『古くて進んでる』ものを追求したい


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みなさんこんぬつわ〜、ご訪問有難うございます、羅王のブログです。驚異の偏差値『8』を叩き出した高校時代から始まった『The 補欠人生』にピリオドを打ち、8桁超えの自己投資を通じて人生のレギュラーを目指す軌跡と奇跡を備忘録兼ねて徒然なるままに記しました。大体30分で書いてますので瞬発力重視なのはご愛嬌。。貴方とのご縁に一片の悔いなし!
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久々に米国出張シリーズ以外のネタを書きたいと思います。
ある人は言いました。時代をつくるのは『ヨソ者と若者とバカモノ』だと。なるほど今までの日本もそういう人たちが時代を作ってきたし、これからの日本もそういった人たちがきっと新しい時代を作っていくことでしょう。
俺のフレンチや俺のイタリアンを展開する『俺の株式会社』の社長さんは、元料理人でも元レストラン経営者でもありません。業界の常識となっている『フレンチは高いお金を払ってもらうもの』や、『ディナーはじっくり腰を落ち着けて時間をかけて食べるもの』という既成概念をことごとくぶち壊し、いまや寵児となりました。打ち立てたブランドを更に展開して、『俺の中華』、『俺のカレー』、コンビニシリーズで『俺の煮物』、『俺のレトルト』なども作ってもらえると良いなと思っています。働いている人たちは元一流店の伝統を携えた方々ですが、ビジネスモデルは全く新しいものとなりました。
一方、料理人の世界やパティシエの伝統的な世界では、未だに皿洗いやその他雑用を数年、仕込みを数年、そこから一人前への道の入口に立つことが許される、といった業界も少なくありません。確かに基本が大事、というのは頷ける話ですが、では果たしてお寿司を握る権利を得るのにお皿洗いに3年間を費やしたとして、寿司職人としてのトータルのクオリティは、入店2ヶ月目から握ることを許されていた『俺の鮨屋(そんな店ないけど)』の人と比べて優位に立てるでしょうか。僕はそんなことないと思います。基本が大事とスクワットだけを3年間やり続けた人よりも、入門初日から組手を重ねてきた人の方が、極真においては少なくとも絶対に強いです。
『古い』と『遅れている』というのは、似て非なる言葉です。より正確に言えば、もし分類するとしたら『古くても進んでいる』ものもあれば、『古くて遅れている』ものもあれば、『新しくて進んでいる』ものもあれば、『新しいけど遅れている』ものもあります。
先に述べた『皿洗い3年してから料理をする』というのは、『古くて遅れている』ことの典型だと思います。精神論は別として、果たしてそれが本当に必要かと言えば、否と一刀両断できる類いの慣習や常識です。『水を飲んだら負ける』と言われていたスポーツの世界で、水を飲まずに負けた人がどれだけいたことでしょうか。
『古くても進んでいる』のは、中国古典ではないかと思います。何千年もの間言われ続け、使い古されてきた表現ながら、そのほとんどはこれから先の時代を表現するにも、的確かつ適切なものです。ドラッカーなども、数十年前の著作にも関わらず、仮に今最新著書として出版されていたとしても不思議ではないような表現が多々あります。
『新しくて進んでいる』ものの大半は、いわゆる天才たちが発明するものです。Windowsしかり、iPhoneしかり。しかしそれらもよくよく見てみると、誰かが本当に『発明』したものを、『カイゼン』して世に流布したといったスタイルのものが実は多いです。iPhoneのタッチパネルは、技術そのものはその10年ほど前から実用可能なラインにあったとさ。
『新しいけど遅れている』のは、僕の中では最先端の金融工学がそれに該当します。一体何のために金融があるのか?を意識的無意識的に忘れさせ、その業界に関わる一部の人たちだけを過度に潤す仕組みが金融工学です。進みすぎたテクノロジーが世の中を破滅させるに至る、笑うに笑えない喜悲劇の最たる事例をこの数年だけでも幾つも提供してくれた、素晴らしい業界です。(業界の皆さんごめんなさい、でもそう見えるのよ。)目標と目的と履き違えると、こういうことになります。
僕が技術的センス的才能的に無理だなと思うのは、『新しくて進んでいる』何かを生み出すことです。天才じゃないから無理。そして倫理的信念的に無理だなと思ってるのは、『新しいけど遅れている』ものに着手することです。新しいから便利だしすごいけど、それって人間本来の人生にとってほんとに必要なの?みたいなものを、志事にする気にはなりません。また、『古くて遅れている』ものの大半は、僕のこの根性なしな気持ちが持たないため、やはり却下です。強くなるからスクワット3年やってろと言われても、僕には無理ですね。
ここ数年注目しているのは、『古くても進んでいる』何かです。原理原則、歴史、古典、理念、そういった時代の変化や流行りにに影響されないものを学び、力を入れて時間もお金も使っています。例えば、『お客様を喜ばせる』という理念は、どの時代にも誰からもYesと言われるものです。その方法は場所や地域や職種や職位によって違いますが、僕は今の仕事でそれを最大限満たすにはどうしたら良いかを日々考えています。『調子に乗ったら転落するよ』的な昔から言われている教えを知っていて肝に銘じていたおかげで、どの転落事例を見ても、少なからずそういう側面があったことに気づくことができ、また自分に対しての自戒を怠らないでいることができます。
ちなみにいま、『古くて遅れている』保険業界において、『古くても進んでいる』何かを僕はやろうとしています。恐らくあまりやってる人いないんじゃないかな?でもお客様に必ず喜んでもらえるものだという理念の元、ひーこらいいながら既存のものを組み合わせて作り上げています。きっと今後数十年に渡り、僕が目指す方向に至るための強力な推進力となるはずです。
僕は段々歳を取っていきますが、それでも『(業界の慣習にとらわれない)ヨソ者』であり、『(いつまでもチャレンジをし続ける精神的な)若者』であり、『(理念や目的のために、不必要なルールや常識を積極的に打破していく)バカモノ』でありたいと思っています。一時期、『お前最近まともになってつまんないね』というお声をいただき大変に焦ったことがあるので、もうそういうことがないようにガンガン進んでいきたいと思います。
P.S ちなみにその時『つまんない』と言われた本当の意味は、『昔は仕事とも結婚とも育児とも完全に無縁なサイテーテキトー野郎だったのに、よくぞ仕事まともにして結婚してイクメンとかなれたよね。』という遠まわしな褒め言葉だったのです。でも個人的には『小さくまとまってんじゃねーよ』、としか聞こえなかったので汗。あの頃に比べると家族が出来、体重は15kg増え、仕事は志事になりました、成長してますハイ。
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『強みを伸ばす』の誤謬


