『前門の虎、◯門の狼』な富士登山列伝その2〜山頂ビジネスと地上ビジネス〜


富士登山についての報告および感想2日目。諸事情(トラブル)あり更新が滞っていたことお詫びします。

五合目の富士吉田口という最もポピュラーな登山口から登ることになった不思議なことですが、わずかに、しかし確実に登るごとに気分が悪くなっていくのがわかりました。

頭痛をはじめとする高山病のせいだけではありません。僕は五合目に着いた時点で前日の寝不足のため軽い高山病にかかっており、そこから先の高度において、この症状と付き合って行かざるを得ないことに関しては覚悟を決めていました。

覚悟を決めていた方面ではなく、覚悟を決めていなかった方面に悩まされ、イライラすることになったんです。何故か?それは、

『店員の態度が高度を増すごとに悪くなっていったから』

前エントリにも書きましたが、本来店員『さん』とすべきところです。しかし、もはや店員と欠かざるを得ない程、態度が悪く感じられました。

頂上にはご来光を見るために少し早めに着きました。少しといっても2時間前ぐらい。だから相当待つ必要があります。

しかし、開きそうでなかなか開かない山小屋の中を除くと、口には出さないけれど『しっしっ』と追い払う態度のお店の人。

更に開店してからは、お客さんを早く回転させたいらしく、愛想ゼロで采配していました。ほとんどのお客さんが初めてなはずなのに、『うちのルールも知らないのか』といった態度で辟易しました。

ルールが分かるはずもない外人さんが佇んでても、pleaseもつけずに’Sit down!!!’と大声を出す始末。これじゃ世界遺産に認定されても一回限りのお客さんになっちゃうよ。

極めつけは、若手にーちゃんの態度。味噌ラーメンを持ってきたにーちゃん、お客さんがそれを誤ってしょうゆラーメンだと思って『しょうゆくださーい!』と声をあげたら、『味噌だっつってんだろ』と曰う始末。

客を客とも思わない圧倒的ゼロの気配りがそこには顕在化していました。ちなみにしょうゆラーメンと味噌ラーメンには、見た目も味もほとんど分からないほどの差しかなく、どちらを食べてもほぼ同じ感触でした。

トイレも同じく高度を増すほどの汚くなり、食事中の方はごめんなさいですが、便器にアンモニアが付着して塊となってしまっていました。水が貴重だからというのはわかりますけども・・・

さて、ここで疑問に思わねばならないのは、何故こういうことが起きるかということです。

ことは一個人の心がけや資質の問題、かもしれませんが、そうではないかもしれません。そして僕は、そうではない方に考えを巡らせています。

このように高度が増すごとに相対的にサービスが悪化していく原因として考えられるのは、高度と相関してお店その他の独占状態が強化されていくからだと思われます。

5合目にして早くも警告がありました。『富士山には水と電気がありません。特にお水は貴重です。ここまで毎日5万円かけてタンクローリーでお水を運んでいます。(だからあんまり飲むな)』。しかし5合目は広く店舗も多いため、店員さんは皆笑顔、雰囲気も非常に良い感じでした。

7合目が宿でした。『いらっしゃいませ~』が聞こえませんでした。どこか流れ作業的に感じる宿泊手続きと夕飯を済ませて、大人しく寝ました。

7合目から8合目までは5合目ほどではないにしても、僕たちが泊まったところ以外にもそこそこお店があったので、違和感はありつつも不快になることはありませんでした。高山病の症状の方がずっと不快でした。あ、そういえば、ご飯の時にお茶は一杯しかくれなかったけど。

9合目を超えて10合目、すなわち頂上に着くと、上述したような参上でした。地上において、態度が悪く味が粗雑でトイレが汚いお店というのは、きちんと潰れます。うっかり一度目に入ったとして、二度目は誰も行かないからです。あるいは悪口コミが蔓延し、誰も寄り付かなくなるからです。

しかしこの頂上のお店は違います。恐らく、登山期間中はずっと満員です。どんなに腹が立っても、どんなに臭いにイライラしても、どんなに総じてムカついても、富士山の山頂でモノを食べたり飲んだりしようとすれば、そこのお店しかないのです。

『独占状態の強化は、それと反比例してサービスの低下を招く』、その好事例をまざまざと体験させられた感覚でした。グズグズするな、早く食え、食ったら早く出てけ、俺たちの手を煩わせるな、など、声に聞こえてこそこないものの、そのメッセージを雄弁に語る無表情フェイスで対応してくれる素敵な店員さんたち。

この人たちは、富士山が世界遺産に認定されて、この山での経験を以て日本の全印象を決める外国人の人たちがこれから押し寄せてくるであろうことを知っているのだろうか??

