プロは五合目から登る


 

8月に富士山に初登山することになりました。勉強会仲間に先輩風をビュンビュン吹かせながらプレッシャーをかけて企画してもらったのですが、日本一の山、今から楽しみです。関係ない話を思い出しました。昔の上司が『オレは登頂する』と巨体を震わせながら言って一般職の女性とご飯を賭け、見事賭けに勝ったのですが、後で裏から情報を集めたら8合目でダウンしていて、そこでご来光写真を撮ったという虚偽報告罪を犯していました。これぞ漢の(良くない方の)プライドだなと恐れ入ったものです。
さてどこから登るかということですが、当然5合目から登ります。麓から登ったりはしません。それはそれで価値があるような気もしますが、僕は樹海で迷いたくはありません。勉強会仲間のH氏にお願いして、素人同然の僕らが確実に登頂を出来るようにお願いしています。目的は登頂です。
アマチュアは努力で、プロは結果をで評価されると言われています。が、考えてみたいのは、どの分野にせよ、得たい結果を明確にしたならば、そこに関してはある期間プロに徹する必要がある、つまり結果に焦点を合わせる必要があるのではないかということです。今回の例で言えば、素人ながらの富士山の登頂が目的なので、そこに関してはプロのアドバイスに従い、プロの推奨する装備や方法で登る必要があります。しかるべき時以外にペースを上げたり、余裕があるからと休憩を甘く見るようでは、結果は火を見るより明らかです。
確かに努力を重視しよう!ということでTシャツ一枚と短パンで麓から登り始めたらカッコイイでしょう。しかしまもなく寒くて動けなくなります。ツラい思いをすることが評価されるなら何よりの賞賛に値しますが、きっと多くの方はそうではないと思います。何より、こういう人がテレビに映ってたら、『山を知らないバカモノめ』と皆さんお怒りになるのではないでしょうか?
プロであること=結果を重視=登頂する/ご来光を見る、を重視するなら、五合目から登る、当たり前のようですが、これはどうやら鉄則のようです。
登山に限らず、このことは日常生活にも、仕事にも当てはまります。特別なことではありません、皆やっていることです。東京大阪間を移動するのに、走っていく人は現代にまずいません。尊い努力よりも、早く到着するという結果のために新幹線や飛行機を活用します。それと基本は同じ。
営業という立場で見ると、全くの白地は0合目からの登山であるのに対し、既存顧客のご紹介をいただいてお客様にお逢いするのはまさに5合目からのスタートとなります。登頂は約束されていませんが、信頼という上り坂は超えています。人に何かをお願いするときに、気遣いの枕詞を入れるか入れないかで、0合目からのスタートか5合目からのスタートかは決まるでしょう。

一概には言えませんが、毎日うまくいくか分からない仕事の取り組み方をするよりも、毎日スタートした時点である程度成果が見えるような働き方をすべきでしょう。具体的には会社員の人であれば計画を立てる、料理人さんであれば前日に仕込みを行う、などが該当します。
ゴルフを始めるときに、100回ラウンドに行きまくるのと、ゴルフスクールで守破離の守を習ってからラウンドするのとでは、基本を身につけている分その後の成長スピードが変わります。何事につけ、結果を求められる分野であれば仕事でも趣味でも家庭でも、その瞬間はプロであることが必要です。そしてプロなのであれば、今登ろうとしている登り方は0合目からの無謀アタックなのか、5合目からの結果重視アタックなのか、よくよく考えて後者を選ぶことが求められます。
さてさて今思いついたのですが、富士山登頂に万全を期したければ、『ヘリをチャーターする』というナイスなアイデアがありました!ただこれは、残念ながらたぶん一番恥ずかしい登頂方法になってしまうので、やめときます。アーメン。
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冬の終わりに冬服を買わない不思議


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みなさんこんぬつわ~、ご訪問有難うございます、羅王のブログです。驚異の偏差値『8』を叩き出した高校時代から始まった『The 補欠人生』にピリオドを打ち、8桁超えの自己投資を通じて人生のレギュラーを目指す軌跡と奇跡を備忘録兼ねて徒然なるままに記しました。大体30分で書いてますので瞬発力重視なのはご愛嬌。。貴方とのご縁に一片の悔いなし!
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毎年毎年不思議に思うことがあります。「何でみんな夏に夏服を、冬に冬服を買ってるんだろう?」と。価格面で見れば、夏の終わりに夏服を、冬の終わりに冬服を買えば、あるいは真逆の季節の服を買えば、何割も安く買うことができます。が、ほとんどの人はそれをしません。
一つの理由としては、「ナウい」ものを着たいというのがあるのかもしれません。でもそんなタイムリーに流行にキャッチアップできるのは一部のおしゃれさんに限った話。本質は違うと僕は見ています。すなわち、「あれだけ寒かったことを、暖かくなりつつある時期に思い出せないから」ではないかと思っています。
冬がの厳しい寒さが終わりかけて暖かくなりはじめている3月に、いくら安くても重厚なコートを見せられて、「来年にはきっと良かったと思えるはず」と鉄の意志を以て購入を決断できる人は、そんなに多くありません。多くの人は、「げ、こんなの暑いじゃん。また来年にしよ」と、来年になって正規の値段でブツを手に入れるのです。
思うに、人間というのは非常に賢い生物である一方、「記憶を記憶出来ない」という側面も持っています。上記に述べた冬のコートの例しかり、他の例しかりです。
例えば健康。あれだけのたうち回るほど痛い思いをした骨折も、治ってしばらくしてみれば、「なんだっけ?」と思うことはしばしばです。あれだけ辛かった受験勉強、こんな思いするなら死にたいと思ってたとしても、同じようなテンションで今も死にたいと思える人はいないでしょう。誰か大切な人を亡くして一週間の人は悲しみに打ちひしがれていますが、それから1年経っている人は全く同じように悲しむというよりは、新たな生活に向けて一歩を踏み出していることでしょう。
人間は、「記憶を記憶出来ない」生き物です。
とするならば、今自分がどんな状態にいるのであれ、これから望む状態に自分自身を書き換えることがいくらでもできるのではないか、そう考えても差し支えないのではないでしょうか。まさに「他人と過去は変えられない、自分と未来は変えられる」を地でいくような作業ですね。
人間は本来、過去の積み重ねで今があります。だから今起きていることは、みーんなあなた自身の責任なんですよ、とよく言われている通り。しかしながら、所詮は過去の積み重ねなので、以後積み重ねていくものは自分で選ぶことができます。その質、その量において、自分に裁量権があるわけです。
だから仮に僕がどんなダメ人間だったとしても、それに気づいた時からの選択によっては、未来を輝くものにしていくことができます。「忘れられないよ」という甘酸っぱい記憶やツラい記憶、「忘れたいよ」という絶望的な記憶も、積み重ねていく質と量を望ましいものにコントロールしていく過程で、綺麗さっぱり「良い記憶」に様変わりします。
零下40℃の激甚的に寒い場所に放り出されてガタガタ震えていたとしても、温泉に入った瞬間にその記憶は塗り替えられてしまいます。人間って、意外とそんなもん。
だから今どんな状況にあったとしてもそれはそれ。そしてこれから積み重ねていくものも、それはそれです。過去の延長戦上に未来があるようでいて、実は好意的な意味で断絶させることは可能です。
「人間は記憶を記憶出来ない」という性質を活用して、マイナスな記憶はプラスに、プラスの記憶はもっと記憶に出来たら、人生楽しくなるんじゃーないでしょーか。
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自転車は一気呵成に漕げ