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みなさんこんぬつわ〜、こちらは8桁超えの自己投資をしてきた羅王のブログです。驚異の偏差値『8』を叩き出した高校時代から始まった『The 補欠人生』にピリオドを打ち、人生のレギュラーを目指す軌跡と奇跡を備忘録兼ねて徒然なるままに記しました。同じように悩み苦しむ誰かの『一歩前へ』を応援することにつながればと心から願って!
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『強みを伸ばしなさい』とか『短所を直すより長所に注目せよ』という言葉が今までになく流行っている気がします。さすれば道は開かれん、と。人間、強みを強化するのは楽しい作業である一方、弱点の克服というのはなかなか出来ないものです。これまで克服出来ていないから弱点という形で残っているわけですから。また、人間の個性を、あれもダメこれもダメ、と評価するよりは、その人が持っている素晴らしい点を褒めて伸ばしてあげるということはとても大切なことです。これはこれでOKです。
が、もう少し思考を進めて見ると、これらの格言をもっと活かすことができるのではないでしょうか。あるいは、そのままの意味で受け取ってしまうと、実は強みを伸ばそうと注力した結果、ドツボにハマるということもあるのではないかと思います。
下記の例えは特に大人の教育についての考察であって、子供の教育に関してはまた別の視点が必要かと思いますのでご了承の程。
Aさんは英語が昔から得意でした。留学したことがないのに留学したみたいに聞こえる!と友達から褒められるほど。次に得意なのは英語のレベルに比べるとだいぶ落ちるのですが、パソコンスキルでした。一通りのオフィス製品は使いこなせます。Aさんは英語が一番得意なので、英語が活かせる職場ということで外資系の企業を受けました。見事入社。外資系ですから勿論即戦力が求められます。入社してすぐ気づいたのですが、周りはネイティブや帰国子女ばかり。いくら一番得意とはいえ、ネイティブと渡り合うレベルではありません。コミュニケーションがいまいち取れず、教育の暇もない外資系企業において、Aさんが『使えない奴』との烙印を押されるのに、そこまで多くの時間はかかりませんでした。ところがある日、ふと同僚に頼まれた資料を、本人に分かりやすいように作りかえてあげたところ、思いのほか喜ばれました。外資系企業とはいえ、そこに働く先輩方はかなりのIT音痴。Aさんが持っているちょっとしたスキルでも、同僚の人は誰しもが驚きました。文章だけ書いてあればそれで伝わるだろうという大味な同僚のスライドを、絵を加えたり文字のフォーマットを変えたり、読み手に優しいスライドに改善していったことが評価されたのでしょう。それからはことあるごとにワードやエクセルでのサポートの依頼が殺到し、その傍ら英語を鍛えることで一線で働けるまでにAさんは成長しました。ちゃんちゃん。
さて、何が言いたかったか?英語を強みとする人が、それをもっと強みとする人達の間に放り込まれるとぺしゃんこにされる可能性が高い、ということを伝えたかったのです。あるいは、周りの誰よりも力が強いからとプロレスの道を選べば、ものの数秒で秒殺されるということを伝えたかったのかもしれません。田舎から出てきた田舎の秀才が、全国の秀才が集まる都内の学校では凡才に過ぎないということはよくあります。つまり、自分が最も得意とすることが、他者と比較しても本当にTalentedならば言うことはありません。その道を突き進めば素晴らしい成果が出るでしょうし、多くの顧客をファンにすることも可能だと思います。そういう一流の能力あるいはそれに類するものを持つ人は、迷いなくその道を進めばよいと思います。
一方で、大体において上には上がいます。自分が一番自信があることだって、他から見れば大したことはないのかもしれません。また、多くの人はそれが得意だからといって、他との比較において競争優位があるといえるほどの能力を持っていることは稀です。強みを伸ばしたところで、適切な伸ばし方をしなければ、あっというまに蹂躙されるということが起こりかねないのです。
ということで僕的にオススメなのは、『戦う土俵において相対的に発揮できる自分の強み』を伸ばすことです。『自分の一番の強み』ではありません。もしかしたら二番目とか三番目の強みかもしれません。全く得意ではないということはないしても、いの一番に強みの代表格として出てくる要素ではありません。
松井選手は、日本ではNo1のパワーヒッターでした。ところが渡米した時に、周りにいたのは自分が普通のサイズにしか見えないほどのスーパーマッスルの集まりでした。当然パワーでは全く敵いません。自分の得意分野である長距離にこだわらず、中距離バッターに変更したことで松井選手はメジャーを代表する成績を残しました。
イチロー選手は日米ともに素晴らしいバットコントロールでヒットを量産しているように見えますが、アメリカにおいては特に相対的に際立つスピードを武器にしています。それも、『一塁への走塁』という極めて使い道の限定された限定的な武器です。しかし絶対的な強みとなりました。アメリカの選手は一般的にデカく筋肉まみれで、そして動きがその分制限されるため、走塁は決して早くありません。そこに目を向けたイチロー選手は、世界最高レベルの内野安打の山を築きました。ヒットを山ほど打つ選手は他にも沢山いましたが、一塁まで打ちながら走塁を開始できる人は他にいなかったため、大きく優位性を発揮することができました。
元格闘家で、今は『ワールドオーダー』というパフォーマンスユニットを率いている須藤元気さんも、この解釈に当てはめることのできる方かと思います。恐らく格闘家として純粋に須藤さんより強い人は、同年代にも沢山いたでしょう。しかし須藤さんは入場や技のパフォーマンスにおいて観客を魅了し、一気に人気者になりました。勿論そのパフォーママンスというのは、恐らくその専門家から見れば全く大したことのないものだったと思われますが、同じ格闘家で他にやってる人がいませんでした。だから目立ちました。今、須藤さんはそのパフォーマンスを本業にしています。
まとめますと、『強みを伸ばす』ことは良いことだと思います。ただし、『他者との相対関係における強みを伸ばす』ことも、ちゃんと考えた方がいいんでねーの?と言いたいわけです。何故ならば、流れのどんどん早くなるこの世の中で、まずは生き残ること、というのが最大の至上命題になっている企業は多いと思われるからです。自他共に認める強みのうちの一番目がきちんとあり、しかもそれがプロレベルから見た時に仮に大したことなくとも、時間をかけてゆっくりその強みを熟成していくことができるとすれば、まぁ良い結果にはそこそこなるでしょう。しかし多くのビジネスパーソンはそんな悠長な時間を与えられていません。そもそも生き残りに必死です。
昔ハマっていたドラクエやファイナルファンタジーでも似たようなことはよくありました。絶対の攻撃力を持つ剣で攻撃しても全くダメージを与えられない敵に、もう捨てようかなぁと思ってた弓矢で攻撃してみたら、異様なほどダメージを与えることが出来た、という経験は一度や二度ではありません。
考えてみれば、AKBも同じ発想で考察できます。すごく失礼な話かもしれませんが、AKBのメンバーは、ピンで活躍している女優さんやアイドルたちに比べれば、はっきりいってルックスで劣ります。しかし、AKBという『そこまで全員がめちゃめちゃ可愛いわけではないグループ』というプラットフォームにおいて、『相対的に可愛い』子が他の女優さんやアイドルたちが得られない『神セブン』なる称号を受けています。勿論僕はAKBの一部は大好きですし、恐らくその辺にいたらめちゃめちゃ可愛い子達だと思います。が、とんでもない美女の揃っている芸能界の中で美や可愛さだけで競ったら、間違いなくぺしゃんこにされます。だからこそ、美と可愛さだけを求められないAKBというグループを結成したことにより、その中での相対評価を勝ち取りさえすればスポットライトを浴びることができる可能性があるのです。
比較優位と同じ考え方かもしれませんが、『自分が自分の土俵にて最もパフォーマンスを相対的に発揮できる領域はどこか』を常に頭の中で考えていると、結構面白いアイデアが湧いてくるような気がしています。ちなみに僕は、保険屋としてのプロフェッショナルは当然突き詰めますが、それ以外の相対的な要素として、『書ける保険屋』、『講演に呼びたい保険屋』、『スベらない保険屋』、『売らない保険屋』などのテーマをもって、相対的に優位なポジションを築こうと考えています。
本当に得意なことだけが未来を決めるかというとそうでもない、というのは、非常に面白い考え方なのではないでしょうか。
※子供の教育においては、あるいは初期の社会人時代に、『強みを伸ばそうね』というのは非常に全うな理屈であり、多いに称賛されるべきものと思います。が、ある程度年齢がいってある程度活動領域が決まってくると、その中でのポジション取りをしなければならなくなるのが仕事です。その中での知恵ですので、強みを伸ばすことそのものを否定しているわけではありません。当たり前ですけどね!!
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誰にでも出来る仕事