繰り返しますが、『そういう環境』にいるから、店員さんたちが『店員』に成り下がるほど態度が悪化したのだと僕は仮定しています。富士山頂のお店が仮に地上にあったとしたら、彼らは否応なく他のサービスと笑顔が満点のお店と競争することを強いられ、他店と同じかそれ以上の水準まで自らを高めなければならない境遇に置かれます。

山頂ではそのための努力の必然性が全くなく、何もしなくても高回転高単価の最高のビジネスが出来るため、そこに前向きなインセンティブは働かないのです。

別に富士山頂のお店に限った話ではなく、僕たちも他山の石とすべき教訓がここには含まれています。

僕たちが何かの分野において、ヒト、モノ、カネや情報のいずれかもしくは二つ以上が他者に対して独占状態(かそれに近い程度)にある場合に、こういった他者への無配慮無関心、自己改善努力の形骸化は起こりえます。

社長になったら会社に関してヒト、モノ、カネ、情報の四つ全てにおいて他者に対して優位に立ちます。それを振りかざして外圧のみで仕事をぶん回すようでは、遠からず取締役会にて解任動議が出されることでしょう。

親という立場は、多くの点において子供に対して独占的な立場を持っています。子供時代に権力を振りかざしまくった親は、大きくなって知識も腕力もついてきた子供から見放されます。子供時代に山頂にあったお店が、子供の成長にしたがって高度を下げて、最後は地上での戦いとなるからです。その時になって卑屈に笑顔と配慮を身につけても、もう遅かったりします。

ビジネス界においても、ある分野で独占的な地位を得た企業が、その地位の源泉となる競争優位を失った瞬間に、それまでに倍する速度で堕ちていくといったことはよくあります。そんなんだったら独占的地位なんてない方が良かったんじゃないの?と傍目には思ってしまうほど、坂を転げ落ちていってしまいます。日本の電機メーカーしかり、コダックしかり。。

山頂ビジネスは、地上ビジネスに比べて高収益であるものの、強さとしては大したことがないのです。それでも生きていけちゃうから。

自分がいま置かれている状況、地位、得ている能力が山頂ビジネスなのか、地上ビジネスなのか、特に何らかの利益を生んでいると思える分野に限って、どちらに分類される状態なのかをしっかり考えないとなと思います。僕も結構山頂ビジネスでは調子にのる方なので、てへ。

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我が人生に一片の悔いなし!

『前門の虎、◯門の狼』な富士登山列伝その1〜日本一の三角締め〜


先日生まれて初めての富士登山をしてきました。

結論から言うと死ぬほどツラかったです。

『死にそう』とは冗談でよく言う言葉ですが、現実的にその言葉が意味を持つ手前まで行っていたような気がします。

こういう極限状態の経験は大きな学びになるので、今日から少し登山シリーズにてまとめてみたいと思います。今日はジャブで。

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なりすましにご用心


先日大爆笑したと同時にうーん、と唸らされた我が家の三歳児の話。娘から注意されました。

娘:『あのね、ごはんのときはひじついちゃいけないんだよ、ぱぱ、わかってる?』

娘:『あのね、パンばっかりたべてちゃ、びじんさんになれないんだよ!おやさいとね、くだものがびじんさんになれるんだよ。』

娘:『パンはね、あまいのばっかりたべてちゃわるいこになっちゃうんだよ。プリキュアになるにはごはんぴっかぴか(=完食)にするのがだいじなんだよ!』

など、まぁよくそんなこと知ってるなと、あるいは語れるなということをペラペラと喋るようになった娘さんに聞いてみました。

羅:『ふーん、よく知ってるね。それ、ママに教えてもらったの?』と聞いたら、

娘:『ううん、ぜーーんぶじぶんでかんがえんだよ!すごいでしょ!』

・・・

・・・

なるほど。すごい。満面の笑みで、一ミリの逡巡もなく『じぶんでかんがえた』と曰わるうちの娘さん。毎日毎日のママからの刷り込みが、もはや自分の考えになってる模様。

さて、お気づきのことと思いますが、こういうことって、実はとっても大事なことを示唆しています。

人間はそもそも模倣の生き物です。いや人間に限りません。すべからく生物は親や周りの先達を模倣することで一定レベルの生活力を身につけていきます。

大人になってからいきなり『オリジナリティを出せ!』と言われて面食らう人は多いと思いますが、それにしても模倣の組み合わせであって、完全なオリジナリティなどこの世に存在しません。ほんのわずかな天才が見つけるほんのわずかなもの以外は。

明らかに人から聞いた話であっても、あるいは更に又聞きだったとしても、自分の意見として実しやかに述べてしまう、これはとても大切な能力です。

ポイントは、そう思い込めていない内容だとしても、自分にとって未来にとって良かれと思えるものであれば、そのように振舞ってしまうということです。俗に言う、’Fake it until you make it’みたいな感じ。

痩せる自身がなくても、痩せることが人生を変えるインパクトを持つと、さもダイエットに成功した人かのように言い切るのはその一つの例です。売れないセールスがアファーメーションをしたり身なりを整えたりして、トップセールスのつもりになって振舞うのもまた一つの例です。

よほどの虚言癖の人(=言動と行動に極端な不一致があり、しかもそれをなんとも思わない精神構造を持つ人)でない限り、それが心底からの言動でなかったとしても、言及した内容について実際に行動すべく、『言い訳の外堀』が埋まっていきます。

言動と行動がズレている状態をなんとか修正しようという引力が心と頭の中に働き、運動エネルギーを伴った方向(=言動)に引っ張られていくのです。

娘も最初は、ご飯の時にひじを付いていました。怒られました。また付きました。怒られました。

毎日刷り込まれるので、ご飯のたびに『ひじついちゃいけないんだよね?』とママに確認するようになりました。自分の口で言ったことにより、刷り込みは更に強化され、いつの間にか周りの子や時に親のひじ付きを注意するようになりました。

そして更にいつの間にか、それを最初から自分の意見として持っていたかのようにおしゃまさんは曰うようになりました。

繰り返します。『そのように』思い込めているのであればベスト。

しかし、『そのように』思い込めていなかったとしても、目指す方向を口に出すことにより、段々とそちらに近づいていくことは可能です。人間の学びの多くは、人から見聞きすることから得られます。

