今日は、年末年始の風物詩、全国高校サッカーを観にいった。
と言っても、毎年見ているわけではなく、実は直接観にいくのは、大人になってからは初めて。(高校時代はサッカー部だったため、2回ぐらい行ったはず。たぶん。)
なんなら、普段はテレビですらほぼ観ないのだけれど、年末に一括購入したこちらの漫画の影響で、せっかくなら直接観覧しようと思った次第。
DAYS

泣けるバスケ漫画が「スラムダンク」だとするならば、泣けるサッカー漫画はこの「DAYS」しかないというぐらい、自信を持ってお送りできる逸品。「シュート」や「キャプテン翼」では泣けないが、「DAYS」なら多分3巻まで90%ぐらいの確率で泣ける。
ぜひ読んでくだされ。読んだら感想ください。「弱者のリーダーシップ」も学べます。「キングダム」と「DAYS」を読んでない方は人生損してる。
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20年以上ぶりの観戦、開始5分で涙
前回高校サッカーを観戦したのは、自分自身がサッカー少年であった高校2年生のとき。忘れもしない、雪の中の決勝戦。当時世代最強で、もしかしたら歴代最強との呼び声も高い、東福岡対帝京の試合だった。
後に日本代表に定着する中田浩二を擁する帝京を、天才ドリブラーと言われた本山雅志や、他にもタレント豊富だった東福岡が退けた試合。これで東福岡は前人未到の高校3冠を達成し、高校サッカー界のパウンド・フォー・パウンドとなった。
雪降りすさぶくそ寒い中、国立だけは熱狂の渦となっていたあの試合。同じ高校生なはずなのに、どこか全く別の舞台で踊っているかのような偉大なプレーヤーたちを観るのは、不思議な感覚だった。
 
あれから20年以上の月日が立ち、ピッチに立つプレイヤーたちは、僕の半分以下の年齢となった。本日のメニューは、優勝候補の青森山田対、栃木の強豪矢坂中央。あの柴崎岳が所属していた青森山田の試合を観たくて、等々力競技場まで行ってきた。
そしたらなんと、観戦開始5分で涙したであります。あの頃の思い出が蘇ってきたとか、もう一度ボールが蹴りたいなとかではなくて、なんというかこう、
必死に生きてもがいてる人間の美しさ
みたいなものが真摯に伝わってきて、一瞬で目にゴミが入ってしまった。お前は彼らほどの密度の人生を生きているのか、と突きつけられた感覚。緩みに緩んだ腹を見て、あの頃はもっと頑張っていたと過去を懐かしむ大人になってしまっている自分を恥じた。
 
試合は青森山田が矢坂中央を2対1で退けた。
終わった瞬間、矢坂中央のプレーヤーたちはピッチに倒れこむ。ある者は嗚咽し、ある者を天を仰ぐ。そして勝者は、そんな彼らに声をかける。美しすぎる光景。

 
写真だとわかりづらいけれど、真ん中右らへんでのけぞりながら嗚咽している選手がいる。
彼の身長はなんと154cm。しかし、何度もとんでもないスピードのドリブルでサイドを切り裂いていた。バスケほどではないとはいえ、大きい方が明らかに有利なサッカーで、あの身長でレギュラーを掴んだ彼の努力たるや、一体どれほど苛烈なものだったのだろう。
その途方も無いサッカーへの献身へ思いを馳せ、また涙する。矢坂中央の部員は160名。その中で、154cmの身長でこのピッチに立っている。ありえない。

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サッカーは「違う世界」な1号機
第1試合が終わると、次は第2試合。こちらのメニューは、優勝候補の前橋育英を破った尚志と、フットサル仕込みのテクニックが魅力の長岡帝京。
最初は興味を持って観ていた珍獣たちも、この頃になるとダレ始める。

 
kindleに入った映画を見せろ見せろと騒ぎ出し、うるさいのでkindleとイヤホンを渡す。静かになったのでほっとしていたが、尚志対長岡帝京の試合があまりに良い試合すぎて、これではもったいないと思い始めた。
今日ここに来た目的は、自分が高校サッカーを観たかったというのが一つ。もう一つは、真剣に頑張る人間の美しさや儚さや感動を、珍獣たちに見せてやりたかった、というのがあった。
 
