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退かぬ、媚びぬ、省みぬ!我が生涯に一片の悔いなし!!!

敗軍の将、兵站を語る〜第3回みちのく津軽ジャーニーラン188kmリタイヤ伝⑥〜 #1313

time 2018/07/22


 

※野辺山ウルトラ2018完走記の途中ではありますが、予定を変更して「敗軍の将、兵を語るシリーズ」をお送りします。

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仮眠、出発、ひとりぼっち、挫折 CP5鰊御殿〜リタイヤ

その昔にこのあたりで鰊が採れまくった結果として建ったという鰊御殿。ここは、今回のレースにおいては唯一のビッグエイドとなっていた。シャワーあり、夜食あり、仮眠スペースありとなんでもござれだ。

着替えやジェルを入れたドロップバッグを受け取り、気分転換のためにシャワーを浴びる。ボロボロになったふくらはぎや大腿に冷水を浴びせると、まだ走れる気がしてくる。

仮眠スペースをみると、ここまで一緒に走ってきたフジタマンが、着替えもせず、シャワーも浴びず、食事も無視して仮眠していた。そして、わずかな仮眠で錦御殿を出ていった。この徹底したレースから逃げない姿勢が、フジタマンを完走までこぎつけさせたとあとで知る。

それに比べると僕はシャワーを浴び、食事をし、仮眠を1時間半ほどとってしまった。いや、そうでもしないとカラダがもう動かないからしょうがなかったという側面はあるものの、しかし「これで走れるようになる」とか、「回復させてるんだ」とか、「エネルギーを溜めてるんだ」といった「一見するとそれっぽい言い訳」を連発して、足を前に進めることよりも、休むことを優先させた。

実際、用意されていたカレーは神が作りたもうたかと錯覚するような味で、とんでもない旨さだった。

 

そしてこんな神カレーを食べてしまったからには、もはや胃を少しでも休ませるしかない。もともとこのエイドでは2時間ほど仮眠する予定だったのだけれど、予定より3時間半もビハインドしていて、それで同じようなレベルで仮眠してしまったのだから、畢竟しわ寄せはあとから襲ってくることになる。

とはいえこの写真を見て貰えばわかる通り、仮眠を終えてさぁ行くぞ!と気合いを入れた瞬間ですらこんな顔。それぐらい、暑さ、湿度、距離、そして夜の闇と退屈さに疲労困憊となっていた。

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鰊御殿を出たのは朝3時45分頃。仮眠スペースには多くのおじさんたちががっつり寝ていて、どうやらリタイヤを決め込んでいるご様子。その波に飲まれないように、しかし少しだけ惹かれながら、無理やり鰊御殿を後にする。

あと82km、残りは16時間。

普段なら間違いなく余裕。疲労困憊の今なら果たしてどうか。よほど途中で休みすぎなければ、完走は行けそうである。イーブンペースで行くなら、キロ11分40秒で走り(歩き?)続ければ良い。ある程度歩いてもちょっとでも走れば1キロあたり9分半ぐらいにはなるから、なんとかなりそうだ。

そんな計算をしながら、少しずつ明るくなってきた道をひた走る。そして気づく。なんてこったい、ひとりぼっちだ。

 

ここまでの道のりは、少なくとも横にフジタマンがいてくれた。そして前後を見渡せば、1人か2人ぐらいは誰かが走っていた。

ところが今は完全に一人。どうやら真面目に完走を目指すレベルのランナーは、とっくに鰊御殿を出てしまっていたようだ。後からは今のところ誰もこない。前を見ても誰もいない。ということは、あそこにいた人たちは全員リタイヤということか。そして自分は、かなりの程度、その予備軍に近いということ。

地図もなく、フジタマンに撮影させてもらった写メを参考にしながら、道を間違えかけながらも、なんとか歩を進めていく。途中、8kmぐらいは余裕で進むことができた。キロ9分、場合によっては8分半ぐらいで、自分的には堂々たるペース。

仮眠が効いている。カレーも効いている。なんだかイケる気がするぅ〜!!!

気分は高揚し、ゴールした時のガッツポーツをイメージする。「どうせ津軽行かないでしょ」と思ってたであろうチームメンバーに、なんだかんだやる漢としての存在感をもう一度見せつけることができる!「ゴールする気ないでしょ」と言っていた某社のメンバーたちを、見返すことができる!

