先日の第100回夏の甲子園には、多くの感動があった。僕自身は決勝しか見られなかったけれど、甲子園球児たちの真剣なプレーや爽やかな笑顔、そしてアツい涙に、ちょっと泣いた。

 
その数日後、今度は8才になる1号機の演劇を見たわけだけど、今度はそちらで号泣。親族曰く「会場で一番泣いていた」というぐらい泣いていたらしい。まぁ、開始2分で1号機が登場した瞬間に泣いていたわけなので、あながち間違いでもないと思うけれど、我ながらこの数年は涙脆い。
平たく言うと甲子園にしろ娘の演劇にしろ、感動するから涙が出るわけであるが、ではこの感動は何によって生み出されるのか、というのを少し考えてみたい。
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感動の因数分解をしてみる

今夏の甲子園。
なぜあれだけ盛り上がったかと言えば、言わずもがな、その理由は、金足農業高校の大躍進である。
公立高校で、野球が必ずしも強いとは言えない秋田勢。そこに彗星のごとく現れた豪腕吉田輝星選手と、農業高校らしい素朴感溢れるナインたち。
連日の信じられないような逆転勝ち、毎回仰け反るようにして歌う校歌、死力を振り絞った応援。そのどれもが、感動を生み出すのに寄与していた。
また一方で立ちはだかった大阪桐蔭が素晴らしかった。スラムダンクで言うところの山王工業にしか見えない絶対王者。絶対に勝てない。でももしかしたら今回の金足農業なら?
そう予感させる何かがあった大会は、結果はそうはならなかったものの、この数年でも異例の盛り上がりを見せたのではないかと思う。
 
1号機の演劇は、素晴らしかった。
毎日毎日、勉強との両立をしながら居間でも風呂でも歌い、ママに怒られて泣かされまくりながら過ごした数ヶ月。その集大成を見ることができたわけだけれど、前述の通り開始2分で号泣。忙しい観客だったことと思う。
なんというかね、輝いて見えるわけですよ、我が子ながら。そして確かに、後光が差していたように思う。それぐらい、素晴らしい動きをしていた。
演劇のクオリティのみならず、それが成立している背景まで知っていたからこその、涙だったように思う。1号機には心からお礼を言いたい。
ちなみに1号機はそういうパパの心境をわかっているらしく、ここぞとばかりにプレゼントのお願いをしてくる。パパが抗えないことは重々承知のようだ。末恐ろしい8才。避けられないパパ活。
 
この両者に共通するものはなんであったか?
それは、「儚さ」であると僕は思う。この「儚さ」が、感動を何倍にも増幅させて、僕たちが涙するほど心動かされる理由となっている。
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「儚さ」=「二度とない奇跡」に感動は生まれる
ではその「儚さ」とは何か?
感動を何倍にも増幅してくれる「儚さ」の正体は何なのか?
人が甲子園や娘の演劇に狂喜乱舞する、真の理由は?
それは、「二度とない奇跡」のことだと僕は思う。
 
もう一度、甲子園がなぜあれほど盛り上がったのかを振り返ってみたい。
確かに、球児たちの素晴らしいプレーは、心を打った。我々普通の大人にはない真剣さは、眼を熱くさせた。
が、たとえば、金足農業が全国屈指の強豪だったら?少し待てばまた数年後には大阪桐蔭との熱戦が見られたのではないだろうか。
もし金足農業に集まる人材たちが全国から選りすぐられた野球エリートばかりだったら?ドラフトの話は盛り上がったかもしれないけれど、ここまでの感動はなかったんじゃないかと僕は思う。
これがプロ野球のペナントレースだったら?数十試合の中の一試合として、確かに感動はするけれどここまでの話にはならなかったのではないかと思う。それそのものをとってみれば大差の試合だったし。
 
思うんですわ。
みんな、知ってるんだよね。このドラマがおそらくは「二度とない奇跡」なんだと。絶対とは言えないけど、おそらくはもう見られないものなんだと。
全国のトップレベルに毎回顔を出せる大阪桐蔭と異なり、公立で、選手の採用も育成もままならず、野球強豪国でもない秋田県から今回のようなチームが生まれ、逆転に逆転を重ねて決勝まで進んでくる確率が、天文学的な確率であるということ。
それを、みんな知っている。
だから、ここまで熱狂する。
 
普通に考えれば、大阪桐蔭のプレーのクオリティの方が高い。野球を純粋に楽しむのであれば、そちらの方が満足が高い可能性が高い。例えば大阪桐蔭対智弁和歌山といった強豪校同士の方が、白熱する接戦になる可能性も高い。
しかしなぜあれほど我々は心打たれたのか。今回の大阪桐蔭対金足農業が、おそらくは二度と見られない物語だったからだろうと思う。
大阪桐蔭はかなり高い確率でまた見られるだろうが、金足農業は果たしてどうか。いわんや、大阪桐蔭対金足農業の再戦があり、金足農業が勝つかもしれないとここまで期待できるような投手を擁する試合が見られる確率は?
ほぼゼロと言って良い。
その「儚さ」に、僕たちは熱狂したのである。
 
僕が娘の演劇に熱狂する理由も同じ。
プロでもない娘の演劇は、今回限りで二度と見られない。同じ演目を何年間も、ということはなく、娘が8才で未熟な演技を見せてくれるのは、最後となる。
その「儚さ」に、僕は感動したのである。多くの人が花火に感動する理由もまた、その「儚さ」にあると思う。
***
お前はどうだ?
翻って、ここに致命的な矛盾があることに気づいてしまった。
確かに、大阪桐蔭対金足農業の試合はつかの間の儚い夢であった。娘の演劇もまた然り。こちらも儚い夢の空間だった。
では自分の毎日は?
 
本来ならば、自分の毎日もまた、1日1日が二度とない瞬間であり、二度とは戻ってこない時間であり、二度と生きることのない今日の積み重ねである。
しかし思うのは、僕自身はあれほどの密度で生きられているのだろうか、ということ。確かに、頑張ってはいる。必死でもある。
しかし。
しかし、である。
 
知らず知らずのうちに、人に感動させてもらうことに慣れてしまってはいないだろうか?
必死なのや向こう見ずなのは甲子園球児や娘たちの特権であり、自分とは距離のあるものだと、知らず知らずのうちの他人事にはなっていなかっただろうか。
37才のおっさんだからと、変に客観的になっていなかっただろうか?
 
お前の人生に「儚さ」はあるのか?
「二度とない奇跡」を毎日起こしているのか?
 
そんなことを自己省察せざるを得ない数日間であったように思う。
もうすぐ夏が終わる。
あつがなつい人生を生きよう。
 
※大阪桐蔭の鍛えに鍛え抜かれた球児たちのくれた感動をいささかでも毀損するつもりはありません。あれだけ鍛えられているのは、やっぱり凄い。
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