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「暴力教師 対 バカ生徒」 の終わらない戦争を終わらせる施策案 #1477

time 2019/01/30


 

一週間ほど前に、とある都内の高校で起きた「事件」が話題となった。個人的な意見と対策案をば。

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都立高校での「暴力教師対バカ生徒」の戦い

ポイントだけ列挙すると、

▼口論の末に先生が生徒を殴る動画が拡散され、炎上。当初は一部のみ切り取られて放送されたため、「また暴力教師が!」となっていた。

▼しかし後に、「これ、ツイッターで炎上させようぜ」などと策略めいた会話が動画に含まれていることが発覚。先生に突っかかっている生徒、それを撮影している生徒、教師が殴ったあとに寸分違わず出てくる生徒など、完全に「ハメる」ことを意図した生徒側の姿勢が明るみになり、またまた炎上。

▼ワイドショーでも、「あれは生徒が悪い」、「暴力は良くないが殴られても仕方がない」などのコメントがコメンテーターたちからも出る。

▼そんな中、武井壮氏が「いかなる理由でも教師側の暴力はダメ。使った時点で負け。俺は持論は曲げない。」とぶち上げ、拍手喝采&半分炎上。

てな感じ。まぁ燃えに燃えた事件だった。(動画はネットに転がっているので興味ある方は検索ください。)

 

暴力教師対バカ生徒の図式となったこの「試合」、個人的な感想としてはどう見てもバカ生徒側が悪く、鉄拳制裁を加えられても文句は言えないほど大人へのナメっぷりを披露していた。そりゃ俺でも殴るわな、と思わざるを得ないほど、どうしようもない挑発を先生に対してしていた。

日頃は教師側の暴力に対して断固ノーを突きつけているメディアも、「あれは生徒が悪い」という論陣すら張る始末。あれ、人権派や反パワハラ派はどこへ行ったのと思うぐらい、先生の擁護派が多かった。日頃熱心な先生で生徒からの信頼も厚い人であるというサブ情報もあり、世論は先生擁護へと向かっていった。

 

それに対して「いや、暴力は何があってもダメでしょ」と勇気を持って突きつけたのが武井壮氏。これは誰もが分かっていながらちょっとおかしな方向に行き始めた議論にちょっと待ったをかけることとなった。

そうだった。暴力はいけない。すっかり忘れていた。生徒がバカすぎることと、具体的に暴力を加えることは別問題として議論しなければならなかったはずなのに、動画から散見される生徒の終わりっぷりを見てなぜか「愚かな人間には暴力を加えても良い」という世論が出来上がってしまうところであった。

 

熱い先生ならば暴力を使ってよく、そうではない先生ならダメ。賢い生徒に暴力を振るうのはもってのほかだが、バカな生徒には使っても良い。

恣意性が最も問題を厄介にすることは誰しも知っているはずなのに、その危うすぎる分水嶺を個人の力量に任せるという判断を世論がしかねないところで、そもそもの議論を差し戻した武井壮氏はとっても偉い。

ただ今回の問題はどこの学校でも起きうる問題であり、じゃあどうしたら良いの?という部分についてはきちんと議論する必要がある。

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そういえば当時たくさん食らった「暴力」

体育会系の部活が少し優しくなりかけていたのが僕の現役時代。それでも、いわゆる先生側からの「暴力」はたくさんあった。控えめではあったかもしれないけれど、記憶には確かに刻まれている。

幼稚園、小学校には暴力を振るう先生はいなかった。しかし中学校にはしっかりといた。蹴りを入れられたりひっぱたかれたりと、「良い先生で熱い人だけどたまに手か足が飛んでくる」ということで非常に有名な人であった。そしてそういえばしょっちゅう激昂していた。叱るより怒るのが得意な人だった。

不思議なことに、現役時代はあんなに怖かったはずなのに、卒業して会ってみるととっても懐かしく思えてくる。これが暴力教師の怖いところ。後からヤクザの抱擁のごとく、愛情だったと感じてしまうのである。「あの頃よく殴られましたよねー、はっはっは!」と勝手にこちらが思い出を美化してしまったりする。

