ラオウを目指す羅王のブログ

退かぬ、媚びぬ、省みぬ!我が生涯に一片の悔いなし!!!

「有閑マダム事件」のおかげで、「感情の抽象化作業」の重要性がよく分かったので、嫌いだけど有閑マダムたちに感謝したい!  #1273

time 2018/01/24


 

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***

今日のエントリを読む前に、こちらを必ずご覧ください。

所要3分ほどかかります。

もはやしつこいと言われるかもしれませぬが、それぐらい久々に(静かに)激怒した話です。

俗に、「有閑マダム事件」として、わたくしめの脳内に格納されております。

知ってるよその話、という方も、改めてお読みください。人間の脳は6回同じ話を聞いて、62%しか理解できません。わたくしめの怒りを62%でいいので理解できるまで、しつこくご笑覧ください。

 

現代の都心の専業主婦は、歪みやすい環境にいるという話 

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はい、読み終わった皆さんは、ぐったり疲れが出たことと思います。おつかれさまでした。

ちなみに、わたくしはもっと疲れたであります。

都心のワーキングマザー諸氏が、同じく都心の専業主婦を嫌がる理由が日本一よく分かるエントリーでしたね。

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この「有閑マダム事件」、超サイヤ人孫悟空より穏やかと言われる僕が、久々に怒りまくった事件として江東区晴海通り沿いでは有名になっていて、絶対に、

1、所属するコミュニティが閉鎖性を帯びてきたら気をつけること

2、他者に対して優越感を感じられる環境になったら気をつけること

の2点を他山の石として意識することを心に決めた。

 

で、この話を各地の研修でさせていただいていて、それなり以上に共感と憐れみを得られるので、元は十分に取ったしこれからも取り続けるのは確定しているんだけど、何度も何度も話をしているうちに、ふと気になってきたのがこちら。

 

「はて、俺は一体、何にキレてるんだろう?」 

 

最初は、当然のことながら事件の加害者である都心の有閑マダムたちに対してキレているのだと思っていたが、具体事例としてはその通り。

しかし、どうもそれだけじゃないっぽい、ということがなんとなく分かってきた。

「有閑マダム事件」のエントリは、人が歪む2大条件の抽出に役立ったということで日本各地から喝采を浴び、間も無くNature誌に掲載される予定もないことはないとは言えないぐらいのこともないのだが、僕の感情についても抽象度を1段階上げることで、また別のものが見えてくる。

 

僕は、有閑マダムのみならず、

「ノーブレス・オブリージュ」に反するヤツが許せない

のだということが、今回の事件で判明したのである。

***

「ノーブレス・オブリージュ」とは、直訳すれば、「高貴なる者の義務」であり、「財産、権力、社会的地位の保持には責任が伴う」という意味だと言われている。貴族階級が跋扈するヨーロッパで生まれた考え方だ。

意訳すると、「金持ちはそうじゃない人間を有形無形に助けなさい。」という意味だが、僕はさらに意訳していて、

「恵まれている人間はそうじゃない人間より恵まれてるんだから、グダグダ言わずにできる範囲で世の中の役に立つことをするのが当たり前だよね。」というふうに捉えている。

 

その意味では日本人は生まれながらにしてアフリカ、アジアの貧困国の人たちよりもはるかに恵まれていて、よほどDQNな家庭で育ったのでなければ、引きこもりなんぞは単なる贅沢な遊びにしか思えない。

いじめに遭ったとか、家庭環境だとかの特別な事情を除けば、「3才から物乞いをさせられる子供たちが世の中にどれだけいるか、てめーら全員メキシコのスラムで修行してこい!」と言いたくなる。

また、夢も目標もその実現手段も持てる環境にいるのに、それを持て余している甘ちゃんを見ると、「夢も目標もその実現手段もない子供たちが世の中にどれだけいるか、てめーら全員インドのスラムで修行してこい!」と言いたくなる。

さらに、「隣国が攻めてきたら俺らが座り込んで一緒に酒飲んで止めてみせます!」とかいうお花畑な人間を見ると、「隣国がいつ何時攻めてくるか分からないとはどういうことか、てめーら全員イスラエル軍のモサドで修行してこい!」と言いたくなる。

 

で、そんな恵まれた日本人の中でも、トップレベルに恵まれているのが、何を隠そう有閑マダムたちなのである。

世界にも類を見ない専業主婦という職業を選択でき、にも関わらず生活は質素に留めなくて良いほど豊かな収入が旦那にあり、習い事をしまくってる賢い子供も1人2人いて、およそ女性が一般的な幸せと呼んでいるものを全て手に入れているのが有閑マダムたち。

そんな恵まれている状況にいる彼女らが、特にバリューを出さずに「有閑マダム事件」のように世の中に害悪を振りまきまくっているという「反ノーブレス・オブリージュ」的なところが、僕にはとてつもなく許せないのだということがよく分かった。

事件があったので怒るのは当然として、なぜここまで怒りが持続するのか、自問自答しながら感情を抽象化していった結果、こういう結論に達したのである。

***

以上は、僕の「怒り」に関しての感情の抽象化作業であった。

それを別方向にも使えるのではないか、というのが本題。

 

例えば、ある映画を見て感動した。しかし何故かは分からない。

まぁいい映画だったから、としか言えない。

 

次に、ある人と出会ったら、これも感動した。

すごい人のすごさに感動した、ということかもしれない。

 

しかしなぜか次は、赤ちゃんに対して感動してしまった。

赤ちゃんは別に実力的にはすごくもなんともないし、ストーリー性があるような生き方をしているわけではなく、どちらかというと行き当たりばったりである。

しかしその姿に自分は感動している。涙すら出ている。

 

一体これはなんだろう?

俺は一体なにに感動する癖があるんだろう?

 

そんなことを考えて抽象化作業を進めていくと、ふとしたときに自分は、

 

命を燃やすがごとく生ききっている人を見ると、心が震える 

 

という共通項を持って、いままで感動してきたのだということが分かる。

そうか、そういうことだったのか。

 

そういえば、映画の主人公も命を燃やして生きていたし、すごいと尊敬したあの人も命を燃やして生きていたし、赤ちゃんなんて毎日が真剣勝負で命を燃やしまくりながら泣いたり寝たりアブアブ言ったりしている。

そうか、そうだったのか。

 

・・・と、このように自分が何に感動するのかを抽象化できるようになると、今度はそれを能動的に求めていくことができるようになる。

また、そういった生き方を意識しながら、日々、自己省察することができるようになる。

それまでの行き当たりばったりの旅路ではなく、ある意味で再現性高く計画的に、自らの心が震える方向に、生きる舵を切っていくことができる。

そしてそういうことができるようになるならば、そうでないときと比べて、幸せはグッと近づいてくるような気がする。

***

怒りの感情の抽象化から、喜びや感動の抽象化に話がつながった。

そんなことを考えられるようになったのは誰のおかげかというと、みなさんご存知、有閑マダムたちのおかげである。

歪んでしまった諸氏に関しては都心から滅びれば良いと思いつつも、彼女たちのその絶望的なまでの世間とのズレ、および優越感、閉鎖性、歪みにのおかげで、僕の思考は数年分進んだ。

心から感謝したい。

***

※今日のトレーニング スクワット300回、腕立て300回

世知辛い世紀末にこのエントリを読んでいただいたことを感謝します。

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