昨日はランチーム「アドミラル」トライアスロンチーム「ポセイ丼」の忘年会だった。
いつも通りマラソンとトライアスロンの話ばかり・・・となるどころか、レースの話は全く出ず、ゲームばかりしていた。
アラフィフに迫るのに年間のゲーム投資額がそのへんの小・中学生を軽く上回る師匠宅には、ゲームが多数転がっており、最新のソフトから昔ながらのソフトまで楽しむことができた。
そのときの感想をば。アラサーからアラフォーのレンジの人間が、真剣にコントローラーを持って画面を見つめている姿は、はっきり言って異常だった。
***
あの頃ハマったゲームのはずなのに!?
最近は往年のゲームが再度売り出しをしているようで、事前情報によると師匠宅にはあの「ストリートファイターゼロ」、「ファイナルファイト」が置いてあるとのことだった。
この2作は1990年代を代表する名作で、当時の僕は朝の6時から夜の10時まで友達の家でスーパーファミコンに勤しむほど、ゲームにハマっていた。
おかげで、「マリオカート」は(自称)世田谷区2位、「ぷょぷょ」は(たしか)全国大会出場、「ストゼロ」は(記憶によると)ゲーセンで負けたことはなかった。
全国トップレベルを自称するほどのゲーマー少年だった僕。往年のゲームをプレーできるということもあり、大興奮で師匠の家に向かった。
 
久々にワクワクとドキドキを抱えながら「ファイナルファイト」をやってみると、どうも様子がおかしい。
あれ?クソゲーじゃないか!?
としか思えない。

あの頃最新だったスーパーファミコンの性能は、当時の僕たちからすると圧倒的なものだったが、今触れてみると
・画質が荒い。
・ストーリーがあまりにベタで貧弱。
・格闘のロジックがいい加減。
・作り込みが甘い。
などの不満点が見つかった。進んでも進んでもこの感覚はなくならず、途中で飽きてやめてしまった。
あまりにも楽しみにしていた僕に対し、師匠が「思い出は思い出のままにしといた方がいいですよ」と忠告をくれていたのだけれど、なんとなく意味が分かった。
 
「ストゼロ」はもう少し面白かった。

でも、
・ボタンの反応が悪い。
・グラフィックがいい加減。
・動きがギクシャクして単調。
・いろんな理不尽が存在する。
などの違和感があった。もっとも熱中したゲームの一つのため、もっとハマるかと思ったら、10分15分やったところで力尽きた。なんか、ゲームをやるための体力がない。
 
次に、今流行りの「スマッシュブラザーズ」をやってみた。往年のカプコンを代表する選手たちがみんなで大運動会のようなバトルロワイヤルを繰り広げるソフトだ。もう見た目の印象からして全然違う。


・画像が綺麗。
・動きが派手。
・みんなでできる。
・コツさえつかめば誰でもプレー可能。
・マッチョキャラだけじゃなく、可愛いキャラなども選べる。
など、いわゆる今風の条件を全て満たしたゲーム。結局はみんなでこれを一番長くやっていた。当然、一番面白かった。
気持ち的に圧倒的に優位に立っていたはずの「ファイナルファイト」、そして「ストゼロ」は、やってはみたものの・・・という状況で終わってしまった。「あの頃」は確かに僕の中で光り輝いていたが、それは現代でも同じような状況を生み出す、ということにはつながらなかった。
これは、とても不思議な感覚でもあり、しかし納得のいく事実でもあった。
***
僕たちは、確実に幸せになってきている
僕たちは、以前に比べれば確実に幸せに近づいてきている。少なくとも、そうあったら良いなと思っていたはずの方向には、確実に歩んできているはずである。
 
たとえば、昔は好きな子と学校外で話したい場合、自宅に電話をするしかなかった。親が出たらどうしよう、なんていって代わってもらえばいいだろう、てかうちの親が聞き耳立ててんじゃん。なんでおかん嬉しそうなの?
そういった不安に押しつぶされそうになりながら、一握りの勇気を胸にダイヤルを回したものだった。そう、当時はダイヤルを回したのである。今の子たちにはなんのことかわからないかもしれない。
 
