密林の法則


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みなさんこんぬつわ〜、こちらは8桁超えの自己投資をしてきた羅王のブログです。驚異の偏差値『8』を叩き出した高校時代から始まった『The 補欠人生』にピリオドを打ち、人生のレギュラーを目指す軌跡と奇跡を備忘録兼ねて徒然なるままに記しました。同じように悩み苦しむ誰かの『一歩前へ』を応援することにつながればと心から願って!
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今日は、私のアホなブログを見てわざわざ埼玉から逢いに来てくださった税理士のK先生とランチでした。埼玉と東京という別の場所で育ち、年齢も一回り以上違う、仕事も違う、毛色も違う、と何もかも違うのですが、唯一共通しているのは、一昨日のエントリに書いた、かなりの投資を伴うセミナーに期を異にして参加したということぐらいです。
が、話してみると、姿形は全く違うのですが、共通点が出てくる出てくる。特に深いところでの価値観についての一致が、様々なところでありました。K先生はどうお感じだったか分かりませんが、僕は強烈なるシンパシーを感じました。
経験がある方もいるかと思うのですが、次のどれかに類するパターンを経験すると、人は人との結びつきを強固に感じる傾向があるようです。
1、甲子園を目指す体育会系野球部で、全寮制の元、三年間同じ飯を食った。
2、(今回のような)それなりの投資を必要とするセミナーに意を決して参加し、3日間徹底的にともに学んだ。
3、エジプトのルクソールで友達になった外国人に、数日後に全く別の国の街で再会した。
これらまとめてひっくるめて、『密林の法則』と名付けることとしました。戦争が終わった当初から何年もの間、戦争の終結を知らずに彷徨っていた日本軍兵が、同じく彷徨っていた友軍の兵とジャングルの密林の奥で出逢った瞬間に、それまでの階級の違いや利害関係を乗り越えて生きるために一瞬にして強固な友情で結ばれる、と、そんなシチュエーションをイメージして名付けました。(参考図書:『私は魔境に生きた』)
1〜3はいずれも、なんかしらの密林をメタファーとして乗り越えた末に強化された人間関係です。ジャングルの密林の奥地には、並の人間は入っていくことは出来ません。そこにたどり着くには、いくつもの越え難いハードルがあります。そこを越えて出逢うことが出来た人間同志は、固く心が結ばれます。
1は労力的な密林です。三年間もの間、同じ釜の飯を食いながら尋常ではない量、野球ばかり練習するのが高校球児です。そこに一般人の入る余地はありません。この頃のチームメイトは、恐らく大人になってからも強い絆で結ばれ続けることでしょう。
2は金銭的な密林です。今回のような数十万もするセミナーの場合、それにお金を払う善し悪しは別としても、そこまでコミットして学びに来る酔狂な人というのは、そういません。また、コミットしているからこそのセミナーから持ち帰る情報量が他の安価セミナーを圧倒しており、ゆえに成果が出やすい環境が整えられる、そういったことでしょう。金銭的な密林をわざわざ通ってまで学ぼうとする狂った人は、僕の周りにもあまりいません。
3は距離的な密林です。日本から遠く離れた国で出逢った人間に、永遠とも思えるさよならを告げた後、意図せず全く別の国で出逢うことができたとしたら、それはもう一生モノの友情が芽生えるのは当たり前です。泣いて抱き合うでしょう。
これら3つが、仮に密林の奥地に突っ込むことなしに、平野部で易易とたどり着ける場所にあったらどうでしょう?例えば、数年間とはいえ同じ釜の飯をただ食ってるだけの同居人の集まりに、そこまでの絆が生まれるとはあまり思えません。エジプトのドミトリーで数年間同じ釜の飯を食ってる人達を見かけましたが、彼らは一日中トランプをやったりタバコを吸ったりしているだけで、特に集団で何をやるというこも一切ありませんでした。数千円ぽっきりのセミナーで出逢った人達ともう一度出逢い、縁が育まれるケースというのは、経験上あまりありません。お互いにコミットを感じないからかもしれません。ジャングルの奥地ではなく、ハワイで何度知りあいにあったところで、そこは日本から見ても安全地帯、そう大きな感動はありません。あくまで、『労力的』か『金銭的』か『距離的』かのいずれかの密林の奥で出逢う仲間でなければ、そこまでの想いは湧いてこないものと思います。
逆に言えば、『心の通った仲間が欲しい』、『同志が欲しい!』ということ人がいたとしたら、上記いずれかの密林に何らかの方法で能動的に踏み込んでいくことが大切です。ここで重要なのは、1は時間が明らかにかかるため待つことが必要ですが、2と3に至っては即効で行動できるものばかりです。明日からでも、もっと言えば今からでも変えられるものなのです。決して時間がかかるものばかりではありません。
『労力的』、『金銭的』、『距離的』密林を目指して突っ込んでいったときに、それに負けじと突っ込んできてる『バカ』で『アホ』な人が必ずいます。そういう仲間とは、仮に過ごす期間が少なくても、まだお互いのことを全て理解できているわけではなくても、必ず仲良くなれます。だってわざわざジャングルの密林の奥まで来ているわけですから。『密林の法則』においては、三つの密林が奥にあればあるほど、そこにたどり着いた者同志が握手するときの握力が上昇するのです!
