ラオウを目指す羅王のブログ

退かぬ、媚びぬ、省みぬ!我が生涯に一片の悔いなし!!!

エアポートおじさんと差別主義者は根本が同じ、という話 #1385

time 2018/10/17


 

どうも、「エアポートおじさん」です。

今日は、年100回は国内外線問わず飛行機に乗る僕が、一般の人が知らない「羽田空港を使い倒すtips100選」を教えてあげます!みんな知らないだろうから教えてあげるね!

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すみません、慣れないことしたらキャラが崩壊しますた。ごめんなさい全部嘘です。

飛行機乗るのは年に10回ぐらいです。羽田空港のtipsなんて一個も知りません。なんならラウンジの入り方すら分かりません。「エアポートおじさん」という言葉を1ヶ月前ぐらいにようやく知ったので使ってみたかっただけです。

唯一知ってるtipsは、「家から羽田空港までがバスで20分で意外と便利」というものです。tipsでもなんでもないですね。そんなわけですみません何も知らないです。

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僕が「エアポートおじさん」という言葉を知ったのは、上記の通りつい最近だった。

SNS黎明期には「おはようおじさん」というのがそこらじゅうに繁殖していて、毎朝毎朝、特に美女(と思われる女性)のアカウントに対して

「おはようございます!今日もさんさん太陽が輝いていますね!素敵な1日を!」

みたいな気持ち悪いテンプレの挨拶を投稿しまくる特殊な商習慣が蔓延していた。

これに関しては早期から気持ちワル!と思ってそういうアカウントのおじさんたちを軒並み削除したりしていたのだけれど、

脳の抽象化能力が低い僕は、毎回毎回空港のチェックイン写真を載せたり、飛行機と(見たくもない)顔のアップを載せるおじさんたちを、「エアポートおじさん」とシンプルイズベストな言葉でタグ付けする能力は持っていなかった。

 

確かに「おはようおじさん」はわかりやすく気持ちわるい。だから自分の中でタグ付けするのは簡単だった。でも「エアポートおじさん」の方は、一見すると、というかおそらくそれなり以上に仕事はできる人が多く含まれているのだろうし、毎度の空港写真もいいなぁ程度にしか思っていなかった。

ちなみに「エアポートおじさん」の定義および説明文は、こんな感じ。

これから飛行機でどこかへ出発することであったり、空港にいることをアピールするようなコメントと共に、航空機や空港内の写真をツイッターやフェイスブックなどのSNSにアップする中年男性を指す用語。(中略)自分の投稿に対して「どこに行くんですか?」のような返信が欲しそうであったり、空港にいるという高揚感から投稿してしまっている、といった自己顕示欲が垣間見える投稿は女性からすると簡単に感じ取れ、特に「これからフライト。どこに行くでしょう?」のようなクイズ形式は嫌悪感すら抱く人もいるようです。

言われてみると確かに!と膝を打った。どこの誰が言い始めたかは知らないが、「エアポートおじさん」のタグを開発した人は天才だと思う。個人的には「自撮りおじさん」も相当気持ち悪いし、僕の場合は「自撮りお姉さん」もよほどの美女だとしてもフォローを外してしまう。

それはさておき、この「エアポートおじさん」と、世にはびこる少なくない数の差別主義者は、実は根本が同じということに最近気づいた。どちらも困った存在だと思っていたら、実は同じ種族だったのである。

***

差別主義者はどの世界にもいる。日本にもたくさんいるし、アメリカにもいる。

幼児の狭い世界にもいるし、大きな大人の世界にも存在する。ちなみに僕は差別発言が政治生命を脅かすアメリカや西欧諸国のような一見まともなことを言っている(ように見える)国こそが、世界最大級の差別主義者の温床だと思っているのだけれど、それはまた別の機会にでも。

人間は集団の生き物であり、集団の生き物であるからには差別は残念ながら存在する。どれだけ避けようと思っても、文明の意図せぬ奇形児として、必ずどこかに生まれ落つるのが差別であり、それを地で行く差別主義者だ。

 

んで。

どこかで読んでなるほどと思ったのが、

「差別をする人が、なぜ差別をするか?それは、差別しか頼るものがないからだ。」

という言説。

確かに!とこれまた膝を打った。

 

繰り返しになるが、差別は存在する。僕の中にも、正直に言えばある分野の人たちに対する差別感情はある。ない人間なんていないと思う。たぶん、これは人類が生きてくる上で必要だった本能の一部なのだ。これは、「サピエンス全史」的に考えれば至極合理的思考であるから、都合は悪いが否定はしない。

しかしそれが世にはびこる差別主義者のごとく表に出てしまうかと言えば、そうでもない。「◯◯人はでていけー!」なんてデモもしない。◯◯大使館の前で叫んだりもしない。多くの人は、本能を理性で抑え込んでいる。

 

ではそれができない人たち、すなわち差別を平気でする人たちは、何がどうしてそうなってしまうのか?どういうメカニズムで、本能が理性を超えて差別を声高に叫ぶようになってしまうのか?

それを説明するのが、上記の文章である。彼らは、差別以外に頼るものがないのだ。差別以外に自己を確立するもの、人から認められるもの、他者に対して優位性を築くものがないのだ。差別以外に何も持たないのだ。

だから彼らは差別をする。差別をすることによって、自己の存在意義を確立する。だから、差別をやめろというのは、もしかしたら彼らにとっては「死ね」と言われているのと同じなのかもしれない。それは、僕に「子供を捨てろ」というのと同じで、極めて不毛かつ不当な要求なのかもしれない。

***

話を戻そう。

「エアポートおじさん」も、根本はこれと同じである。

エアポートにいる自分が好きなのであり、エアポートにいる自分こそが他者への優位性を示し、そして残念ながら、エアポートしか頼るものがないのである。

別にそれはいい。エアポートしか頼るものがなくても、頼るものが差別であるより全然良い。このエントリで言いたかったのは、ちょっと離れた別個の現象に見えることも、実はその根本の構造は結構似ているよということである。

それ以上でも以下でもない。

 

僕にしてもそうである。

頼るものが、ウルトラマラソンやアイアンマンしかないのかもしれない。頼るものが、ブログしかないのかもしれない。僕が白くて細い男が嫌いなのは、ガタイしか頼るものがないからなのかもしれない。

そのあたり、「エアポートおじさん」とも、差別主義者とも、何も変わらない。

一つ言えることは、いや、言いたいことは、

 

 

 

 

 

 

 

 

 

僕はまだおじさんではない

 

ということである。

そんなわけでこれからは「エアポートおにいさん」を目指します。

***

世知辛い世紀末にこのエントリを読んでいただいたことを感謝します。
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羅王(AKBとも呼ぶ修羅も多いです)

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