ラオウへの道 あしたのために 今日の北斗剛掌波
『誰にでも出来る仕事』
いつもお読みいただき本当にありがとうございます。一期一会に感謝します。
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本ブログは、8ケタを超える自己投資をしてきた羅王(ラオウではありません。似て非なる羅王です。)が、これまで学んできた知識、知恵、各業界のピークパフォーマー達からの教えを、備忘録兼ねて徒然なるままに記したものです。偏差値8を記録した高校時代から始まり、自らの秘孔を突いて隠された力を引き出し続けてきた我が軌跡が、迷える誰かの『一歩前へ』を応援することにつながればと心から願って、下記に今日のエントリをお送りします。我が人生に一片の悔いなし!
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今日も様々な業界の重鎮たちが講演をしてくださいました。今日お話されたのは、僕のような一般人がひぃひぃ言いながら達成しているMDRTになんと40年間在席している化け物のようなおじいさん(失礼!)です。しかも、うち13回は僕が達成している基準の6倍の成績を出されているという、もはやよくわからない化け物っぷり。
で、とても印象的だったのが次の一言。
『生命保険の仕事というのは、誰でも出来る仕事です。しかし、最も難しい仕事でもあります。』
ほんとに、ホントに、本当にそうです。誰でも出来る仕事なのに、最も難しいと言っても過言ではありません。
僕の同期は、20人以上いました。7年半を経て残っているのは6人です。ほぼ全員が積極的ではない理由で辞めていきました。
僕達に固定給はありません。全てが会社ではなくお客様からのご評価で決まるため、社内格差は世間格差とは比較になりません。
僕の仕事においては、僕達が販売する商品にほとんどの人が持って(加入して)おり、そしてほとんどの人がそれ以上要らないと思っています。
僕が生命保険会社の名刺を出しただけで『もう入ってるよ』、『ごめんね』、『大変ですね』と意味不明なことを言われる誤解偏見無知無理解に満ちた珍しい業界です。『話せば分かる』という犬養毅的なセリフがこれほど難しいとは思いませんでした。
僕の販売している商品は、誰かが大切な誰かのために遺すモノであり、自分が使うためのモノではありません。そしてそれを使うのはいつか分からず、しかしいつか確実に来るのに人はそれを凝視しようとしません。
僕達が感謝されるのは、誰かが大変な時です。誰かが順境な時ではありません。順境な時は誰でも助けてくれますが、大変な時に実質助けられるのは僕達だけです。にも関わらず、そういう一種の人助けをするには、上記全てを乗り越えるための多大なる勇気が必要です。
しかし採用の窓口は広く、医師や弁護士のように特別な資格や学歴を要する仕事ではありません。同僚には元自衛隊の人、元ラーメン屋の店長、元とんかつ屋の大将、元銀行員、元証券マン、元IT屋さん、元土建屋さん、元ディーラー、元プロ野球二歩手前選手など、本当に色々います。誰でも彼でも、というわけではないけれど、普通の会社に比べたら人種のるつぼです。共通してるのは、みんなが『社会(のおかしなルールだけど普通の人が文句言わないようなことに文句言わずにおれない)不適合者』であるということぐらい。
ほとんど誰でも出来る仕事なのに、誰もが到達できるわけではない領域がある。別にこれは保険の業界に限ったことではなく、野球だってサッカーだって、あるいはどんな仕事だってほとんどの場合、誰にでも出来ると思います。しかし成果を出したり付加価値を提供出来るレベルに在るのは、ほんのひと握り。
だからこその勉強であり、研鑽であり、自己投資であり、たゆまぬ向上心と目の前の人に尽くすサクリファイスな姿勢が必要になるのです。ここに集まっている人たちはおそらく一人残らず、そういったことを頭ではなく心と体で理解しているのだと思います。僕もこういった仲間達と一緒にいるに恥じない人間になりたい。仕事だけではなく人生全体を考えても、強くそう感じました。
最後まで読んでいただきありがとうございます。
我が人生に一片の悔いなし!