そういえば思い出しましたが、この『密林の法則』が一番効いてるのは、『サハラマラソン』かもしれませんね。10kg以上の荷物を背負って約一週間で200km走るという完全な狂人のためのレース!!!勿論一週間に渡りサハラ砂漠に滞在することも頭おかしいし、サハラマラソンを走るには旅費とは別に数十万かかります。サハラへの移動距離はハワイへのそれの倍以上です。アホですねもはや。数年後出ますが・・
さて、ということでどうせ仲間を探すのなら、密林のうんと僻地に行きましょう。(勿論目指す方向の中で!)すると、ちょっとヘンでサバイバル力があって心が通う仲間が必ず出来ます。そういう仲間とともにお互いの成長をみながら人生のマスを進めていくのは、この上なく楽しくアツいものでやんすよ。
最後まで読んでいただき本当にありがとうございます!
我が人生に一片の悔いなし!

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寿司屋の大将と競輪選手と羅王


ラオウへの道 あしたのために 今日の北斗剛掌波
『寿司屋の大将と競輪選手と羅王』
いつもお読みいただき本当にありがとうございます。一期一会に感謝します。
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本ブログは、8ケタを超える自己投資をしてきた羅王(ラオウではありません。似て非なる羅王です。)が、これまで学んできた知識、知恵、各業界のピークパフォーマー達からの教えを、備忘録兼ねて徒然なるままに記したものです。偏差値8を記録した高校時代から始まり、自らの秘孔を突いて隠された力を引き出し続けてきた我が軌跡が、迷える誰かの『一歩前へ』を応援することにつながればと心から願って、下記に今日のエントリをお送りします。我が人生に一片の悔いなし!
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今日は仙台に来ています。目的は2つ。1つは純粋に仕事、もう1つは被災地のその後を見るためです。夜は地元出身の方のオススメのお寿司屋さんに行き、カメラ禁止の頑固系大将と、地元出身の競輪選手であるSさんというよく分からない組み合わせで、初対面にも関わらず盛り上がってしまいました。
仙台には、実は去年も来ました。市内からわずか15kmほどにある閖上(ゆりあげ)という場所。そこは、『何もない』状態でした。本当に何もない。街一つが消滅したのです。しかも、少し高台にある高速道路たった一本を隔てて、そこより左側は無傷、右側は全滅、という、有り得ないことが現実に起きたことを見せつける景色でした。
十数人の生徒が亡くなったと言われる閖上中学校では、ついにこらえきれず涙したことを覚えています。生き残った生徒達が、旅立った生徒に向けて書いた机の寄せ書きがぽつんと置いてあり、そのメッセージの一言一言が、大いなる未来を奪われた友人への愛に満ち溢れていて、柄にもなく泣いてしまいました。
本当に何もない、という言葉が当てはまるほど、何もない地でした。たった市内から十数キロなのに、何もありませんでした。。
そんな景色を見たのが去年。今回その閖上には行けなかったので、大将に閖上のことやその他の地のことを色々と聞きました。東京では震災の情報が急激に少なくなってきているので、現地の本当の状況を教えてくれ!と頼み込んで、色々とお話を聞くことができました。印象に残ったことを書き留めておきたいと思います。
『俺たちはさ、実際問題ほとんど無傷だったんだ。だからいろんなところからボランティアの人がきてくれて、大変でしたね、って言ってくれるんだけど、ガスと水道程度が数日止まる被害しかなかったから、被災者ヅラしようと思っても出来なかったんだ。本当に大変なところとのギャップがあってさ、俺たちもどうしていいか分からなかったんだ。』
『バブルとか言われてるけどそれももう終わった。それで潤ったのも夜の街だけだよ。普通の人にはお金は行き渡ってない』
『復興しはじめてるのは、やられ方がまだマシだったところ。気仙沼とか三陸なんてのは、復興がわりかし早い。でも、閖上もそうだけど、本当になんにもなくなっちまったところってのは、復興のしようがない。だからどうするかってのが、未だになんにも決まってないんだよ。何か決めても、また何か起きたらどうせ流されるしって意見もあるし。』
『漁業関係者でも、魚を実際に取ってる漁師さんたちはもう復活してる。だけど加工業者とか、設備が要るようなところはダメさ。まだまだだ。』
『バブルである程度持ち直したとは言っても、それは地力が上がったということではなくてたまたまそういう波が来ただけ。地力が上がってないからバブルが過ぎたらまたダメになる。』
『俺は復興ボランティアとか行かなかった。行きたくなかったんじゃない。行ってもなんにもなくなっちゃったところばっかだから、行っても何も出来なかったんだ。あと、寿司をはじめ漁業関係者は全員、他人事にかまってられる暇はなかった。自分たちが壊滅寸前だったんだ。義援金とかはなんとか送ったけど、正直ボランティアどころじゃなかった。ボランティアってのは、何かを復旧できる見込みがあるところにいくもんなんだ。何もなくなったところに行くのは、ボランティアじゃない。ただの見物だ。』
何か大切なことを僕達は見過ごしはじめているんではないだろうか、と、大将の話を聞いていて思いました。結局のところ、何も終わっていないのです。それどころか何も始まってすらいないのです。震災の爪痕というのは、それだけ深く痛々しいものなのだということです。そんな当たり前のはずのことを、どこか楽観視して普段気にも止めずに暮らしている人がこの頃増えてしまっているのではないか、そんな危機感を覚えました。そして自分もそのひとりなのではないかと。。
