ラオウを目指す羅王のブログ

退かぬ、媚びぬ、省みぬ!我が生涯に一片の悔いなし!!!

良し悪しは別として、価値観のスタンスを明確にしておくと、少なくとも人生のムダはかなり排除できる、という話 #1436

time 2018/12/21


 

10年ほど前、なかなか興味深い漢に出会った。仮にA君とする。

A君はなかなかのイケメンで、某一流企業に勤めており、話も多彩で弁舌爽やか。非の打ち所がない、とはこういうことを指すのだろうか、といった感じの、婚活市場では勝ち組に属するであろう漢だった。

ただ、僕が彼に興味を持ったのは、そして10年経った今でも覚えているのは、そんな彼の非の打ち所のないスペックに関して、ではない。この程度、と言ってはなんだけれど、上記スペックを持った人間なんて、いるところにはオームの群れぐらいたくさんいる。

僕がA君を未だに覚えているのは、むしろ、彼の非の打ち所しかない価値観に衝撃を受けたからである。

 

彼は、いつも大声でこう言い放っていた。

「人間の価値は、偏差値で決まる」

と。

 

A君は京都大学卒で、なるほどどうやら頭が良いようだ。実際は一浪しているから天才でも秀才でもなく、それなり以上の努力家に属するのではないかと邪推しているが、とにかく、学歴的には世の中の勝ち組であることに変わりはない。

そして、多くの人が感じるであろうのと同様、僕は思った。「クソヤローだな」と。一般常識からすると、思っていても言わない方が敵を作らなくて良さそうなものなので、「もしやコイツは京大卒なのにアホなのか?」とすら思った。

ただ、10年経った今は、やっぱり彼は賢かったのではないかとすら思っている。

***

なぜ、「人間の価値は偏差値で決まる」なのか?

なぜA君がこのような価値観を持っていて、そしてそれを公言していたのかは、問いただしたことがないので分からない。

「人間の価値は偏差値で決まるんですよ。」と言われた瞬間、しばらく開いた口が塞がらなくなり、京都大学以上の偏差値を持たない僕は、発言が出来なくなった。たぶん、国内で言えば東大・京大・早慶上智・関関同立ぐらいまでしか人間とは思っていなかったと推測される。

ただ、ある程度年齢を重ねた現在、決めつけは100%出来ないが、しかし一部は確かにうなづけるところもある価値観ではあるので、当時なぜA君がそう思っていたのかについて、少し僕なりに解説してみたい。本人の思うところは記憶と想像の域を出ないが、僕はこう解釈したということだ。

まずは「人間の価値は偏差値で決まる」の意図について。

 

1、ほぼ必ず報われる努力をしない人間は、アホである。

親がDQNな場合は別として、ある程度まともに勉強をする環境があり、勉強の競技力が向上すると進路が選べたりより高いレベルでのチャレンジができ、そしてそれによって少なからぬ程度に人生の質が向上する。

この方程式を得ることができる立場にいるならば、それを活用しないのは明らかに意思決定を間違えている、というのがA君の主張だったように思う。

人間の価値の中で、スポーツを別とすれば学生当時に唯一定量化できるのが偏差値であり、そしてそれは、努力次第でいくらでも引き上げることができる。努力をしても好きな子が振り向いてくれるとは限らないが、努力をすれば偏差値は振り向いてくれる。

 

2、手に入れておいた方が良いパスポートを手に入れないのは、勿体無い。

偏差値は学歴に直結し、学歴は就職に直結する。これは多少和らいだとはいえ、今も昔もあまり変わらぬ日本の労働市場の原理原則であり、世界中を旅できるパスポートが努力だけで手に入るなら、なんで取らないの?とA君は考えていたようだ。

田中角栄は小卒だし、中卒や高卒で素晴らしい経営者に登り詰めている人も確かにいる。それでも、「確率」を考えるならば、自分が天才や秀才ではなく凡人に近いと分かっていれば分かっているほど、学歴は確かに人生のスタートラインを多少なりとも押し上げてくれる。

