ラオウを目指す羅王のブログ

退かぬ、媚びぬ、省みぬ!我が生涯に一片の悔いなし!!!

「人の役に立ってる感」&「自分しかいなくね?感」は、幸せの必須条件 #1408

time 2018/11/14


 

一日一善を心がけて生きているわけではないけれど、最近は人助け回数がわりと増えてきつつあることをなんとなく感じていて、ざっくり週2回は誰かしらを助けている。

最近あったのが(遭ったのが)下記。

▼駅で切符の買い方が分からなそうだったり、路線図とにらめっこしているフランス人をヘルプ。これは多分週1ぐらいやってる。

▼飲食店でメニューが分からず店員さんとすったもんだしながら困惑している中国人をヘルプ。

▼「お前、ニンニク臭いねん!」と口の臭そうなヤンキーになぜか絡まれていた、全くニンニク臭くなさそうな女性を電車でヘルプ。

▼重たそうなベビーカーを手に階段の前で絶望してるママさんをヘルプ。

▼高齢者や妊婦さんに席を譲る。

▼飲食店で会計の仕方で揉めている多国籍軍をヘルプ。これは玉砕した。

 

ちなみに数日前には、家から持ってきた傘を子連れ母娘にあげて、5分後にもう1回傘を買う、という珍しい経験をした。

乗り換えの駅を降りたら結構な雨が降っていて、ふと目の前を見ると土砂降りにビビる母娘(子供5歳ぐらい)が駅の屋根の下で立ち尽くしていた。

天気予報を見てなかったのか、忘れちゃったのかは分からないが、母親は子供の上着を頭からかけて、雨の中を突入させようとしていた。近くには傘を買えるようなコンビニもなく、びしょ濡れは確実だった。

 

僕はその光景を見て、0.2秒ぐらいの逡巡ののち、母親に傘を押し付けた。

「え?いいです、いいです。」とは言われたものの、うちの1号機よりちょっと小さいぐらいの子がビショ濡れになるのはあまりにかわいそうで、「風邪引くと大変ですから」と小声でウィスパーしただけで、大して気の利いたことも言えないままぶっきらぼうに傘をパス。

子供はちょっとした気温の変化があったり、雨に濡れただけで風邪を引く。そうすると一家まるごと生活リズムを崩され、場合によっては両親にまで影響が及ぶ。

そんな可能性が十分にある量の雨が降っていたので、僕は傘を差し上げたわけである。んで、乗り継いだ先の駅の改札にコンビニがあったので、そこで傘を購入して一件落着。

果たして役に立ったのか、迷惑だったのかは・・・知らない。

***

これらの行為の価値は、実際問題としてどれだけのものなのだろう?

感謝されてるかもしれないし、うざがられてるかもしれない。席を譲る時にしろ、今回の傘事件にしろ、事の顛末まで見届けているわけではないし、本人たちの感想を聞くなんてこともないわけだから、実施のところはよく分からない。

知らんがな

というのが回答として正しいと思う。

 

がしかし、一つだけ確かなことがある。

僕はいずれも場合も、人助けをしたことで幸福感に満ち溢れた1日を過ごすことができた。さすがに多国籍軍ギャルを助けようとして追い打ちに遭ったときは幸福感があったとは言い難かったが、それでも、なんか世の中の役に立つことやったった感は溢れるほど感じていた。

 

別の言い方をすれば、こうも言える。

自分が人の役に立ってる(可能性がある)と思えること

は、人の幸福感に直結する。いやむしろ必須な成分であり、欠けると心は満たされないのかもしれない。

相手がどう思うかは究極のところ関係なく、ある程度の社会正義に則った範囲で、(当座は半径数m以内で自分だけが持つ)自己に限定されたリソースを以って他者に資する何かを提供すること。これが果たされたときに、人は幸福感を得るのではなかろうか、という仮説。

 

さらに言えば、人の役に立っていることを感じられて、かつ

俺しかいなくね?

