語学を学ぶことは大事だということは万国共通だなと思った件


先月、保険業界の集まりで、カナダはバンクーバーに一週間ほど滞在し、MDRT Annual Meetingに出席してきた。
総勢数千人の参加者の中で、日本人以外は恐らくほとんどの国の人が英語が出来、セッションのほとんどは当たり前だが英語で行われ、日本人が比較的多い街とはいえ、やはり基本は英語が必要という環境のなかで、今まで相当に中途半端に鍛えてきた自分の英語が、いかにショボイものかということを痛感させられた。
とはいえ、英語の出来そうな外人さんでも、英語をちゃんと勉強しないとこうなるということを風刺したCMがこちら。言語の間違いはこういう結果を齎すので恐いなぁ・・
http://www.youtube.com/watch?v=aK5RkV7OJUI&feature=player_embedded

本の選び方


僕は多読家ではないし速読家でもないので、そう多くは本を読めない。
が、今まで生きてきたなかで蓄積してきた本の選び方という点では、それなりにロジックが固まってきたので記録しておこうと思う。
僕は自分で自分の性格を分析すると、「積極的他力本願」「戦略的ネガティブ」だ。
自分の足で出来ることは歩くことぐらいで、その他は自分独りの力で成し遂げてきたことは皆無に近く、必ず誰かしらの助けを支えにして今まで生きてきた。つまり、自分で出来ることは勿論やるけども、そもそも自分で出来ること自体がそんなに多くないため、先人や偉人たちの軌跡を効率よく辿ることによって、何とか生きていられるのである。
というのが本の選び方にも表れていると思う。
以下が何となく、アタリも外れも経験してきたなかでの「80%ぐらいアタリを引く、また外れを限りなく避ける方法」だ。
買うときの法則1:自分が尊敬する人が推薦してる本を買う。
買うときの法則2:とてもベタだが著名人が推薦する本を買う。
買うときの法則3:ロングセラーを買う。

買うときの法則1:自分が尊敬する人が推薦してる本を買う。

これは基本中の基本。
何故この方法が良いかというと、良い本を選ぼうとしている割には矛盾するが、本の良し悪しとは関係なく本の中身の吸収力が格段に違ってくるからだ。言葉は、何を言っているかよりも誰がその言葉を発しているかが大事。
その辺の草野球のおじさんに「スイングはコンパクトにね」と言われるのと、イチロー選手に同じせりふを言われるのでは、野球少年の将来に及ぼす影響は全く違う。
同様に、尊敬している人が勧めているとなると、読む前から心の持ちようが全く違い、結果としてどんなことが書かれていたとしても、そこから何かしらの教訓を自分で見つけようとする。だからこの方法は良いと思う。
買うときの法則2:とてもベタだが著名人が推薦する本を買う。

よく著名人同士がお互いの著作を気持ち悪いほど褒めあってる場合があり、それはそれで一種の商業的要素というか、ヤラセを感じることもよくある。ただそのマイナス面を差し引いても、この種の本の買い方は、そんなに間違いを起こさないのではないかと思う。何故ならば、著名人が一番恐れることは、自分の評判が落ちること。特にネットが発達したこの時代には、その伝播スピードは恐ろしく速い。
とするならば、とある書籍を紹介するときに、著名人になればなるほど、かーなーり気を使って、書評を書いているのではないだろうか。「あいつこんなダメ本勧めてたぜ、バカだなぁ」なんてことが言われないように、必然的に良書に近いものを推薦せざるを得ないような仕組みに、世の中がなっている気がする。
買うときの法則3:ロングセラーを買う。
人間関係構築の天才デールカーネギー、経営学の神様ドラッカー、数千年読み継がれている中国古典など、ロングセラーにはロングセラーになる理由がある。多くは世の中の原理原則を説いたもので、変化のスピードの速い現代にも、変わらぬ物事の本質を示唆してくれるのは、こういった本に多い。特に、「未曾有の危機!!」なんて言われる危機は、未曾有であった試しはなく、過去数千年の間に数十回〜数百回はご先祖様たちが経験してきたことばかり。
数十年〜数千年間読まれている本には、読まれているだけの理由があるということで、一読の価値があるものばかり。
さて、Oppositeなのはこちら。
買わないときの法則1:今をときめく人の本はあまり買わない。
買わないときの法則2:本屋での「売れてます」コーナーにはあまり興味を持たない。
買わないときの法則3:処女作〜2、3作目ぐらいまでがわりと満足感が高く、それ以降は下降線をたどることが多い。

