最近色々あってやさぐれていたこともあって、しばらく体重計に載っていなかった。今朝、久々に測ってみたら、
89.4kg
と書かれていた。おかしいな、壊れているのかな。過去最高なんだけどなんでかな。体脂肪も24%て書いてあるぞ?
 
振り返ってみれば、僕は昔から「スリム」、「痩せてるね」、「脚がカモシカみたい」、「スタイルが良い」と言われて育ってきた。
覚えている範囲だと、
中学校一年生入学時:153cm 38kg
高校三年生サッカー部現役時:178cm 63kg
26才の結婚式前後:179cm 73kg
だったはず。
中一のときは前から5−6番目で成長の早い女子たちに負けてた。小学校の時はデカイ女子たちに踏まれたこともあったと記憶している。
高三のときはサッカー部に所属していて、ようやく身長が人並みよりちょっと高いぐらいに、体格もまぁまぁになっていた。カラダが当たって負けることは稀で、まぁまぁ筋トレもしていたように思う。
大学で極真空手を始めてからは明らかに「体格の良い人枠」に入り、誰かに絡まれることもなくなった。骨格というのはどうやら、成長期の終わった高校から大学以降にかけても、変えることができるらしい。
 
直近でも
2018年5月野辺山ウルトラマラソン直前:179cm 82.3kg
のなかなかなボディに仕上げてレースに臨んだつもりだったんですけども、半年経ってみたら、7kg増えて、89kgを突破していた。
6月のレースで落車して脱臼し、その治療をしようと大学病院に行ったら「脱臼してます」とわかりきった診断を受けるためだけに半日かかり、嫌気が指して投げ出したけど引き続き肩は痛み、筋トレもおざなりになり何も考えずに焼肉を堪能していたら、こうなりますた。
89.4kg。最重不倒を更新。
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38歳になってなお、成長し続ける漢。
僕を形容するにはこの言葉を置いて他にない。40歳が近くと誰しも自分の人生に言い訳を付け足したくもなるが、僕はそれをしない。歳をとったらとっただけ、より賢く、より強くなれるはずと信じて日々を生きている。
そしてそんな僕の生き方に呼応するかのように、僕のカラダも応えて成長を続けてくれている。
 
しかし、多くの人はそうではない。自分の人生に閉塞感を感じる瞬間も、30も半ばを過ぎると多いはず。
景気は文字通り「気」すなわち「気分」の問題であって、景気が悪いのは、ひとえに30代半ば以降の社会人主力軍団が希望を失っているからだ。とにかく明るい安村が重宝されるのも、景気が悪く希望がないからである。
そして、そうなってしまう最大の理由は、30代半ば前後で多くの人は成長しなくなるからである。夢に萌えながら燃えた20代前半、確かな成長を感じた20代後半、大人の仲間入りをした30代前半を経て、気づいたら全く成長していない自分に気づくのが30代半ば。
ここからさらにぐいっと自分を伸ばせる人と、「まぁ自分なんかこんなもん」と割り切ってしまう人との間には、千里の差、いや万里の差が生まれる。そして割り切ってしまう人、諦めてしまう人が大半だからこそ、この国の景気は一向に改善しない。
 
今日は、愛するこの国の未来のために、どうやったら僕のように成長をし続ける人間になれるのか、そのための概念について、少し触れたいと思う。企業研修ではよくしている話であり、聞けば当たり前の話であるのだけれど、意外と、というかほとんどの人がこの構造を理解していないと思っている。
成長を止める人間と、成長し続ける人間の違い、そしてその打開策。これを下記でご紹介したい。なお、奔放初公開の手書き解説付き。パワポが難しくて作れず、自分で見てもひどい仕上がりになってしまった点はご愛嬌。
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生まれてから数年間、子供はほとんど何もできない。こんなイメージ。「できること」の面積が、ほとんどない。

 
それがあーだこーだとしゃかしゃか動いているうちに、歩けるようになり、走れるようになり、喋れるようになる。うちの2号機のごとく3歳ぐらいになると話が通じるようになるため、あれをやれ、これをやれと親にストレッチ目標を与えられるようになる。
過酷な保育園の生存競争を勝ち抜くためにも、珍獣から人間になることを強いられる。「できること」はちょっとしかないのに、「まだできないこと」をたくさん課される。

 
当然、失敗はする。「まだできないこと」をやるわけだから当然だ。
「タケコプター」を「タケトクパー」と言い、なんだかわからないけど「かーもんべいべーあめりか!」とか叫び出す。オムツからパンツに移行する際にはサウザンドウォーズとも思えるような長い戦いがある。
大人の言い方で言うと、「トライアンドエラー」を繰り返し、「PDCA」を回し、「まだできないこと」にぶつかりまくってるうちに、どうにかこうにか色々なことが水準に達するようになる。
気づいたら、「できること」の面積は、これぐらいの大きさになっている。

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1号機のように小学生になると、さらに「できること」を拡張するスピードは上がる。なぜなら、「まだできないこと」が雨あられのように課題として降ってくるからだ。
日本の初等教育は、世界でも類を見ないほど優れたカリキュラムを提供していると思っていて、腐った高等教育、大学教育に比較すれば素晴らしい成果を挙げているように思える。
大人の僕から見ても目の回る忙しさで、小学生の日常は回っていく。もちろん、できないことはできないので、失敗の数は尋常ではない。

 
しかしまたも「トライアンドエラー」と「PDCA」を高速でぐるぐるまわしまくることにより、円の面積が点線のごとく拡大してくる。
チャレンジしては失敗し、チャレンジしては失敗し、チャレンジしては失敗し・・・を延々と続けることで、いつしかそれらをマスターしていく。別に特別なことではない、僕らも通ってきた道だ。
最近、1号機はバタフライが25m泳げるようになったらしい。2桁の掛け算もマスターしたらしい。「パパは人のきもちわかってるの?」とか言ってきて、ほっぺをつねりたくなる。