というシチュエーションが、人を萌えさせる。

この定義に鑑みると、身近にもわりとたくさんの事例が転がっているように思える。

***

例えば母親は、赤ちゃんに母乳をあげているときに、最大級の幸福感を味わうと言われている。

これは、母乳をあげる資格を持つ者が基本的には自分以外になく、父親にも長男長女にもできない役割を全うしているから、幸福感が増している、と見ることもできる。実際は母乳でなく粉ミルクでも赤ちゃんは育つわけだけれど、粉ミルクをあげながらうっとりしているお母さんというのはあまり見たことがない。

母乳をあげているとき、母親はいろんな意味で、「自分しかいない」と思っている。そして、だからこそ幸福感が何倍にも膨れ上がっている。これが姉乳や婆乳も提供可能だったら、母親の幸福感は並程度にとどまっているはずと僕は推察している。

(余談だけれど、僕も母乳に対抗して父乳をあげようとして2号機に吸わせてみたことがあるが、ダイソンも驚きの恐ろしいほどの吸引力だった。こらそんだけ一生懸命吸われたら幸福感増すわー、とひとりごちたのは言うまでもない。言ったけど。)

 

ベビーカーを持てないママさんを助けるときも、似たような精神構造になっている。

まず、近くのリーマンどもは全く助けにならない。男であれば誰でも持てるレベルの重さであるにも関わらず、役立たずなリーマンどもはママさんが階段で立ち往生していることに全く気づかない。

ベビーカーを持てるだけの腕力を持ち、そしてママさんの窮状に気づいている。それは俺。この世で唯一、俺だけ。

俺しかいなくね?がここで発動する。

無駄に紳士的に登場し、「大丈夫ですか、フロイライン」ばりに言葉をかけ、めっちゃ重いのに全くそのそぶりを見せず、お礼を言うママさんを振り返りもせずに去っていく。

完全にオナニーなのであるが、このとき、僕の幸福感は最高潮に達している。

 

駅で外人さんを助けるときもそう。

30秒立ち止まっていたら、大抵その外人さんは何らかのトラブルを抱えていると思って良い。日本の電車はJRも地下鉄も世界トップレベルに発達している分わかりづらく、彼らは山手線と京浜東北線の違いすらもわからない。羽田に行こうとして成田に行っちゃったら大変だ。

そこに現れたバイリンガルな羅王さん(専門:東京弁&名古屋弁)。「絶対留学してたでしょ?」と言われたいがためだけに国内で修練を積んできた発音重視の適当な英語で正義の味方ヅラしながら助け舟を出す。

実際は「アッハーン、ウッフーン、インジョイジャパーン!」ぐらいしか言ってないのだが、それで彼らが日本の旅の記憶を少しでもbetterなものにしてくれるのなら、日本の大使としては願ったり叶ったりだ。

なんてことを考えて悦に入っている。周りを見ても誰もアドバイスしてないし、駅員さんも忙しそうだから、俺しかいなくね?となっているわけである。

***

僕は人生のキーは「再現性」であり、いくつもの偶発的な出来事の中から、自分の人生にとって都合が良い現象がお起こる条件を抽出し、それをいかに確率高く何度も何度も引き起こせるかが勝負だと常々思っている。

別に難しい話ではなく、カジノで一発当てたら今度はその確率を最大化すべきだし、好きな女の子に告白してうまくいったら、それをまた別の場面でも同じようにうまくやる努力をする、みたいな話である。

営業も再現性が勝負であって、一発のホームランもアウトも、全然意味がない。どれだけのヒットを積み上げ続けられるかは、ひとえにこの再現性を構築する能力にかかっている。

 

自分が幸せかどうか、幸福感を感じられているかどうかもその分析対象となっていて、どうやら

1、人の役に立っている(可能性がある)感がある

2、俺しかいなくね?感もある

の2つが満たされていることは、幸せな気分を強力に推進してくれるツートップだということがわかった。

 

ま、そもそもの話として、

自分が幸福感感じるために人助けしてんじゃねーよ

という反論も聞こえてきそうだけれど、無視しまふ。

なぜならば僕はマザーテレサでもナイチンゲールでもないので、自分の幸福が担保された範囲でしか、人の役には立てない狭量な人間だから。

サーセン、としか言えない。なんだったら、自分の幸福と人様の幸福がマッチするベン図の部分にしか、力を注げない。ああなんたる煩悩人生。

おしまい。

***

世知辛い世紀末にこのエントリを読んでいただいたことを感謝します。
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羅王(AKBとも呼ぶ修羅も多いです)

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