無理をする


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みなさんこんぬつわ~、ご訪問有難うございます、羅王のブログです。驚異の偏差値『8』を叩き出した高校時代から始まった『The 補欠人生』にピリオドを打ち、8桁超えの自己投資を通じて人生のレギュラーを目指す軌跡と奇跡を備忘録兼ねて徒然なるままに記しました。大体30分で書いてますので瞬発力重視なのはご愛嬌。。貴方とのご縁に一片の悔いなし!
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今日は極真のトレーニングでした。毎度思うのです。きつい・・・。体力不足自慢の僕としては、身体の根底までほじくりかえされる感じです。毎回あしたのジョー状態で終わります。何故こんなきついことをやっているのか?を自分に問いかけてみたところ、今日ものすごくしっくりくる表現を見つけたのでシェアします。会社の壁紙に書いてありました。
「無理してないと、無理出来なくなる」 by KING カズ
さすがですね。まさにそう。それが言いたかった。平常時に無理をすることは大したことではないのです。勝負しなければならないときや、緊急時に無理をしなければならなくなったときに、「いつも通りに無理が出来る」というのはとても大切なことです。
無理をすることを「限界突破」と呼び変えても良いかもしれませんが、この限界突破には二種類あります。
①意図的な限界突破

②意図せざる限界突破
です。
前者はカズ選手が言及している通り自分のコントロールの範囲において出来ることですが、後者の場合は外圧によってそれが引き起こされるため、タイミングが読めないのと度合いが読めないのと、ダブルで読めません。要は限界突破はしたものの、パフォーマンスがどの程度か全く読めないのです。
加えて、意図せざる限界突破は、一度もレッドゾーンまでギアを引き上げていない新車と一緒で、どこで故障に見舞われるか分かりません。限界突破したはいいが、すぐにガタが来てそれまでの半分のパフォーマンスしか出せなかった、といのでは、そもそも限界突破した意味がありません。
フルマラソンに出ようとしている今の自分に関して例えて言うなら、今でもフルマラソンの「完走」はできると思います。が、僕が限界突破をするのはこのまま行くとフルマラソンの当日となり、一体全体自分がどんなパフォーマンスを発揮できるのか、あるいは出来ないのか、全く分かりません。一つ確実なのは、42.195kmという個人的に未踏の地に足を踏み入れるので、大幅に限界突破を強いられるだろうということだけです。
これは、悟空がスーパーサイヤ人になることと似ています。当初、親友クリリンをフリーザに殺されたことで激発してスーパーサイヤ人になったわけですが、それは怒りがもたらした単発の出来事でした。その後はスーパーサイヤ人に意図的になれるようになるまで相当苦労したようです。自分の限界値の更新も、その作業自体に慣れていなければよくよく行うのは難しい、とそういうわけです。
フルマラソンの例えに戻すと、普段から5km、10km、ハーフなどで限界突破の練習をしておけば、フルマラソン当日にどんな限界突破の型で挑めば良いか、自分なりによく分かります。さすがに当日自分を追い込むのは、とんでもない事態になるだけです。
限界突破をするにも、それに対する慣れや習慣化が必要、そんなことを空手の稽古をしながら感じました。実際それが一番きついんですが!
最後まで読んでいただき本当にありがとうございます!
我が人生に一片の悔いなし!