買わないときの法則1:今をときめく人の本はあまり買わない。

今をときめく人の本はすぐ店頭に並ぶ。そしてよく売れる。しかし良く考えなければいけないのは、今をときめいている人がこの先もずーっとときめいている人なのかは今現在は分からない、ということ。
ときめいている理由がまぐれなのか実力なのかすら、ときめいているその瞬間には分からないことが多く、株式のIPOと一緒で大盛り上がりを見せたあとに暴落するのか、安定的に成長していくのかは結果を見てみないと分からない。
だとしたらとりあえず静観するのが得策かなと。
買わないときの法則2:本屋での「売れてます」コーナーにはあまり興味を持たない。
とある本が売れている理由は、その本が売れているから、ということが良くある。
要は中身の良し悪しとは全く関係なく、出版元のプロデュース能力に完全に依存した売れ方をした挙句、そのままの勢いで売れてしまったというケースが少なくない。
Movementがいかにして起こるか?を、面白い題材を使って短時間で説明してくれる面白い例がこちら。
http://www.aoky.net/articles/derek_sivers/how_to_start_a_movement.htm
同様に、「クラスの皆から仲間はずれにされたくないから」的な感情と同じような気持ちが購入を刺激した結果ベストセラーになった本に、健全な評価が下っているとは考えずらい。勿論ベストセラーになるべくしてなってるものも多いと思うけども。
買わないときの法則3:処女作〜2、3作目ぐらいまでがわりと満足感が高く、それ以降は下降線をたどることが多い。
本を書くという作業は、ある種紙に自分の命を吹き込む作業であり、自分自身の人生を凝縮して映し出す鏡を創り出すことと同義であると思う。特に処女作で注目を浴び、2、3作目でブレイクするまではそれが持続する。与えられたページの中に自分の全てを注ぎ込み、少しでも多くの方に読んでもらおうと考えて中身を濃く濃く創りこんでいく。本がコストパフォーマンスが10倍〜100倍と言われる所以は、本を書いた著者があますことなくその成功のエッセンスを織り込んでくれることにあると言われている。
ただし、それが3作目を超えたあたりから、急に商業的要素が感じられるようになることが多い。
恐らく理由はカンタンで、このあたりから印税収入が激増するため、少しでも多くの収入を得るためにも著作をシリーズ化することが最も得策となるからだ。セールスの世界では既契約者が最も有望な次の見込み客になると言われているが、それと同じだろう。一度買った本の続編であれば、なんか買わないと損するような、全部を楽しみきれていないような、そんな感覚が発生し、またそれにより購買が促される。
だけども、メジャーではない頃に命を注ぎ込んだ作品と違い、エッセンスを薄めて少しでも長くシリーズを続けようとするその本の価値は、前者と比べて如何ほどのものがあるのだろう。
実力のある著者の作品は、どれだけ多くリリースされても引き続き面白いこともあるが、そうでない人の本は、どんどん中身が薄くなっていき、著作だけが増えていく。
こんな感じで本を選ぶようにしているため、要するにほとんど自分では本を選ばないということになる。
だって本屋に行ってベストな本を選ぼうとしても、あの量。むりむり。
芸能人以上に入れ替わりの激しい本だからこそ、そして少しでも少ない投資で最大の効果を得たいと思うからこそ、人様が時間をかけて選んでくれたものに敬意を表して取捨選択した上で受け入れるというのは、とても大事なことだと思う。

EXILEに見る成功哲学


我が家はEXILEが大好きだ。奥さんはその中でダントツATSUSHIが好きだ。
どれぐらい好きかというと、


▼EXILEの番組3つを全て毎週予約録画している。そして何故か僕はそれを毎日帰宅後に見てしまっている。
▼僕の弟が勝手に「EXILEボーカルバトルオーディション」にエントリーされそうになった。テニスの試合で遠征のため仕方なく断念しただけ。
▼超入手困難なはずのコンサートのチケットを、執念で年に1〜2回は当ててくる。
▼妊婦のくせに胎教と偽ってコンサートに参加。さすがに飛び跳ねはしなかったらしいけども。
▼コンサートですぐ目の前にイケメンTAKAHIRO君がいるにも関わらず、遠くのATSUSHIばかり見ていた。