素晴らしい意見や見識であればあるほど、それを不確かながら、下手くそながら完全に模倣することにより、いつの間にかその素晴らしい意見や見識が自分のものになっていきます。

これはいわば人間の『なりすまし』と言っても良いと思います。なりすましてなりすましているうちに、いつの間にか本物になってしまっているのです。フェースブックの偽アカウントのように、いずれ化けの皮が剥がれることもありません。中途半端になりすましているのに、それが長ずると本物になるのです。

うちの三歳の娘ですら実行してるこの『なりすまし』。うちの場合は良い子になりすましていたわけですが、どういうわけかいつの間にかほんとに良い子になりました。

自分にも応用出来そうなので、とりあえず僕は180cm90kg12%の肉体で英語ペラペラでトップセールスで好きキライをしないおなかが6つに割れたイクメンに『なりすます』ことにします。あー遠い。

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我が人生に一片の悔いなし!

プロの力を借りよう


昔、一人旅をしていました。

初めて旅をしたトルコから始まり、エジプト、イタリア、香港、メキシコ、ペルー、ボリビアなど、社会人になるとなかなか行けないような国を行脚しました。僕の人生を形作る最大の影響と外圧を与えてくれたのは、旅だったと断言できます。

さてこの一人旅、学生の時分に経験したものなので、当時はとにかくお金がありませんでした。

バックパッカーの多くはそんな人たちの集まりのため、日本人宿などでは、『○○から○○まで行くのに俺はこれだけ安くいったぜ』、『あーそれ、○○にするともっと安くなるんだぜ』など、とにかく旅を安くあげることが優先事項であり、また他のバックパッカーからの尊敬を得る手段となっていました。

ちなみに僕はコスト意識が甘く、一泊150円の宿に泊まっているだけで満足してしまい食事や交通費などにはそれなりのお金を使ってしまいましたが、中には強者がいたりしました。

そういう人は、食事を現地で自炊することで究極まで食費を下げ、電車は全て二等で日本のラッシュの更に倍ほども厳しいギューギュー詰めを耐え抜き、人の出費に便乗して自分の出費を下げるという、一体何にそこまで駆り立てられているんだろうと思うほど厳しい環境下に自分を置いていました。

日本ではパチンコに入り浸りだったりするのですが。月一万円で暮らせるか否かが、一流のバックパッカーとそれ以外とを分ける境界線だったように思います。

一方、学生バックパッカーをしていると、稀に妙に焦った社会人旅行者を見ることがありました。我々バックパッカーであれば1週間かけて行くところを、わずか1日で移動して半日で観光するなど、それはそれは無茶苦茶に見えたものでした。

『なんてせわしないんだ、旅の醍醐味を味わえないんだろうな、お金使っちゃってカッコ悪い』と当時は思ったものです。

社会人になり、あの焦っていた社会人旅行者たちの気持ちがようやく分かるようになりました。当たり前です。社会人は時間がありません。学生は時間だけはたっぷりあるのです。

社会人が南米などの遠いけれどどうしても行きたい国に行こうとした場合、僕が当時していたように、計画を立てずに試行錯誤を繰り返しながら非効率極まりない旅程を組んでしまっては、外せないポイントであるイグアスの滝やチチカカ湖を見られない可能性が高くなります。

どうしても不確定要素に左右されるからです。結果、旅行全体の満足感も低下することが予想されます。であるならば、事前に旅行のプロである旅行業者に学生バックパッカーの予算の数倍を払って、数分の一の時間で目的とする場所を行脚する、そういう選択肢が最上位に来てもおかしくはないでしょう。社会人は時間がないからです。

学生と社会人の例に限らず、僕たちの人生が無限の時間に満たされていて、何をいつやったとしても変わらぬ満足感を得られるなら、何をいつやったとしても構いません。しかし現実は残念ながらそうではありません。限られた時間の中で望む方向性に舵を切ることが必要になります。

社会人が旅行業者にお金を払って旅行マネジメントを依頼するのは、つまりは初心者がプロにお金を払って何かを依頼することと同義です。その対価として、再現性の高い過去の成功体験を、その価値を毀損することなく享受できるのです。

繰り返しになりますが、時間が限られている社会人に、あれこれと失敗を重ねて本質を突き詰めていく時間はないのです。

多くの人は、自分の専門分野以外は素人です。そして現代人の多くは、過去最大級に時間がなくなっているといっても過言ではありません。豊かになったはずの日本で、心から時間に余裕を持っている人というのは、そんなに多くはないのではないかと思います。

僕もそう。だからこそ、何かにチャレンジする時に、自分がもしその分野に関して素人なのであれば、まずはプロに習うことが大切です。何はともあれ、あまり潤沢とは言えない時間を更に費消しないために、また有効活用するために、プロに習うことで時間を買うという発想です。

試行錯誤もトライアンドエラーも、本質的には経験すべきだしプライスレスな価値を持っていると僕も思っています。

しかし同時に、しなくて良い苦労はしなくても良いのではないかとも思っています。毎日田植えをして収穫して玄米を精米して白米を食べている人は都心にはいません。

貨幣という価値とプロの農家の方が作った白米とを交換しています。遠くに速く移動したいからといって、自ら自動車を開発する人はいません。普通は車作りのプロである自動車メーカーのディーラーで、自動車を買って目的を果たします。

極端な例かもしれませんがそれらと同じで、専門分野以外に関しては有限な時間を有効活用すべく、プロに教えを乞う、プロの方法を模倣する、プロのコーディネートに任せるといった『プロの力を借りる』ことが必要なのではないでしょうか。

なんでもかんでも自分でやればいいってもんでもないんです。誰の力も借りずに山奥で一人で修行をして悟る、というのは、現実世界ではちと厳しいものがあります。

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我が人生に一片の悔いなし!

