ラオウを目指す羅王のブログ

退かぬ、媚びぬ、省みぬ!我が生涯に一片の悔いなし!!!

人が柔軟性を失う条件を列挙してみる #1391

time 2018/10/23


1号機と2号機(9歳と3歳)の戦いは家の内外で多岐にわたるが、最近特に流行っているのが、

どちらが柔軟性があるか?

を競うというもの。

 

「ねぇねぇパパ!」と呼んだかと思うと、床にぺたー。

「みてっていってるでしょ!」と叫んだかと思うと、床にぺたー。

何もしゃべらないでフガフガ言っているので、ふと見ると、床にぺたー。

こないだトイレから出たら、、二人して目の前で床にぺたーとなっていて踏みそうになった。(写真)

 

二人とも、見事な180度近い開脚と、腹から床につく柔軟性を見せてくれる。雑技団でもない限り、これが人類の到達しうる最高の柔軟性だと思う一方で、よく考えたらこれはうちの珍獣たちにだけできることではなく、子供なら誰でもだいたい可能な技だということに気づく。

じゃあ僕ができるかと言えば、空手をやっていたとはいえできない。そこそこ柔らかいと自負している人でも、よほどじゃなければ無理だろう。子供の頃の柔軟性を、大人になっても保持している人はかなり少ない。

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これはカラダの話だけじゃなくて、心も同じ。

誰でも子供の頃はまっさらな心を持っており、柔軟性が100点満点。言われたことには全力で「はい!」と応え、とりあえずやってみることで成長を続ける。どんな価値観でも受け入れ、誰とでも仲良くできる。

 

がしかし、大人になると、引き続き柔軟性を維持している少数の人と、頑固だったり強情だったりする大多数の人に分かれる。自分の意見を曲げなくなり、大したことないチャレンジしかしていないくせに、「自分には無理だ」とか平気で諦めるようになる。

修行不足で視野も狭いのに自分の考えに固執し、違う種類の人間の意見を撥ね退ける。いつのまにか保守的になり、自分のできる範囲のことしかしなくなる。

平たく言えば、柔軟性を失う。我々は、もともと柔軟性100点満点だったはずなのに、いつその道を踏み外すのだろうか?

 

僕自身はまだまだ柔軟性がある方だと自負しているが、じゃあどういう条件が整うと、柔軟性のない人間になっていくのか。見つけた法則をいくつか披露したい。

ダーウィン先生曰く、「強い者ではなく、変化した者が生き残る」のが世の常であるし、そのためには柔軟性は絶対に必要不可欠。まずはそれを失う原因とケースを熟知することは、問題解決の第一歩となる。

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以下が、数千人のビジネスパーソンを見てきて判明した最大公約数であり、人が柔軟性を失う条件である。他に意見あったらぜひ教えてください。

1、同じ業界の人とばかり付き合っている

どの業界であれ、同じ業界の人とばかり付き合っていると、いつのまにか世間とズレてくる。同じ業界同士では通じる話も、一般からすると「ちょっとそれは・・・」という感じになり、そしてそのことに気づかずにいつのまにか柔軟性のない専門バカになる。

昔、幹事役として医者対一般OLの合コンを企画したことがあったけれど、そのときの様子は惨憺たるものだった。とある医者が、先輩医者に話かける。「生理痛でナースコール呼ぶとかって、マジで勘弁してほしいっすよねー。」。聞いていたOL女史たちはもちろん、僕もドン引き。

忙しいのもわかるし、業界内の付き合いが多くなるのも分かるが、同じ人種としか付き合ってないとこうなるのか、と寒気を覚えた事件だった。

 

2、本を読まない

柔軟性は、子供の頃はまっさらであることによって保持されるが、大人になってからは多様な価値観との触れ合いによってのみ担保される。あーそういう考え方もあるのね。あーそっちから来ましたか。そういう振れ幅はもちろん人からもたらされるものもあるが、やはり本からの影響に依るところが大きい。

本は、たった一冊の中に人一人の人生が詰まっている。一冊読めば、擬似的にではあるが、一人の人間が生涯かけて手に入れた知見を、インストールすることができる。100冊で100人分。それだけ多くの価値観に触れることができるが、本を読まない人は自分の価値観でしか勝負ができない。