僕は毎日募金をしていますが、それだけではない貢献を何かしたいとずっと考えてきました。全ては出来ないにしてもこうして定期的に震災のその後の本当の姿をきちんと知っておくことは、僕の人生の意味を確認する意味でもとても大切なことに思えてきました。
丸2年経っても何も解決していない日本の大きな大きな問題。僕たちは、距離は離れているかもしれないけれど、真剣に向き合わなければいけない未来への宿題に、有限な夏休みのどこかで机にきちんと座って取り組むということを考える必要があると強く思います。
それはそれとして、日本競輪界のトップクラスに20年に渡り君臨しているというSさんのお話でも大いに盛り上がり、『結局命かけて仕事するしかないよな!』的なノリで終わることとなりました。知るべきことを知ったら、あとは自分に出来ることを全力でやるだけです。そんなとても基本的で大切なことを改めて学ぶことができました。
最高のお寿司を提供してくれた大将、今まで不可知だった競輪というマチョメンな世界を語っていただいたSさん、本当に有難うございました!
最後まで読んでいただきありがとうございます。
我が人生に一片の悔いなし!

右脳のない僕がデザイナーさんのお話を聞いてみた


ラオウへの道 あしたのために 今日の北斗剛掌波
『右脳のない僕がデザイナーさんのお話を聞いてみた』
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本ブログは、8ケタを超える自己投資をしてきた羅王(ラオウではありません。似て非なる羅王です。)が、これまで学んできた知識、知恵、各業界のピークパフォーマー達からの教えを、備忘録兼ねて徒然なるままに記したものです。偏差値8を記録した高校時代から始まり、自らの秘孔を突いて隠された力を引き出し続けてきた我が軌跡が、迷える誰かの『一歩前へ』を応援することにつながればと心から願って、下記に今日のエントリをお送りします。我が人生に一片の悔いなし!
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昨日はお客様のご紹介で、ある若きデザイナーの方(=以下、敬称略で通称ホリエモン。名前が類推出来るのは本人了承済み)とお逢いしました。初対面かつ本業でのアポだったのですが、保険の話ほとんどそっちのけで、めちゃめちゃ面白い話を聞くことが出来たので書き留めておきたいと思います。ちなみに僕は小中高時代、図画工作や技術や美術が2(音楽は意外と5)だったため、その手のことを考えるための右脳がほぼありません。にも関わらず、おっしゃっていることの意味がほぼ100%理解出来て、かつそれを僕の専門分野と融合するまで昇華させるまで議論を展開出来たのは、望外の発見でした。ということで、今日は普段心がけているブログ執筆制限時間20分を超えて、長々と書きたいと思います。
デザイナーの世界は、華麗なイメージとは裏腹に地道かつ地味な作業の連続で、更に生き残りも非常に厳しい世界で、建築やデザインの専門学校を経ても、その後もずっとデザインの仕事を直接的にし続けることが出来るのは、ほんのひと握りとのこと。あれあれ、僕が生きる保険業界と一緒ぢゃないですか。超共感。その中で、ホリエモン氏はとにかくデザインが好きで好きでたまらないとのことで、目をキラキラさせながら、しかもわりと静かな喫茶店で大声で興奮しながら(笑)、いかにデザインの仕事が素晴らしいかを僕にお話してくれました。こういう人が一番強いんだろうなぁ。
(ホリエモン氏作品 http://k-hdesign.jp/design/manaita/manaita.html シンプルですがこういう発想ってすごいなと思います。)
以下、右脳のない僕からの質問。
Q1:アップルのジョナサン・アイブって確かデザイナー担当上級副社長ですよね?彼、イケメンだけど腕の方はどうなんですか?iPhoneのどこがスゴイんでしょうか?(そもそも質問のレベル低すぎ汗)(ジョナサン・アイブは、独断専攻で社内で神とまで言われたスティーブ・ジョブズが、最も権限を与えた漢と言われています。信頼されるだけの実力は当然あったのでしょう。)
A1:化け物です。あれが世界の頂点です。例えばギリギリ持ち手の親指でカバー出来る範囲に収まる設計。本当にギリギリで届きます。大きすぎず小さすぎず。更にはiPhone本体横の音量ボタンのところを見てください。ボタンがしっかりした材質で、重厚感をもってしっかり造りこまれています。国内メーカはここが弱い。別に機能にもデザインにも直結しないところだから、単なるコストと割り切って、なるべく安く安く造ろうとするんです。良いものをデザイナーが持って行っても、合理性がないからトップが止めちゃう。でもジョナサン・アイブは、こういうところをしっかりと造り込むということを、スティーブ・ジョブズにねじ込んで認めさせたんです。任せたスティーブ・ジョブズもスゴイけど、あのスティーブ・ジョブズに押し通したジョナサン・アイブは半端じゃない。
Q2:他にiPhoneのスゴイところって?(またまた質問のレベル低すぎ汗汗)
A2:トップ画面で、例えば左に左にスライドさせていくと、アイコンが途切れた時点で行き止まりになります。この行き止まりになる時に、一度左に引っ張られて、そしてゴムみたいに元に戻ります。こういうところなんです。デジタルの世界で、別にこんな動きを連動させる必要なんて全くない。でも、このゴムのような動きが、現実の世界とデジタルの世界をつなぐ架橋になっていて、ユーザから見たときに『感覚で使えるデジタル機器』になるんです。自分の親指も、左にスライドさせたときに腱が引っ張られて右に戻りますよね?それと連動する感覚が、何故かデジタルの世界で体現できてるって、これスゴイことなんです。