WBCのあのプレーの評価


ラオウへの道 あしたのために 今日の北斗剛掌波
『WBCのあのプレーの評価』
いつもお読みいただき本当にありがとうございます。一期一会に感謝します。
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本ブログは、8ケタを超える自己投資をしてきた羅王(ラオウではありません。似て非なる羅王です。)が、これまで学んできた知識、知恵、各業界のピークパフォーマー達からの教えを、備忘録兼ねて徒然なるままに記したものです。偏差値8を記録した高校時代から始まり、自らの秘孔を突いて隠された力を引き出し続けてきた我が軌跡が、迷える誰かの『一歩前へ』を応援することにつながればと心から願って、下記に今日のエントリをお送りします。我が人生に一片の悔いなし!
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少し前の話ですが、WBCがありました。対台湾戦で勝利に直結したスチールを決めた鳥谷選手は大絶賛、英雄視され、その後何回も特集されました。かたやプエルトリコ戦で敗因の一つとなったダブルスチールの失敗は、その後ボコボコに取り上げられ、山本監督を含めた何人もの『戦犯』が誕生してしまいました。
さて、英雄と戦犯の違いを分けたものはなんだったかというと、コンマ数秒の世界のタイミングの善し悪しです。たったそれだけ。たったそれだけで、天国と地獄に分かれてしまいました。
で、僕が気になるのは、結果が逆だったらどうなってたの?ということです。もしあのギリギリのスチールが相手捕手の強肩に阻まれていたとしたら、鳥谷選手は果たして英雄になれたのでしょうか?あれは英断だった、素晴らしい走りだった、しかしタイミングと相手が悪かった、と許されるのでしょうか?恐らく違います。今回の戦犯になってしまった方々と同様に、戦犯扱いとなっていたはずです。ボコボコにされたはずです。同じタイミングで同じ素晴らしいダッシュをしたとしてもです。
そして散々罵られたアバウトな指示や戦犯となった方々の判断の遅れは、もしダブルスチールが成功していたら、あの手この手であらゆる角度から賞賛されたことでしょう。あのアバウトな指示が選手の自主性を引き出した!とか、迷ったことが逆に素晴らしいフェイントになった!とか。たとえそれが同じようにアバウトな指示で、同じような判断の遅れが発生してたとしてもです。
つまり、やっていることは同じでも、たまたま出てしまった結果の如何によっては、それが最高にも最悪にもなる、それがプロスポーツの世界です。スポーツだから仕方ないことなのかもしれません。しかし、ほんのちょっとの差やたまたま発生したことに対して、人格や能力まで全肯定したり全否定したりをコロコロ変える『評論家』は好きになれません。それに迎合する人もです。素晴らしいプレーは素晴らしい、それで良いのではないかと思いますが、プロスポーツ故に結果が全ての評価を分けてしまいます。
世界が違うから仕方ないのかもしれませんが、僕は日常の生活において、そして自分の目の届く範囲においては、少なくともこの評論家視点をやめようと思いました。勿論メディアはそういうのを煽るようにしか出来ていないし、じゃあ何で評価するんだという別の問題が発生するにしても、そもそも生きている間に全てを評価しなければならないわけではありません。特に否定的評価に関しては、その多くが不要のように思えます。
『美点凝視』という考え方を最近特に大事だと感じています。鳥谷選手のプレーも、件のダブルスチールも、どちらもプロスポーツ選手の身体能力と決断力を最大限引き出した素晴らしいプレーだった、そのようにプレーを見た時に思えるような心の広い漢になりたいです。今はまだ山本監督にキレちゃうかも・・・?そして当たり前の話ですが、『評論家』ではなく、『プレイヤー』でありたいと思います。例えタッチアウトになるとしても、全力でプレーしたそれは、遠くから見てギャーギャー言うことよりよっぽど価値があることだと思うのです。
最後まで読んでいただきありがとうございます。
我が人生に一片の悔いなし!