ステーキよりもハンバーグ、そしてサブプライム


自己投資の質と量が仕事の成果とかなり強く結びつく業界なので、上記の通り8桁を軽く超える金額を今まで費やしてきたというのは何度かお話してきた通りです。

その一環でよく自己分析的なことをすることがあるのですが、いわば自分の能力と資産の棚卸で、自分が一体何を持っているのか?ということを突き詰めて考えたりします。

自分で思ったり人から言われたりするのは、手前味噌ながら以下です。『○○ぽい』とか『○○そう』と、大体アバウトな評価なのですが、うちいくつかは結構気に入ってたりします。

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それゆけ桐生選手!


暑くなってきました、スポーツの夏です。

僕自身も、秋の極真の試合、そして初フルマラソン出場に向けてこれから追い込んでいきます。さて、今注目している一つに、陸上100mがあります。

言わずと知れた日本のホープ、桐生選手です。10秒01という、日本人としては幻の9秒台までほんのあと一息!最後は空気の壁が立ちはだかると言われる100m走において、肉体的に発展途上の高校生であることを考えれば、近いうちに9秒台を出してくれることでしょう。

さて、この桐生選手がいま一回り成長して9秒台に達した後、何が起こると想像できるでしょう。

桐生選手は間違いなくレジェンドになると思われます。

が、僕の見立てでは、桐生選手の記録は金字塔になると同時に、過去の遺物の参考記録になるのではないかと予想しています。日本人選手が皆9秒台に突入するからです。

もちろん桐生選手自身が自分の記録を塗り替えるということもあるでしょうが、何故昔は10秒台しか日本人は出せなかったのだろうと皆が不思議に思うぐらい、9秒台が他の選手含め怒涛の勢いで出てくると思われます。

実は昔、世界の記録も10秒台がやっとだった時期があります。カールルイスが1983年に9秒台を出したのが最初で、それまでは人類はずっと10秒台でしか100mを走れませんでした。

しかしアフターカールルイスは皆さんご存知の通り、今や100m決勝は9秒台の選手しかいないほどになっています。ルイスが9秒台を出したことで、全人類が9秒台を『不可』から『可』に認識を変えた瞬間でした。

同じように、桐生選手が9秒台を達成した瞬間に、日本人にとっての9秒台が『不可』から『可』に変わるはずです。『誰も出来ないこと』は、仲間うちの誰かが出来た瞬間に、『誰でも(ひょっとして俺でも?)出来ること』に変わるのです。

野茂選手が大リーグへの道を開いてから今や野球選手の渡米が当たり前になったように、三浦知良選手がセリエAという舞台に立ってから20年を経て、日本代表の大半が海外プレーヤーになったように、今フロンティアだと思われている限界地点は、西部開拓が進むとただの中間地帯になるのです。そしてそれは、民族全体の進歩と言い換えることができます。

『それ』を出来ると思いこめるか否かは、『それ』の実現の可能性に大きく影響します。

かつて人類史上どこを見渡しても誰もやったことがないという事柄ならいざ知らず、僕たちのチャレンジしようとしていることの大半は、どこかの誰かがいつの段階かでチャレンジしてきて、かつ達成してきたことばかりです。

とするならば、『どこかの誰かが出来たんだから俺も出来るはずじゃん!』と思い込んで、何の不都合もありません。

宇宙に誰も行けなかった時代がほんの少し前にあったはずなのに、いつの間にか数は限られるものの宇宙に人が行くのは普通のこととなりました。これ以上速くは走れないと思われていた馬は、その何倍も速く自動車に取って代わられました。戦場に出た最新兵器が、次の戦いでは全ての軍及び敵軍に標準装備されるほど、技術の模倣は容易になりました。

いずれも、心の底から『出来ない』と思われていたことが、いつの間にか『当たり前』になったことの例です。

てことはですよ、今何かをやろうとして頭の中で赤信号が灯るもの、例えば能力面、金銭面、労力面で不可と判断せざるを得ないものは、実は後々振り返ってみたら全然青信号の範囲内だったということは、結構あるんじゃないでしょうか。

はいはいしか出来ない赤子を、走り回る幼児が『何で立てないの?』と不思議な目で見るように、成長した自分は出来ない頃の自分を思い出すことすら難しいのかもしれません。

もしこれをお読みの方がこれからチャレンジしようとしていることに対して不安を持っているのであれば、それが人類初の偉業でない限り、きっと大したことはありません。

大丈夫、ほんとに大したことないから。9秒台がひとたび出れば、それに多くの人が追従できます。人間の限界なんて、そんなもの。全ては良しにつけ悪しきにつけ、思い込みです。

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『フツー』を見直す


今日はお互いに『お前とは友達のフリをしてやってる』と罵り合う尊敬する友人Hとその後輩Sくんとの会食だったのですが、友人Hが後輩Sくんに叫んでいた言葉がとても印象的でした。曰く、