与えることの昂揚と効用


ラオウへの道 あしたのために 今日の北斗剛掌波
『与えることの昂揚と効用』
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本ブログは、8ケタを超える自己投資をしてきた羅王(ラオウではありません。似て非なる羅王です。)が、これまで学んできた知識、知恵、各業界のピークパフォーマー達からの教えを、備忘録兼ねて徒然なるままに記したものです。偏差値8を記録した高校時代から始まり、自らの秘孔を突いて隠された力を引き出し続けてきた我が軌跡が、迷える誰かの『一歩前へ』を応援することにつながればと心から願って、下記に今日のエントリをお送りします。我が人生に一片の悔いなし!
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今日は尊敬する税理士A先生の計らいで、A先生と共に学ぶ税理士会計士の先生方を対象に、勉強会の講師を務めさせていただきました。A先生は見た目中身ともに間違いなく人格者で、本人は謙遜なさると思うのですが、まさにお釈迦様。存在は遠いですが歳は幸い近いので、図々しくガシガシと学ばせていただこうかと密かに思っています。
2時間の講義+懇親会2時間+A先生とマンツーマンディフェンス1時間で計5時間ほどしゃべり通しだったわけですが、体力のない僕は、全精力を使い果たし最後は烏龍茶のくせにグロッキーでした。保険業界において積んできたキャリアと、普段から投資している勉強内容について、自分なりにまとめたものを一生懸命お話させていただきました。評価は先生方に聞いてみないと当然分からないのですが、自分としては非常に大きな学びとなりました。
何を学んだかということですが、次の格言について、非常に大きなことを学んだと感じています。
『与えよ、さらば与えられん』
といった類の立派な教えは、誰しもが良く聞く格言だと思います。この言葉が真に意味するところを思い知ったと言いましょうか。今更ながらですが、僕自身大きな気づきとなりましたので、ここにシェアします。
一般的に、『与えよ、さらば与えられん』の意味は、
①与えたら、巡り巡ってそのうち返ってくる。与えた関係のところからの場合もあるし、全く関係ないところから風が吹けば桶屋が儲かる的に返ってくる。だから与えましょーね。期待せず。そのうちね、そのうち。
といった意味に取られることが多いかと思います。確かにすぐ返ってくるもの、しばらくすれば返ってくるもの、だいぶ時間がかかって返ってくるもの、結局返ってこないものなど、カウントすると悲しくなりますが、人は誰かに何かを与え、そしてそれがぐるぐる回って何かを受け取っているものなのでしょう。成功者がよく言うように、与えることが上手になれば、そのうちそれは与えたときの何倍もの大きさになって返ってくる、ということも、恐らくは本当なのだと思います。そこに心と優しさがあって、相手のメリットに真になるものであれば、与えれば与えるほど感謝されるわけですから、ある意味当然の成り行きかもしれません。
が、今日僕が気づいたのは『与えよ、さらば与えられん』のもう一つの意味です。言うなれば、
②与えたら、その瞬間に与えられる。与えられるから更に与えたくなり、更に与えるから更に更に与えられる。更に更に与えられるから、更に更に更に・・・(以後ぐるぐるぐる・・)
といった感じのインフレスパイラルです。至極感情的な話ですが、役に立つと確信している内容のお話をさせていただき、それを皆さんが素直に参考になると言って下さり、だからこそ僕はもっと情報を出し、それがさらに喜ばれ・・・というスパイラルに見事ハマり、お話をしていてとても気持ち良かったです。これは、アーティストがライブで歌を歌い、それに観客が沸き、それを見て更に歌唱のテンションが上がり、観客は更に盛り上がる、といった音楽での場面でも見られることでしょうし、0円スマイルを見せた店員さんに癒されて笑顔になったお客さんの顔を見て更に店員さんのスマイルに磨きがかかるといった某ファストフード店での出来事にも当てはまるものと思います。
要するに、人は誰かのために何かを一生懸命やって、それが喜んでもらえた瞬間に、ただただそれだけで強烈な喜びの感情を感じることが出来る生き物だということです。なんて単純で安上がりなんだろと思いましたが、これが改めてよく分かりました。勿論僕の勘違いかもしれませんし、そうだったら誠に悲しいので泣きますが、今日の勉強会においては、ともあれ与える役であった僕が、実は一番色々なものを受け取ることが出来たように思います。というか確信しています。
だとしたら、人に何かを与える喜びというのは、あらゆる喜びランキングの中で、もっとも価値のある喜びなのではないかという仮説も成り立ちます。よく言う話ですが、誕生日をお祝いされる方よりも、その準備をしている人たちの方が幸せを感じるというのは、恐らくこういったことが背景にあるものと思います。
強烈に体力を消耗しましたが、皆様からいただけた様々なフィードバックは、僕を更に強靭な羅王に近づけてくれることと思います。この与えるということについては、また改めて書きたいと思います。
最後まで読んでいただきありがとうございます。
今日も良い一日を!

