金土の2日間、父子家庭だったので、今朝は気合いを入れて朝ごはんを作ってみた。
結果は、見ての通り。食パンはウェルダン、目玉焼きは何焼きか分からない形になってしまった。1号機からも2号機からも、「目玉焼きみたいなのから変な味がするー」と大不評。
カレーを作るのと肉を焼くのは得意だけれど、朝ごはん一つまともに作れない己のショボさを、改めて思い知る結果となった。目玉焼き・・・あなどれん!!!
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人が簡単そうにやっていることは、その手際だけ見れば、確かに簡単そうに思える。仕事でもそうだし、ゴルフでもそう。今回の目玉焼きもそう。
ただ今回の目玉焼きの失敗でよーくわかったのは、
物事を簡単そうにやっている人は、
それが簡単そうに見えるようになるレベルまで、相当な訓練を重ねている
という、当たり前すぎる原理原則だった。
 
実際、目玉焼きに関して言えば、毎朝の食卓に、極めて自然な形で出てくる。
メインが変わることはあっても、目玉焼きはわりと固定されている。だから僕も当たり前のように食べているし、僕が作ったようなヘンテコな形と匂いのものは、まず出てこない。
つまり、目玉焼きに関してのストレスは、全くない。
 
これは、日常に感謝せよとか、当たり前を当たり前と思うなという話に帰結させても良いのだけれど、少し違う視点で考えてみる価値もある話だと思っている。
すなわち、
他人にストレスを一切与えないほどの滑らかさまで備えて初めて、それを「マスターした」と言えるのではないだろうか、という視点である。
 
寿司を握るときに、あれ?とお客さんに思わせない。
タクシーを運転しているときに、スタートにしてもブレーキにしても、ん?とお客さんに思わせない。
ビッグマックにポテトを付けて勧めるときも、え?とお客さんに思わせない。
 
そんな滑らかさを持っている人は、いずれの業界も種類は違えど、一流だと思う。奥さんが焼いてくれる目玉焼きは僕にとってのそれであり、今朝僕が焼いた「何か」は、そこから大きく逸脱するものだった。
果たして自分に置き換えたときに、子育てや仕事は、その域に達しているだろうか、と考えさせられた出来事だった。ま、どっちもまだまだ全然なのは自分が一番わかってますけども。。
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世知辛い世紀末にこのエントリを読んでいただいたことを感謝します。
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