『社会人になってから友達作るのって難しーだろ。お前は社会人になってからの友達が、社内の同期とかじゃなくいるのかオラァ!いねーだろ!!俺と羅王は5回しか会ってないし友達のフリしてるけど友達なんだぜ』

『センパイ、サーセン(※業界用語ですみませんの意)、いません』

僕はしばし思考停止しました。『え?社外の友達がいるのフツーじゃないの?むしろ社内より社外のが多いのがフツーじゃないの?』との考えが頭にあったからです。見るからに優秀そうな商社マン、見るからに活発そうな漢なのですが、いないとのこと。僕は結構そのことに驚きました。同時に、自分の中の『フツー』に対して、自分がどれだけ『フツー』に感じてしまっているかを再認識しました。

ある人にとっての『フツー』は、活動する業界を異にする人からみれば完全な『異常値』となるケースは、実はとっても多かったりします。

例えば僕たちの業界。僕たちにとってはフルコミッションが『フツー』で、一般の方々から見るとそれは恐ろしく殺伐とした世界に生きているように見えているようです。

人がいつか病気になり、あるいはいつかガンになり、そしていつか死を迎えるということは保険に携わる者にとって大前提な『フツー』ですが、僕も以前そうであったように、一般の方の中にはそんなことを想像すらしていない人たちがかなりの数います。僕たちは休日がキライです。そしてそれが『フツー』です。しかし確か一般の方は休みが大好きだったと記憶しています笑

グーがどんなグーであれチョキに必ず勝つように、チョキがどんなチョキであれパーに必ず勝つように、Aさんが『フツー』と思っていることが、Bさんにとってはとてつもない価値をもつということは、往々にしてあります。

Aさんにとっては当たり前で大したことがなくても、Bさんにとっては垂涎の的なものです。価値のアービトラージ (=裁定取引)が発生し、AさんはBさんに対してシェアする価値のある価値を持つことになります。そしてよくよく探せば、誰にでもそういうものはあるのです。

僕は極真空手において、エベレストにも匹敵する登山のふもと程度の実力しかないのですが、それでもそれを『フツー』としない人たちからは、フルコンタクトというだけで『ハンパない!』との評価をいただきます。

前職に英語を話す人は山ほどいて、僕はその数分の一しか話せないにも関わらず、英語アレルギーだらけの同業の人たちとアメリカに研修旅行に行くと、必ずと言っていいほどちやほやされます。何も言ってないのに見た目だけで『お酒すっごく飲むでしょう、しかもめっちゃ食べるでしょう』と言ってくる人が結構多いのですが、本当の僕はお酒を飲まず普通の量しか食べられません。

価値のアービトラージは、様々な場面で発生します。AさんがBさんに対して発揮できなくても、Cさんに対しては発揮できることがあります。Aさんの一般分野に関する価値は他の人と大差ありませんが、ある分野に特定するとその他全員から先生呼ばわりされるほどの価値を持っていたりします。時間の経過によって価値が生まれることもあります。

てなわけで、人は自分にとっての『フツー』を今一度外界と照らし合わせながら客観視するべきだ、というのが僕の考えです。そうすることにより、自分が気づいていた自分の魅力以外に、自分が気づいていなかった自分の魅力というのが表に出てきます。そしてその魅力を発見した嬉しさにより、様々な活動が活発化し、加速していくのです。

僕がEXILEの名前を全員覚えていることも『フツー』なら、AKBの神セブンを迷わず言えるのも『フツー』です。スラムダンクなんぞほぼほぼ全巻どこに何が書いてあるか記憶していますが、それもまた僕にとっては『フツー』です。僕以外のほとんどの人から見たら異常なのに・・・

『YouはShock』な『フツー』、持ってませんか?

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一週間ぶりで怪我して携帯お釈迦


約一週間に及ぶお休み、という名の会社の表彰旅行に身を任せ、インドネシアはバリに滞在してきました。ということでブログは一週間空きましたがご愛嬌。今日は復帰初日ということで短めで失礼します。


会社のコンベンションは入社以来毎年達成して毎年参加させていただいていますが、こういったイベントを必ず実施してくれる会社に感謝です。

顔に似合わず会社へのロイヤルティは高い方だと思います笑。家族に『パパは頑張ってるんだぞ!』と大声で叫ぶととても格好悪いのですが、会社がそれを大々的に代理して行ってくれるので、毎年毎年非常に有難いイベントです。


その間、普段負担をかけている家族をもてなしたり(?)、バリニーズマッサージに行きまくったり、飽きもせず毎日毎日ナシゴレンばかりを食べたりしていました。

が、プチ不幸にも見舞われました。娘を抱っこしたまま狭い場所を歩いていたら足を踏み外し、ふくらはぎとくるぶしに結構な傷を負うハメになりました。

後で気づきましたが捻挫もバッチリしていて、なかなかに歩くのが難儀になっていました。また別日には、思わぬ水災に見舞われて、携帯がお釈迦となってしまいました。

連絡先などは保存をしていましたが、大切な大切な娘の成長記録とも言える写真の数々はオジャンに・・・


が、怪我をしたときも携帯をやっちまったときも、以前の僕と明らかに違うなと思う点が一つありました。それは、


『あ~あ、ま、しょうがないや』


と一秒で立ち直ったことです。今までの僕であれば、わざわざリゾート地まで来て怪我をしたり、携帯をお釈迦にしてしまったら、それがどんなに悔やんでも変わらないことと分かっていても、かなりの時間凹んでいたはずです。