Q3:な、なるほど!それは確かに!でもなんというか、デザイナーの方だから気づくような細かいところですよね?デザイナーだからスゴイと思えるんですよね?一般の人って、なかなか気づかないんじゃないかと思うんですけどどうでしょうか?あるいは、こういう言い方はアレかもしれませんが、百歩譲って奥ゆかしい日本人がそういうところに気づいているとしても、高度成長期の日本に近いような今頑張ってる国々の人って、ぶっちゃけそういう細かい気づかないところよりも、派手さとかデカさとか、わりと分かりやすいところに注目するんじゃないんでしょうか?平たく言うと、そういう気づかないようなところばっかりに注力しているiPhoneが、日本だけではなく世界中で支持されている理由がよくわからないんです。
A3:羅王さん、それは違います。僕たちしか気づかないような部分なんですけど、実際は『ほんとは皆、気づいてないと思ってるけど気づいてないうちに気づいてるんじゃないか』、というのが僕の予想です。赤ちゃんが感覚で全てを判断するように、僕たち大人も。だから、説明書が全く読めない子供も、感覚でiPhoneやiPadを使えたりする。iPhoneのスゴイところは、僕たちが普段何気なく感覚で捉えていることを、0と1のデジタルの世界で、極限まで実現しているということなんです。これってものすごい難しいことで、それを世界で唯一実現出来ているのがiPhoneだから、これだけ世界中で支持されているんじゃないかと。言葉は違っても子供から大人まで感覚っていうのは、世界共通でしょうから。
Q4:な、なるほど!(持っているiPhoneをまじまじと見る。そう見るとそう見えてくるから不思議。)感覚を制する者が試合を制すってことなんですね!?(もはやスラムダンクに例えるしか手がない・・)
A4:結局のところ、説明書のないものが一番良いし一番強いんです。それがまさにiPhoneの強み。何度も言いますが、世界共通の感覚をデジタル世界で表現していること、これが強さです。こういうところって、本当は日本が一番得意なはずなんです。何か造れと言われたら、まず間違いなく良いものを造る。でもそれは、良いものであるというだけで、売れるとは限らない。何故なら、エンジニアの人たちが、とにかく良いものを造ろう造ろうとする一方で、それをどう表現するか?どう伝えていくか?ということをほとんど考えていないからなんです。日本だけではなく世界に対してアピールしていくには、日本語も英語も必要です。でもそこに、言葉を必要としない、見ただけで分かる何かがあれば、全世界に打って出ることが出来るじゃないですか。それがデザインなんです。エンジニアの人たちが伝えたいこと、伝えたいけどうまく表現出来てないこと、もしかしたら気づいてすらない強みを、どう言葉を介在させないで、感覚として伝わるものを造っていくかというのが僕たちの仕事です。ロゴを造るとかもそういう意味があります。
スティーブ・ジョブズの『人はそれに気づく』という言葉があったことを、そう言えば思い出しました。『お前はこれから一生砂糖水を造り続けたいか、それとも世界を変えたいか』(ペプシコーラ社長だったジョン・スカリーを口説いたときの言葉)や、『Stay foolish, stay hungry』(超有名なスタンフォード大学での卒業式スピーチ)など、パンチの効いた、ボキャブラ風に言うとバカパクな感じの名セリフが大いスティーブ・ジョブズですが、この『人はそれに気づく』という何気ない一言こそ、ジョブズが実はとても繊細な心の持ち主だったのではないかと伺わせるフレーズだったのではないでしょうか。
考えてみれば、ホリエモン氏に教えていただいたお話は、僕が普段保険の仕事で心がけていることと全く一緒でした。人が気づいていない部分にこそ差別化の源泉を求める、人が気づいていないリスクや将来設計を分かりやすく形にする、そして実はそれは人が感覚的に気づいているけれども、言語化出来ていないことなのかも・・・ということで、右脳のない僕がデザイナーさんのお話を聞くということに、全く理解できないんじゃないかという不安を抱えてはいましたが、終わってみればこれほど近似値な世界もないんじゃないかと思うぐらい、浅薄ながら理解を深めることができました。どちらもプレゼンテーションなだなぁと。
戦うフィールドが違っても、一流のスポーツ選手と一流の文化人の話が合うのと同じように、僕とホリエモン氏の会話も、お互い絶対に理解しきれない土俵の違いはあれども、結局のところ『俺たち言ってること同じじゃね!!??』と思えることって、なんだかとても素敵なことだなと思いました。何故ならば、もしそういうことが可能ならば、どんな分野の人と会話をしても、そこから少なからずどころかたっぷりと学ぶことが出来るからです。ある師匠が、もはや手当たり次第と言っていいぐらい様々な業界の様々な方々と会食をしまくっているのですが、それにどんな意味があるんだろうと前は思っていました。が、今回このホリエモンと出会えたところで、『相手との最大公約数から学ぶ』ということの素晴らしさを改めて知ることができました。ホリエモン氏、有難うございました!ホリエモン氏自身もこれから世に出てくる修羅だと思いますし、彼が勤めるデザイン事務所は実はかなりスゴイところです。ロゴなどを造れば言葉にせずして感覚的にプレゼンテーションが出来る、という意味では、独立したての皆様の強力な味方になってくれるかもしれません。
最後まで読んでいただきありがとうございます。
今日も良い一日を!