それはさておき、最近のEXILEの躍進はすごい。押しも押されぬトップアーティストと言える。で、このEXILEの成功を、僕なりに分析してみた。通常、EXILEの強さは下記のように評価される。


▼特にボーカルATSUSHIの「奇跡の歌声」とも称される歌唱力
▼歌とダンスの高次元での融合
▼大事なことだが、全員がイケメン。かつマッチョ。
▼リーダーHIROの戦略性。(オーディションに落ちた参加者を自社でデビューさせる、など)

しかし僕の意見はちょっと違う。勿論上記も大事な大事な要素だけれども、それだけなら他にも当てはまるアーティストがいる。 EXILEをここまで押し上げたKey Diffentiatorについて、僕は彼らの成功要因をこう考えている。


1、リーダー、HIROが過去に大失敗、大挫折を経験している。

2、事業領域が広い。EXILEの定義は、「ボーカルグループ」ではなく、「エンターテインメントグループ」である。

3、EXILEの組成にオープンアーキテクチャー戦略をとっている。

4、徹底したコンプライアンス体制が敷かれている。

あれれ、ATSUSHIの歌声とかTAKAHIROがカッコいいとか、当たり前のことが書いてないぞ??そう、そうなんです。けれども、毎夜毎夜EXILEの番組を見てるからこそ、僕はこの4つこそ大事と思うのです。


1、リーダー、HIROが過去に大失敗、大挫折を経験している
IT産業のメッカ、シリコンバレーでは、日々生まれる新しい企業の経営者にベンチャーキャピタルやエンジェル投資家が投資する際、「その起業家が過去に失敗したことがちゃんとあるか?」を見るそう。

企業経営には山も谷もつきもので、特に逆境の際には過去に失敗した経験がモノを言うようで、失敗したこともない楽天的な人間には企業経営は任せられない、ということ。 本当に危ない瞬間を肌で知っているのと知らないのとでは、日々の危機管理が違ってくるのだろう。


ところで、リーダーHIROは、Choo Choo Trainの生みの親でもあるZOOのメンバーだった。この曲で大ヒットを飛ばし、チーム全体が有頂天になり、毎日酒を飲みまくり、結果登るのと同じような勢いで転落していき、たった一曲のヒットで解散に至った。一度登ったが故にその後の生活は惨めそのもので、そこから地道に地道に活動していった結果、今のようなモンスターグループを創るに至った。


メンバーが随時追加されるEXILEはメンバー間の意識にも当然差があるはずで、創生期メンバーと、EXILEが有名になってから入ってきたメンバーはやっぱり違う。HIROは武道館で講演をしようがCDがどんなに売れようが、またテレビでどんなにもてはやされようが、常々口をすっぱくして「調子に乗るな」ということをメンバーに言っている。調子に乗った結果、自分がどんな思いをしたかを何度も何度もメンバーに説き、EXILEが同じ運命を辿らないように、細心の注意を払っているのだ。

実るほどこうべを垂れることを知っている人がリーダーである組織は、非常に強い。ライブなどで盛り上がってくると、「おまえらぁ最高!」や「サンキュー!」などと声が荒くなるアーティストが多い中で、どんなにテンションの上がった場面でも「皆さん!」「ありがとう!」と、常に観衆に対するRespectを感じさせるその謙虚さは、なかなかのものだと思う。

自分たちという存在がファンによって活かされているということを、骨の髄まで全員が共有している、そう感じさせてくれる。


2、事業ドメインの定義が広い。EXILEの定義は、「ボーカルグループ」でも「ダンスグループ」でもなく、「エンターテインメントグループ」である。
事業ドメインの定義がこれほど大事だとは、という典型だろう。通常の「歌手」に分類されるアーティストが、CDがバカ売れした結果、本を書いたりドラマに出てみたりすると、「あれ?何か違う」とか「何やってんの?」というように、本業とのズレに妙な違和感を覚えたりする。

そしてそれは意外と的外れではなく、そういった本業以外に手を出しすぎたアーティストは、そのうち消えていくことが多い。 ちなみにEXILEは、まず歌う、そして踊る、以外に、演劇をやる、映画に出る、CMにも出る、テレビ番組も3つもち・・というように、かなり色々やっている。