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みなさんこんぬつわ~、ご訪問有難うございます、羅王のブログです。驚異の偏差値『8』を叩き出した高校時代から始まった『The 補欠人生』にピリオドを打ち、8桁超えの自己投資を通じて人生のレギュラーを目指す軌跡と奇跡を備忘録兼ねて徒然なるままに記しました。大体30分で書いてますので瞬発力重視なのはご愛嬌。。貴方とのご縁に一片の悔いなし!
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このブログにしてもそうですが、この半年で今までにないスピードで多くのことを始めたり立ち上げたりしました。全て「いつかやろうと思ってたけど先延ばし先延ばしになってたこと」ですが、師匠や仲間にケツを蹴られて(渋々ながら)始めることにしました。
当たり前のことですが、新しいことを始めると軌道に乗せるのにある程度の時間と苦労を要します。予想以上にうまくいくこともあれば、予想以上にうまくいかないこともあり、まさに手探りです。それらをいかに早く的確に軌道に乗せるかというのが僕の腕の見せどころなのですが、なにぶんやったことないことばかりなので、そうそううまくもいきません。
が、コツのようなものは分かってきました。それは、
「一気呵成に取り組み、カタをつけること」。
それがうまくいこうがいくまいが、一気呵成に取り組んでカタをつけようとするのと、そうではないのとでは、実際後から振り返るとかなりの差が出ているように思います。これはあたかも自転車を漕ぐことと同じです。自転車は、漕ぎ続けないとあっという間に倒れてしまいます。そして当然のことながら前にも進めません。漕いだり漕がなかったりを繰り返した場合、漕ぎ続けた時よりも実は体力の消耗が大きく、そして全くもって前に進みません。また、初速をつけて一気に漕ぐと、その後はスピードに乗るのが非常に容易になります。
そんなことは誰しもわかっていることなのですが、それがこと仕事や趣味になると、途端に人は漕いだり漕がなかったりを繰り返します。
これは脳の認知ギャップで、恐らくは休む=ラク、と勘違いしてしまっているのですが、自転車でもマラソンでも仕事でも趣味でも、実際はあくせく突っ走っている時の方が疲れないのです。多くの方が経験されたことがあるのではないでしょうか?
プロのスポーツ選手の格言に、「肉体の限界ラインのはるか手前に精神の限界ラインが存在する」というのがあります。「もうダメだ」と思っても、カラダは追い込めばまだまだ動くというアレです。これは極真やテニスやサッカーなどのどのスポーツに取り組んでも自分に当てはまることでしたし、あるいは人生そのものにも当てはまるのではないかと思っています。
結局のところ、自転車を漕ぎ続けて消耗する体力そのものよりも、漕いだり漕がなかったりを繰り返して前に進んでいないストレスを抱えたり、自分は自転車すら漕げないのかといった自己嫌悪感だったり、目標達成がうまくいかないことに対する失望感だったりといった精神面の低下の方が、人間にとってはツラかったりするのです。人間の感情は計算できませんが、恐らくがっとトップスピードに乗ってあとはスイスイいったときの大変さと、漕いだり漕がなかったりまた漕いだりを繰り返した時の大変さというのは、後者が前者の数十倍になるはずです。
人間、意外と動いてる時は疲れません。自転車も、漕いでるうちは止まりませんし、方向が間違っていたとしても前に進むことができます。最初にがっと漕いでしまえば、あとはスイスイです。だったら漕ごうよオレ。トップスピードにもってこうよオレ。そんなことを自分に言いたくて、ちょいと書いてみました。今回りに怒涛の勢いで自転車を漕いでいる仲間が大勢いるので、必死に食らいついていきたいと思います。
漕いだり漕がなかったりよりも、「一気呵成に漕ぐ」
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集団の力