理念と利念


ラオウへの道 あしたのために 今日の北斗剛掌波
『理念と利念』
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あらゆる商品が徐々に、しかし確実にコモディティ化し低廉化し、一部の会社だけが勝ち組と言われる中で、理念が大事だ、理念経営が大事だ、理念を持つことが大事だ、語ることが大事だ、と言われて久しいです。全くその通りです。僕たち保険業界でも、理念を持つ人は持たない人の10倍の成績を収めると言われていますし、事実トップクラスには理念型の素晴らしい人財が非常に多いです。また、トップ企業になればなるほど、理念を大切にしています。クレドを是とするリッツカールトンしかり、稲盛さんが指揮する京セラしかり、他にももっと大きなエクセレントカンパニーと呼ばれる会社は、とりわけ理念を大切にしています。理念はブランドとなり、一部の商品価値を飛躍的に押し上げています。
ところが、『理念』ではなく、『利念』が先行してしまっている企業や人が多くなってきています。あのトヨタですら、聞こえてくるのは『利益1兆円』という利念ばかり。たまに豊田社長のボヤキに近い『乗れば乗るほど健康になるクルマ作り』みたいなわけのわからない理念が雑誌に掲載されたりしていますが、関係者は首を傾げるばかりげです。
オバマ大統領はつい最近決着のついた大統領選において、2期目の当選に向けて、
『中間所得層を豊かにするために働く』
と言いました。
ライバルのミットロムニー氏は、自身もとっても大金持ちなのですが、それを大上段から振りかざした上で
『税金と財政支出を減らす』
と言いました。
オバマ大統領は人の心に訴えかけ、ミットロムニー氏には人を感動させるところが皆無だった、というのが、上記のメッセージを見ても明らかなのではないでしょうか。何故なら、オバマ大統領のメッセージは
『理念』
であり、
ミットロムニー氏のメッセージはまさに、
『利念』
であったからです。
本当に人を惹きつけて熱狂と集中を促し、ベクトルを合わせられるのは『理念』だということを証明したのではないかと思います。
ところが、気をつけなければならないことがあると僕は考えています。実は、『利念』の方が、万人に分かりやすい。数値や利益目標であれば、それは誰から見ても同じ基準だからです。だからメッセージを発信する側としても言いやすい。言いやすいけども、結果として誰もの心を動かすことはできず、純粋に功利的な判断しか促せないということになります。
それに引き換え、『理念』はそれを受信する側のイマジネーションや、ぶっちゃけた話、器によって、伝わる度合いや伝わり方が変わってきます。例えばひとくちに『理想郷』と言っても、酒ドラッグまみれの酒池肉林を夢見る人もあれば、節制と倹約を重んじ、感情と欲望が適切にコントロールが利いた人生にそれを見出す人もいます。(勿論前者をイメージさせるようであれば、伝える側のプレゼン能力に問題がありますが。。)しかし、ある程度の幅を持たせつつも、そしてある程度の健全な犠牲を払いつつも、皆が幸せになる道の方向性を示すのが『理念』であり、それは多くの人の賛同を応援を得られるものです。
これを伝える側は、ですから同じことを何回も何回も何回も何回も伝え続けなければなりません。経営者しかり、組織のリーダーしかり、一人の営業しかり、お父さんしかり。『理念』というのは、一度では伝わらないものです。何度でも何度でも伝えて、すり込んでいくものです。その行程はラクではありません。しかし、本当に人に伝える価値のあるものです。
こういう世の中だからこそ、一貫性やしつこさや地味さや当たり前さを根底に置いて、目指すべき未来を語ることに、改めて価値が出てきたように強く思います。
最後まで読んでいただきありがとうございます。
今日も良い一日を!