それはひとえに、EXILEの事業ドメインの定義が、「エンターテインメントグループ」だからである。耳をよーくすませて何度聞いていても、自分たちのことを「ボーカルグループ」と呼んだことは一度もない。そして、「ボーカル」ではなく、「エンターテインメント」なのだから、上記に挙げたような歌うこと以外の活動も、なんら違和感なく正当化されることになる。

これはちょっとしたことのようで、非常に大事。「次はどんなエンターテインメントが出てくるんだろう?」と、ファンに失望でなく期待をさせるという点については、この事業ドメインの定義が全てを決定したといっても過言ではない。


3、EXILEの組成にオープンアーキテクチャー戦略をとっている。
「共感マーケティング」という言葉が流行ってきている。従来の供給と需要という対面の関係ではなく、商品の開発秘話などを通してある種の同じ感情を共有して、そのシンクロ=共感のもとに他社と差別化をして自社の商品を選んでいただく、そういったマーケティング手法だ。

EXILEはこれが非常に上手い。そしてその具体的な手法として、オープンアーキテクチャ戦略をとっている。(と言っても赤羽定義のため、本論とは別の場合もあります。国領先生ごめんなさい)オープンアーキテクチャ戦略とは、Linuxのように開発ソースと過程を公開し、世界中から知識と知恵を集めてよりベターに、よりベターにモノを作りこんでいくことである。限られたリソースのなかで四苦八苦するのではなく、それ自体を世界という外部に求めることで、今までにはないイノベーションを起こしていく。またその過程に集積する「想い」が、更なる「想い」を引き寄せていく。


EXILEはそういったイノベーションと共感を、過去2回行ったボーカルバトルオーディションを通じて常に起こしている。人はクオリティの高い商品をぱっと見せられるよりも、それがいかにして生み出されたのか?といった過程を含めて知ることが出来たほうが、その商品への愛着が沸いて来る。

同じように、EXILEは自らのグループがどのように現在に至ったか、メンバー集めからの過程をファンに見せることによってより多くの共感を呼び、より応援してもらえる組織になっているのである。


4、徹底したコンプライアンス体制が敷かれている。
あれほど歌がうまく、あれほどカッコいい集団だから間違っっいなく女性にモテるのに、浮いた話がひとつも聞こえてこないのは脅威、というか賞賛に値すると思う。前述のHIROの徹底した教えに違いないと断定してもいいが、14人という大軍団でここまで統制が取れているグループは他にない。

恋愛禁止を公言し、非常に厳しいことで有名だったモーニング娘ですら、途中からスキャンダルまみれになり、メンバーの入れ替えを余儀なくされたこととは対照的だ。


総じて、ここまで人気があって、ここまで事業展開が戦略的で、そしてここまでセルフコントロールがきちんと出来ているEXILEは、単なるいちファンのミーハーな視点も若干ありながらも、素直に敬意を表したい。人間、自己省察が出来なくなったら終わりだと常々思うけれども、こんなに素晴らしい見本がいるので、僕ももう少しがんばろうと思う。


余談だが、今回のボーカルバトルオーディションが終わったあとに、劇団EXILEのオーディションがあるらしいので、はそちらにエントリー(無断で)させるつもりです。

最近の若いモンは!!


「いったい最近の若い若いモンはどうなっとるんだ!!」
といつの時代も言われる。
かく言う僕も新入社員で入社したての頃は、年が20近く離れた先輩から、
「君は新人類だからようわからん」と何度も言われた。
行き過ぎた個人主義や、情けないわずかばかりのプライドや、ゆとり教育(ほんとはその手前なんだけど)によって甘やかされて育ったお前らの気持ちは、厳しい時代を育った俺たちにはわからない、というのが先輩方の言い分だそうな。
ところで、
(1) 「世も末だ。未来は明るくない。賄賂や不正の横行は目にあまる」
(2) 「子供は暴君と同じだ。部屋に年長者が入って来ても、起立しない。親にはふてくされ、客の前でも騒ぎ、食事のマナーを知らず、足を組み、師にさからう。」
(3) 「最近の若者は、何だ。目上の者を尊敬せず、親に反抗。法律は無視。妄想にふけって、街で暴れる。道徳心のかけらもない。このままだと、どうなる。」