高地トレーニングのすゝめ


ラオウへの道 あしたのために 今日の北斗剛掌波
『高地トレーニングのすゝめ』
いつもお読みいただき本当にありがとうございます。一期一会に感謝します。
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本ブログは、8ケタを超える自己投資をしてきた羅王(ラオウではありません。似て非なる羅王です。)が、これまで学んできた知識、知恵、各業界のピークパフォーマー達からの教えを、備忘録兼ねて徒然なるままに記したものです。偏差値8を記録した高校時代から始まり、自らの秘孔を突いて隠された力を引き出し続けてきた我が軌跡が、迷える誰かの『一歩前へ』を応援することにつながればと心から願って、下記に今日のエントリをお送りします。我が人生に一片の悔いなし!
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先日ご紹介したような講演会に参加すると、やはりテンションが上がります。もっとやったるで!となります。そうしてひとしきり盛り上がりが続いた後に、ふと気づきます。
『とは言っても俺今こんなもんやし・・・』
そう、現実は決して甘くはないのです。誰もがもっとよくなりたい、でもその『もっと』を達成できる人はそう多くはないというのが僕の実感です。
それでもこの数年、どうすれば人は変われるか、自分の望む場所までたどり着けるか、といったことを広く誰でも出来る形に噛み砕く形で研究してきた僕としては、一定の原理原則は理解出来ているつもりです。ぐうたらでルーズでダメダメで・・を自認する僕が出来るようになれば、それはきっと人類70億人、とは言わないまでも、1億2000万人-1人(=自分)の希望の光にはなるのではないだろうか、そんなことを考えています。
さて、そんなわけで、興奮したり変わりたいと思った瞬間に、そのテンションと勢いを維持すべくオススメしたいのが、
『高地トレーニング』
です。マラソンのあれです。それを人生において行う。
高地トレーニングとは、マラソン選手やサッカー選手がよくやる手法で、敢えて酸素の薄い3000mないし4000mの標高を誇る高地でトレーニングをすることで、心肺機能を劇的に高め、平地に戻った時に特にスタミナ面において、圧倒的なパフォーマンスを発揮する目的で活用されます。高地の多いアフリカ勢がマラソンに異様に強いことを受けて、取り入れられることが増えたトレーニングです。
原理的には、酸素の少ない高地で体をいじめぬくことにより、また高地順応することにより、呼吸機能と循環機能がアップし、赤血球やヘモグロビンが増えて酸素の運搬効率が上がるそうです。
そもそも、僕もペルーのクスコやボリビアのラパス(大体富士山ぐらいの高さ)などに旅しに行ったので分かりますが、高地というのは何もしなくてもツライです。走るのはもとより、高地に着いた当日は、2階に階段を登るのすら一苦労、息はゼェゼェ、頭はガンガン、死にそうになりました。そうして数日経つと高地順応が起きて体がラクになるのですが、この順応をしないままに暴れると、とんでもないことになります。
ですから、その異様な環境でトレーニングをハードに行うことがどれだけスゴイか、ということは想像に難くないのですが、もしもの好きな方がいらっしゃったら、疑似体験として、マスクをつけて走ってみると良いと思います。一般人がやると、死にます、はい。これに耐えられるのは、ボクサー級の肺活量を持つ人だけです。
さて、これを人生でもやる、とはどういうことか。
そのまんまの意味で、『今より高いところで自分を鍛える』ということです。
僕たちは、快感か不快感か、ということで言えば、当然のことながら快感を選びます。そしてその快感とは、全て
『自分の許容範囲内』
のものに対して感じるものと言っていいと思います。だってラクだし。
仕事にしても人づきあいにしても趣味にしても、自分が経験してきた範囲内で、自分が出来る範囲内で、自分がよく知ってる範囲内で、取り組む方がずっとラクです。