 

塾では結構殴られた。こちらは2種類いて、前述の中学の教師同様、激昂し破壊力満点のビンタをカマしてくる先生がいた。この人は感情の起伏が読めなかったため、あまり好きではなかった。出来の悪い生徒を罵倒する場面も何度も見た。当時からあまり良い先生ではないと思っていた。

一方、ビンタはビンタでも、「規則性のあるビンタ」をする先生も別の塾にいた。こちらは問題を時間内に正解できなければ列を作って順番にビンタ、というものであった。ビンタをされる際の条件が決まっているため、反感は全くなかった。

また、先生はビンタの達人で、「ビンタはなぁ、こうすんだよ」と怪我のしないビンタをマスターしていた。素人がやると鼓膜が破裂することもあるらしく、しかしその先生がやると安全で、しかも気合いが入るのだそうだ。実際、確かにそうだった。

 

結局大した暴力に触れることのなかった僕は、大変遺憾ながら「あれも良い思い出」とちょっと思ってしまっている。しかしいくつの事例を知るにつけ、それではあかんと思うようになった。

ツイッターでいくつか見かけたところによると、精神的ショックで以後引きこもりになってしまった人や、殴られた際に壁に後頭部を打ち付け、以後頭がおかしくなってしまった人もいた。「程度の問題」では決して割り切れない恐ろしい事実がそこらじゅうに転がっていた。

確かに、少数の例外はあれどまぁまぁまともな先生しか僕の周りにはいなかったので、「良い思い出」という程度で話が終わっていると思われる。暴力の「ホンモノ」はいなかったので、笑い話で済んでいるだけである。でも、自分の娘がそういうまともな先生だけに会えるとも限らない。親として、また社会の安定を願うものとして、この終わりのない宗教戦争に幕を引けるなら、ぜひそうしたい。

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「暴力教師対バカ生徒戦争」を終わらせる具体的な施策案

一つ参考になるのは、アメリカの「体罰を容認している学校」の施策である。

これらの学校では、体罰(たぶん、暴力ではなく、教育的指導の範疇)が校則に則って容認されている。「かくかくしかじかの条件が整ったら、お宅さんの子供に体罰与えますけどいいですね?」という確認書を入学の時点で取るのだ。

まず生徒側が原因となる問題が起きる。それを複数回確認する。すると学年に専任で置かれてるカウンセラーが出てきて、生徒の相談に乗ったり現状の問題行動の修正を要請する。それでも直らず、なお複数回の面談を経ても問題が改善されなかった場合に、当初より登録された手順にしたがって体罰が実施される、という仕組みになっている。

これは非常に画期的である。というのも、バカは承認しているだけじゃ治らないからだ。どこかで強制的な矯正をかけないと、バカは一生バカのままである。暴力はいけないと思いつつも、体罰は僕は必要と思う派だ。自分の子供を1回も叩いたことのない親など、いないだろう。

どうしても言うことを聞かない場合は、体罰もありと僕は思うのだけれど、問題はその程度がどこまでならありでどこからがなしなのかが不明確という点であった。それを解決したのがこの仕組み。たぶん、アメリカのことだから「体罰のプロ」なんてのもいるのかもしれない。

事前に決めたプロセスに則った形で体罰が実施されるのであれば、感情の高ぶりによる行き過ぎも防げるし、会社の解雇通知がごとくある種の「正当化」もできるようになる。さすがに今回の事件では教師側の肩を持ちたくなるほど生徒がバカ極まりなかったし、昨今こういう人間が矯正される機会も失われつつあると危惧しているため、「自分の至らなさを思い知らせる」という教育機会があるべきだとは思うがこれならある程度は安心だ。

 

が、さらに安全性を高め、また効果性と効率性を高めるためには、以下の要領で体罰を実施するのが良いと思うのでご提案。ビンタを食らうだけでは確かにハッとすることはあるかもしれないが、得るものは少ない。真の体罰とは、被った苦痛よりも得た学びの方が大きいものを指すのだと僕は信じる。