初めてのバッターボックスまであと十数メートル


ラオウへの道 あしたのために 今日の北斗剛掌波
『初めてのバッターボックスまであと十数メートル』
いつもお読みいただき本当にありがとうございます。一期一会に感謝します。
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本ブログは、8ケタを超える自己投資をしてきた羅王(ラオウではありません。似て非なる羅王です。)が、これまで学んできた知識、知恵、各業界のピークパフォーマー達からの教えを、備忘録兼ねて徒然なるままに記したものです。偏差値8を記録した高校時代から始まり、自らの秘孔を突いて隠された力を引き出し続けてきた我が軌跡が、迷える誰かの『一歩前へ』を応援することにつながればと心から願って、下記に今日のエントリをお送りします。我が人生に一片の悔いなし!
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離職率=脱落率≠卒業率の極めて高い保険業界に身を置いているからか分かりませんが、僕はプロスポーツ選手を無条件に尊敬します。理由は主に二つ
1、身近にプロスポーツ選手がいるから
ご存知の方も多いと思いますが、コレです。
http://www.87pat.com/takero-akaba/
イケメンでしょ。ツケメンの僕とは大違いです。どこでDNAがズレたのか。。
ちなみに、親父は後期アンドレアガシに少しだけ似ているイラン系です。(http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%B3%E3%83%89%E3%83%AC%E3%83%BB%E3%82%A2%E3%82%AC%E3%82%B7)
普通の人にとって、プロスポーツ選手とはテレビの中の、大体はスター選手のことを指しますが、僕の場合はそれが家にいました。彼がプロとは全然かけ離れた子供のスポーツの世界にいた頃から、徐々に本格的に取り組んでいく姿、プロとアマの世界のどちらに生きるかを決めた転機となった試合や瞬間、プロとして駆け始めた頃、苦しむ姿、考えに考えに考え抜いた結果、引退を決めたことなどを見ていました。それはもう、普通のビジネスマン程度(=あたくし)には想像もつかない努力努力の世界で、これほど努力しても報われる人と報われない人がいるのかと半ば呆然とするほど。日常の異常な積み重ねが結果を形成する、資本主義以上に資本主義な世界です。スポーツは人を感動させる、ということを身をもって証明している姿は、本当に尊敬に値する姿でした。近いうちに弟についてはまた触れます。
2、極めてシビアな世界だから
スポットライトが当たるスターを僕たちは毎日見ますが、その裏側には何千倍もの報われなかったプレイヤーたちがいます。ビジネスマンの世界では、その世界のトップ20〜5%程度にいれば十分食べていくことができ、家族を養っていくこともできますが、スポーツの世界では僕の見たところ、まともに食べていけるのはトップ0.1〜0.01%だけです。逆にそれ以外の選手たちは、そのスポーツだけで生計を立てていくことは出来ません。トップ20〜5%程度であれば、どの業界であれ本人の後天的な努力だけで到達できると僕は断じていますが、トップ0.1〜0.01%となると、そこに必要なのは出自(ぶっちゃけ資金)、出逢い(良いコーチと出会えるかは子供にとって一生の問題)、そして言わんや才能や運が必要となってきます。ケガをしない頑強かつ柔軟な体というのも大事になってくるでしょう。努力だけでどうにもならない世界なんて、僕には想像もできません。きっと弟もそういう世界で戦っていたのだと思います。
ということでプロスポーツ選手はもれなく尊敬に値すると思っているわけですが、僕が購読している『選択』(http://www.sentaku.co.jp/lp/?gclid=CJP22Zv9tbYCFUE3pgodF2sAmw)で、毎回決して見逃せない記事があります。『不運の名選手たち』です。今月号にはプロ野球阪神のとある捕手の方が特集されていました。
・95年無名の公立高校にも関わらず、激戦区の兵庫でベスト16に
・1996年ドラフト6位、捕手で広島入団
ここまではありがちな高校生プロ野球選手です。そしてここからが長く苦しいプロ生活の始まりです。
・1年目の二軍キャンプで、最も凄いと思った投手が、その後一軍で二試合しか登板出来ない世界だった
・プロの球を捕れるようになるまで半年かかった
・二年目は二軍で37試合に出場
・三年目は有力な大学卒の捕手が入団し、出場機会がめっきり減った
ここまでもありがちな新人プロ野球選手です。ここから、見えそうな光と、日常のほとんどを支配する影が交差します。
・三年目終盤にユーティリティ性が買われ、一軍から声がかかった
・一軍最初の試合は代走だった
・五年目以降も、試合に出ることを最優先し、専門の捕手以外でも空きがあれば何でもやった
プロの世界は残酷だなと思う『飼い殺し』が始まります。
・毎年クビを言い渡されるのではないかとビクビクしていたが、それでもクビにならなかった
・理由は、ベテラン捕手の引退やドラフトでの捕手獲得失敗があったため、専門性の高いポジションゆえに球団としては『代わり』を手元に置いておきたかった
・とはいえ、メインになることは決してなかった
・控え捕手とは、『必要なくても必要』なのだと知った
ついにその日が来ます。
・結婚まで誓った、5年間交際した恋人と別れた。
・入団当時400万円だった給料が10年間ほとんど変わらなかったから
・2005年に初めて一軍の打席に立つ場面で、前の打者がダブルプレーとなり、打席まであとほんの十数メートル(=ネクストバッターサークル)で終わった。以後一軍の出番はなし。
・11年目のオフに解雇通告を受けた
・今はブルペン捕手。これも一年契約
読んでいて泣きそうになりました。プロスポーツ選手を無条件で尊敬してしまう理由として、もし3つ目があるとしたら、無数にいるであろうこういった選手に対しての気持ちであろうと思います。ぶっちゃけ、スポットライトを浴びているのであれば、どんな努力もできると僕は思うのです。勿論そこに至ったのは本人が素晴らしいプロセスを経たからであり、そのことに対する賞賛を惜しむものではありません。
しかし、努力しても努力しても報われない、でもその世界で生きていくことしか選択しない!という気概でずっと努力を続けていくこういう選手こそ、僕は尊敬に値すると思うのです。結果も出ない、誰からも注目されない、しかし同僚はバンバン活躍している、そういう状態で10年も努力するというのは、本当に本当に想像の範疇外です。
愚痴を言ってる暇があったら努力せいや、と世の居酒屋サラリーマンに言いたくなるのは、きっと普通の人よりも多く、頻繁に、そして現実的にこういうシビアな世界を感じる機会が僕には多いからではないか、と最近思います。読んでいて泣きそうになった記事ですが、反対に自分がどれだけ恵まれた環境下にいるのかも再認識した気がします。
たった一打席、晴れの舞台に立つために10年間を費やし、そしてそれが無になってしまった選手がいる、ということを、テレビには決して映らない世界がある、ということを、僕らは忘れてはいけないと思います。ラミレス選手が2000本安打を達成した、そういった偉業の裏にこういう世界があるのです。月並みですが、僕はもっと頑張らないとな、と思いました。
最後まで読んでいただきありがとうございます。
我が人生に一片の悔いなし!