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うちの娘は3歳になります。最近ではだいぶ色んなことが出来るようになってきて、テレビのプリキュアのセリフを暗唱したり幼稚園で仕入れてきた歌を歌ったりしています。よくぞそんなことできるのね!?と思うような芸のオンパレードを毎日見せてくれるわけですが、1歳過ぎに保育園に入れたばかりの頃は、泣き喚いてそれはそれはひどいものでした。
生活のリズムもそれまでと異なるため、しばらくは本当にずーっと泣き喚く毎日だったようですが、あるときからぴたりとそれが止みました。そして、きちんと保育園で他のお友達たちと同じように同じ時間に「お昼寝」をするようになりました。家では「お昼寝しようね」と言っても遊んだり泣いたりふざけたりで寝る時間はバラバラになったりするのですが、保育園に行くと不思議と同じ時間にお昼寝をしているのです。不思議に思って保育園の先生に「なしてそないなことできるだ??」と理由を懇願したら、教えてくれたことがあります。
「集団の力です」と。
保育園では、いわゆる「センパイ園児」がいます。そういう子たちは、先生の言うことをよく聞いて指定の時間にお昼寝に入ります。で、それを見て後輩園児たちも、よくわからないけれど寝るようになるのです。そしていずれはお互いがお互いに影響し合い、なんとなくの雰囲気とともに眠りにつく、と不思議な循環が回り始めます。ちなみに家に戻るとまた暴れ出し、暴君ならぬ暴姫となるのですが・・
実はこの「集団の力」はある程度年齢を経て大人になっても効力を発揮します。何かを始めようとするとき、更なる成長をしようと思い立ったとき、もちろんひとりでそれに取り組むことは可能でしょう。しかし、「集団の力」を活用することで、もっとスムーズに自分を成長軌道に乗せることができます。
悟空も最初はクリリンと修行をしました。桜木花道はジャンプシュートを二万本打って身につけた際、チーム桜木とも言えるような旧友の協力でそれを乗り越えました。ちなみに僕は極真道場に通っていますが、そこには師範と先輩後輩含めた仲間がいます。テニスで歴代最高位に位置している錦織くんも、幼少期は日本に仲間がいて、以降は同じレベルで競う仲間がアメリカのテニスキャンプにいます。
漫画にあるような、雪降り積もる山奥でひとりで何年も修行してある日開眼して・・・というのは、よほどの人です。しかしこの方法には明確なデメリットがあり、確かに精神的には異常な強さを手に入れることが出来ると思えるのですが、第一にまず常人ではそこまで持ちません。第二に自分が強くなったのかあまり変わっていないのかが測定出来ない、というのもあります。これはいずれもなによりもツラい。
だからこそです。大人になったからこそ、「集団の力」を幼児の頃以上に上手に使うべきなのではないか、羅王は最近そのように考えています。子供の頃のように、外発的に「集団の力」を感じるのではなく、理性と知識の発達した大人だからこそ、この「集団の力」を積極的に活用していくことができるのではないでしょうか。
大人のクラブ活動、大人の勉強会、大人の塾、大人のおもちゃ・・・最後のだけは違いますが、いずれにしてもこの力をどのように使うかによって、未来が実は結構簡単に切り開けるものなのではないか、そんな風に思います。このあたりについてはまた書きます。
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我が人生に一片の悔いなし!