背水の陣を敷かない


ラオウへの道 あしたのために 今日の北斗剛掌波
『背水の陣を敷かない』
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『背水の陣を敷く』という言葉があります。
背水の陣とは・・・
川・湖・海などを背にして構えた陣立てを意味し、退却すれば水に溺れてしまうことから、一歩も退くことができないという状態で事に当たることをいう。漢の功臣韓信が趙と戦ったとき、兵たちを敢えて山上の砦から下ろして不利な立場にし、川を背にして戦わせた。兵たちは一歩も引けない状態で、死に物狂いで戦闘し、趙の軍を打ち破ったという『史記・淮陰侯列伝』にある故事に基づく。byWikipedia
で、僕はこれにあまり賛成しません。物語としては美しいですし、上手くいけば良いのですが、物事は一進一退がほとんどで、進むとしても漸進です。チャレンジすればそれなりの痛みを伴うのが当たり前です。だから、一歩でも下がったら豪流の川にボチャン、以後カッパの川流され、というのは、軍事行動としてはあまりに危険すぎるような気がするのです。大体、川を背にすれば死に物狂いで戦うと将軍は踏んでいたようですが、実際戦場にいる時点で死に物狂いですし、恐らくは不利な状況で、多数に無勢の中で戦ったのでしょうから、全員が生き残るのに必死こいていたであろうことは想像に難くないわけです。
例によってこれは、限られた天才のみ使いこなせる究極の技だと僕は思っています。
同様に、例えば起業したいといったときに大学をまず辞める、会社をまず辞める、上司に辞表を叩きつけて、『背水の陣敷いたんすよどうっすか!?』みたいなのは、個人的にはナンセンスだと思います。何故ならば、どうせ起業したら死ぬほどの努力が必要なのに、学業や会社との両立も出来ないようでは、到底その後の成功はおぼつかないと思えるからです。
学業をやりながらでは/会社勤めのままでは、全く何一つ前に進まない、ということであれば、それは恐らく、大学を辞めても会社を辞めても、やはり同じく何一つ進まないのではないでしょうか。それは、学学生に必要な勉強時間のせいでもないし、それよりも締め付けがきつい会社の就業規則や付き合いのせいでも実はありません。全ては自分のコントロール出来る範囲に対する誤認と努力不足がもたらす結果です。
だから逆に言えば、学生だろうが会社員だろうが、夢は好きなだけ持てばいいと思うのです。勿論100%その夢に向かうことは色々な制限条件のせいで出来なくても、10%や20%程度は出来るはず。週末も使えば40%ぐらいは出来るのではないでしょうか。その40%でまずとっかかりとなる成果を出せなければ、それは結局100%(と思われる)の力を注ぎ込んでも、結局は形に出来ない何かなのです。
人は限られた状況の中でこそ、実際は力を十二分に発揮します。何やってもいいよ、いつまででもいいよ、という環境では、ほとんどの人はほとんど何も出来ません。
『制約』
の中で
『誓約』
してこそ、可能性を追求できるのです。
だからこそ、逃げ道を残すというネガティブな意味ではなく、あえて最初は制約の中でチャレンジをしてみる、ということが、その後を占う意味でも重要な試金石になります。
そんなわけで、家庭がある、身体が弱い、根性がない、センスがない、など様々な制限条項を抱える僕ですが、今年はみっちりがっつり、色々なことにチャレンジしていきたいと思います。
最後まで読んでいただきありがとうございます。
今日も良い一日を!

ホームランと天ぷらフライは1ミリの差


ラオウへの道 あしたのために 今日の北斗剛掌波
『ホームランと天ぷらフライは1ミリの差』
いつもお読みいただき本当にありがとうございます。一期一会に感謝します。
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本ブログは、8ケタを超える自己投資をしてきた羅王(ラオウではありません。似て非なる羅王です。)が、これまで学んできた知識、知恵、各業界のピークパフォーマー達からの教えを、備忘録兼ねて徒然なるままに記したものです。偏差値8を記録した高校時代から始まり、自らの秘孔を突いて隠された力を引き出し続けてきた我が軌跡が、迷える誰かの『一歩前へ』を応援することにつながればと心から願って、下記に今日のエントリをお送りします。我が人生に一片の悔いなし!
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あらゆるスポーツは、その動きの速さや激しさや豪快さに目を奪われがちですが、その実とても繊細なものであるケースもとても多いです。野球でホームランをかっ飛ばすときと、天ぷらフライしか打てないときを比べてみると、ボールが当たるバットのヒットポイントは、わずか1ミリ〜5ミリであると言われています。
バットをボールの中心より下に持っていき、バックスピンをかけて中空を滑るように距離を稼ぎ、ホームランを打ちます。ただし、その斜角が1〜5ミリ下に行き過ぎると、バックスピンがかかりすぎて距離が稼げなくなります。
たった、たったそれだけズレただけで、勝利を決定づけるはずのホームランが、ふらふらと高く上がるだけの情けないフライになるのです。素人がみれば、そのわずかなヒットポイント以外は見た目にほぼ違いはありません。構え、テークバック、足をあげたとき、振り下ろしたとき、腰を入れた瞬間、バットがボールを捉える瞬間、ほぼ同じです。違うのは、その1〜5ミリだけ。それが試合を分けます。
『神は細部に宿る』
という、その『細部』は、本当にごくごく細かいバットコントロールのことをこの場合指します。この細部をコントロール出来た選手は年棒何億も稼ぐスタープレイヤーになりますし、この細部を掌握出来なかった選手は、早ければ数年でプロの世界を去ります。それぐらい、この細部は重要となります。この細部を手に入れるだけのために、数十年を野球だけのために費やし、公私問わず人生の全てが野球によって覆われる、そんなことを続けてきた選手たちの、そのほんのひと握りの選手だけが、この細部を手中にします。99%と100%の違いです。
99%と100%には、わずか1%の違いしかありません。しかしこの1%は、上述のプロ野球の世界だけの話に限らず、人生のどのステージにおいても非常に重要な位置を占めます。受験で99点の人は落ちて、100点の人は受かることもあるでしょうし、ある有名企業に採用されるのも新卒募集の人数制限があるため、最後に受かった人と、最後に落ちた人にはほぼ差がありません。
ごくわずかな、しかし確実な差は、ほとんどの場合あまり重要ではありませんが、時に人生の大事な局面において、人生そのものを分けます。振り返ればあそこがターニングポイントだった、という経験は誰にでもあると思いますが、そんな時に限って、成否を分けた原因は、ほんの些細な点だったりします。
そういう意味では、普段私たちが些細だとか矮小だとか感じていること一つ一つが、もしかしたら何かの大きなきっかけの遠因になるかもしれません。だとしたら、目の前で取り組んでいる『何か』に対して、99%の力で臨むのと100%の力で臨むのとでは、たった1%の差が、たった1ミリの差が、後々大きな違いとなって、私たちの人生に影響を及ぼすのでしょうし、そんなこともあるかもしれないなと思いながら目の前に全力を傾けるというのは、汗臭いしダサいかもしれないけれど、やはり理に叶っているのではないかなと思います。
最後まで読んでいただきありがとうございます。
今日も良い一日を!

