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「北斗剛掌派」:世紀末の日本を救わんとする一派。少子高齢化と人口減少のなかでも、日本人の生産性を1.5倍にすれば帳尻はギリで合うと固く信じている。モヒカン、ボーガン系ヒャハり気味DQN男子はお断り。明日への希望となる種もみが好き。尊敬する人はウイグル獄長とミストバーン。
***

 
キリストの生誕を境に、世界では"B.C(Before Christ=キリスト以前)"、"A.D(Anno Domini=「主」の年、みたいな意味)"という言葉が使われているが、
ボーガンを持ったモヒカンがウヨウヨいる世紀末の修羅の国では時代を区分けするのに"B.E"、"A.E"という言葉が使われているのをご存知だろうか。
そう、皆さんご存知、
"B.E"とは、"Before Elsa"
"A.E"とは、"After Elsa"
のことだ。
え?知らない?
じゃあ解説してあげる。
***
2013年に「アナと雪の女王」が公開されて、いわゆる”社会現象”とまで言われる騒ぎになった。
主題歌は大流行りし、急に「ありのままっていいよね」というヤツが増えたのである。"B.E"にはなかった「ありのまま」という言葉は、"A.E"にはすっかり定着してしまった。
僕自身、4回ぐらい1号機に連れられて劇場に行ったと記憶している。
何度も見たおかげで、あの映画が抱える致命的な欠陥に気づいてしまったので共有しておきたい。
まず、
 
「Let it go」の歌は素晴らしいが、絶対にエルサの真似はしてはいけない
 
ということだけは、全銀河から選ばれたギニュー特戦隊のみんなには覚えておいてほしい。言葉を選ばずに言えば、あれはただの自己制御出来ないメンヘラ女の映画である。間違っても、美しい話ではない。
***
もし「アナ雪」が、
▼魔法が使えるカラダに生まれてしまったエルサ、対して、何も知らない無邪気なアナ。
▼魔法が使えるせいで色んな人に迷惑をかけた。色んな人を傷つけた。アナ、小さいときに傷つけてほんとにごめん。
▼だけど、すったもんだ、なんだかんだあって大切なことに気づいた。
▼力は、正しい使い方をすればいい。私は独りじゃない。大切な人は、すぐそばにいる!
▼アナありがとう!王国ありがとう!みんなありがとう!
▼「ありのーままのー」と走りながら歌う。
こういう構成だったら、僕はスタンディングマスターベーションをする。あ、違った、スタンディングオベーション。
 
しかし、実際はこうである。
▼魔法が使えるカラダに生まれてしまったエルサ、対して、何も知らない無邪気なアナ。
▼魔法が使えるせいで色んな人に迷惑をかけた。色んな人を傷つけた。アナ、小さいときに傷つけてほんとにごめん。
▼と思ったら、即位した当日に、イケメンに無邪気に食いついた妹に向けて魔法を発射。危なく串刺しになりかねない状況に。
▼近づく人みんなを敵と思い、魔法を次々発射。老若男女関係なく攻撃。
▼生まれ故郷の国全体を、得意の魔法で凍らせる。
▼「ありのーままのー」と言いながら逃げる。たしかにありのままだが国中が大迷惑。
▼「すこーしも寒くないわ」と言ってるが、国民は凍えてる。氷売りのクリストフは商売上がったり。
▼迎えにきたアナを再度攻撃。今度は直撃し、瀕死に。
 
お分かりだろうか、これが「アナ雪」の概要である。
どうせ歌うなら色々あった挙げ句の締めとして最後にしてくれれば素晴らしい話になったのに、全然セルフコントロールがなってない状態で好き勝手感情を放出して、それで「ありのーままのー」と言われても、ヒステリックなお局さん以上にタチが悪い。
よい子は見習ってはいけません。かといって、アナのように出逢った初日に男についていくような子を目指してもいけません。
あの映画で見習って良いのは、いつも笑って周りを明るくするオラフと、臭いけど献身的なクリストフのみ。
***
さて、じゃあ「ありのまま」を全否定しているかというと、勿論そうではない。
個性は素晴らしいことだ。心に沿った生き方というのは、絶対に必要だ。自分らしさ、大いに結構じゃないか。
がしかし、その順番を間違えている人間が、"A.E"元年の2013年以降急増したのもまた事実だ。
 
よく僕は、研修(やる方)で、
原理原則、義務、基本、物理法則という下半身の上に、自分の考え、経験、価値観という個性を置け
と言っている。
 
言葉を代えれば、
原理原則、義務、基本、物理法則は、自分の考え、経験、価値観という個性に対する上位概念である
とも言える。
 
もっと厳しく言うと、
力がないうちに自分の考え、経験、価値観という個性を前面に出して押し通そうとするのは、身の程を知らないただのバカのやることである
と表現している。
 
たとえば、野球におけるバッティングの原理原則は、「上から下」だ。
どんなにアッパースイングに見える選手も、ボールに対して上から下にバットを振っている。そうしてボールの下半分をこすり、バックスピンをかけて遠くに飛ばしている。
一方、テニスにおいて、スイングの原理原則は「下から上」だ。
卓球に比べると極端なほど下から上に振らないと、スピンがかからずボールは大きくアウトしてしまう。
どんなに下から上にバットを振っているように見える野球選手も実は上から下に振っており、どんなに上から下にラケットを振っているように見えるテニス選手も、実は下から上に振っている。
こういう原理原則を無視してありのままに個性を発揮したところで、絶対にうまくいかない。
 
ところが、スポーツだと自明なことなのに、仕事でそれをやる人間は本当に多い。
断言してもいい。伸びない人間、仕事が出来ない人間、力がないのに扱いづらい人間というのは、まず間違いなく原理原則、義務、基本に対して、自らを優先させている。
大ヒット映画で、世の中に良い影響を与えてしかるべき存在であるはずの「アナ雪」の強烈な副作用は、「ありのまま原理主義者」が繁殖したことであると僕は考えている。
「ありのーままのー」と叫ぶ前に、自分がちゃんと原理原則、義務、基本といったMustをちゃんと出来ているのだろうか、と自問自答せねば。
1号機に、「パパ、ちゃんとおへやかたづけて!」と怒られたのを思い出した。
以上、修羅の国的「アナ雪」分析でした。
***

世知辛い世紀末にこのエントリを読んでいただいたことを感謝します。

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