しかしながら、多少なりとも残酷なことを言うと、昨日一昨日と同じことをしていて、同じ人と会っていて、同じ程度の力しか入れていなければ、結局今日は何も変わらず、勿論明日も変わりませんし明後日も同じままです。ずーっと同じ。いつか変化が訪れる、というのは、人間特有の楽観的観測でしかありません。
一方で人は、もっと良くなりたいと思っているものです。もっといろんな人と知りあいたい、もっと稼ぎたい、もっと昇進したい、もっと色々やりたい。。
この現状を愛し、それでも変化を求める人間という不思議な生き物にとって大切にすべき感情は、
『快感ではなく不快感』
ではないかと思うのです。
何故なら、不快感だったり不愉快だったり負荷だったり、そんなようなものを感じる時の場や取り組みというのは、ほぼ例外なく自分の今いる位置よりも高い位置に置いて行われるということが言えるからです。自分にとっての『高地トレーニング』になっているからです。今までより少し上の基準の何かにへたくそながら取り組み、100%話が合うわけではない上のレベルの人たちと拙いながらコミュニケーションを図り、出来るか出来ないかで言えば全然出来ない部類に属する何かにチャレンジする。それは全て、高地トレーニングです。ラクじゃありません。キツイです。不快です。負荷もばっちりです。
でもそういう環境でこそ人は成長する、というのは、誰でもが分かっていることだと思います。よくよく考えれば分かることだったのですが、僕が当時一人旅で訪れて、初日死にそうに呼吸を荒くしていたクスコの町でも、がきんちょたちがものすごいスピードで走り回ってました。それは、彼らの心肺機能が僕よりも高かったからです。そしてそれは、彼らがそこに順応していて、僕はしていなかったからです。ですから数日後、すっかり順応した僕は、同じようにすごいスピードでクスコの町を走り回ることができました。そんなものなのです。
『高地トレーニング』とは、慣れてしまえばそれはもはや『高地』の字が取れてきます。しかしもともとの平地の状態に比べると、圧倒的なエンジンを身につけたのと同等の力を手に入れます。最初にかかってくる負荷に耐えれば、体は自然となれていきます。
僕たちの人生においても、結局はこの『高地トレーニング』をどれだけ積んで、『高地(不快感、不愉快、負荷)』→『平地(当たり前、普通)』のサイクルを回していくかで、行き着く先はいくらでも遠くに設定することが出来るのではと考えています。そしてその第一歩目は、不自然かもしれませんが、
『不快感、不愉快、負荷』
を感じた時に『あ、ラッキー!』と頭の中で拍手することなのではないかと思います。この一時的な感情の言うことを聞いてしまうと、『何もしなけりゃマイナスな感情もない』というところに落ち着いてしまうのですが、少しだけ踏ん張って、『不快感、不愉快、負荷』の感情を歓迎し、とりあえず馴れるまでやってみること、触れてみること。
そうしてしばらくすると、勝手に体が順応しているものです。『高地トレーニング』がツライのは最初だけ。物事のツライのも、最初だけ。左手は添えるだけ。
あ、そうそう、だからこそ、心地よいなと自分が感じている環境にすら注意が必要です。だってそれは、何も変わらない明日への、鉄の橋な可能性もあるのですから。。
最後まで読んでいただきありがとうございます。
今日も良い一日を!

見えないパンチでアゴを揺らす


ラオウへの道 あしたのために 今日の北斗剛掌波
『見えないパンチでアゴを揺らす』
いつもお読みいただき本当にありがとうございます。一期一会に感謝します。
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本ブログは、8ケタを超える自己投資をしてきた羅王(ラオウではありません。似て非なる羅王です。)が、これまで学んできた知識、知恵、各業界のピークパフォーマー達からの教えを、備忘録兼ねて徒然なるままに記したものです。偏差値8を記録した高校時代から始まり、自らの秘孔を突いて隠された力を引き出し続けてきた我が軌跡が、迷える誰かの『一歩前へ』を応援することにつながればと心から願って、下記に今日のエントリをお送りします。我が人生に一片の悔いなし!