以下、こんなんやってみたら暴力教師が暴力を振るうこともなくなるし、バカ生徒のバカ具合もだいぶマシになるのじゃないかと思う。リソースについてはあまり考えずに提案しているので別途ご相談。

 

1、学校で栄養バランスが取れた食事を3食食べなきゃいけない。

バカ生徒の親はだいたいがバカ親である。これが最大の問題。今回の事件でも、自分の子供が悪い可能性を考えずに学校にクレームを入れて大騒ぎしていた。普段の自分の子供の素行を見ていれば、誰が原因になった話なのか容易に想像はつくだろうに、その想像力がない親だと思える。そしてそういう家では、食事に問題があることが多い。

食事がきちんとしていないと、子供は集中力がなく、容易にキレやすくなる。食事を整えただけで問題行動が減ったという事例もあるぐらい、食事は大事。ただ、その環境を親が準備できていない可能性が高いため、3食を学校で摂ることを以って、一定のファウルラインを超えた生徒に対する体罰とする。場合によってはUber Eatsで宅配もあり。

糖質と糖分の取りすぎ、栄養素の欠如で容易に人は狂うので、まずはそこから矯正する。

 

2、痛みはビンタやパンチではなく、腕立てとスクワットで与える。

昔の問題児は喧嘩が強くて厄介だったが、昨今のバカ生徒はどう見ても弱そうなのにイキがっているのが多い。これはなぜかというと、根本的な自信がないからだと思われる。自信がないからイキる。自信がないから抵抗する。要は、自己概念が低いから荒れるのである。

この自己概念は、「あなたは素敵だよ、あなたはありのままでいいんだよ」と言ってるだけでは育たない。そもそも、問題行動のある人間に対してありのままを承認するというのは、全然間違っていると僕は思う。

ならばということで自己概念を高めさせる最高のツールが、筋トレである。俗に「筋トレが最高のソリューションである」と言われる所以だ。バカ生徒にもバカ親にもこちらを読ませ、校則を破ったら筋トレで矯正をかける。強くなってくると、人は人を受け入れられるようになる。

 

3、ペン習字を課す。

荒れてる家の子は字が汚い。もしくは書けない。これは、いくつかの高校で授業をしてみてほぼ間違いないと判断した傾向である。そして、これを矯正する能力がやはり親にはないということの証左でもある。

ひたすらペン習字を実施し、日本語という母語の美しさに触れ、自分がこんなにもきちんと字を書ける人間であったのだと認識させる。それにより自己概念が上がり、筋トレとの相乗効果で少しずつ強い人間になっていく。

ちなみに僕は荒れてる家ではなかったが字が汚い。これはどうしたものか。。。

 

4、被災地のボランティアに駆り出す。

バカ生徒がなぜバカなことをするかと言えば、感謝の心を知らないからである。親に対する感謝もなければ、先生に対する感謝もない。これまたバカ親が感謝の大事さを教えてこなかった後遺症なのだけれど、じゃあどうしたら良いかというと、被災地に復興ボランティアに行くことでこれは解決できると考える。

稚拙なりにもボランティアに参加すると、被災した人たちから感謝される。これは、彼らにとって下手をすると人生初めての経験となる。誰かを救ったから感謝されているはずなのに、いつのまにか自分の心が救われていることに気づく。そうして感謝の心の大事さに気づくと、ふと周りにある全てが、奇跡の集合体であることに気づく。

ちなみにうちの子は毎日「生まれてきてくれてありがとう」と僕に言われている。だからとっても良い子である。

 

5、サンドバッグを学校に常設する。

とはいえ、ムカつくのが人間である。かっとなることを抑えることはなかなか難しい。そんなときにぶん殴れる対象があれば発散できるので、サンドバッグを各教室に常設することをおすすめする。

「あああああああああああ!」とか叫びながらサンドバッグを殴っていれば、なんで怒っていたのかとかわりとどうでもよくなる。なお、AIで各自の怒りボルテージを測定し、クラスでトップの人間しかサンドバッグを使えないというふうにする。

俺めっちゃ怒ってるけど、あいつの方が怒りのボルテージは高い。だからサンドバッグが使えない。だったらもっと怒らないと!