以下ネタ元
(1) 紀元前2800年頃の古代アッシリアの粘土板のある文。
(2) それから二千年後のソクラテスの言。
(3) プラトンが自分の弟子について。

なんとまぁ、数千年前から人類はその若干先輩方の人類に同じようなことを言われてきたのである。
僕からすると、5000年前の人と5020年前の人はどっちもあまり変わらないのだが、それでもその20年には大きな隔たりがあるみたい。
では10コぐらい下の10代後半〜20代前半の今の若者に対して僕が言いたいことは何かというと。。。
最近の若いモンは何て素晴らしい人間が多いんだ!!
ということ。
勿論僕が見ている対象が、当時の僕よりはるかにレベルが高い人間だけを抽出しているだけかもしれないし、そもそも全体を論ずるには標本が少なすぎるのかもしれないが、本当にそう感じる。
身近なところで言えばマイミクになってくれている「陽ちゃん」くんや「前向き太郎」くん、遠いところで言えば10代スターの代表格の石川遼くんや菊池雄星くんだ。バルセロナのメッシも素晴らしい。
前者の後輩くんたちは夢の実現に向けた果てしない行動力と想いの強さ、後者の有名人たちはその圧倒的なパフォーマンスと、それ以上に圧倒的な謙虚さに、強い尊敬の念を持ちます。
例えば僕が遼くんと同年齢で同じようにゴルフがめっちゃうまくて、顔もかっこよくて、ファッションセンスもあり、勿論幼い頃からモテモテで、今年度最年少で賞金1億円を突破したとする。
すると、たぶん僕は優勝インタビューでこうなるだろう。。
「え?ゴルフっすか?いやぁあまりにカンタンなんで今後どうしようかと思うんすよ。次はアメフトでもやってみようかな。みんな何十年もゴルフやってますけど、なんで出来ないんですかね?1億の使い道ですか?とりあえずフェラーリ買って、まぁ僕は結構世界平和目指してるんで、残りはユニセフかなんかに寄付しますかね。モナコに住むのもいいかなぁ」
どうだろう?
10代の若さであらゆる人から持て囃され、多くのお金を手にし、どこに行ってもサインを求められてCMにもバンバン出演するような人間は、普通だったら↑ぐらい調子に乗ってしまうんではないだろうか?
今でこそ僕も人の親になり、人の夫となり、一家の大黒柱として働かなければならない重圧と、それに耐えることによって得られる幸せのなんたるかがなんとなく分かり、こんな自分を育ててくれた親への感謝もフツフツと沸きあがってくるようになった。
しかし10代後半の何も考えていなかった僕は、ベジータや海南戦の流川くんのようにとかくSelfishで、全てが自分を中心に回っているように錯覚していた。大したことない努力と、それに全く見合わない大きな栄光を求めて、テニスや極真に勤しんだりもした。
しかし何をどう考えても、遼くんや雄星くんの謙虚の境地には達することが出来なかったと思う。
今なら彼らの言ってる意味が分かる。でも昔なら完全に無理だった。心から尊敬するし、ああいうような青年に、娘にも嫁がせたい。いや嫁がせること自体イヤで一生手元に置いときたいのだが。。
彼らが自己省察をし、周りに感謝する姿はそのパフォーマンスの高さ以上に、人々を感動させている。
最近、とても彼らには及ばないまでも、ささやかながら僕の人生にも少なからぬ栄光が舞い込みはじめている。
たとえば、社内表彰基準の社長杯に入社来連続入賞できていることや、業界の代表であるMDRT会員になれたことなど。
思うに、
栄光の量と、それを達成するに至った過程や周りの人への感謝の量は、等しくあらねばならない。
というのが最近の教訓。
逆に言うと、栄光の量が、感謝の量を上回ってバランスが崩れたときに、人は転落の道を歩むのではないだろうか。
成功の天秤はいつも公平で、一時的にかつ奇跡的に栄光が先んじたとしても、早いタイミングで感謝が追いつかなければ、いずれその天秤はバランスを崩してしまうということだろう。
だから最近の僕は、うまくいけばいくほど、そしてたまにうまくいかないときにも感謝をより一層することにしている。
自分に感謝、家族に感謝、親に感謝、お客様に感謝、友達に感謝、同僚に感謝・・・・
あとなんだ??
そのへんの花に感謝、虫にも感謝、江戸川区に感謝、日本に感謝、世界に感謝、地球に感謝、ビッグバンに感謝。
ということで全てに感謝!!