これを繰り返しながら、子供は大人になっていく。
大人になっても新卒から30代半ばぐらいにかけては、色々なことができるようになる反面、「まだできないこと」もちゃんと誰かが用意してくれる。それらを打ち返し続けるだけで、人は一定の成長を続けることができる。
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時を経て30代半ばになると、こうなる。
「できること」の面積はそれなりに大きくなる。そして、これだけ「できること」がたくさんあると、その中にあることをやっているだけで、食っていくことができるようになってくる。
子供の頃とは比較にならないほど拡張された能力をもとに、時間もお金も自由に使うことができる身分にもなり、若手の頃のようによくわからない仕事をやらされるということもなくなってくる。
ほとんど全ては「未知」から「既知」になり、結婚したり子供がいたりすれば生活はルーティン化してくる。転職?リスキーだし。起業?ありえないし。そんなことを言いながら、いわゆる守りに入るのがこの頃。

 
ところがよく見ていただくと、下の方に小さい穴が空いている。「できること」は拡張してきたし、この中のことをやっているだけで食っていけるので、安心してしまいがちな30代半ば。しかしどうやら、この風船には小さい穴が空いている。

 
そしてその穴から、ピューピューと空気が抜けていくのである。肉体的には20代前半がピークで、そこに様々なチャレンジが加わって拡張してきた器も、実はそれを保とうとすることを許されない。
加齢に伴う体力の低下、脳の回転速度や記憶力の低下、人脈の固定化、生活のルーティン化による刺激不足など、「昔取った杵柄」ならぬ「昔打った篠塚」を保とうとしても、同じ面積を保持しようとしているのに空気が抜けていく。

 
気づけば、自分としては「できること」の面積は変わってないと思っていたのに、年齢を重ねるごとに「できること」は小さくなっていく。気づいたときには色々なことが思い通りにいかなくなり、引き続き色々なことを思い通りにできる人たちの意向に沿う形で生きていくことを強いられる。

 
これが人生の現実であり、多くの人が無意識にハマりがちな陥穽である。30代半ばとは書いたけれど、早ければ20代でこれが来る人もいるし、50代を過ぎて器を拡張し続けてる人もいる。
***
この違いはどこから来るのだろうか?また、この構造が分かった上で、僕たちはどうすれば良いのだろうか?
長々書いてきたわりに、結論はわりとシンプルである。
 
もう最初の方に回答を言ってしまっているのだけれど、
1、失敗を恐れず「まだできないこと」にチャレンジし、
2、「まだできないこと」を「できること」にするためのプロセスを回し続ける。
以外に道はない。要は、子供と同じ道を生きろということだ。
 
僕もこれを読んでくれてる人も、もう十分に「できること」がたくさんある。
しかしその面積を一定に保とうとすると、実は知らないところで空気が抜け、自分の器は縮小に向かう。若い頃と同じ柔軟性を保てている人は稀だし、若い頃と肝機能が同レベルな人もあまりいない。
円はもう十分な半径を持っているけれど、その半径から外れたところに手を出す。手を出して失敗して、点線が実線になるまでやる。ザッツオール。
 
▼海外の研修にいく。
▼インドのスラム街を探検する。
▼半年で囲碁初段を取る。
▼ウルトラマラソンに出る。
▼アイアンマンに出る。
▼転職をする。
▼起業する。
▼AV男優を招いて話を聞く。
▼AV女優を招いて話を聞く。
▼K-1選手の応援にいく。
▼ブログを毎日書く。
▼娘に父乳をあげる。
▼地声がディアブロのごとく低いのにカラオケで広瀬香美を原キーで歌う。
▼ドラマ「24」を24時間観る。
これらはこの数年でチャレンジしたことであり、一見すると脈絡がないように見えて、上述の通り、「まだできないいこと」という共通項で括ることができるあれこれである。
 
当時は「まだできないこと」だったのに、今や「できること」に陳列されている項目もある。あるいはいまだに「まだできないこと」のままになっていることもある。それらは向き不向きの問題もあるけれど、いずれにしても僕の「できること」の面積は、38歳の今も引き続き大きくなっている。
自分の風船にデカイ穴が空いているのは知っている。特に体力の低下は激しく、そのままで安心してたらプシュー、プシューと音を立てて、僕の器は小さくなってどこかへ飛んでいってしまうだろうことは明白だ。
 
だからこそ、僕は「まだできないこと」に手を出し続けている。だから成功率は決して高くない。失敗もたくさんしている。ComfortableかUncomfortableかで言えば、Uncomfortableなことの方が多いかもしれない。だって「まだできないこと」に手を出してるわけだから。
30代も半ばを過ぎると、小学校のカリキュラムのように、誰かが定期的に確率と再現性が高い方法で「まだできないこと」を用意してくれる、なんてことはほとんどなくなってくる。
大人にとっての成長は、子供の頃と違って与えられるものではなく、掴み取るものだ。待っているものではなく、前に出て機会をゲットしにいくものだ。
 
AV男優が獣のような目で俺を見てくる
なんて経験も、件の男優をヒルトンのスイートに招いて話を聞こうとでもしない限り、なかなかできるものではない。
今僕は89.4kg。
目標とする90kgまではあとちょっと。体脂肪10%まではしばらくかかる予定。
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世知辛い世紀末にこのエントリを読んでいただいたことを感謝します。
退かぬ、媚びぬ、省みぬ!!!
我が生涯に一片の悔いなし!!!
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