守破離の守は長いのよ、ハッハ〜ン


ラオウへの道 あしたのために 今日の北斗剛掌波
『守破離の守は長いのよ、ハッハ〜ン』
いつもお読みいただき本当にありがとうございます。一期一会に感謝します。
私が仕事上、比較的多用する言葉が、『守破離』です。
有名な格言ですが、Wikipediaによると、
『守破離(しゅはり)は、日本での茶道、武道、芸術等における師弟関係のあり方の一つ。日本において左記の文化が発展、進化してきた創造的な過程のベースとなっている思想でもある。
まずは師匠に言われたこと、型を「守る」ところから修行が始まる。その後、その型を自分と照らし合わせて研究することにより、自分に合った、より良いと思われる型をつくることにより既存の型を「破る」。最終的には師匠の型、そして自分自身が造り出した型の上に立脚した個人は、自分自身と技についてよく理解しているため、型から自由になり、型から「離れ」て自在になることができる。』です。
スポーツでは、この守破離が徹底されているように思います。どんなに成功したサッカー選手でも、トラップやインサイドキックの練習は怠りませんし、どんなに成功した野球選手でも、いや成功した野球選手こそ、素振りや走り込みを大事にしています。そうして『守』としての膨大な練習を積み重ねてきた上に、そのうち『破』としての独自のフォームが生まれ、最後にはそれを真似する人が現れるほど特徴的なものとなり、王貞治さんの『一本足打法』や、イチローの『振り子打法』といった『離』的なものが生まれてきます。
逆に言えば、インサイドキックの練習を15歳ぐらいで切り上げてプロになったサッカー選手も、素振りを1000本程度しかしないでプロ野球選手になった人も、恐らく、というか絶対にいないと思います。それだけ、高いパフォーマンスを維持するには、『守』の部分をずっと鍛え続けていくことが大切なのでしょう。
プロのスポーツ選手たちは、弟を見ていても思いますが、このことが体の芯から刻みつけられているのだと思います。
ところがことビジネスの世界やプライベートな世界になると、少し事情が違うような気がします。『守』よりも、『破』や『離』の方がさも大切かのような風潮があるように感じます。私だけでしょうか。いいえ、誰でも。
『新しいビジネスモデル』や『自分らしさ』といった、実しやかな言葉が流布していますが、これはインターネットやメディアをはじめとした情報社会になったことによって、どこかにあるもっとお気楽でもっとお手軽な手段や方法『のように見える』情報が容易に手に入りやすくなったからだと私は考えています。本当に大切なことは、表面的に見えているその地下の根にこそあるのですが、恐ろしいほど表面的な情報が多いため、そこに影響を受けてしまうことが多々あります。
例えばビジネスの世界では、普通1年目から3年目までは、いわゆる新人とされます。この時期は徹底的に『守』を叩き込まれます。多くの新人は、この時期を経て、ビジネスパーソンへと育っていきます。
しかし社会人10年を経て思うのは、自分や周りも含めて、『最近破や離ばかり追っていないか?』ということ。これは慣れが原因の一端かもしれませんが、情報過多の社会情勢も影響があるでしょう。『守』はつまらないことが多いです。苦しいことが多いです。退屈なことが多いです。だから、一見して派手に、格好良く見える『破』や『離』に行きがちなのだと思いますし、そこへのアクセスを見た感じ容易にしてくれるインターネットがあれば、そこに飛びついてしまう人が多いのも仕方ないのだと思います。
確かに年齢や実績とともに職責は変わります。新人時代と同じく飛び込み営業ばかりするわけにはいかず、働く時間を長くすれば良いというものでもありません。しかし周りを見渡して、成果を出して出して出し続けている人たちを見ると、
1、新人時代よりも動いて
2、新人時代よりもアツイ気持ちで
3、新人時代よりも変化し続けて
います。ある意味アホです。手を抜くということを知らない人たちです。私から見たら異常です。でも、プロスポーツの世界から見たら、これが普通なのです。これがスポーツの世界とビジネスの世界の共通点であり、違いでもあります。結局、成果を出す人というのは、スポーツでもビジネスでも、『守』をいついかなる時も大切にしています。
『守』はいわば、
『原理原則』
と言っても良いと思います。
こうすればこうなるという、因果の法則を表したものです。これだけやればこうなるという、大数の法則を表したものです。この人にしか出来ないといったものではなく、誰でも出来る非属人的なものです。結果でなく過程、才能よりも努力、アプリケーションよりもOSを表すものです。
往々にして『守』は、それを始めたばかりのとき、そして踊り場で成果に直結していないときは、とかく何をやっているか分からないものですし、そこに積極的な意味を見出すのも、私のような盆栽(=凡才)には難しいこともあります。
しかし、そういうものは概して、後々になって効いてくるもの。そのスパンは、1年かもしれませんし5年かもしれませんし、はたまた10年の長期にわたるかもしれません。そしてそれが効果を発揮する頃には、いままで想像もつかなかった境地へたどり着くことができます。数式で表すとすれば、
守≫≫≫≫≫≫≫≫≫≫≫≫≫≫≫≫≫≫破≫≫≫≫離≫≫≫≫成功
なのであって、
守≫≫破≫≫離≫≫成功
ではありません。長く続く守の時期を耐える必要があります。多くの人は守の期間中に諦めてしまうか、守の期間をどうにかこうにか短くしようとして手を変え品を変えるものですが、原理原則はそんなにカンタンに縮まりません。諦めて耐える必要があります。
今年はホンモノの力をつけるために、この『守』ということに改めて重きをおいて、物事に取り組んでいきます。安易に『破』や『離』に手を出したりはしないつもりです。それは地味でツライ作業の連続になるかもしれませんが、未来の私から課された必須トレーニングだと思って、テンション上下せず粛々と取り組んでいきます。
最後まで読んでいただきありがとうございます。