待ち合わせは悲惨だった。ちょっとトラブったり、電車が遅れたりすると、待ち合わせたはずなのに会えない、という事態に発展することが茶飯事だった。携帯電話はまだ存在せず、口約束だけが全てだった。
「どこどこで何時に待ち合わせね」という約束は1回こっきりしかできず、いかなる修正も困難に思えた。会いたくて会えなくて西野カナ以外もみんなが震えている時代だった。
 
災害の時は、命に関わるほどの不便があった。自宅に揃っていなければ家族の安否を確認するにも膨大な時間がかかり、またちょっとでも被害が出ていようものなら、それを知ることも避けることも難しかった。
どこが危ないとかどこに集まろうとか、そういう意思統一もできず、ツイッターで現況を確認するなんてことは、当時想像もできなかった。
そんな1990年代に比べれば、僕たちははるかにできなかったことが容易にできるようになり、当時思い描いた幸せに何歩かは近づいてるはずである。むしろ、非効率や不合理や不便は昔の方がはるかに多かった。
 
なのに、決して少なくない人は、
「あの頃」は良かった
と言ったりする。まるで、「あの頃」が「今」にオーバーラップしてくれれば、「今」が今以上に幸せになるとでも言わんばかりに。
そして、それが大きな過ちにすぎないということを、今回の忘年会は教えてくれた。「あの頃」は、「今」を凌駕しない。少なくとも、ほとんどのケースにおいては、「今」の方が断然優秀である。
「あの頃」はほぼ10%美化されており、「あの頃」に素晴らしいゲームだった「ファイナルファイト」は、「今」ではただのクソゲーにすぎない。
***
過去を懐かしむのは、趣味だけにしとけ説
人は、ふとした時に過去を懐かしむ生き物であると思う。これは自己省察なりPDCAという、他の動物にはない脳の機能を備えた人類だからこその習性のように思える。
これがあったから我々は色々なものをカイゼンできたし、これがあったから進化してきた。人類の歴史数十万年に渡って維持されてきたこの本能を、それはそれとして価値を認めるべきかなとは思う。
 
しかし先に述べたように、おおよその場合、「あの頃」は「今」に比肩することはなく(音楽は別かもしれない)、過去は現在や未来よりもだいぶ不便な時代の産物である。
時が止まることは絶対になく、文明やテクノロジーの進化は、我々がやらずとも誰かがそれを引き起こす。初めてプリウスに乗ったときの感動は計り知れないものがあるかもしれない、じゃあ今乗りたいのはどんなプリウスかと言えば、最新式の「今」のプリウスであって、「あの頃」のプリウスではない。
もし「あの頃」のプリウスに今乗ったとしたら、座席は硬いは燃費は悪いはパワーはないわで、クレームの嵐が巻き起こるはずである。
 
過去に思いを馳せること、「あの頃」を懐しむことは、趣味としてはありだと思う。でも、あくまで趣味にとどめておくべきだとも思う。
「あの頃」に真剣に悩んでいたことや不便だと感じていたことは、今はあっさりと解決している可能性が高いし、「あの頃」に超楽しいと思っていたことは、すでにクソゲーと貸している可能性もこれまた高い。
僕たちが向き合うべきは「今」であり、あるいは「これから」である。「スマブラ」をガチャガチャやりながらそんなことを考えていた。
***

世知辛い世紀末にこのエントリを読んでいただいたことを感謝します。
退かぬ、媚びぬ、省みぬ!!!
我が生涯に一片の悔いなし!!!
Twitter: @raoukeita
メルマガ希望:kusog.akaba(アットマーク)gmail.comまで。組織の人財育成について書いてます。
いずれも申請の際は、世紀末覇者として最低限の自己紹介と愛のある一言をお願いします。
欲しいものリストはこちらです。万が一くれる人いたら泣いて喜びます。http://amzn.asia/7ZSHn0D

Twitterでフォローしよう

おすすめの記事