 

3、受験は最大の「第2象限」であり、第2象限に緊急性を持たせられない人間は、何をやっても大成しない。

これはある程度にキャリアを積み重ねてきて、心の底からフンフン首を縦に振りたいぐらい、大切な考え方だと思っている。「第2象限」とは、「7つの習慣」に頻出する考え方で、時間の使い方やお金の使い方について、2軸の考え方で以って説明する理論である。

話を端折ると(気になる方は「緊急」、「重要」、「マトリックス」で検索を)、「緊急ではないが重要な領域」である第2象限は、仕事のパフォーマンスはおろか、人生の質を大きく変える。ここに注力できる人は、望む人生を得られる確率がずっと高くなるし、ここをないがしろにしている人は、忙しさの割に報われない。

そして大事なことは、受験勉強というのは、人生の前半戦の中では最大級の第2象限の戦いであるということだ。周りが勉強しない中で勉強する。周りが遊んでいる中で勉強する。勉強しても報われるとは保証はされていないのに、その効力を信じて勉強する。

これって、超絶第2象限ではないか。事は受験の話に限らず、大人になっても緊急性ではなく効果性(それがどれぐらい重要か)の軸で動ける人間は、成果を高い確率で出す。そしてその戦いをくぐり抜けたのが俺様(A君)であり、将来も有望なのだ。

多分そういう理屈だったのだと思う。偏差値で人間の全ては表現できない、というふうに多くの人は思っているはずだけれど、A君の主張はそれなり以上に筋が通っているので、分かりやすかった。

***

なぜ「人間の価値は偏差値で決まる」と公言したのか?

なぜA君は、反発しか受けなさそうなこの自分の価値観を、敢えて公言していたのか?

A君は、こういうことを言うと反発を受けるということすら分からない、バカだったのだろうか?それとも、天才でも秀才でもない努力のできる凡才である自分を、より大きく見せるために不自然なマウンティングをする、かわいそうなヤツだったのだろうか?

僕はいずれも違うと今では思っている。もちろんそういう要素もないではなかったかもしれないが、今の仮説としては、

自分の人生において、限られた時間を最大限有効活用するため

に、「人間の価値は偏差値で決まる」と吼えていたのではないかと思っている。

 

成長を志すために敢えて異種格闘技戦に挑む場合は別として、基本的には多様性をある程度担保しながらも、価値観の近い人間と過ごすのが、人間にとっては一番comfortableである。

ここに関してもA君も例外ではなく、価値観の近しい人間を今以上に近寄らせ、逆に価値観の異なる人間を今より遠ざけようとしていたと思われる。

 

たとえば、「人間の価値は偏差値で決まる」という言葉には、「努力しないヤツは近づいてくるな」、「学ぼうとしないヤツはあっちいけ」といった感じのニュアンスが詰まっている。

自身の価値観を公言していたことによって、おそらくは「努力しないヤツ」も、「学ぼうとしないヤツ」も、A君には近づいてこなかったと思われる。

ちなみに僕もこの両者は嫌いなのだけれど、「人間の価値は偏差値で決まる」なんてことを公言しているわけではないから、努力しないし学ぼうとしないヤツでも普通に近づいてくる。そしてそれは、非常にストレスフルですらある。A君には、このストレスが多分なかったはず。

 

また、「人間の価値は偏差値で決まる」と公言することによって、A君は高い偏差値の人間だけを周りに置くことに成功していた。「またバカなこと言ってんねお前」、「嫌われるぞお前、言葉選べよ」と気にもしないでA君に近づくことができるのは、それなり以上に偏差値の高い人間に限られるという状況を作り出したのだ。

偏差値がそうでもない人たちは、きっとあまりA君に近づかなかったのだろうと思う。そしてそれはA君が望んだ環境であった。

 

