昨日、我々の怒りの原因は何かについてのエントリを書いたけど、第二弾。
一種のアンガーマネジメントについて書いているような気もしてきたけれど、その意味でいうと昨日のエントリより今日の方が大事かもしれない。

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最近、ダイバーシティダイバーシティと言われて久しいが、これの意味するところは
自分と違う人とも仲良くしなさいよ
ということであり、さらにその根底には、
自分と違う人に対しては違うがゆえに怒りを感じやすいけど、
人それぞれの正義、価値観があるんだからまぁ穏やかにね
という話だと僕は思っている。
 
この意見に僕は大賛成であり、同質社会に生きてきた日本人には特に必要な考え方だと思う。
日本人の考え方、日本人の価値観、日本人の作法だけではグローバル化が進む世の中で流れについて行くことはできないし、そもそもが異なる文化を受け入れて自分たちのものにしてきたのが我々のご先祖様なんだから、ほんとはやりゃできるだろぐらいに楽観視している。
インド人のしつこさには毎度腹が立つし、イタリア人のテキトーさには尊敬の念とちょっとの嫉妬すら感じる。お気楽でいいなお前らは!と思うことしばしば。が、まぁ慣れればなんということはない。
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ただ、こと怒りという観点からすると、少し考えておきたい視点があると思っていて、それは、
人は、自分と異なるものに怒りを感じることはあるが、
本当に怒りを感じるのは似ているものに対してである
という点。
 
たとえば国防の世界では、「隣国と仲良くすることは不可能である」というのが半ば常識となっている。ロシアとウクライナは仲が悪いし、フランスとドイツも元は天敵同士。アメリカとメキシコもなんだかんだといつもやりあっており、日本は中国や韓国と仲が悪い。
これはなんでかというと、国境やDMZが接しているとしょっちゅうドンパチやるからというのが直接の原因ではあるけれど、もっと根本的な原因としては、これらの国は民族的に
似ているけどちょっと違う
からである。
 
全然違う人種の人とは価値観も生活様式も何もかもが違うから、戸惑ったりイラっとすることはあっても、「まぁ違うししゃあないよな」ぐらいの心理的距離は比較的容易に置くことができる。
しかし、たとえば日本人から見た中国人や韓国人は、顔や背丈的なものは比較的近く似ているが、しかしやっぱり国ごとに色々異なるので分かり合えない面が多い。
見た目からして似ているので、昨日書いたように「もしかして分かり合えるかも?」という期待値が高く設定されてしまう一方で、しかし別の国の人なのでそれが容易に裏切られる。
結果として、怒りのボルテージは全く異なる人種、文化を持つ人たちに対するそれと異なり、飛躍的に上がることになる。
 
仮定の話ではあるが、たとえば米軍の兵士が芳しくない事件を10件起こしたとしても、もちろん批判は起こるし再発防止も求められるだろうけど、「野蛮なガイジンどもはまったく・・・困ったヤツラだ」といった諦めの空気が支配することが予想される。
これが中国や韓国の兵士が同様のことをやらかしたら、日本国内に彼らの国の在日人員に対する排斥運動が起き、そしてそれはそれなり以上に長続きすると思う。国会の前は街宣車で大変なことになるだろう。
理由は、「似ているけどちょっと違う人々」についての怒りが、自己と完全に異なる人々へのそれと比べて全く異なる大きさを誇るからだ。
 
ムカつく同僚、ムカつく友人がいたとしても、基本的には違う人間なので怒りの限度額というのはある程度決められている気がする。が、親兄弟や親戚にそういう人がいると、とてつもない量の怒りが湧いてくる、なんて経験をしたことのある人は、決して少なくないのではないだろうか。
法事や冠婚葬祭で定期的に顔を合わさなければならないという実務上の理由はあるかもしれないが、これはやはり、他人と異なりどこかである程度以上の遺伝子を共有していて、「似ている存在」であるにも関わらず、「でもちょっと違うあれこれ」を持つ人間に対する怒りであるのだと僕は思う。
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この考えは、実は逆方向からも応用できる。
ムカつく、イラつく、などの怒りの感情が湧いてきたとき、それは、
目の前の人間が自分に似ている要素を持っているから
であると客観的に捉えることは、怒りを抑える上で結構重要な思考の技術であると思う。
 
たとえば僕は勉強をしない人間が極度に嫌いなのだけれど、それはなぜかというと、
勉強を全然しない時期が長く続き、その間全く能力が向上せず、苦しんだ
という経験を持っているからである。
勉強しないから能力が向上しない、能力が向上しないから苦しむ、というサイクルが見えてるにも関わらず勉強しないなんてバカじゃないの?とそういう人を見ていて思うわけだけれど、半分以上は過去の自分に対する後悔と嘲笑が含まれている。
 
タバコをやめられない人や肥満の人に対する怒りの念も結構強い方だと思う。
これは、お菓子という依存物質を未だやめられず、そして自分の腹の肉の厚みを認識しているから、つまり、「似ている」と自分でわかっているから、ムカつきの度合いが大きいのである。
彼ら悪いのではなく、自分が悪いだけなのだ。
 
つまり、どの局面においても、怒りの矛先は知らず知らずのうちに自らの不徳や能力不足に向けられているのであり、アンガーマネジメント的に言えば、他人と過去は変えられない以上、自分と未来を変えるためのセルフコントロールをするしか合理的な道はない。
最近、心友の「熊」のメンがヘラってきていて、そのメンヘラぶりにイライラが募っていたのだけれど、この理論に当てはめて考えてみれば、自分のメンがヘラった経験が過去に相当年数あったことから、彼に対して怒りを感じていたのだと判明。
結局のところ、熊への怒りの半分は、自らに対してのものだった。
なら、ベジータ様のように、自らへの怒りをパワーに変えて、超サイヤ人になろうぜ、俺。
熊、ごめん。
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