そしてそれは場合によっては、楽しい楽しいコンベンションの雰囲気自体をぶち壊し、悪しき記憶に残っていたという可能性も否定出来なかったりします。


が、今回は違いました。本当に一秒で立ち直りました。だって仕方ないじゃん、起きちゃったことは。タイムマシンで過去に戻れるわけじゃなしに。


ちなみに今回のこの(自分では)驚くべき心情の安定っぷりを自己分析してみたところ、一つだけ心当たりがあることに気づきました。それは、特にこの半年間に関して


『行動のみにフォーカスしている』


ということです。この半年というのは、ブログを書き始めてからの期間です。仲間とブログを書き始めて半年経つわけですが、このしばしの間、僕はずっと『行動』にフォーカスを当てて時間を過ごしてきたと断言できます。

なぜならブログを毎日書くから。それは、決して誰かが代替してくれるわけでも、そして毎日書いてるからといって瞬時に書き上がるものでもなく、また一方毎日枯渇しゆくネタを掘り起こしながら書き続けてきた時間の積み重ねです。投下した時間は全て『ブログを書く』という『行動』でした。考えていただけではなく、『行動』でした。


『行動』は、これから何をするかを決め、それを実行することです。過去に何を考えていたかを振り返り、過去に向かって思考を巡らせることではありません。また、その場に立ち止まることが許される行為でもありません。『行動』とは、前に進むことです。


ブログを毎日書く事を通して、僕はこの『行動』ということについて、今までの人生に比肩するものがないぐらい、鍛えられてきたと思います。方向はあっち行ったりこっち行ったりしたかもしれませんが、確実に前に進んできました。

一歩しか進めない日も、一気に十歩進めた日もあります。でも、前に進むということを止めたことはありませんでした。


そういう半年間を経てきたからか、怪我をする、携帯をお釈迦にするという『YouはShock!!!』な事態に遭遇しても、思考が後ろに飛ぶことはありませんでした。だってしょうがないし。起きたことはしょうがないのです。

ということでさっさと切り替えてその後も遊ぶこと、リラックスすること、娘とイチャイチャすることに徹底して集中しました。おかげで過去最高に楽しめたといっても過言ではありません。(もちろん、日本に帰ってきてそれなりに大変でした・・・)


ブログを書くことの効能については、最近よく人にお話する機会があります。それはそれで自分の中でまとめになるのですが、機会があれば一度それら全て書き出してみようと思います。

単に『文章が上手くなる』、『頭が良くなる』程度の話ではなく、もっともっと根本的に人生を変える力があるような気がしています。いや、左記は既に断言できるレベルにまで確信が高まっていますね、正直なところ。


さて今午前3時半ですが、まだオフィスにいます。ということで帰ります。アディオス!


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我が人生に一片の悔いなし!

EXILEに見る成功哲学


我が家はEXILEが大好きだ。奥さんはその中でダントツATSUSHIが好きだ。
どれぐらい好きかというと、


▼EXILEの番組3つを全て毎週予約録画している。そして何故か僕はそれを毎日帰宅後に見てしまっている。
▼僕の弟が勝手に「EXILEボーカルバトルオーディション」にエントリーされそうになった。テニスの試合で遠征のため仕方なく断念しただけ。
▼超入手困難なはずのコンサートのチケットを、執念で年に1〜2回は当ててくる。
▼妊婦のくせに胎教と偽ってコンサートに参加。さすがに飛び跳ねはしなかったらしいけども。
▼コンサートですぐ目の前にイケメンTAKAHIRO君がいるにも関わらず、遠くのATSUSHIばかり見ていた。

それはさておき、最近のEXILEの躍進はすごい。押しも押されぬトップアーティストと言える。で、このEXILEの成功を、僕なりに分析してみた。通常、EXILEの強さは下記のように評価される。


▼特にボーカルATSUSHIの「奇跡の歌声」とも称される歌唱力
▼歌とダンスの高次元での融合
▼大事なことだが、全員がイケメン。かつマッチョ。
▼リーダーHIROの戦略性。(オーディションに落ちた参加者を自社でデビューさせる、など)

しかし僕の意見はちょっと違う。勿論上記も大事な大事な要素だけれども、それだけなら他にも当てはまるアーティストがいる。 EXILEをここまで押し上げたKey Diffentiatorについて、僕は彼らの成功要因をこう考えている。


1、リーダー、HIROが過去に大失敗、大挫折を経験している。

2、事業領域が広い。EXILEの定義は、「ボーカルグループ」ではなく、「エンターテインメントグループ」である。

3、EXILEの組成にオープンアーキテクチャー戦略をとっている。

4、徹底したコンプライアンス体制が敷かれている。

あれれ、ATSUSHIの歌声とかTAKAHIROがカッコいいとか、当たり前のことが書いてないぞ??そう、そうなんです。けれども、毎夜毎夜EXILEの番組を見てるからこそ、僕はこの4つこそ大事と思うのです。


1、リーダー、HIROが過去に大失敗、大挫折を経験している
IT産業のメッカ、シリコンバレーでは、日々生まれる新しい企業の経営者にベンチャーキャピタルやエンジェル投資家が投資する際、「その起業家が過去に失敗したことがちゃんとあるか?」を見るそう。