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ボクシングや私がやっている極真空手において、というか格闘技全般に言えることですが、基本的に試合は倒れたら負けが決まります。ダメージがある場合に倒れるのは当たり前なのですが、ダメージがないときに倒れてしまうこともあります。それは、
『見えないパンチ(キック)』
を(アゴなどに)食らった時です。
人間は基本的に、来る、来る、と思って身構えているダメージに対しては、ある程度耐性があります。体育教師のゲンコツが怖くて、来る、来る、と思って頭に力を入れていたら(本当は頭に力なんて入らないのですが)、意外と殴られても痛くなかった、なんてことはよくある話です。試合においても、それがある程度の威力までであれば、歯を食いしばって我慢すれば、直撃を受けても耐えることができます。
ところが、ディフェンスの微妙な隙やコンビネーションの妙で、見えないパンチが飛んでくると、アゴが揺らされたりして、体にダメージがないのにあっさり倒れてしまうこともあります。いわゆるKO負けです。不意打ちとは似て非なるものですが、鍛え上げた同士の戦いだと、パンチやキックの威力そのものでの勝負ではなく、それをどう当てるか、の勝負となります。そこに意外性があれば、なおヒットしやすくなるというわけです。
昨日、これと似た現象を体験しました。
私がとある勉強会のメンバーを募って立ち上げた『エンペラーの会』の会食だったのですが、その勉強会で講師をされていた先生が、日程の通知をしていなかったにも関わらず、メーリスなどのやり取りから場所を把握し、突如1分間だけ駆けつけて激励してくださいました。いわく、『このような場は皆さんの今後の成長に非常に重要な意味を持ちますので頑張ってください』と、メッセージ自体はいつも言われていることなのですが、クソ忙しいなかわざわざこの1分のためだけに駆けつけてくれたこと、そして皆さんで食べてとの和菓子の置き土産が、一同の心を打ったことは言うまでもありません。全く予想していませんでした。
そして会合はそのおかげもあって予想以上に盛り上がり、終盤を迎えました。先生凄いよね、流石だよね、俺たちのこと見ててくれてるんだよね、という会話がひとしきり終わった後、そろそろお開きにしようかと店員さんの方を見たら、なんと先ほど先生が最後に配膳するようにとおいていってくれた極上のケーキが!!更にそのプレートにはなんと、『祝!Emperror!』とわざわざ英単語で!!
完全にやられました。序盤のサプライズであんしんさせておいて、この終盤でのサプライズとは。学びの早い我々は、先生の得意技にかこつけて、これを、
『サプライズのダブルバーガー』
と名付けました。
一度ならず二度までも、サプライズによって相手を喜ばせる。完全に予想していない角度から飛んできたパンチは、僕たち一同の心を貫き、あえなく全員ダウンしました。先生へのファン度が劇的に上がった瞬間でした。
見えないパンチも、使いようによってはとてつもなく人を喜ばせることができるんだと実感した、素敵な出来事でした。自分は果たしてこれだけのサプライズを人に対してしてあげられるだろうか?今年の大きなテーマとしたいと思います。先生、エンペラーの会の皆様、有難うございました!
最後まで読んでいただきありがとうございます。
今日も良い一日を!

英語が話せると10億人と話せる、の結末


ラオウへの道 あしたのために 今日の北斗剛掌波
『英語が話せると10億人と話せる、の結末』
『英語が話せると10億人と話せる』という電車広告を一時期坂口憲二さん起用で英会話学校がやっていたことが数年前にありました。なるほどなるほど10億人としゃべれるのか、と当時は思ったものです。当時大学に入って帰国子女の英語力に圧倒されて魅了されていた私は、英語の勉強まっしぐらでした。元々受験時代から英語が比較的得意だった私は(なぜなら他の教科の最低偏差値は8でした。数学は20ぐらい。偏差値ですよ偏差値)、大学に入学してからはスピーキングとヒアリングの重要性に気づき、そこを重点的に鍛えてきました。大好きなインデペンデンスデイの大統領の演説を完コピし、勿論今でも全部言えますし、少し時が経ってオバマの2004年大統領選応援演説に感銘を受けたときは、CDまで買ってコピーしまくったものでした。
そんな時に例の『10億人と話せる』掲示板を見たのですが、同じく同じ時期に、それを冷静に計算した暇な人がいたそうです。生まれた時から英語が話せたとして、10億人と人生80年の中でマジで話そうとすると、一人あたりどれぐらいと話をできるのかと。
答えは・・・
『一人2.5秒』
しかもこれは、10億人の英語人口が全員自分の前に並んでくれて、一秒の隙もなく会話を途切れさせずに話を80年間話し続けて、という前提でです。当然食事もトイレも行けません。小学校にも行けないので足し算も引き算もできないまま死ぬことになります。それが10億人と話すということです。
何が言いたいかというと、仮に英語が出来ても10億人であれば一人2.5秒しか話せず、日本語だとしても1億人と仮定するとそれでも一人25秒しか話せないわけです。ですから、目の前の自分と会話してくれてる人が、いかに奇跡的に目の前に立ってくれてるかということを、改めて認識する、というか思い知る必要があると思うのです。
今自分がこの人と話を出来ていることが、どれほどの偶然と偶然と偶然の掛け算の産物なのか。家族はもとより、友人や、会社の同僚、その辺で会った人など、他の人との2.5秒ないし25秒の会話を犠牲にして、神様がこの人と話しなさい、と言ってくれてるのだとしたら、もっとそこに価値を見出してもいいのではないかなと。