そんな風に怒りをロジカルに考え始める時点で怒りの感情自体が衰退していく。感情は感情的に反応することで爆発する仕組みになっているので、その逆を矯正させてしまうのである。

 

6、教師に全員マッチョ化を義務付ける。

バカ生徒が教師に絡むのは、勝てると思っているからである。自分より下だと思っているからである。そう思えなくさせてしまえば良い。

人間はどこまで行っても動物であり、動物は自分より強い者に逆らおうとしない。いくら授業がつまらなくてイキろうとしても、袖から覗いている腕が丸太のように太ければ、逆らおうという気力も湧いてこない。

ボブ・サップやアリスター・オーフレイムが先生だったら、一切の暴力は振るわずとも生徒は従順になると思われる。教師の怠慢を突くとすれば、筋肉不足であろう。

 

7、100kmマラソンを走らせる。

フルマラソンじゃ甘いので100kmマラソンを課す。100kmマラソンを走ると、自らの限界と他者への感謝を知ることになる。こちらご参照。

日本一赤裸々な野辺山100kmウルトラマラソン日記 その1

 

8、構内に監視カメラをこれでもかというほど設置。

体罰とはちょっと違うかもしれないが、体罰のプロシージャーのなかに、問題行動を複数回とった生徒は監視対象にする旨明記する。そして、AIにその生徒を登録し、きちんと監視する。個人情報よりも、構内の安全と平和の方がはるかに大事であり、嫌なら問題行動を起こさなければ良いだけである。

もちろん、トイレや更衣室などは監視対象から外すが、AIの機能により一定以上の大声や授業中の無駄な動き、あるいはいじめなどが発生した場合は漏れなくロックオン。罪の重さにより筋トレコースかペン習字コースかその他コースか、それとも全部入りのフルコースかに振り分けられる。

 

9、罪状が整ったら、きちんと警察に突き出す。

学校のよくないところは、すぐに問題を隠蔽する点だ。校外だと軽く犯罪になる事案が、学校内だと簡単に無罪になってしまう。これはよろしくない。

学校と警察がきちんと連携し、「犯罪」に対してはきちんと犯罪として対処する。どれだけ体罰による強制的矯正の余地があっても、やってはならないことをやったのであれば、きちんと刑務所(鑑別所?)送りにすべきである。そのためにも前述の監視カメラは必要。

どこまでやっても大丈夫と思ってナメてるから、バカ生徒はバカ行為を増長させる。飲酒運転やネズミと同じで、「どこかで見られており、見つかったらアウト」と思えば、人はやらなくなる。

 

思いつきと独断と偏見でいくつか挙げてみたが、個人的にはいずれも革新的な効果を生み出してくれる施策であると信じている。ぜひやってみてほしい。

なお、「バカ生徒は退学させろ」という意見がメディアでは結構有力であったように思うが、僕はこれに関してはかなり反対の立場を取っている。というのも、有名私立であればそれもアリかもしれないけれど、現実には都立高校などであればセーフティネットとして機能すべきだと考えるからである。

問題を解決せずに退学させたあとに待っているのは、転落だけである。学校の決まり程度に従えないバカ生徒が、外の世界で有象無象のルールと魑魅魍魎を相手にしながらまともに生きるのは、甚だ困難。

であるならば、退学というカードはチラつかせずに、極力学校の中で強制的な矯正をかけていく方向に舵を切るべきだと思う。本当にどうしようもない人間というのは、現在バカ生徒となっている人間の中のほんのひとつまみ程度であり、そういう人間以外は退学せずとも十分に上記の体罰で更生できるはずである。

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世知辛い世紀末にこのエントリを読んでいただいたことを感謝します。
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