企業経営には山も谷もつきもので、特に逆境の際には過去に失敗した経験がモノを言うようで、失敗したこともない楽天的な人間には企業経営は任せられない、ということ。 本当に危ない瞬間を肌で知っているのと知らないのとでは、日々の危機管理が違ってくるのだろう。


ところで、リーダーHIROは、Choo Choo Trainの生みの親でもあるZOOのメンバーだった。この曲で大ヒットを飛ばし、チーム全体が有頂天になり、毎日酒を飲みまくり、結果登るのと同じような勢いで転落していき、たった一曲のヒットで解散に至った。一度登ったが故にその後の生活は惨めそのもので、そこから地道に地道に活動していった結果、今のようなモンスターグループを創るに至った。


メンバーが随時追加されるEXILEはメンバー間の意識にも当然差があるはずで、創生期メンバーと、EXILEが有名になってから入ってきたメンバーはやっぱり違う。HIROは武道館で講演をしようがCDがどんなに売れようが、またテレビでどんなにもてはやされようが、常々口をすっぱくして「調子に乗るな」ということをメンバーに言っている。調子に乗った結果、自分がどんな思いをしたかを何度も何度もメンバーに説き、EXILEが同じ運命を辿らないように、細心の注意を払っているのだ。

実るほどこうべを垂れることを知っている人がリーダーである組織は、非常に強い。ライブなどで盛り上がってくると、「おまえらぁ最高!」や「サンキュー!」などと声が荒くなるアーティストが多い中で、どんなにテンションの上がった場面でも「皆さん!」「ありがとう!」と、常に観衆に対するRespectを感じさせるその謙虚さは、なかなかのものだと思う。

自分たちという存在がファンによって活かされているということを、骨の髄まで全員が共有している、そう感じさせてくれる。


2、事業ドメインの定義が広い。EXILEの定義は、「ボーカルグループ」でも「ダンスグループ」でもなく、「エンターテインメントグループ」である。
事業ドメインの定義がこれほど大事だとは、という典型だろう。通常の「歌手」に分類されるアーティストが、CDがバカ売れした結果、本を書いたりドラマに出てみたりすると、「あれ?何か違う」とか「何やってんの?」というように、本業とのズレに妙な違和感を覚えたりする。

そしてそれは意外と的外れではなく、そういった本業以外に手を出しすぎたアーティストは、そのうち消えていくことが多い。 ちなみにEXILEは、まず歌う、そして踊る、以外に、演劇をやる、映画に出る、CMにも出る、テレビ番組も3つもち・・というように、かなり色々やっている。


それはひとえに、EXILEの事業ドメインの定義が、「エンターテインメントグループ」だからである。耳をよーくすませて何度聞いていても、自分たちのことを「ボーカルグループ」と呼んだことは一度もない。そして、「ボーカル」ではなく、「エンターテインメント」なのだから、上記に挙げたような歌うこと以外の活動も、なんら違和感なく正当化されることになる。

これはちょっとしたことのようで、非常に大事。「次はどんなエンターテインメントが出てくるんだろう?」と、ファンに失望でなく期待をさせるという点については、この事業ドメインの定義が全てを決定したといっても過言ではない。


3、EXILEの組成にオープンアーキテクチャー戦略をとっている。
「共感マーケティング」という言葉が流行ってきている。従来の供給と需要という対面の関係ではなく、商品の開発秘話などを通してある種の同じ感情を共有して、そのシンクロ=共感のもとに他社と差別化をして自社の商品を選んでいただく、そういったマーケティング手法だ。

EXILEはこれが非常に上手い。そしてその具体的な手法として、オープンアーキテクチャ戦略をとっている。(と言っても赤羽定義のため、本論とは別の場合もあります。国領先生ごめんなさい)オープンアーキテクチャ戦略とは、Linuxのように開発ソースと過程を公開し、世界中から知識と知恵を集めてよりベターに、よりベターにモノを作りこんでいくことである。限られたリソースのなかで四苦八苦するのではなく、それ自体を世界という外部に求めることで、今までにはないイノベーションを起こしていく。またその過程に集積する「想い」が、更なる「想い」を引き寄せていく。


EXILEはそういったイノベーションと共感を、過去2回行ったボーカルバトルオーディションを通じて常に起こしている。人はクオリティの高い商品をぱっと見せられるよりも、それがいかにして生み出されたのか?といった過程を含めて知ることが出来たほうが、その商品への愛着が沸いて来る。

同じように、EXILEは自らのグループがどのように現在に至ったか、メンバー集めからの過程をファンに見せることによってより多くの共感を呼び、より応援してもらえる組織になっているのである。


4、徹底したコンプライアンス体制が敷かれている。
あれほど歌がうまく、あれほどカッコいい集団だから間違っっいなく女性にモテるのに、浮いた話がひとつも聞こえてこないのは脅威、というか賞賛に値すると思う。前述のHIROの徹底した教えに違いないと断定してもいいが、14人という大軍団でここまで統制が取れているグループは他にない。

恋愛禁止を公言し、非常に厳しいことで有名だったモーニング娘ですら、途中からスキャンダルまみれになり、メンバーの入れ替えを余儀なくされたこととは対照的だ。


総じて、ここまで人気があって、ここまで事業展開が戦略的で、そしてここまでセルフコントロールがきちんと出来ているEXILEは、単なるいちファンのミーハーな視点も若干ありながらも、素直に敬意を表したい。人間、自己省察が出来なくなったら終わりだと常々思うけれども、こんなに素晴らしい見本がいるので、僕ももう少しがんばろうと思う。


