という少々残酷なものだった。

要は、「売れてるヤツと話をしろ。売れてないヤツとは極力しゃべるな」ということだ。

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断っておくと、25歳で(半分間違って)業界に入ってきた僕に対して、先輩方はみんな優しかった。

嫌がらせをされたという記憶はひとつもない。どころか、以後一生使える考え方や、ノウハウを教えてもらったと今でも感謝している。

僕がそこそこ売れてるときは沢山話をしてくれたし、売れなくて苦しんでいるときも、どうすれば良いか一緒に考えてくれた。

聞いたことに答えてくれなかったことなんて、一度もなかった。

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そんな恵まれた環境に慣れた頃、不思議なことに気づいた。

みんなで教え合う、聞かれたら何時間でも付き合う、そういう文化があったのに、しかし売れてる人と売れてない人とで明確にグループが分かれていたのである。

正確に言えば、売れてる人は組織横断的にグループ化して活発に議論していたが、売れてない人はグループらしきものはあったけれど、基本的に仕事の話はほとんどしていなかったし会話も少なかった。

売れてないということは報酬が少ないということなので、イコール本来であれば焦っているはずである。

がしかし、焦っているのはいつも売れているグループであった。売れてない人たちは、なぜか温泉に浸かっているがごとく、のんびりとしていた。

僕もある程度売れる側になって気づいたのは、質問をしてくるのはいつも売れている人で、売れてない人が質問をしてくることは、ほとんどなかった。

***

そんな僕も、義侠心に駆られて色々と世直し的なことをやろうとする時期があった。

売れてない人たちを、自分の力で引き上げる!

自らの能力に対するそんな大いなる勘違いのもと、僕は次々と勉強会を企画しては、僕のノウハウを欲しがる売れてない人たちとともに学ぶ日々を送った。

「売れてないヤツとは話すな」なんて、ひどいじゃないか。僕はそういう冷たい先輩にはならないぞ。

そんなことを思っての行動だった。

結果どうなったか。

 

結論から言うと、

ただただ疲れて終わった。

ハンパなく疲れて何も残らなかった。

そして、自分の売上もものの見事に下がっていった。

先輩方が言ってたのは、こういうことだったのかと、身を以て知った。

 

どういうことか。

売れてない人間は、頑張りもせず学びもしないから売れてないということがよく分かった。

そして、頑張りも学びも自分の努力次第なのに、それを自らの意志で放棄している人間を動かすのは、とてつもなく大変だということもよく分かった。

ノウハウが欲しいだけで集まってくる人間は、それがタダだから集まってくるのであり、ちょっとでも代償を求める(勉強する、実際に動く、本を読む)と、途端に放棄することがよく分かった。

業界を変えるほどの圧倒的な力が僕にあったのなら、話は違ったかもしれない。そうでもないくせに人を救う、人を変えるなんてことは、到底出来るものではないということが、よく分かった。

 

正義なき力は暴力である。

力なき正義は、無力である。

 

こんな言葉の意味も、幾度の過ちを繰り返して、ようやく分かるようになった。

先輩たちが言っていたのは、こういうことだったのだ。

まず、自分の力を高めよ、と。

そうでなければ、他人どころか自分の身すら守れない、と。

それからは、自分の力を圧倒的に高めて、その存在で以て人を動かせるまでの人間になろうと固く決意したのは、言うまでもない。ラオウを目指し始めたのも、この頃だった気がする。

***

冒頭の、「鷲と共に飛べ、鳩と共に飛ぶなかれ」と言った僕に対し、「冷たい考えですね」と言った人の気持ちも、分からなくはない。

10年前の僕がそうだったように、全員を救いたいと思うのも自然なことだ。

がしかし、現実はそう甘くはない。

人を救うには、力が要る。

 

2010年にチリの鉱山で発生した落盤事故では、2ヶ月に及ぶギリギリの戦いを経て、全員が救出されて感動を呼んだ。

2011年に起こった東日本大震災でも、20年以上前の9.11でも、悲劇が起きた一方で勇敢に戦った人たちの物語は、全世界に感動を引き起こした。

いずれも、掘削作業員や消防隊員、自衛官などの当事者たちに圧倒的な力があったからである。

彼らはひとりとて、無力な人間ではなかった。

毎日毎日の死ぬほどの訓練を経て、人を救ったのである。

 

今の時代、テレビやネットなどのメディアが発達してきたおかげで、感動話、人を救った話には事欠かない。

ともすれば、それがとても身近なものに感じられる。自分にも出来るかも、そう思わされることも少なくない。

しかし忘れてはならないのは、人を救う、困ってる人を助ける、世の中を変えるなど、そういう崇高なことをするには、まずそれを志す本人に力が必要だということだ。

本来は超絶遠くにあるものが、メディアのせいで近くにあると錯覚して見えてしまうということについて、僕たちはきちんと自己省察しないといけないなと強く感じた。

力もないのに、力をつけようとすらしていないのに、そのための努力もちゃんと出来ないのに、世のため人のためとか言う。それは、ただの戯れ言であると。

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世知辛い世紀末にこのエントリを読んでいただいたことを感謝します。

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羅王(AKBとも呼ぶ修羅も多いです)

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「ラオウを目指す羅王のブログ」にようこそ。修羅が蔓延る世紀末の日本を、「北斗剛掌派」という思想体系を以て変える活動をしています。我が生涯に一片の悔いなし!と言える人生を送るため、101回目のダイエットに励んでいます。