そう考えると、厳しい言葉を投げかけてくる上司の言葉や、時にお客様のクレーム、タクシーの運転手さんとの会話、マックのお姉さんへの注文など、普通の人が普通にしていれば会話するはずの幾千もの人たちも、実は神様に選ばれて連れて来られて、そこでコミュニケーションを図るように意図されているのではないかと思えますし、それはどんな形であれ、大変有難いことだと思えます。このように解釈すれば、毎日会うコンビニのお姉さん@今までの人生で最もやる気がないし反応もない、との会話も、少し価値のあるものに思えてくる気がしてこないでもないこともないとは言い切れないこともありません。何度要らないといっても、『Tポイントカードお持ちですか?』と聞いてくるのはやめてほしいですが。

和製トップガン候補のS君


僕が2年近く通っている勉強会に、自衛隊の方が二人いる。推定23歳と推定26歳、いずれにしてもヤングめんかつイケメンだ。先日セミナーの帰りに、23歳のほうのS君とお茶をしばいた。彼はいわゆるトップガン候補生で、将来はF22あたりをビュンビュンかっとばす、和製トムクルーズになるべく人材だ。はっきり言って僕から見たら完全な非日常に生きている彼の話は、まじめに話していても突飛すぎて笑ってしまったり、唖然としてしまったり、ほーへーしか言えなかったりする。今日聞けた話は、差し支えない範囲でいうと、
□トップガン候補生とはいっても、単体飛行、二機編隊、四機編隊、八機編隊と、率いる機体数が増えるごとに脱落者が増え、4割も残れない。クビになるのではなく、やめざるを得ない精神状態に追い込まれる。ちなみに、候補生になってる時点で相当な猛者。
□反転の際などにGがかかるが、Gがかかると体中の血液が下のほうにいってしまうため、腹に力を入れる必要がある。が、とあるヘビースモーカーのパイロットの方がうっかりゲホゲホ咳き込み、そのせいで血液コントロールが出来ずに気を失った。水面激突の寸前で復活し、操縦桿を映画みたいにぐぐーっと持ち上げて、なんとか持ち直した。が、持ち直しは反転と同様のGがかかるため、また気絶した。2回も気絶して生き残ってるのは、相当レアなケースらしい。
□日本の主力戦闘機はF15。なんと軍事技術的には30年も前のもの。うっかりベトナム戦争当時の化石のような戦闘機もまだ在庫として持っているらしい。要するにお金がものすごくかかるとのこと。一機数十億するため。
□JALのパイロットの方に昔聞いたら、パイロットトレーニングで1〜2年缶詰にされる米国のナパには、仮に1億くれると言われても、もう戻りたくないと言っていた。同じ環境、同じメンツ、同じトレーニングと、気が狂う要素満載だそうで。同じように、トレーニングがきついということもあるけれど、海上自衛隊なんかはずっと水上という、逃げ場がなくずっと変わらない環境のため、精神的脱落者がやはり多いようだ。
□防衛大学を出ていれば、どんなお◯カさんでも、二佐(中佐相当)にはなれる。もちろん、お◯カさんでは防衛大学自体に入れないからそこの担保はされているわけだが。そうは言っても階級社会というのは恐ろしい。。ちなみに防衛大学を出ていないノンキャリだと、どんなに優秀でどんなに勤続が長くても、士官クラス以下までしかなれない。成果主義で抜擢人事をするわけにいかないのはよくわかるが、出自で人生が決まるというのもどうなのか?
というわけで所感
□僕らが普段の生活でかけているのは時間とお金であるが、彼がかけているのは命だ。同じ男としての差を感じる。僕たちは、もっと自分の人生に真剣にならなければならない。僕も仕事に命をかけている、と口では言うものの、実際に命を毎日かけている彼を目の前にすると、自分の軽薄さを感じる。
□自衛隊員=軍人と言っても差し支えないと思うが、そうにしてはイメージと違ってやたら穏やか。本当に鍛えられている人間は、とんがる必要がないということか。。弱い犬ほどよく吠える、の逆を行っていてかっこいい。見習わねば。ちなみにS君は笑うとリスのようにかわいいが、体は鍛え抜かれていて、たぶん昼も夜も強い。
□口から出てくる言葉は、数分に一回ぐらい「国を守るためには」。こんな言葉、僕たちの人生で吐く機会はほとんどないんじゃないだろうか。自分が死ぬかもしれない、幸せになるにはあまりにプライベートに割ける時間が少ないかもしれない、いつ精神を病むかもしれない、何も起こらなければ誰も褒めてくれないかもしれない。そういう環境で、それでも僕たちが生きているこの国そのものを守ってくれようとしているS君に、感謝の念を抱かずにはいられない。

□そういえば昔、僕は世界最強との呼び声もあるNavy Seals(米海兵特殊部隊)に入隊したいと思って、募集要項を調べてみたらあっさり不可能であることが分かって断念したのを思い出した。ラオウになるには軍隊経験もないと。ちなみにその募集要項というのは、陸海空のトップレベルが集まってもばんばん落ちるレベルで、受けられるのは一生になんとたったの一回だけ。卒業試験(?)として、100kgぐらいの荷物を背負って100kmぐらい砂漠を行軍するという、とてもクレイジーな連中が集まっている。
何度か話してみて思うのは、彼ら一人一人が高度に訓練された人格者であるということ。今回の被災地の支援を黙々とやってくれていることといい、平時の日本が少なくとも平和を実感できるほど平和であることといい、僕たちはもっと自衛隊というものを知り、彼らに感謝しなければならないと思う。決して、どこかのアホが言った「暴力装置」ではない。