W杯予選がイマイチ盛り上がらない理由


ラオウへの道 あしたのために 今日の北斗剛掌波
『W杯予選がイマイチ盛り上がらない理由』
いつもお読みいただき本当にありがとうございます。一期一会に感謝します。
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本ブログは、8ケタを超える自己投資をしてきた羅王(ラオウではありません。似て非なる羅王です。)が、これまで学んできた知識、知恵、各業界のピークパフォーマー達からの教えを、備忘録兼ねて徒然なるままに記したものです。偏差値8を記録した高校時代から始まり、自らの秘孔を突いて隠された力を引き出し続けてきた我が軌跡が、迷える誰かの『一歩前へ』を応援することにつながればと心から願って、下記に今日のエントリをお送りします。我が人生に一片の悔いなし!
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W杯予選、敗けてしまいましたね。これが勝負。これがW杯ってことです。
先立つこと数時間、同僚と会社で、『W杯盛り上がってないね』という会話をしていました。もちろんザックの存在、海外組と国内組のコントラスト、W杯5回連続出場間近ということで一定の盛り上がりを見せているわけですが、なんというか、野人岡野がゴールを決めてW杯初出場が決定したあの頃と比べると、もう雲泥の差のテンションのように思えるのです。
なんで?という話をしていたのですが、僕が思ったのは、インパクトでした。1994、98年当時は、僕がまだ高校生だったこともあるかもしれませんが、インパクトの強い選手が沢山いました。カズ、ゴン、中田ヒデなどの完全実力売りの選手をはじめ、汗をかく北澤、無言の柱谷、鉄壁の井原、顔の濃いラモス、なんか仲良さそうな奈良橋と相馬、イケメン川口、野人岡野などなど、今でも明確に思い出せるような選手が沢山いました。おそらく僕だけではなく、日本国民から見てもそうだったのではないか、と思っています。
それに比べると、確かに本田香川レベルだと誰でも知っていますが、それ以外の選手はというと、相当なサッカー好きでなければ名前を知らないのが今の日本代表です。それすなわち、インパクトの差なのかなと思ったわけです。
一方、同僚の意見は明確でした。曰く、
『強くなったから』
とのこと。
なるほど、これは確かにその通りです。W杯に出たくて出たくてたまらなくて、でも出れなくて、といった西野カナの歌詞ばりにW杯に出ることを熱望していた94年、98年W杯予選と違い、今回はもう5回連続です。出場するのが当たり前の状態なのです。
考えてみれば、94年、98年当時に、現役で海外クラブで活躍していたのは中田ヒデただ一人でした。それが今は主力選手の大半が海外組です。98年W杯予選で一躍ヒーローになった野人岡野は、今のザックジャパンでは代表候補の候補にすら選ばれないでしょう。それぐらい、いつの間にか日本は強くなったのです。そして強くなってW杯予選突破が当たり前のものになったので、国全体としても予選『ごとき』で盛り上がらなくなったのです。
つまり、盛り上がっていないことは若干寂しいことですが、そのこと自体は日本サッカーのレベルアップを示唆しているのです。印象深い選手は昔に多かったとしても、実力は今が全然上なのです。だから我々は、W杯出場どころか1次リーグ突破でも、あまり喜べなくなっているのかもしれません。
3歳の子供がひらがなの『あ』を書けたらみんな拍手しますが、大人が『あ』を書けても、誰も褒めてくれません。それは一般的に、大人の方が全てにおいて実力が上だからです。同様に、何かをしていて盛り上がらなくなってきたり興奮しなくなったり驚かなくなったりうろたえなくなったりしてきたとすれば、それは大いなるプラスのマンネリである可能性がとても高いということになります。次の段階に行けというサインなのです。そうしてまた、興奮したり驚いたりうろたえたりするような何かに取り組むことで、自分のレベルをどんどん上げていくことができます。そしてまたプラスのマンネリに陥り、次なるチャレンジを始めるのです。
W杯はもはや、出場でも1次リーグ突破でもなく、ベスト16、いやベスト8を狙う時期に来ています。WBCはもはや優勝以外認められなくなってきています。浅田真央ちゃんは優勝以外の時は悔しそうな顔をしています。柔道で金メダルを取れない選手は誰からも注目されません。それぞれプラスのマンネリと解釈を乗り越えて、もうそういう段階に来ているものばかりです。僕たちの日常生活においても、プラスのマンネリを感じることはいくらでもあると思います。そういう時は、次なる段階に進む用意が出来たという啓示だと解釈し、歩を前に進める準備をする時期に差し掛かっているということなのではないでしょうか。
てなわけでかくかくしかじかでマラソン走ることにしました。
最後まで読んでいただきありがとうございます。
我が人生に一片の悔いなし!