のっぴきならない時の立て直し法


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一時期僕は原因不明のなんとやらに襲われまくっており、運動が全く出来ない状態が続いていました。最近はそれがやっと完治したため、積極的に極真の道場に通い、フルマラソンの準備も別途しています。ちなみにその原因不明のなんとやらですが、色々と不思議なことが、しかも一気に起きて不思議だったのでジャブ代わりに紹介します。
1、原因不明の腱鞘炎
色々調べると、「手首を日常的に酷使する人、あるいはホルモンバランスの関係で妊婦の人がなりやすい」と書いてあったのですが、どちらも僕には全く当てはまらず。ひどい時期はお客様の前で手がプルプル震えたり、電車で人に手がかすったときに悲鳴をあげるなどしていました。
2、原因不明の咳
「あ~風邪ですね」と言われたものの、2ヶ月止まらず、同じくお客様宅で咳き込むと起き上がれない、という状態になり、一体保険が必要なのはどっちだ??と言われそうな時期がしばらく続きました。歩いても咳こみ、走ると当然咳こみ、うずくまる。なかなかツラいものです。
3、原因不明の咳を原因とした骨折
大型の咳が続き、息も絶え絶えだったある日、咳をした瞬間に肋骨がポキッと折れる音が聞こえました。サッカーをやってもテニスをやっても極真空手をやっても折れなかった僕の骨が、人生初めて、しかも咳に屈した瞬間でした。何も出来ないので放置するしかなく、そういうときに限って娘が抱っこをせがんできたりして、地獄の数週間でした。
4、原因不明の咳を遠因とした不眠
咳が出るから寝られない、という時期が続き、一時廃人のようになっていました。ちーん。一日2時間ほども寝られない時期が続きました。
5、原因不明の財布紛失
悪いことは重なるもので、お金を下ろした5分後になくすという失態。泣くになけず、テレビじゃないですが笑いました。
以下6番以降、書けないことも含めてまだいくつか続くのですが、とにもかくにも起きるときは連続技のように起きるということを、身を持って知った時期となりました。
さて、ようやく全快したので極真の道場に通い直しているところなのですが、今日書こうと思ったことよりもこのことについて書いておきたいと書きながら考えが浮かんできたので、急遽方向転換します。今日は、「追い詰められた時の復活方法について」。
僕の青春を彩る宇多田ヒカルさんの歌に「変えられないものを受け入れるチカラ そして受け入れられないものを変えるチカラをちょうだいよ」(by Wait&See)というセリフがあります。このセリフを知っていたためあれこれ試していたのですが、最終的にはもう一つ言葉を知っていないと、対応出来ないことも世の中にはあるのだなということを学びました。要するに「どうにもならなかった」のです。それほどの波が僕を襲いました。1~5程度では大したことはありませんが、実際は書けないことも含めてこの数十倍の波が僕を悩ませていたのです。
問題解決には、いくつかの段階があります。こと個人レベルの問題においては
1、ファイティングポーズを取る:現状を認めはするがその状態を是とはしない。いつか好転するはず、と信じる。
2、実際にファイトする:既存、新規の武器を使って、その問題の解決に着手する。上記の例で言えば具体的には病院にいく、サプリを飲む、食事を変える、身体を鍛える、など。
これで90%の問題は解決します。宇多田ヒカルさんの言葉通りです。およその問題は着手してみれば大したことのない些細な問題であり、解決したあとには「なんで悩んでたんだろ?」と思うようなものばかりだったりします。または自己の能力を上げることにより、過去には大きな問題と思えていたものが、今となっては小さくしか感じられない、といったように問題自体の実力が相対的に縮小化することもあります。
が、世の中面白いもので、上記程度の対策ではどうにもならないことというのが時に起こるもので、そういうときはファイティングポーズをとってもなぎ倒され、ファイトしようものなら秒殺を食らうことというのがあったりします。地面に伏していても殴り続けられ、KOでストップしてくれとお願いしてもタコ殴りにされ続ける、そういう類いの凶暴な問題というのが起こることもあります。
そんな暴君に2009年後半あたりから出くわしてしまった僕は、ぶっちゃけいろいろ試しました。が、どれを試しても下段蹴り一発で複雑骨折をするほどのダメージを負い、「もうだめカモ」と思ったことは100回や200回ではありませんでした。そんな時に、今思い返すと当たり前の方法なのですが、当時としては思考の片隅にもないやり方で乗り越えることにしました。それは、
「頭も身体も心も完全Offにする」
というもの。多くの人は、Onにしたまま問題を解決しようとします。心的にも身体的にもです。例えば、
・働きながら病気を治す(身体的ファイティングポーズ)
・バブルの頃の高値が再来すると信じて株式市場に念じる(頭的にファイティングポーズ)
・相手が変わることをただひたすら信じて耐える(心的ファイティングポーズ)
といったものです。これらは、突破口が明確だったり少し手を入れればカイゼンすることが目に見えている場合には有効です。何か別のことをしながらでも、解決を模索すればよろし。
しかし上述のとおり、それではいかんともしがたく、しかも1mmもカイゼンしない問題というのが起きるのが人生です。その場合はどうすれば良いのでしょう?死行錯誤の結果、「頭も身体も心も完全にOff」にするという方法が、僕としては一つの解であるように今では思っています。
何もしない、抵抗もしない、ただひたすら地に潜って波をやり過ごすのです。頭も身体も心も使わない。大体、抵抗しようとして押し流されるから人はそれに対して自分の無能を苦しむわけです。決してその人が無能なわけではなく、問題が巨大過ぎてどうにもできないレベルの強さを誇っている場合にも、人は自分に失望したり絶望したりします。しかし、これは追い詰められている状態であればあるほど
、辛く苦しい思いをすることになります。
「本当だったら○○なのに・・・」という思いは、それが実現可能だったり回復可能だったりと、自分の努力次第でどうにかなるべきものであれば心の希望となります。しかしそれがない状態では、ただのストレスとなってしまいます。雛鳥が空を飛ぶことを望むのと、亀が空を飛ぶことを望むのは、根本的に違うことなのです。
だからこそOffにする。Onにしない。希望を抱かない。「受け入れる」というのとは少し違います。理想があり、ギャップがあり、現実がある、その違いを飲み込むのが、「受け入れる」ということ。そうではなく、問題そのものと同化するのです。「それ」が、どこか遠い世界からやってきた異物で自分を苦しめているのではなく、「それ」が自分自身であることを認める。最初から自分自身であったかのように。
ファイティングポーズを取ると、それは戦うことを意味します。それ以前にリングに上がっている時点で、それはこれから戦いが始まることを意味します。それは少しでも勝てる可能性がある場合はOKですが、そうではない場合、リングに上がらないと決めることも大事です。
「その状態」が自分であるということは、「その状態」からスタートするということ、すなわちゼロです。「これさえなければ・・・」という平時の自分がいて、今がマイナスなのではなく、今がゼロの状態、そこからスタートするのです。
なんだから訳分からない結論になってしまいましたが、きっと自分のチカラではどうにも出来ない物事にぶつかったとき、多くの人が共感してくれるのではないでしょうか。今日ご紹介したのは立て直しの究極的な方法ですが、最後の手段なので今後ともあまり使うことがないことを祈ってますです、はい。
最後まで読んでいただき本当にありがとうございます!
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立ってると疲れて走ると疲れない