人間の器のレベル


人間の器というのは、計れそうで計れない、でも絶対に人生には必要で拡張させていくことが求められているものだと思う。人生をより良く生きていくうえでも、他者との人間関係においても、仕事での成果でも、人間の器というのはいたるところで試されていると思う今日この頃。
とある新聞でその器で人間の対応がどう変わるかを記してあったので、備忘録の意味合いで記述します。
何か突然のハプニングが起きた時、どうしても感情に振り回されてしまうのが人間という生き物。しかしそんな人はD級の人。
でもそこでグッと耐えて、立て直すのはC級の人。
ハプニングを起こしてしまった相手を気遣うのはB級の人。
自分も気持ち良くなって、相手も気持ち良くさせる、これが出来るのはA級の人。

この瞬間対応力のレベルによって、人間の器のレベルがなんとなく垣間見える、というのがこの記事の主張。
自分だったらどうだろうか?と考えた場合、調子がいい場合でせいぜいB、ほとんどはC、まれにDというのが自己分析だろうか。
特にDは自分でも課題としていて、何かハプニングが起きた場合に、「ラッキーラッキーこれは試練だ。自分のせいだ。未来をどう変えるか考えよう。」と感情を制御するようにしているが、たまーに思い通りいかず、右往左往してしまう。
しかし、Aに関しては考えてもいなかったというのが正直なところ。
かの大金持ちの斉藤一人さんは自身の講演において、参加者の一人の着信メロディが鳴ってしまったときに、怒るでもなく無視するわけでもなく、こう言ったという。 勿論、講演前に携帯の着信音オフは周知されていた上でのチャラララーン、である。
普通ムッとすると思うのだが、
「いやぁ、ちょうど音楽が必要だなぁと思ってたところです、助かりましたよ。」
とのこと。携帯が鳴った参加者に怒りの目を向ける寸前だった会場は大爆笑。
日々あらゆることに思いを馳せ、何が起きても「アドリブ」がきくように余裕を持って生きている人の凄さを垣間見るような一場面だと思った。
人に配慮し、感情を害することなく全体の場を明るく楽しくマネジメントする。
自身の器の向上、人間力の向上、自己省察が大事だなぁと思った記事でした。

受験が必要だと思う理由あれこれ


受験戦争については昔から色々な議論があります。

最近ではゆとり教育の反動もあり、塾をはじめとした受験のための投資額もうなぎのぼり、受験戦争はますます強烈になりつつありますが、僕は個人の能力開発の側面から、受験はした方がいい、というか、絶対にすべきだと思っています。

受験戦争に対する反論としては、以下のようなものがあります。

1、幼い(概ね小学校を指す)頃からの競争、競争に晒すのではなく、のびのびと育ってほしい。
2、受験をしたからといって、報われるとは限らない。

僕自身、受験はイヤというほど経験してきました。当時の鬼教官である母の勧め(命令?)もあり、中学受験時には当時羨望の的だったスーパーファミコンとドラクエⅤを買ってほしいがために頑張り、高校受験の際は好きな女の子と同じ高校に通うためだけに頑張り、大学受験の時には(同じく鬼教官にぶっちゃけ諭吉様数枚で釣られたりもしましたが)さすがに多少なりとも将来を見据えて頑張りました。

最終的に大学受験に際し取り組んだ科目は、現代文、古文、英語、数学、世界史、倫理、地学でしたが、現時点で血肉になってるたなと声高らかに言えるものは、なんと悲しいことに英語ぐらいしかありません。数学なんて高校時代0点を取ったこともあり、、途中で分からなくなって「サインコサインウソクサイン」なんて覚えてました。

結論から言えば、学ぶ科目の知識や体系それ自体の習得に(勿論少なからず意味はありますが)意味はなく、受験に取り組むその経験こそが、人生の血肉になるのだと、今思います。

人生は目標達成の連続です。特に男性であれば人生の大半を割くことになる仕事に置き換えると、経営者であれば利益と社会貢献、営業であれば売り上げ、IT部署であればシステムの稼動率など、各人の役割は違えど、求められることは目標達成です。

定量化できる目標と定性的に判断するしかない目標がありますが、そのいずれにしろ、目標を定めて現状とのギャップを認識し、それを埋める努力を手持ちのリソースを駆使して行う、というプロセスは共通しています。

そして、その目標達成の度合いが大きい人材がいわゆる、「付加価値の高い人材」と定義されます。付加価値付加価値と巷で叫ばれているその意味は、この目標達成能力のことと同義と思われます。