始まりはいつも突然に


ラオウへの道 あしたのために 今日の北斗剛掌波
『始まりはいつも突然に』
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僕は空港が大好きです。居並ぶ巨大な飛行機、何故か美味しく感じるレストランの数々、高すぎて買えないけど見ていて楽しいDuty Free、キレイなCAさんたち・・・。他にも色々あるのですが、細かいところで言うと、ゲートまで行くときのあの延々と続く動く歩道が好きです。普通の通路を歩いている人たちの2倍近いスピードで颯爽と歩くときのあの何とも言えない優越感。最近は大人になったのでやりませんが、逆走したときのあの何とも言えない進まない感。どちらも好きです。でもどちらかというと、普通に歩いているのに人の倍のスピードで歩ける前者の方が好きです。
当然のことですが、流れに沿って泳いだ方が、流れに逆らって泳ぐよりもはるかにラクで、はるかに遠くまで行くことができます。今更コダックのフィルムを売ったり、セーラームーンの人形を売るぐらいなら、デジカメを売ったり、プリキュアの人形を売る方がはるかにラクでしょうし、利益も得られると思います。世の中には敢えてコダックのフィルムにこだわったりセーラームーンにこだわる人もいますが、それは数十年前なら通用しても、今は全く通用しません。いわゆる時流を読む、ということがこれに該当するかと思います。
僕は人生においても、この時流を読むということをそれなりの大事にしています。サーフィンのように、流れが来たらとりあえず漕いでみてガッと波に乗るのです。失敗するかもしれない。コケるかもしれない。それでも、波を見逃すよりは何らかの変化が得られます。なので、最近はこの波の有無だけは絶対に見逃さないようにしています。波が白く泡立って、誰からも見えるようになるのは、大体において自分のところを通り過ぎたあとです。だから注意深く見る必要があります。
というわけで前置きが長くなりましたが、今日、目の前を波が通り過ぎようとしていたので、乗っかることにしました。
『マラソンやります!』
ある勉強会でマラソンの話になり、前の人と横の人と斜め前の人がマラソンをやっていて、僕は『ふーん、へー、ほー』と、適当に相槌を打っていました。勉強会の主催者の方が、すっと手を差し伸べてきたので、漢の挨拶かと思って堅く握り返しました。それは、参戦への意思表明と受け取られました。
大体において、物事が動き出すときはこんな感じです。戦略や打算が5%、残り95%はノリです。自分にとってプラスになるものであれば、人はそれをやるべきなのです。しかし多くの人がその前の段階で止まります。決断の直前に言い訳の達人、免許皆伝に昇格し、あれやこれやと出来ない理由を100も200も並べ立てます。そんな時、こういうふうに強制的にコミットさせてくれる仲間は最高にありがたいです。
ということで、やることになりました。87kgの身体で42.195kg。
ラオウになる前に、痩せることが必須となりそうです。11月の大会に出るらしいので、それに僕も出ます。
始まりはいつも突然に。。
最後まで読んでいただきありがとうございます。
我が人生に一片の悔いなし!