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ご存知の方はご存知で、ご存知じゃない方はご存知じゃないと思いますが(当たり前!!!)、あたくし、初フルマラソンに出場することにしました。11月の湘南国際、言うのはタダだということで、初参加記念にサブフォー(4時間切り)なる一つの基準をクリアすることも宣言しました。最近所謂「言うだけ詐欺」が仲間内で流行っていて、とりあえず出来もしない目標を大声で叫ぶというのが勇者の証というふうに勝手に定義されているのですが、僕は昔から勇者に憧れているので、とりあえず「言うだけ詐欺」を実行した次第です。
目標が決まると動き出すのが人間、とりあえず、マラソン関係の書籍を一通り集めました。分かったことは、やはり過酷であること、88kgに膨れ上がった肉々体では完走すらなかなかにチャレンジングな目標であること、そうは言っても努力の量が裏切らない正当で公平なスポーツであることなどでした。また思ったよりも様々な準備や装備が必要であるということも、興味深い点でした。ただ速ければいいんだろ?と完全に素人意見しか持っていなかったので・・・
さて、参考図書の一つに「非常識マラソンマネジメント」というなかなかに面白い本があります。「マラソンは食べるスポーツだ」、「素人なら本番の過ごし方で1時間タイムが変わる」など、なかなかにユニークかつ理論に裏打ちされたメソッドが公開されていて、なるほどこれなら僕にも出来そうだと思いました。
著書の中に書かれていたことで意外だったのは、立っていることが歩くことや走ることに比べて、実は一番脚に負荷がかかるという説でした。ある程度走ることが当たり前となっている人のバイアスは十二分に含まれていますが、それでも接地時間が短い歩きや走りに比べ、立っている時は脚をつっかえ棒のようにして交互に入れ替えるため、その際に筋肉が張り詰めて疲労するのだそうです。走るのに慣れている人だと1時間走ってもなんともないのに、1時間立ちっぱなしだと異常なほど疲れると言われており、考えてみれば確かにそうだなと思う節もあるにはあります。(僕のような寝たきり選手だと、さすがにまだ1時間走る方がラクとは言い切れませんが!!!)
よくよく考えたら、この「普段から走っている人にとっては」というのがとても重要であることに後で気づきました。走りでも仕事でも人生でも一緒で、ある程度のスピードで走って忙しくしている人は、まさにワタワタ走っている時の方が、何もしないでボーっとしている時よりも疲れないのです。やるべきことをやりきったとき、そこに残るのは疲労ではなく達成感です。
逆に、「つもり」や「はず」で終わってしまった日ほど、仮にそれが運動量や行動量的に決して多くはない日だったとしても、どっと疲れます。今日の僕は昨晩の極真道場でのトレーニングでボロボロで、かつ大切なお客様との面談がいくつかあったため肉体的にはかなり疲れているはずですが、そんなこんなでこんな時間までブログを書いて自己省察をしています。反対に、面談が入っておらず、時間的に余裕のある日ほど早く眠たくなります。
てなわけで、特にマラソンに限った話ではなく、人間、走っているときの方が立っているときに比べて疲れにくいようです。とすると、逆説的なようですが疲れているときこそ動く、やる気がないときこそ忙しくすることで、早期にマンネリ化したサイクルから抜け出すことが出来、日々の疲労感ともおさらばすることができるのではないでしょうか。
ちなみになんでこんなメカニズムに人間がなっているのかを考えてみましたが、それは毎度のことながら原始時代に答えがあるように思います。人間は、稲作が始まるまでは狩りと木の実の収集に追われていました。動き続けて食糧を確保しなければ、死が急激な勢いで近づいてくるという環境でした。なので動き続ける人間にはアドレナリンや達成感を与えてもっと動き続けられるようにし、動かない人間には「疲れる」という最も面倒な感覚を与えてさっさと動けやゴルァ、というモノ言わぬメッセージを神様が与えていたものと思われます。
人間の脚は、仮に入院したとして1週間も寝たきりで動かない状態になると、その後脚の筋力を回復することはほとんど不可能になると言われています。それぐらい、「何もしない」というのは人間から力を奪うものなのです。
てなわけで、幸いなことにガシガシ動かないとしばき倒してくるメンツが周りにいて僕を見張ってくれているので、明日もガシガシ動きたいと思います。止まったら思いのほかやばいのですね。
最後まで読んでいただき本当にありがとうございます!
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ワーキングファーザーとイクウーマン