1号機に、「せっかく来たんだから観ようよ。」と言うと、納得の反論が来た。
「えー、だってサッカーのルールわかんないしー。」
ごもっとも。「何してるの?」と聞くと、「人間生活してるー」と言い返してくる、お年頃の女子にぴったりのロジカルな反論を返してきた。
1号機にとってはサッカーは「違う世界」であり、パパの都合で連れてこられた、よく分からない場であるのは確かだった。ここで「いいから観ろ!」と言うのは簡単だったけれど、僕は1号機に対して、ここに連れて来た目的を真摯に話すことにした。
1号機はミュージカルをやっており、毎週日曜日は全く遊んでくれないほど忙しい、という前提での以下の話。
 
羅「あのね、Kちゃん(1号機)もミュージカルやってるでしょ?」
K「うん」
羅「毎週日曜日、1日10時間ぐらいやってるでしょ?」
K「うん」
羅「めちゃくちゃ大変でしょ?休憩もほとんどないし。」
K「うん、大変。」
羅「あの人たちも一緒だよ。ううん、もっと大変。日曜だけじゃなくて、毎日なの。1年が365日あるんだけど、そのうち360日ぐらい、Kちゃんの日曜日みたいな練習をしてる。」
K「へー。」
羅「Kちゃんもミュージカルすごい頑張って、一生懸命やって、感動したりしてるでしょ?それよりももっともっとすごい頑張って、努力してる人たちがここで戦ってるの。たぶん、10年以上そんな毎日をずーっと続けてるの。
だからその姿をKちゃんにも観てほしいんだ。ミュージカルとサッカーは全然違うものだから、ルールはわかんなくてもいいけど、そこだけは一緒だから。ほんとにすごい人たちなんだよ。」
 
小学生にも分かるように、しかし未熟な子供としてではなく、一人の人間に伝えるように、真正面からこの試合を観てほしい理由を伝えた。そしたら、1号機、
「そっか!」
と一言。顔が一瞬明るくなった気がした。何かが伝わったようだった。
そこからは「ねぇ、どっちが勝ってるの?」とか、「入ったかと思ったー。」と前のめりで観戦。最後には、「あーおもしろかったー。」と言ってくれた。

なお、2号機はどうしていたかというと、
最初から最後まで、ずーっと踊りながら応援していた。
傑物である。いや、尻をフリフリしながら応援していたから、ケツ物かも。応援団の歌がノリやすい曲ばかりだったからだろうか。
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「違う世界」が「自分の世界」につながることの価値
1号機が、「サッカーわかんないしー」と言っていたところから、前のめりで応援するようになった。これは、彼女の脳内で、
サッカー=「違う世界」
から、
サッカー=「自分の世界(=ミュージカル)」に似てる競技
という感じで方程式が入れ替わったから。一本の線によって彼我が結びついた途端、サッカーに興味が湧いてきたようだった。
これはとても大事なことで、親や先生がすべき教育の結構な部分が、今日のこの出来事に集約されているような気がしていた。
世の中で起きていることは、ほとんどは何らかの形で自分に関係するはずなのに、普通に暮らしているだけではそれと認識することができない。
 
たとえば、NPOの関係で都立高校で講演をさせていただくことがここ最近増えているのだけれど、偏差値の低い高校に行くとほぼ例外なく、「勉強=自分と関係ないこと」という方程式が生徒たちの頭の中に出来上がってしまっていることを感じる。(※偏差値が高けりゃいいてもんじゃないが、低いことはそれはそれで良いことではない。)
自分と関係ないことだから、やらない。やらないから、その楽しさが分からない。楽しくないから、やらない。努力は、自分と距離のあることに対してはできないのが人間である。
「学習性無力感」と呼ばれるそれは、大変失礼ながら彼らの周りにいる親や先生らの力不足によって、恣意的にも不本意にも植えつけられてしまった思考の病巣のようなもので、生徒たちの人生に有形無形のマイナスの影響を与えている。
 
自分の周りの森羅万象が、自分とは「違う世界」であると認識してしまっていることは、ただそれだけで膨大な機会損失を生む。勉強がそれに該当してしまっていると、勉強を通じて実現できる人生のあれこれが、当然のことながら手からこぼれていき、どんどん距離ができていく。
親や先生たちには、子供たちに「勉強しろ」と頭ごなしに言う前に、「なぜ勉強するのか?」のWHYをしっかりと伝えてやってほしい。そうして初めて、勉強は「自分の世界」に入ってくる。まぁ高校3年の模試で偏差値8を取った自分が言うのもなんですけども。
 
 
 
 
 
 
偏差値8を取った模試で学年ビリかと思ったら、偏差値5のもっとバカなヤツが隣にいて、そいつのせいでビリすら取れなかったのは良い思い出です。
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世知辛い世紀末にこのエントリを読んでいただいたことを感謝します。
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