ダイビングキャッチはカッコ悪い


ラオウへの道 あしたのために 今日の北斗剛掌波
『ダイビングキャッチはカッコ悪い』
いつもお読みいただき本当にありがとうございます。一期一会に感謝します。
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駅伝にラグビーにサッカーに、正月から始まったスポーツの嵐も、ようやく落ち着こうとしています。そしてこれからは、3連覇を目指すWBCが始まります。体格に劣る日本が勝ち続けている、日本のお家芸と呼んでも良い機動力を生かした野球がまた見れそうです。
ところで、野球での花形と言えば、攻めはホームランですが、守りはダイビングキャッチやレーザービームです。今日はこのうちのダイビングキャッチについて触れたいと思います。
プロ野球の選手のプロとしての仕事に、『観客を楽しませる』というのがあるのは私も理解していますし、特に子供にとっては華麗なるダイビングキャッチというのは、憧れのプレーの一つだと思います。しかし、プロとしての『捕球』ということを第一に考えた時に、ダイビングキャッチそれ自体は素晴らしいのですが、もっと素晴らしいのは、ダイビングキャッチをしなくてもいいような体制を整えて捕球することです。
それぞれに異なる打者の癖を読み、その日の投手の配球を読み、どちらにボールが飛来する可能性が高いか、天候は、風は、ランナーは・・・など、全てを過去の膨大なデータと照らし合わせて瞬時に判断し、恐らくはこのエリアに飛んでくるであろうエリアに先にポジションを取っておく。あるいは、打球が上がったと同時に、外野手特有の経験値で、打球音からおおよその位置を判断し、全力でその場所まで走り、捕球体制を取っておく。こういったことが出来れば、どぎつい球が飛んでこない限りは、ダイビングキャッチは必要ありません。
逆に、ダイビングキャッチが必要な時というのは、飛んで来る打球が厳しくて本当にそれが必要な場合と、準備が悪く動き出しが遅いためにそれが必要になってしまう場合というのがあります。後者の場合は、カイゼンの余地があります。また、もっと悪い場合として、ダイビングキャッチにトライすることそのものに酔ってしまい、全然届かない球にダイビングするというケースもあります。『俺はこれだけ頑張ったんだ!』と周りにアピールしたいがためです。絶対に届かないと分かっていても、それでもダイビングキャッチに挑む自分が好きなだけ、という場合です。そこに、捕球に対するこだわりはありません。
そういう意味で、内野手の例ですが、全盛期のヤクルトの宮本選手は昔から本当のプロフェッショナルと言われていました。打球が早く押し寄せる内野においてダイビングキャッチが少ないのに、何故かいつもボールが来る場所に身構えているのです。それゆえいつも簡単に処理をしているように見えるし、特に派手なプレーもないのですが、その簡単に見えるプレーこそが、ホンモノのプロフェッショナルだと言えます。それは、宮本選手がプレーそのものという氷山の一角を表現するまでに準備をした、
『氷山の一角以外の部分』
が膨大にあるからです。
割合で言えば、氷山の一角が3%程であるのに対し、それ以外の部分は97%ほどもあるでしょう。それほどの膨大な準備があるということです。
一度テレビの特集で見たのですが、宮本選手は打者がバットを振る直前に、2〜3歩移動します。予知能力あるの?と言いそうなぐらい、わずかでしかし確実な予知に似た力を発現させ、打球が来るであろうところにポジションを取り、いとも簡単に捕球をしていました。ダイビングキャッチで捕球するその他のプロよりも、よほどカッコイイなと感じたことを覚えています。
翻って、私はモロにダイビングキャッチ人間です。ファインプレーが大好きです。日頃打てなくても、たまにホームラン打つから許してねという人間です。ですが最近、宮本選手型人間にシフトチェンジしようと思って色々考えています。やはり我々はプロですから、少しでも正確に、再現性のあるプレーをいつでも繰り出せるよう、膨大なる準備をして、自分でも驚くような成果をたまに出すというよりは、いつも予定通りの成果を出す、という方が、結果的に安定したパフォーマンスを発揮できるのではないかと感じます。
上段蹴りよりも下段蹴り、オーバーヘッドキックよりもインサイドキック、2日連続徹夜よりも毎日5時起き、100m走よりもマラソン、アップルよりもウィンドウズ(?)といった感じで、ダイビングキャッチよりも、正面で打球を捕まえられるようプレーしたいと思います。
最後まで読んでいただきありがとうございます。
今日も良い一日を!

これからの筋トレの話をしよう その2


ラオウへの道 あしたのために 今日の北斗剛掌波
『これからの筋トレの話をしよう その2』
はやりのタイトルのパクリで懲りずにその2について。筋トレというと、多くの人にとってはただ鍛えるのみならず、それがある種目のパフォーマンス向上に役立つものとして取り組みます。(勿論筋トレが目的で筋トレをしている人も山ほどいます。)その際、どのスポーツにおいてどこを鍛えるべきかということは、その種目をあまり知らない素人の側から見たときに、少し意外な場合もあります。
ボクシングはパンチのスポーツです。しかしその本質は脚力のスポーツです。常人であれば1R3分すらまともに動くことが出来ない世界で、それを10Rもこなします。そのためには、これまた常人には理解出来ないほどの走り込みが必要で、膨大な練習量の結果、並ではない肺活量をボクサーは持ちます。また、できるだけ強いパンチを打てる方がいいのは当然ですが、実はその場合、鍛えるべきは胸筋ではなく背筋です。胸筋を使って巻き込むように打つのではなく、背筋を使って押し出すように打つと威力が高まります。
テニスは手でラケットをコントロールしてボールをショットするスポーツですが、業界では『テニスは足ニス』と呼ばれています。歴代ナンバーワンのロジャーフェデラーという選手がいます。圧倒的な強さで一時代を築きました。少し前に、フェデラーの強さについての記事があり、もし手に入るとしたら、彼の能力のうちでなにがほしい?とライバルたちにインタビューをしました。フォアハンドの威力とかラケットワークとか総合力とかメンタルとか、様々な答えが出ました。しかし、一番多かったのは、『フェデラーのフットワークがほしい』というもの。原理上、テニスはボールが来た時にベストな場所にベストなタイミングで入れた者がポイントを取ります。ですからほとんどの場合、そのポイントはボールを爆裂的な勢いで打つほんの少し前に決まってしまっています。フェデラーは、自身がベストパフォーマンスを発揮出来るようにフットワークを世界一うまくコントロールしている選手です。
アムロちゃんやAKBをみていて、スポーツをやっている者として、一番凄いなと思うのは、そのパフォーマンスの質や踊りの速さではなく、単純な肺活量です。よくあんだけ動きながら歌えるなと。。カラオケでやってみるとわかりますが、仮に歩きながらカラオケを歌ったとしても、一般人では恐らく一曲持たないのではないでしょうか。
このように世の中には、スゴイ!と思える成果をよくよく分析してみると、一見して重要そうなものが大した競争優位を生んでおらず、一見して関係がなさそうなものが非常に重要なポジションを占めているということがよくあります。見えているところだけでなく、巡り巡って未来につながる、しかし今は目に見えない小さな部分を鍛えて強化する、ということは、目に見えてるものが溢れてしまっている時代には非常に大切な考え方になるのではないかなと思います。より強いパンチを打ちたいときに、腕や胸筋でなく背筋を鍛える必要があるように、より大きな成果を追求したときに、打つべき打ち手は時に逆張りだったりします。成長は時に、一見すると逆走に見える走り込みが必要になります。
大いなる模倣はオリジナルを超えると信じて、それをつなぎ合わせてオリジナルを紡ぎつづけてきた私ですが、模倣の際に見えてる部分だけでなく、見えない競争力の源泉を見極めることが肝要な時代になってきてると思います。
すごい人の成果の源には、大抵の場合、圧倒的な下半身の力があるものです。そしてそれは、一見関係ないところにあるので、よーく見なければ猿真似で終わってしまいます。。