 

3、何かの「初心者」でいる機会を持たない

「実るほどこうべを垂れる稲穂かな」ということわざがあるけれど、実際は実ったらこうべを垂れなくなってふんぞりかえりたくなるのが人間の性。そして、ふんぞりかえればふんぞりかえるほど、人は柔軟性を無くしていく。人から賞賛され始めたら、柔軟性を無くしていく道に踏み込んだと思っても良いぐらい、実ったときは注意が必要である。

これを防止するためには、何かしらの「初心者」に定期的になるようにするのが良い。仕事でも趣味でもなんでもよく、初心者ならではの非効率、不合理、不得手、試行錯誤に身を浸すと、人間の柔軟性は増していく。自分の理に従うのではなく、原理原則が大事なんだということがよく分かる。こういう「初心者」になる機会から身を遠ざけていると、柔軟性は驚くほどの速度でなくなっていく。

 

4、できることにしか手をつけない

柔軟性は、自分のプライドの肥大化とともに、反比例するようになくなっていく。そしてそのプライドの肥大化は、失敗する機会を持たないことによって、さらに加速していく。つまり、「できることしかやらない」人は、柔軟性を無くすことが当確といっても過言ではない道を歩んでいると言える。

人間の成長は、赤ちゃんから大人まで、「できないことができるようになる」過程で醸成される。できないことばかりに調整しているから赤ちゃんも子供も柔軟なのであり、大人の大半はできることしかしないから、どんどん身も心も硬くなっていく。それをほぐすためには、当たり前に聞こえるかもしれないけれど、いわゆる「チャレンジ」をすることが必要になる。

 

5、生活が限られたルーティンで回っている

生産性の向上と効率化のため、ある程度のルーティン化は必須ではあるが、行きすぎると柔軟性を失うことになる。よくあるサラリーマンの典型例としては、家と会社と飲み屋の3箇所を回ることに生活が固定されているというもの。このトライアングルをぐるぐる往復する日々に嫌気がさして起業しましたー!みたいな話をセミナーでよく聞くが、そういう人は結構多い。

柔軟性は、良かれと思ったルーティンを繰り返すことで、逆に失われていくことがある。確かに生活にリズムが生まれることは、決して悪いことではない。リズミカルにいくからこそ、安定しているという見方もある。しかし、たとえば家と会社と飲み屋の往復をしている限りは、勉強をする暇もないし、思考の枠も限定的になりがちである。もちろん、カラダはどんどんたるんでいく。柔軟性を保つには、「寄り道」が必要である。

 

6、運動していない

ジムにいくでも、ランニングでもなんでも良いのだけれど、これらの運動を一切やっていない人には、経験則で申し訳ないけれど柔軟性の低い人が多い。運動はもちろんストレス発散になるが、僕的にはもっと大事な意味を持っていると考えている。

運動をすると、ある意味で自分の無力さ、矮小さに気づかされる。運動は一種のカラダの限界値を測る行為で、自分が思い通りにできる範囲が思っていたより狭かった、ということを頻繁に思い知らされる。自分が何者でもない、汁ことが、思考の柔軟性につながるのである。その意味ではもしかしたら本よりもさらに柔軟性を保つ効果は高いかもしれない。

 

7、自分が最下級戦士となる場を選ばない

優越感は、人の柔軟性を低下させる。だから、ある点において自分が優れていると評価され、それ以外の人がそうではないと評される場にずっといると、基本的にはプライドが肥大化するばかりであり、あまり良い結果にならない。

僕は定期的に自分が最下級戦士になる場を選んで、学ぶことにしている。感じるのは優越感ではなく、焦り、怒り、不快感、不満など、ポジティブなものはあまりない。しかし、ほうっておけば賞賛しかされない場所が増えてきたため、あーこのままじゃ自分ダメになるわー、と思って、定期的にこういう場を選んでいる。

最下級戦士とは、すなわちカカロット。自分が一番弱いと思えば、いやが応にも努力をするようになる。

 

柔軟性ねーなー自分、と思った時には、参考にしてもらいたい。

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世知辛い世紀末にこのエントリを読んでいただいたことを感謝します。
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羅王(AKBとも呼ぶ修羅も多いです)

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