なぜならば、仕事を高いレベルでこなそうとするならば、どうやってもどこかで「目の前の人が優秀か否か」という壁にぶち当たるのが常であり、偏差値が全てではないながらも、他の指標に比べればそれなり以上に仕事の出来不出来と相関と因果を持つものだからである。

笑顔が素敵だから仕事ができるとは限らず、おしゃれだから仕事ができるとは限らないが、偏差値が高いと少なくとも様々な能力は一定程度保証されているわけである。そういう仲間を望んだゆえの行動として、A君は一見するとなんだそりゃと思わざるを得ないような価値観を公言していた。

・・・と思われる。全ては推論であるが、たぶんそう間違っていない。

***

価値観のスタンスを明確にしている人たち

周りを見渡してみると、A君と同じように、自分の価値観がいかなるスタンスなのかについて公言している人は、それによって離れていく人と寄ってくる人を生み出すことによって、自分のQOLを上げていることに成功しているように見える。

例えば、僕の師匠の1人は、「国語ができない人は僕の客じゃない」とまで言っている。これはこれで初めて聞いたときにはヒドイと思ってしまったが、今ではよーく意味がわかるようになった。

国語力、すなわち言語化能力というのは、ビジネスの再現性を担保する上で超大事。これがない人は、物事をアバウトにしか考えられず、そして行き当たりばったりに感覚で物事を捉えることになる。平たく言うと、物分かりがあまりよくなく、成果を出させるのに多大な労力がかかる。

親ではないのだからそこまで教育する義務はないし、言ったことが即理解できるレベルの人を相手にしたい、ということのようだった。そして世の中には、多くを求めるわりには言語化能力が低く、事象を理解できない人というのが、思っていたよりたくさんいるということが分かった。

師匠は予防線を張ることにより、「変な客」が来ないようにしていた。

 

別のとある師匠は、「電話は嫌いです。かけてこないでください。」とまで公言している。

士業なのにHPには電話番号は掲載されておらず、それでもどこからか聞きつけてかけてくる人を、「輩」呼ばわりして遠ざける。それが顧客であっても。

よって、その師匠と関わる人は、そのほとんどが電話ではない手段で、師匠と連絡をとるようになる。それはどうやら師匠にとって、相当にcomfortableな状態なようだ。自分が気を遣いたくないから人に気を遣わせる、という最強のビジネスモデルで、今日も元気に人生を謳歌しているようだ。

 

ちなみに僕も、「色白で細くて発言がネガティブな男はお断り」という札を出している。そのせいか、不思議とそういう人間は寄って来ない。

理由はいくつかあるが、色白で細くてネガティブな男どもは、この世紀末の世の中でボーガンを持ったモヒカンなチンピラが改造バイクに乗って襲ってくるかもしれないリスクを考えられない人間だと僕が思うからだ。

ちょっとしたサイバーテロがあり、世の中が世紀末化してこういうのが襲ってきたら、どうやって大切な人を守るのだろうか?

 

話を戻すと、A君は早い時点からワーク・ライフ・バランス=自分の限られた時間をいかに使うか?について相当深い考えを巡らせてたがゆえに、首をかしげざるを得ないような価値観のスタンスを明確化していたということだ。

あ、あと、

「保険は不要」と言ってる人も、リスク評価を正しくできない、意味のない楽観主義者なである可能性が極めて高いので嫌いです。頭悪いんじゃないかと思ってます正直。

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世知辛い世紀末にこのエントリを読んでいただいたことを感謝します。
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羅王(AKBとも呼ぶ修羅も多いです)

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「ラオウを目指す羅王のブログ」にようこそ。修羅が蔓延る世紀末の日本を、「北斗剛掌派」という思想体系を以て変える活動をしています。我が生涯に一片の悔いなし!と言える人生を送るため、101回目のダイエットに励んでいます。