これからの筋トレの話をしよう その1


ラオウへの道 あしたのために 今日の北斗剛掌波
『これからの筋トレの話をしよう その1』
私の筋トレの話ではありません。
100m走といえば、オリンピック競技の花形で、ここ数年はウサインボルトがタイトルを総なめにしています。昔、素朴な疑問として思っていたのですが、何故100m走というあっという間に終わる競技なのに、あんなにムキムキした人が多いんだろうと。足だけ鍛えればいいんじゃないの?と。
上半身を鍛えることは一定のメリットがありそうですが、こと100m走に限ってみるならば、一定のデメリットもありそうに見えます。まず、筋肉が増えることにより、エネルギーが多く必要になり疲労する可能性が高くなること。次に単純に重くなることにより遅くなること。最後に面積が大きくなることで抵抗が大きくなること。
あるきっかけがあり、その解を知りました。ヒントは、100m走選手の最大の敵は何か?ということです。
答えは、
『空気の壁』
人類が過去に到達したことがないような圧倒的なスピードで走ると、無酸素運動終盤の最後の数十メートルで、強烈な空気の壁に行く手を阻まれるそうです。だからその壁をぶち破るためには、かなりの上半身の筋肉が必要だと。確かに、あまり早くない私が全力で走っても、疲れてくると何かに邪魔されているような感覚になります。それにしてもマチョメンな人が多いので、超一流の世界では、空気の壁がよっぽどな障壁となっているのだと思います。鍛えずに軽いまま空気の壁に負けるより、多少重くデカくなってしまっても、空気の壁を筋肉でぶち破っていくんだそうな。
さて、毎度のことながらこれも人生に置き換えると、様々なことを示唆することができます。
なにかこれと決めて、人と違うレベルの成果を出そうとしたとき、多くの場合に、走れば走るほど、スピードが出ればでるほど、巨大なる空気の壁=人間界における毀誉褒貶、妬み嫉み、力や影響力のある他人からの『そんなんじゃ意味ないよ』的な発言、あるいは自身の中の悪魔の囁き、が行く手を遮ります。そしてそれは、求めるものが大きくなればなるほど、立ちはだかり方も半端じゃなくなります。これはとてもツライことです。大変です。
空気の壁が分厚くて動かなくてツライ。その時どうすればいいのでしょうか。
一番カンタンなのは、スピードを緩め、空気の壁を意識しなくてもいいようなスピードまで速度を落とすこと。
カンタンですね。でも誰もそんなの望んでないですね。諦めることは一番カンタンで、そして一番無価値なことです。振り返って、他の誰よりも自分がそのことに傷つき、後悔します。
ではもう一つの方法はなんでしょう。それは、圧倒的に圧倒的な成果を以てさっさとゴールテープをきること。そしたら周りが変わります。そしてそのためには、一見すると無駄に見える上半身の筋肉を鍛え、外堀から邪魔してくる空気の壁をぶち破ること。この一見すると無駄に見える部分を鍛えるということが、これからの筋トレ=成長のために自分にかけるあらゆる負荷、にとってますます重要な意味を持ってきます。詳しくはその2で述べていきたいと思います。