そんな風に、ポジティブ満載な気分で走っていた矢先のことであった。

電池切れは突然やってきた。

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超長距離のレースにおいて、怖いのは「一寸先は闇」なところ。

疲労困憊で精神も限界に達しつつあるなか、しかしジェルを一本補給すれば自分でもびっくりするぐらい回復して再び走れるようになることがある。

これは過去何度も経験していることで、エイドまでは死にそうにトボトボ歩いていたのに、エイドでおばちゃんの百万ドルの笑顔と補給食にありついた瞬間、それまでがウソだったかのように復活する、なんてことは幾度もあった。

 

そして「一寸先は闇」ということは、その逆も然り。それまで快調に飛ばしていたのに、自分でも分からないほどに疲労が蓄積していたのか、いきなり走れなくなる、あるいは歩くことすらできなくなることがある。

フルマラソン経験者の方は「25kmの壁」や「30kmの壁」を思い出してもらえれば良い。キロ5分や5分半ほどで走っていたのが、壁を迎えた瞬間にキロ6分がキツくなり、いつのまにかキロ6分半でもゼエゼエ言ってしまう、みたいなアレ。アレのひどい版だ。

キロ8分や9分という、平常時からすればとっても遅いスピードで走っていたのに、それがある瞬間から、キロ11分、キロ12分でも不十分なぐらい、走れなく(歩けなく)なる。

 

今回の僕も、鰊御殿を出て8kmぐらい過ぎたあたりにあった坂道に出会った瞬間に、アレがやってきた。鰊御殿で得たつかの間の休息は、実は全然回復に寄与していなかった。今までは100km走って限界を迎えていたのに、今日に限って限界じゃないなんて、そんな都合の良い話は存在していなかった。

自分にとってアッパーリミットだった100kmという距離はしっかりとその爪痕をカラダの内に残しており、それまでのポジティブな気分や完走への希望を吹き飛ばすに十分すぎるほど、自分が疲れていることを思い知らせてきた。

もう、ダメかもしれない。。。

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そうして走れなくなり、トボトボと歩き始めてからは、ネガティブ一択。

次の関門まで残り2時間半、あと15kmぐらい。なんとかなる距離と時間ではあるが、しかしとんでもない量の「走れない理由」が頭の中を駆け巡っていくのが、よく分かった。

そして、同時に襲ってくる睡魔。むしろ、この睡魔によって全てのモチベーションが奪われていく感覚があった。仙人からは事前に「眠くなると、根こそぎ気力が持っていかれる」と聞いていてある程度覚悟はしていたが、本当にそうだった。

頑張りたい。しかし、頑張りたいと思おうとするその気力すら、睡魔が丁寧に剥ぎ取っていく。この日のために「『24』を24時間観る」とか、「テラスハウスで徹夜する」などの修行を積んでは来たつもりだったけれど、いかんせんそれはソファの上でのただの徹夜だった。走りながらではない。

あー俺の人生なんだったんだ、とか、死んだ方がマシだ、みたいなよく分からない規模の被害妄想にも苛まれながら、ある瞬間にブチンと音が聞こえ、僕は道端に倒れた。

そして、寝てしまった。数十分後に起きた頃には、到底関門に間に合わない時間になっており、120km地点にてリタイヤが確定してしまった。

僕のみちのく津軽ジャーニーランは、こうしてあっけなく終わりを迎えた。数時間前に関門に間に合わずリタイヤを告げていた仙人と、その仙人を収容したアリソンにお詫びのメッセージを入れて、僕は再び道端で眠りについた。

わかりやすく敗因分析をすると、走力不足と睡魔、これが2大要因だったと言える。

***

強敵(とも)のゴール、そして内省

ジャーニーランは、リタイヤ即収容、というほど甘くはない。フルやウルトラでは基本的にエイドや、場合によってはコース途中でも収容してくれるけれど、人員が割かれておらずコースが広範囲にわたる今回のようなレースでは、そういうサービスは望めない。

リタイヤをするにはしたけれど、弘前市内まで自力で戻らなければいけない。んで、最寄りのエイドまでそれでもまだ10km近くある。もう歩けないし、進めない。

仕方なくヒッチハイクをしようと親指を立てても、デカイ、汚い、臭そうの三拍子揃っている僕に対して、早朝から優しさを見せてくれる人なんてなかなかいない。ヘロヘロになりながら、そしてその様子がさらにヒッチハイクカーを遠ざけることを理解しながらも、少しずつ歩を進めた。