ビジネスの面白さ


ラオウへの道 あしたのために 今日の北斗剛掌波
『ビジネスのおもしろさ』
取り組んでいるものがなんであれ、ビジネスの面白さは競合なり顧客とのミックスアップが可能な点にあります。(ミックスアップとは=互いに高めあい新境地に至ること。はじめの一歩29巻あたり参照)
20年近く前になりますが、マイクロソフトのWindows95が世に出て、マイクロソフトは大いに潤いました。また一方、顧客は利便性という潤いをたっぷり得ました。それまでの専門家でも分からないようなインターフェースでなく、感覚的に誰でも使えるインターフェースが出来たことで、PC人口も飛躍的に増えました。いわゆる、使い古された言葉でいうところの『WinWin』な状態が作られます。
スポーツの場合は、取り組むことそれ自体に膨大なる価値があるとは思うものの、基本的には多くのスポーツで『敵』がいて、その打倒が目的となります。基本構造としては『Win-Lose』です。また、スポーツの場合はオンリーワンなどという悠長なことを言ってられることは少なく、競技に取り組む者のほとんど全てがナンバーワンを目指さなければいけません。多くの競技でそうであるように、ナンバーワンが全てを得て、それ以外は負け組、となったりします。サッカーや野球のように裾野の広い競技ならまだしも、マラソンや柔道などですら、二位の選手をすぐ答えられる人はそう多くないでしょう。
感覚として、スポーツの場合はトップ0.1%に入らないと生活すらままならないのですが、ビジネスの場合はトップ10%に入っていれば、なんとかなります。その差なんと100倍です。それゆえに多くの選択肢をとることができます。スポーツの場合はサッカーの選手が野球選手になることなどまず有り得ませんが、ビジネスの場合は年齢にもよりますが、意外と違うフィールドの選手になることは可能だったりします。個人の可能性が広く追求出来るということであると思います。
ただ恐らく、日本とスポーツ先進国である欧米諸国(競技によりますが)との違いは、スポーツ選手の引退後のプランが非常に限られるかそうでないか、またそうでない場合はどういったバックアップ体制があるか、という点だと思います。サッカー選手のその後を支援する団体なんてのも動き出しを始めているようですが、それはそれで色々と課題がありそうです。
話を戻して、勿論競争はあるものの、結果的により多くの関係者がWinを手に入れることが出来るのがビジネスの醍醐味であります。より人道的に考えれば、貢献した分だけ、貢献すればするほど潤いが与えられるというのは、とても正当なことであるような気がします。最近王道を勉強中なのですが、過去ずーっと様々なタイミングで聞き飽きるほど聴いてきた過去の至言の数々が、自分の血肉となりつつあることを感じています。人は経験によって、今まで見えなかったものが見えるようになる。

人はいつからプロになれるのだろうか


ラオウへの道 あしたのために 今日の北斗剛掌波
『人はいつからプロになれるのだろうか』
プロとアマには、同じ仕事や競技をやっていても厳然たる違いがあります。住んでいる世界は似て非なるものです。同じ川を泳いでいても、流れが真逆だったり、同じスポーツをしていても、草野球と大リーグでは全てが違います。言うなれば、プロは生み出す人で、アマチュア与えられる人。プロは成功報酬で、アマチュアは賃金。
今日、久々に力のある人に全人格否定ばりにボコボコにされて、フラフラになったのですが、幾つかの点について至極ごもっとも思ったところがあるので備忘録代わりに。こういった、自分の見えないところを突いてくれる人とのコミュニケーションは本当に有難いです。その分ショックもでかいですが。。
お話をしている中で、自分がプロを自称していたにもかかわらず、アマチュアだったことを痛感しました。プロはプロを自認した時からプロで、そこに実力の優劣や経験の有無はカンケーありません。
勇者が神の『あなたは勇者ですよ、選ばれし者です』という啓示を受けて自分が勇者だと認識した時から、使える呪文が少なかろうが攻撃力が弱かろうが、勇者としての立場や行いを未熟ながらもしていく。そして本当の勇者になっていく。勇者が、『こうなったら勇者と名乗ろう』『これができないからまだ勇者じゃないな』と言ってたら、恐らく世界は永久に救われません。『僕は勇者だ、だから魔王を倒して世界を平和にしよう』ここから全ては始まります。そして伝説が生まれます。
これを世間では、『決断』と呼んだり『決意』と呼んだり、『アファーメーション』と呼んだりします。
平たく言うと、私にはこれが出来ていなかった。弱い勇者の勇気ある思い込みができていなかった。それなりの自信を持ちながらも、大きな話や目標になると、『いやいや私なんてまだまだ』と、謙遜ではなく無駄な卑下をしていました。何かが達成できないと、そういった無駄な卑下は、すぐさま言い訳に形を変えます。それの連続である程度まで来てしまいましたが、それは本当にプロの姿だったかというと、自分でも疑問符が湧いてしまいます。
解決策は意外とカンタンです。プロを目指すアマチュアとして一生懸命に前に進むのではなく、そもそも今既にプロの立場にあることを、改めて自分に叩き込むということです。アマチュアの延長線上にプロがあるのは、明確なプロテストがあるゴルフなどのわかりやすい競技だけです。少なくとも我々の生きる一般社会は、自分でプロだと言い張ったらプロになります。そこに必要なのは、とりあえず言っちゃう勇気と、それを現実にする行動だけです。至極カンタンな話です。しかしそこから逃げることも、また非常にカンタンです。私はいままでそれを選んでいました。
知識だけではなく、器としてのプロ。私が目指しているのはそんなところでしたが、『そもそも今プロなので目標とか言うのはやめます』。以上!