余談だが、今回のボーカルバトルオーディションが終わったあとに、劇団EXILEのオーディションがあるらしいので、はそちらにエントリー(無断で)させるつもりです。

受験が必要だと思う理由あれこれ


受験戦争については昔から色々な議論があります。

最近ではゆとり教育の反動もあり、塾をはじめとした受験のための投資額もうなぎのぼり、受験戦争はますます強烈になりつつありますが、僕は個人の能力開発の側面から、受験はした方がいい、というか、絶対にすべきだと思っています。

受験戦争に対する反論としては、以下のようなものがあります。

1、幼い(概ね小学校を指す)頃からの競争、競争に晒すのではなく、のびのびと育ってほしい。
2、受験をしたからといって、報われるとは限らない。

僕自身、受験はイヤというほど経験してきました。当時の鬼教官である母の勧め(命令?)もあり、中学受験時には当時羨望の的だったスーパーファミコンとドラクエⅤを買ってほしいがために頑張り、高校受験の際は好きな女の子と同じ高校に通うためだけに頑張り、大学受験の時には(同じく鬼教官にぶっちゃけ諭吉様数枚で釣られたりもしましたが)さすがに多少なりとも将来を見据えて頑張りました。

最終的に大学受験に際し取り組んだ科目は、現代文、古文、英語、数学、世界史、倫理、地学でしたが、現時点で血肉になってるたなと声高らかに言えるものは、なんと悲しいことに英語ぐらいしかありません。数学なんて高校時代0点を取ったこともあり、、途中で分からなくなって「サインコサインウソクサイン」なんて覚えてました。

結論から言えば、学ぶ科目の知識や体系それ自体の習得に(勿論少なからず意味はありますが)意味はなく、受験に取り組むその経験こそが、人生の血肉になるのだと、今思います。

人生は目標達成の連続です。特に男性であれば人生の大半を割くことになる仕事に置き換えると、経営者であれば利益と社会貢献、営業であれば売り上げ、IT部署であればシステムの稼動率など、各人の役割は違えど、求められることは目標達成です。

定量化できる目標と定性的に判断するしかない目標がありますが、そのいずれにしろ、目標を定めて現状とのギャップを認識し、それを埋める努力を手持ちのリソースを駆使して行う、というプロセスは共通しています。

そして、その目標達成の度合いが大きい人材がいわゆる、「付加価値の高い人材」と定義されます。付加価値付加価値と巷で叫ばれているその意味は、この目標達成能力のことと同義と思われます。

翻って、実はまさに受験戦争における勉強そのものが、この目標達成のための格好のトレーニングとなっています。仕事での目標もそうですが、広すぎる範囲の全てを網羅することは土台無理なため、想定される範囲の中から優先順位をつけ、学術的な追求をする場合を除いては、いかに効率的に点数を取るかが求められます。

例えば、教科書を一ページめから一生懸命読んだり、単語帳を一言一句暗記しようとする人は必ず受験に落ちます。そうではなく、出題者の意図を読み、大よそのターゲットを決めて集中的に勉強し、それ以外はある意味捨てる、という作業がどうしても必要です。

この作業は、営業においてお客様の嗜好を感じ取り、どのニーズに応えるかを商品に落とし込み、販売するという作業となんら変わりありません。

もうひとつの理由としては、「社会に出てからいきなり目標達成を求められること自体がキツイ」ということです。通常四半期ごと、下手をすれば毎月の目標達成の成果が問われる社会人という環境に、何のトレーニングも積んでない人間がいきなりほうりこまれることほどみじめなことはありません。

のびのびとだけ育てられた人間や、十分なトレーニングを積んできていない人間は、のびのびとしたまま社会人になります。そうして経験したことのないプレッシャーにさらされると、人は今流行の欝になります。

ジムで5kgのダンベルも持ったことない人が、いきなり工事現場で20kgの角材は持てないでしょう。それと同じことです。

社会での目標達成という要求に従わない限り給与が保証されない以上、この目標達成という作業について、出来る限り早くから取り組んでTry and Errorを繰り返しておくべきというのが僕の持論です。そしてその格好の場が、受験ということです。

一般に子供時代の失敗は、どんなに失敗してもそれが全て経験となり、成長に寄与します。しかし大人になってから、社会人になってからの失敗は、勿論経験にはなるものの、やはりしてはいけない種類の失敗というのもあります。

なので、間違いが許されるうちに、しかもどうせなら将来いいスタートラインに立つためにも、受験戦争は経験しておくべきと思うのです。

グローバル化が進む社会の本質は競争です。「共存」とか「共栄」という言葉が流行る言葉の背後には、どうしても競争が前提としてあります。受験戦争の最前線にいた昔の私ですら、世界的に見れば甘い甘~い受験と言われています。

中国や韓国の受験戦争の熾烈さは日本の比ではなく、欧米の大学の実社会に対する発言力は日本の比ではありません。
そんな中で経済も人材も国内海外問わず競争にさらされる日がもうすぐそこまで来ています。

日本の国力も学力も低下が叫ばれていますが、ひとつは日本人の目標達成能力の低下による部分があると思います。とするならば、理不尽ともいえる環境である一定のトレーニングを積んで、日本人として体幹を鍛えることも必要ではないでしょうか。

僕はそれが受験だと思うのです。1日15時間勉強に没頭した当時の思ひ出についてはまたいずれ書きます。