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今僕が毎日毎日トライしているのは良い習慣を身に付けることですが、考えてみれば習慣に関する格言は非常に多いですね。手近なところだと、
「習慣は第二の天性である。」
「心が変われば態度が変わる。態度が変われば行動が変わる。行動が変われば習慣が変わる。習慣が変われば人格が変わる。人格が変われば運命が変わる。運命が変われば人生が変わる。」
「習慣は最高の召使いか最悪の主人のいずれかである。」
「習慣は格言に優る」
あたりでしょうか。
良い習慣を身に付け、悪い習慣を駆逐することが出来れば人生は変わる、それは誰でも知っているわけです。またその逆もしかりであることも人は知っています。この習慣に関して言うならば、とりわけトリッキーな誰も知らないような法則があるわけではなく、いわゆる世間一般に良いと思われている習慣が良い習慣です。例えば早寝早起き、腹八分目、時間を守る、収入より小さな支出で生きる、誰よりも働く、など。が、それが出来ないのも人間です。早寝早起きを出来ると断言できる人が、この世の中にどれほどの割合いるのでしょう?
更に言えば、良い習慣を身に付けること自体を習慣とする、つまり「習慣化することを習慣化」することにより、人生はより加速します。勝手に色々な知識を身につけて自動で賢くなっていくAIのように、どんどんと自分が前に進んでいく感覚です。
で、この「習慣化」あるいはその一段上の「習慣化の習慣化」ということについてですが、成果主義の世の中ですので効果測定をしましょうとなったときに、どの時点で習慣化出来ていると判断すれば良いでしょうか?習慣化できたぜ!と達成感を味わったり、その習慣によって自分が大きく変わったと認識出来たときでしょうか。
僕は「その言葉を必要としなくなったとき」と考えています。例えば、世の中に「ワーキングマザー」、「イクメン」という言葉はあっても、「ワーキングファーザー」、「イクウーマン」という言葉は存在しません。それは、前者が意識せねば出てこない/存在しないものなのに対して、後者は普通で当たり前と捉えられている類いのものだからです。これがもし時代をもう少し経て、働く女性が女性人口の大半を占め、子育てする男性が男性人口の大半を占めるようになれば、わざわざそれを単語で呼ぶ必要はなくなり、そしてそれはもはや文化となっているはずです。日本人全体で見れば、それは「ワーキングマザー」や「イクメン」という形態が習慣化されたのと同様です。
「オレは歯を毎日磨いてるぜ!!!」と高らかに言う人はいません。「オレパンツはいてるぜ!!!」という人もいません。それは習慣化されたことだからです。「オレ4時起きだぜ!!!」という人は、恐らくその日たまたま起きられただけか、起きようとして起きることに成功してまだ間もない人なのだと思います。毎日本当に4時起きしている人は、ことさらにそれに言及したりしません。「4時起きだ」という言葉自体を必要としなくなるのです。それは、4時起きが習慣化されているからです。
はたと気づいて、「そういえば/そう言われてみれば」と思考にコンマ数秒の空白が生じるほど当たり前にこなしていることが発見できたとき、それが習慣化が完了したときです。そこまでいくと、周りの人からの評価は違っても、本人はことさら努力しているとすら思っていません。だって当たり前だから。
悪い習慣を身に付けることは容易ですが、良い習慣を身に付けることは残念ながら容易ではありません。だからこそ意志の弱い人は仲間の力を借り、システムや仕組みの力を借り、自分のケツを蹴りながらそれを身につけていく必要があるわけですが、強烈に意識しながらもそれが日常の意識から消える瞬間、それを目指して走っていくべしです。
早起きに関してはかれこれ10年ぐらい挫折し続けているので、どなたかダメ人間スタートで身につけた方がいらっしゃれば教えてくださいませ。謝礼は口頭でノウハウ提供することにてお支払い致します。「早起き?当たり前ですよね。それって口に出して言うことですか?」と早く誰かに言ってやりたい!!!
最後まで読んでいただき本当にありがとうございます!
我が人生に一片の悔いなし!

自意識過剰な人たち


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先日、仲良くしていただいている経営者の方とお茶をしばきました。その際、仲間うちで半年以上続けているブログについて、「実名で公表すべきか否か」について悩んでおられたので、その理由を聞きました。
理由その1、クオリティが伴っていないから見られたら恥ずかしい
理由その2、クオリティが伴っていないから見られたら恥ずかしい
理由その3、クオリティが伴っていないから見られたら恥ずかしい
ふむふむ、なるほど。相手はお世話になっている方で、かつセンパイで、そして尊敬してもいて、とても大切な同志のひとりです。で、僕は言ってしまいました。「大丈夫!そんなに皆見てないですから!!自意識過剰ですよ!!!」
実はこれ、全く同じセリフを同じような悩みで悩んでいたときに師匠に僕が言われたセリフです。言われっぱなしはアレなので、センパイに言い放ってやりました笑。これぞペイフォアード!!!
さて、このセンパイにしても僕にしても、恐らくはそれなりの修羅場をくぐり抜けているはずです。はっきりいって相当なことでもない限り驚いたりしませんし、直面してきた問題の大半は解決してきた自信があります。が、このずうずうしい二人を以てしても、「ブログを実名で公表するのが恥ずかしい」と、ある一面においてはものすごくシャイなのです。
二人に限らず、世間一般の人は(特に日本人に多いですが)自意識過剰です。一挙手一投足を見張られているのはよほど有名な政治家や芸能人に限られる話であって、一般の人であれば、まず誰がどこで何をどのようにしていようが、他の人は気にしたりしません。それにもかかわらず、ほとんどの人が自分がどこで何をどのようにしているかを気にします。一説によると、あのプレゼン上手のアメリカ人ですら、「死ぬことより怖いことは?」という問いに対し、大多数の人が「大勢の前で話をすること」と答えるそうです。それぐらい人は他人の目を気にします。
が、繰り返しますがほとんどの人は自意識過剰です。なんにせよ、上手くやらなければ、綺麗にやらなければいけないと思ってしまう。考えてみれば当然のことですが、人間、出来ることしか出来ません。そして何かを始めようとすれば、なんにしても最初はカッコ悪いもの。それは出来ないことをするからです。出来ないことを出来るようになるからカッコイイのであって、出来ないことを出来ないままにしておくことこそがカッコ悪い、とそんなふうに思えれば、出来ない最初のプロセスを楽しめるのではないでしょうか。
「見られているからこそプレッシャーがかかりケツを蹴られる」という程度の意識はモデルさんにせよビジネスマンにせよOKです。が、それ以上の「ねばならない」系の自意識は、過剰になると現状維持やノーチャレンジを是としてしまいます。そしてそれは、結果的に5年後10年後に大きな後悔を呼ぶものとなります。
ある師匠が世の中の人をカテゴライズしました。世の中には4種類の人がいる、と。(言葉は乱暴ですが)①バカでバカな人  ②バカで賢い人  ③賢いけどバカな人  ④賢くて賢い人。このうち、②が世の中を変えるリーダーシップと行動力を持つ人であり、③がありがちな学歴や知識のみのイタイ人、④が一般人に最も多いタイプ、①が桜木花道くん、と思ってもらえば分かりやすいかと。(ちなみに、最も救い難いのが⑤賢い(と思い込んでるけど)バカな人=あだず??)
自意識過剰に陥りがちなのは、③と④(と⑤)の人です。賢いがゆえに先が読めてしまい、先が読めてしまうがゆえに存在するであろうリスクが明確に見えてしまう。あるいは過大に思えてしまう。それは、自分が晒すであろう「出来なくてカッコ悪い姿」だったり、「失敗してみじめ(に見える)な姿」だったりします。そしてそれを避けようとすれば、必然的に行動しないことが、前に進まないことが正解となってしまうのです。多くの人が変わりたいと思って、しかしよく見たら全然変わろうとしないのは、こういうところに原因があったりします。
僕の個人的なベスト漫画はスラムダンクです。なぜなら、ドラゴンボールよりも北斗の拳よりも、主人公の最初がカッコ悪いから。誰が見ても「おいおい、それはねーだろ」というところから桜木花道くんのキャリアはスタートします。そこから怒涛の勢いで成長していく様が、多くのファンを魅了した理由でしょう。この漫画で一番大切なことが描かれています。それは、
どれだけ成長したか?=どれだけカッコ悪い姿を見せてそれに耐えて乗り越えてきたか?
という方程式が成り立つということを、センス溢れるけど何もできない主人公を用いて世の中に伝えているということです。
「成功の確率を倍にしたければ、失敗の確率も倍にすることだ」と、ジャックニクラウスに代わりゴルフ界の新帝王と呼ばれたトムワトソンは言葉を残しています。
自分が人からどう見られるか、ではなく、自分はどうありたいか、に焦点を当てて行動する。当たり前でわかりきっていることでも、実は結構出来ていないんですよね人間って。改めて自戒したいと思います。痩せたい!!!
最後まで読んでいただき本当にありがとうございます!
我が人生に一片の悔いなし!

