ラオウを目指す羅王のブログ

退かぬ、媚びぬ、省みぬ!我が生涯に一片の悔いなし!!!

「元・敬老の日」生まれとして考えることと、これからの高齢者について #1354

time 2018/09/16


 

あだずは「元・敬老の日」=9月15日生まれであります。つまり昨日ね。

誕生日が必ず祝日だったので、小中学校時代は誰にも学校で祝ってもらえませんでした。これはこれでとても悲しかった。

一方、2003年からは「敬老の日」が「9月の第3月曜日」に設定された関係で15日に限定されることがなくなり、今度は「誕生日=休み=好きなことができる」という方程式が脆くも崩れ去りました。

平日の怒涛の中に突然その日が誕生日だった、と気づくことが増えました。これもこれで結構悲しいことです。

ちなみに今年の9月15日は運良く休みだったのですが、なんとクライアントの幹部育成合宿のオーガナイザーをするという大仕事。家族になんと言われたかは想像に難くないと思いますが、「誕生日なのに頑張ってるね」などとは言ってもらえなかったことは明らかでしょう。

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さて、そんなわけで「敬老」という言葉について、子供の頃から人一倍敏感なあだずですが、小さい頃は大変失礼なことに、

「なんで僕の誕生日とじいさんばあさんの記念日が一緒なんだ!」

と怒っていました。すみません、じいさま、ばあさま。

 

また、一時期は、というか今も年相応より上に見られるアルカイダ系の顔なため、

「僕がおっさん寄りな顔なのは敬老の日生まれだからだ!」

と誕生日を恨んだこともかつてはありました。

 

そして今では毎年9月第3月曜日の敬老の日を迎えると、

「いやいや国民のみなさん、もともと今日は僕の誕生日ですから。今日が休みなのは僕のおかげですから。感謝してください。」

という謎のプライドが顔を見せるまでに傲慢な漢になってしまいました。

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さてさて、どうでもいい話は置いとくとして、「敬老の日」というのがいつから始まったのかをちと調べてみたところ、

”1947年に兵庫県で「敬老の会」を開催したのが始まり。当時は戦後の混乱期にあり、子供を戦争に送った親たちも多く、精神的に疲労の極みにあった。そんななか、野間谷村の村長はそうした親らに報いるべく、「老人を大切にし、年寄りの知恵を借りて村づくりをしよう」と55歳以上の人を対象に会が催された。” (Wikipediaより抜粋、編集)

とのことでした。

 

実はあだず、この説明を読んだときに二重の意味で「うっ!」となりました。

ひとつは、なんとなく皆さん分かると思いますが、「55歳以上」が「敬老」の対象とされていたという点。昔の基準で言えば、あだずはあと15年強で高齢者の仲間入りやん。

65歳ですら高齢者とは言い難いほど寿命が伸び、若いじいさんばあさんが増えた現在となっては、後期高齢者の枠に入る75歳ぐらいからがなんとなくの「敬老」の対象に思えましたが、戦後はこんな価値観だったのかと思いましたです。

***

もうひとつが、「年寄りの知恵を借りて」という部分。これはかなり冷や汗が出ました。

というのも、読み方を変えれば、「昔は高齢者には借りるための知恵があると見なされていた」ということだからです。育ててくれたとか自分より長く生きていることへのリスペクトはあれど、「借りるに値する知恵を持っている」存在だったからこそ、敬う対象であったという見方もできます。

これは日本人に限らずなんたら人やなんたら族でも一緒で、特に一次産業が主で頃は当然の話でした。知恵がなければ火も起こせないし、人が人と動物として殺し合いをするのではなくコミュニティを形成してうまくやっていくためには、高齢者の知恵が必要でした。

つまり、インターネットもグローバル化も意識しなくて済んだ時代には、「年を取れば取るほど、知識も経験も積み重なっていき、それは他の人間にとってvaluableである」ということが言えたのでした。

農作業に必要な筋力は失えど、家族や一族が生き残るための知恵や戦略を持っていたからこそ、高齢者が敬われていたのは、歴史的な事実です。

 

そして一方で、テクノロジーが進めば進むほど、「高齢者に借りるべき知恵」の存在がどんどん失われつつあるのもまた事実です。ファッションの相談を自分の祖父母にする人はまず皆無でしょうし、僕のような金融の人間からすると、住宅ローンや保険の相談を祖父母、どころか親にするのさえ、ナンセンスだと断言しています。

スマホやiPadの操作方法を「孫と仲良くできるから!」と教えた経験のある親御さんは多いでしょう。つまり、高齢者に対しては「知恵を借りる」のではなく、「知恵を貸す」側に、社会全体がなりつつあるのです。

つまり、高齢者が当時持っていたバリューは大半が失われ、年金問題、医療費問題をはじめとした彼らを養うコストの部分に目が向き始めている現在、言葉を選ばず言えば、

年を取っているということだけで無条件に高齢者を尊敬できる時代は、

終わりを迎えつつある

ということになります。これはとても怖いことであり、しかし目を背けてはいけない事実だと思います。

自分の家族であれば、おじいちゃん、おばあちゃんを大切にすることは可能だと思いますが、自分から遠い高齢者になればなるほど、それは難しくなるのではと危惧しています。

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話は高齢者に止まりません。

会社でも、「年を取っているから」=「先輩だから」、「役職者だから」という理由だけで自動的にリスペクトされることは今後なくなっていくと思われます。

特に僕が片足を突っ込みつつある(でもまだ全部ではないと言いたい)「おっさん」にしても、仕事の能力がなければ飲み会で武勇伝を語ろうにも誰も来てくれない時代が来ています。バリューがなければ給料も自動的には上がらないし、むしろ居場所はどんどん少なくなっていきます。

テクノロジーの話で若い人を論破できるほど詳しい人は稀でしょう。体力気力は若い人の方が当然強いです。知識も、どうも最近の若い人の方が豊富なんじゃないかと思います。おっさんの知識は深い場合が多いけどとにかく狭い。

となると、「年取ってる以外の俺のバリューってなんなの?」ということを真剣に考えてる人じゃないと、今後は厳しいのじゃないかと思う今日この頃です。

 

若い人は、若いというだけで国にも組織にも重宝されます。それは、活力の源になるからです。

んが、一方の年を取った人たちはこれから数は増えますが、それぞれが頭を使って変化できるようにならないと、ちょいと厳しいのじゃないだろうか、なんて思ったり。

少なくとも、子育て世代の疲弊の方がはるかにひどいと思うし、生きてきた年月だけを誇れる時代はもう過ぎ去ったと見る方が賢明です。

「敬老の日」が「敬若の日」になる日も遠くなかったりして。あ、下一桁を削ればまだ三十路です。

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羅王(AKBとも呼ぶ修羅も多いです)

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