ラッキーなことに、この汚戦士を載せてくれるトラックが現れた。「おめえ、マラソンなのに車乗るんだか?」ともっともなことを言ったおっちゃんは、しかし終始ニコニコしながら僕を次のエイドまで届けてくれた。ありがたい。本当にありがたい。

なんとかたどり着いた129km地点のCP6からは、さらに電車を乗り継いで12時頃にようやく弘前市内へ到着。リタイヤしたのが7時、帰ったのが12時。これがジャーニーランの自責運営たる所以だ。

 

同じくリタイヤしていた仙人、そしてアリソンと合流し、風呂に入ったりランチをしたりしながら、敗因分析をする。仙人はレース開始早々に胃痛が発生し、178km地点で関門切れでリタイヤとなった模様。

共通の見解である暑いだの、長いだの、エイドが少ないだのという理由をあーだこーだと並べ立てたけれど、結局二人でたどり着いた結論は、

実力不足

の4文字であった。

シンプルイズベスト。これ以上ない敗因だった。

実力さえあれば暑さに多少影響されても問題なく走れただろうし、実力さえあれば関門を気にすることもなかった。実力さえあれば脱臼してようが胃痛があろうが制限時間には間に合っただろうし、実力さえあればゴールするしないは議題に登らず、どうゴールするか?だけを議論することができた。

要は実力不足。それが全てだった。

***

我々の敗因を、敗因にしなかった漢がいる。かつての同僚、フジタマンだ。

大会の規模からなんとなくは想像していたけれど、しかし想像以上になんの変哲もないゴール。そこで敗残兵2人はフジタマンを待つことにした。

 

「ごめん!予定より早くなりそう!」

という、良い方のサプライズをカマしてきたフジタマンは、僕たちがゴール地点に着いてからわずか5分ほどでやってきた。

もはや何色か分からない、松崎しげる級の色で現れたフジタマン。焼けている、というよりはむしろ焦げている。

 

そして、ゴール。かっこよすぎる。

 

敗残兵然とした僕の居眠り写真と比べると、エライ違いだ。(100km地点コンビニ)

 

フジタマンは僕と同じペースで106km地点まで走り、決して素晴らしいとは言えない前半戦をくぐり抜けていた。

しかし鰊御殿を出てからの82kmに関しては、満点の出来。走れる区間はキロ9分、いけるところはキロ8分台すら出しながら、制限時間を3時間以上残した状態でゴール。

今まで同じレースに出ていても、フジタマンのゴール姿を見ることは叶わなかった。(僕が遅過ぎorリタイヤのため)が、今回初めて、その勇姿を見ることができた。

こんなにカッコいいヤツだとは、思わなかった。

お前、マジでカッコよすぎだろ!

 

僕はともかく、一昨年は200km、昨年は250kmのこのレースを完走した仙人すら沈めた、みちのく津軽ジャーニーラン。それを実際に強敵(とも)がゴールする姿を見て、心からの喝采を贈るとともに、しかしやはり自らの弱さに対するどうしようもない悔しさみたいなものも、溢れてきた。

言い訳はすまい。たらればは今回の場合、存在せず、単純な力負け。もうちょっとあれがこれがとは全く言いたくもならないほどに、実力が足りなかった。

 

今より強くなるには、今より強くなるしかない。

そう心に誓い、弘前を去る頃にはすでにリベンジを決めている自分がいた。

大会運営に関係してくれた全ての人たち、ボランティアの方々、街のおっちゃんやおばちゃんたちに恩返しするためにも、一回り、どころか幾回りも強くなって、ここに帰ってこなければならない。

フジタマンのゴールを何度も何度も思い返しながら、次は自分があのステージに立とうと決意した。あー、そうそう、決意だけじゃ何も変わらないって、大前研一さんも言ってたっけな。決意ではなく、具体的に生活を変えねばならない。形而上の話ではなく、形而下のレイヤまで行動計画を落とし込まねばならない。

たっぷり残ってしまった宿題に唖然としながらも、しかしこれ以上ないほど素晴らしかった大会に感謝しつつ、青森は弘前にさよならを告げた。

さぁ、次は海賊王でも目指そうか。

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世知辛い世紀末にこのエントリを読んでいただいたことを感謝します。

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羅王(AKBとも呼ぶ修羅も多いです)

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