富士山に登るとは


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みなさんこんぬつわ~、ご訪問有難うございます、羅王のブログです。驚異の偏差値『8』を叩き出した高校時代から始まった『The 補欠人生』にピリオドを打ち、8桁超えの自己投資を通じて人生のレギュラーを目指す軌跡と奇跡を備忘録兼ねて徒然なるままに記しました。大体30分で書いてますので瞬発力重視なのはご愛嬌。。貴方とのご縁に一片の悔いなし!
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同僚が先日、富士山に登りました。僕も今年、前々から登りたいなぁと思ってはいたものの、きっかけが掴めずに先延ばしになっていたものを、今年無理やり仲間を募って(正確に言うと、仲間に圧力をかけて企画の先陣を切ってもらって笑)登ることにしました。
富士山というのは不思議な山で、当たり前のことではあるのですが、登れば登るほど空気が薄くなり、物価は高くなります。前者は高度とともに気圧の低下を原因として引き起こされ、後者は高度とともに増大する運搬コストが物価に跳ね返ってきます。登れば登るほど、空気が薄くなるので肺は悲鳴をあげるようになり、登れば登るほど物価が上がるのでお財布は悲鳴をあげるようになります。聞くところによると、カップラーメン一杯800円、コーヒー一杯500円にもなるそう。ぼったくりと言いたいところですが、そこまでもっていくための運搬コストやそこで飲めるコーヒーの希少価値を考えれば、妥当どころか安いとも言える値段なのでしょう。
そのほかにも登れば登るほど的に上昇していくものはいくつかあります。まず気候の過酷さ。5合目付近を取材するテレビには、Tシャツ短パン、荷物ゼロのタバコを吸いながら、「イェーイ、富士山余裕でーす」みたいな素晴らしい若者が映されたりしています。どうやら8合目までには全員悪態をつきながら脱落したようですが、麓ではTシャツ短パンでOKな天気でも、頂上付近ではスキーウェアをバッチリ着ないと耐えられないような寒さに襲われます。高山病にかかる人も少なくなく、頭痛や消化器官のイカレに苦しむ人もいたりします。
精神的なものはもっときついのではないでしょうか。そもそも、登山そのものは有形の価値を生むものではありません。あくまで登山完遂後の達成感のみ。そこに、社会人であれば忙しい合間を塗って貴重な休日を使い、装備を整え、ツラい思いをしながら登るわけです。途中で、「なんでオレこんなことしてんだろ?」と思っても不思議ではありません。事実、同僚は平地では結構な強い男なのですが、登山道中では何度もそう思い、リタイアすら考えたそうです。
が、頂上に達するとそれまでの全ての苦しみ、痛み、悩みが吹っ飛びます。文字通り解放され、スーパーサイヤ人になるのです。それは登った人には全員が共有でき、登ってない人には永遠に理解できない類いのものです。(はい、まだ登っておりませんが!他での経験があるためそういうものだというのは分かります。)
さて、毎度のことながら人生に置き換えますが、登山が人生に例えられることがあるのも、こういうことがあるからなのだろうと思います。人生には登山と違い、頂上がありません。しかし、登れば登るほど「空気が薄くなり、物価が高くなる」のは同じです。だから自分から見て上の方にいて、「いいなぁ、あの人お金もあって時間もあって」という人がいたとして、その人はたまたまそこだけ切り取るとそう見えるだけで、確実に「空気が薄くなり、物価が高くなる」局面というのを乗り越えています。
逆に言えば、「空気が薄くなり、物価が高くなる」ことを経験せずして、目指す場所まで行けるということはありません。富士山もエベレストも、遠くから見れば優雅に穏やかに立っているように見えます。しかしその高さまで行けば分かる通り、猛烈な風が吹いていて、生命を奪い去ろうとさえしているのです。(富士山はそこまでしませんが。)
数年前から悩んでいたことですが、「いつになったら空気が腹いっぱい吸えて、物価が安くなるんだろう?」と思っていました。最近わかったことですが、それが望みであれば、方法は二つしかないのです。一つは、下山すること。そうすれば元いた環境に戻れるので、上記の望みは100%叶います。しかしそれは、元の自分に戻ることと同義です。
もう一つは、その高さでもなんとも思わないような身体になること。いわゆる「高度順応」です。そうなれば、実は以前の自分とは全然自分がいることに気づきます。それはもう、まさにスーパーサイヤ人になったのと同じように。そしてそれは、ふと思いついたときに下山してみるとよくわかります。3000m級にとどまっていると気づかないことも、海抜0mに戻ってみるとそのパワーアップぶりに、物価の安さぶりに笑、気づくのです。
てなことを登山してないにもかかわらず書いてしまったので、さっさと登ることにします!
最後まで読んでいただき本当にありがとうございます!
我が人生に一片の悔いなし!