W杯の感動と突きつけられた事実に我思ふ


先日の国中が大感動した日本対パラグアイ戦に引き続き、事実上の決勝戦といってもおかしくないドイツ対スペインなど、連日寝れない日が続いている。
日本代表は本当に良くやってくれた。久々に感動し、パワーをもらえたと思う。しかしまた一方で、いくらベスト4ベスト4とは言っても、世界との差がそれなりに、しかしはっきりとあるということを実感させられたのが今回のW杯だ。
世界との差という点について、いくつか言われている定説があるが、それらのうちほとんどは言い訳に過ぎないのではないか、と、サッカー歴10年、万年中途半端プレイヤーだった僕は思う。以下の点が良く言われている。
技術:確かに差はある。しかし、「何の」技術か?ということについては、一考の余地があると思う。FKの技術や、ドリブルそのものの技術というのは、日本人はめちゃめちゃ上手いとは言わないまでも、まぁまぁのレベルにあると思う。
フィジカル①(体格):ドイツなどの巨人族を除けば、今回のW杯は概して大きいチームというのは少ない。無敵艦隊スペインなどは、攻撃陣に至っては日本人よりも小さい170cm台の選手がゴロゴロいる。しかしながら、彼らの当たりの強さはハンパではないらしい。だからこれは言い訳。
フィジカル②(体力):とある統計では、実は日本人のオフザボール(ボールを持っていないとき)の運動量は世界一なのだそう。今回のW杯でも、世界トップ10のうち、なんと5〜6人が日本人選手なのだ。それが持ち味ということも言えるかもしれないが、無駄な動きが多いとも言えるかもしれない。気合と根性は、最低限必要ではあるけども、重要なdifferentiatorにはならないようだ。
スピード:日本人選手は、特別速くもないが、遅いわけでもない。個別に見れば、長友や田中達也は早い方だと思う。今回大躍進のドイツ人の動きは、ダイナミックだが決して速いようには見えない。
競技人口:一般的にスポーツの強さは、競技人口に比例すると言われる。が、人口500万人のパラグアイがあれだけ強いということは、そうも言えないということか。
競技環境:欧米には負けるにしても、南米やアフリカ選手より劣悪な環境でサッカーに取り組まなければいけない日本人選手が、どれだけいることだろう。
ハングリー精神:ハングリー精神という意味では希薄な日本人も、練習で毎日ハードワークをこなす日本人は、気合と根性でその代替を十分に果たしているはずだろう。
戦略戦術:データ分析が大好きで、世界中の優れた戦略戦術を取り入れまくっている日本人、頭も良いため、これが差かどうかは怪しい。
ということで、一般的に言われている世界との差という意味では、最上段の技術しか今のところ見当たらない。で、それが何の技術か?ということについて、今月号の
クーリエジャポンに面白い記述があった。オランダの名門クラブ、アヤックスの下部組織の特集で、このクラブの目的は様々なところからスカウトしてきたダイヤの原石を徹底的に磨き上げ、トップチームで活躍させたあと、各国のビッグクラブに巨額で売り渡すというもの。しかし巨額の「商品」にしたてあげるために、徹底的に走らせてサッカー漬けにして負荷をかけて鍛えるのかと思ったら、それがそうでもない。小学生までは週3日程度、一日数時間の練習、高学年でも、週5日までと、大事な「商品」を酷使することはない。
代わりに変わっているのが練習メニュー。日本だと、トラップやパス練はウォーミングアップで行われ、その後フォーメーションプレーやセットプレーの練習、1対1のドリブル練習などを行う。しかし、アヤックスの下部組織では日本のアップ練習に過ぎないパス、トラップ練習を延々と続ける。延々と続ける。そしてまた同じことを延々と続けるのだ。

スペースの狭い現代サッカーでは、メッシやロッベンなどの特異な選手は別として、基本的には長短織り交ぜたパスサッカーが主体となる。その最高峰とも言えるスペインのサッカーを見ていると、とにかく展開が速い。さらに良く見てみると、圧倒的に、「来たボールを止める」、「蹴りやすい方向にボールを落とす」、「望む方向にボールを蹴る」の三つの動作がしっかりしている。そしてそれが異常に早い。小さい頃から徹底的にボールを止めて蹴ることを繰り返してきた彼らと、体力に重点を置きながら様々なフォーメーションプレーを薄く浅くやってきた日本人選手との違いが、サッカーの展開力の違いに現れているように見える。
経済学の世界から経営学によく曲解して引用されるパレートの法則では、20%の優先事項が80%の成果を決めると言われている。サッカーで一番多いプレーが、力強いヘディングでもなく華麗なドリブルでもなく、ボールを止めて蹴るという極めて単純な動作であることを考えると、そこに練習のほぼ全てを当て込んでいるアヤックス下部組織の練習方針は理に叶っているように見えるし、事実世界中どこの強豪チームを探しても、トラップとキックが下手な選手がいるチームはない。
スポーツにしろ人生にしろ、努力することは最低限で必要。トップになりたければ、それこそ尋常ではない努力が必要。しかし、その努力の矛先も考えておいたほうが、結果が全ての世界ではベターな気がする、ということを気づかせてくれたW杯でした。
ちなみに補足すると、プロテニスプレイヤーの弟は今毎月のように海外遠征に行っていて、「なんで海外の奴らは練習あんまりしないのに本番にあんなに強いんだ!!!」と嘆いていましたとさ。
これも同じような要素が原因なんじゃないかと思って弟にアドバイスしようと思ったけども、弟は僕の100倍テニスが上手いので、止めておいた。