宝くじを買う、そして待つ


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みなさんこんぬつわ~、ご訪問有難うございます、羅王のブログです。驚異の偏差値『8』を叩き出した高校時代から始まった『The 補欠人生』にピリオドを打ち、8桁超えの自己投資を通じて人生のレギュラーを目指す軌跡と奇跡を備忘録兼ねて徒然なるままに記しました。大体30分で書いてますので瞬発力重視なのはご愛嬌。。貴方とのご縁に一片の悔いなし!
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かれこれ32年間、ギャンブルらしいギャンブルなどやったこともなく、宝くじすら滅多に買わない僕ですが、今日コンビニで流れていた宝くじの宣伝が、中々に良いことを言っていました。
「6億が当たった人はこれまでになんと221人。『当たりたいなら買うしかない!!!』」
そのとーり、そのとーりです。。良いこと言ったアナウンス!宝くじを当てたいなら、まずは買うしかないのです。
で、この非常に当たり前過ぎる事柄を、日常に当てはめた場合に、出来ていないことがわんさか出てくるのが人間です。例えば、宝くじを買わずに宝くじが当たることを祈る人、宝くじ1枚買っただけで6億円当たることを願う人、確率的にはほとんど外れる宝くじを100枚買って、外れたらめちゃめちゃ凹む人、外れ一枚すら許容できず、買った全枚数当てに行く人。こんな人がいたら全員ブルシットですが、現実の世界にはこれに近いことをやってしまう人が非常に多いのではないでしょうか。
上記の通り、宝くじは、無駄を覚悟しないと当たりません。全部当てるのは不可能です。右ストレートを当てたかったら、左のジャブ三発とボディブロー一発がガードされることは諦めなければなりません。全部有効打とするのは無理です。投資で成功したいと思ったら、最低1割から2割の負けは経験しなくてはなりません。全戦全勝な投資家は、一人もいません。人生を変えようとして何かを始めた場合、それが100%正しい道で正しいやり方で出来ることなど、ほとんど有り得ません。出来るならとっくにやっていたはずで、出来ないから今チャレンジしているわけです。拙速の中から良い道良い方法を探り探りしていき、最終的に目標とする地点にたどり着ければそれでOKです。ナビ通りにいかないのが人生です。
宝くじは、買わなければ当たりません。つまり、代償を先払いすることでしか、成長にも成功にもアクセス出来ません。肌感覚ですが、この代償の先払いというのは、出来る人は1割に満たないです。ほとんどの人は、代償の先払いをする前に、得られる成果を欲しがります。「100円払ったから100円に相当するジュースを購入する」ことが出来る自動販売機と同じ発想です。
が、人間の成長に関する代償の先払いを例えて言うとしたら、こんな感じかなと思うのですが、あるときは100円を投じても自販機がウンともスンとも言わないときがあります。3回目まで自販機が黙っていて、4回目に120円と入れると突然確変が起こり、100個ジュースが出てくる、といった感じです。この場合、1回目や2回目でジュース代が回収出来なかったといってお金の投入をやめたとしたら、以後回収の見込みはゼロになります。1~3回目まで、当初は無駄な入金に見えます。でもそれに耐えると、一気にステージが変わるのです。だけどほとんどの人は4回目まで入金出来ない。「4回入金してくれたら、良いことが起きますよ」と張り紙が書いてあったとしても、難しいです。
ちなみにこの自販機、またまたおかしくなって99回目までお金を投じてもウンともスンとも言わなくなることがあるのですが、100回目の入金がされた瞬間に、ジュースを際限なく吐き出します。ずーっとずーっとジュースが出続けるのです。
上記のようなことが何故起こるかというと、みな「投資に対する回収をあまりに早いスパンで求めすぎる」からです。時間の投資にも言えることですが、自分が投下したお金/時間の対価を1時間単位で求める人は、いわゆる「アルバイト」と呼ばれます。同じくその対価を1日単位で求める人は、「日雇い労働者」と呼ばれます。同じくその対価を1ヶ月単位で見る人は、「サラリーマン」と呼ばれます。同じくその対価を1年単位で見る人は、「事業家」と呼ばれます。同じくその対価を10年単位で見られる人は、「成功者」と呼ばれます。自分がかけたお金や時間の効果が現れるのを10年もの単位で待てる人というのは、最終的にはオマハの賢人ウォーレンバフェットのように、最も大きな果実を得ることが出来るのです。反対に視野が狭く回収を早くしようとすればするほど、実は貧すれば鈍する状態に陥っていきます。
今僕が行っている活動のうち、結構な割合のものは、今すぐの成果云々を期待すべきではないものです。それよりも肥料をやり、水を与え、ポジティブな声をかけ続けることが大事です。ちょうど今娘が育てているベランダの朝顔のように。
一回水をやったからといって、この猛暑に綺麗に咲いてくれというのは、人間の悪しき傲慢なのです。人間の成長も花と全く一緒です。まず「宝くじを買う」こと、そして「待つ」こと。この二つがとても重要なように最近強く思います。
最後まで読んでいただき本当にありがとうございます!
我が人生に一片の悔いなし!