翻って、実はまさに受験戦争における勉強そのものが、この目標達成のための格好のトレーニングとなっています。仕事での目標もそうですが、広すぎる範囲の全てを網羅することは土台無理なため、想定される範囲の中から優先順位をつけ、学術的な追求をする場合を除いては、いかに効率的に点数を取るかが求められます。

例えば、教科書を一ページめから一生懸命読んだり、単語帳を一言一句暗記しようとする人は必ず受験に落ちます。そうではなく、出題者の意図を読み、大よそのターゲットを決めて集中的に勉強し、それ以外はある意味捨てる、という作業がどうしても必要です。

この作業は、営業においてお客様の嗜好を感じ取り、どのニーズに応えるかを商品に落とし込み、販売するという作業となんら変わりありません。

もうひとつの理由としては、「社会に出てからいきなり目標達成を求められること自体がキツイ」ということです。通常四半期ごと、下手をすれば毎月の目標達成の成果が問われる社会人という環境に、何のトレーニングも積んでない人間がいきなりほうりこまれることほどみじめなことはありません。

のびのびとだけ育てられた人間や、十分なトレーニングを積んできていない人間は、のびのびとしたまま社会人になります。そうして経験したことのないプレッシャーにさらされると、人は今流行の欝になります。

ジムで5kgのダンベルも持ったことない人が、いきなり工事現場で20kgの角材は持てないでしょう。それと同じことです。

社会での目標達成という要求に従わない限り給与が保証されない以上、この目標達成という作業について、出来る限り早くから取り組んでTry and Errorを繰り返しておくべきというのが僕の持論です。そしてその格好の場が、受験ということです。

一般に子供時代の失敗は、どんなに失敗してもそれが全て経験となり、成長に寄与します。しかし大人になってから、社会人になってからの失敗は、勿論経験にはなるものの、やはりしてはいけない種類の失敗というのもあります。

なので、間違いが許されるうちに、しかもどうせなら将来いいスタートラインに立つためにも、受験戦争は経験しておくべきと思うのです。

グローバル化が進む社会の本質は競争です。「共存」とか「共栄」という言葉が流行る言葉の背後には、どうしても競争が前提としてあります。受験戦争の最前線にいた昔の私ですら、世界的に見れば甘い甘~い受験と言われています。

中国や韓国の受験戦争の熾烈さは日本の比ではなく、欧米の大学の実社会に対する発言力は日本の比ではありません。
そんな中で経済も人材も国内海外問わず競争にさらされる日がもうすぐそこまで来ています。

日本の国力も学力も低下が叫ばれていますが、ひとつは日本人の目標達成能力の低下による部分があると思います。とするならば、理不尽ともいえる環境である一定のトレーニングを積んで、日本人として体幹を鍛えることも必要ではないでしょうか。

僕はそれが受験だと思うのです。1日15時間勉強に没頭した当時の思ひ出についてはまたいずれ書きます。

受験はした方がよいと思ういくつかの理由


受験戦争については昔から色々な議論があります。

最近ではゆとり教育の反動もあり、塾をはじめとした受験のための投資額もうなぎのぼり、受験戦争はますます強烈になりつつありますが、僕は個人の能力開発の側面から、受験はした方がいい、というか、絶対にすべきだと思っています。

受験戦争に対する反論としては、以下のようなものがあります。

1、幼い(概ね小学校を指す)頃からの競争、競争に晒すのではなく、のびのびと育ってほしい。
2、受験をしたからといって、報われるとは限らない。

僕自身、受験はイヤというほど経験してきました。当時の鬼教官である母の勧め(命令?)もあり、中学受験時には当時羨望の的だったスーパーファミコンとドラクエⅤを買ってほしいがために頑張り、高校受験の際は好きな女の子と同じ高校に通うためだけに頑張り、大学受験の時には(同じく鬼教官にぶっちゃけ諭吉様数枚で釣られたりもしましたが)さすがに多少なりとも将来を見据えて頑張りました。

最終的に大学受験に際し取り組んだ科目は、現代文、古文、英語、数学、世界史、倫理、地学でしたが、現時点で血肉になってるたなと声高らかに言えるものは、なんと悲しいことに英語ぐらいしかありません。数学なんて高校時代0点を取ったこともあり、、途中で分からなくなって「サインコサインウソクサイン」なんて覚えてました。

結論から言えば、学ぶ科目の知識や体系それ自体の習得に(勿論少なからず意味はありますが)意味はなく、受験に取り組むその経験こそが、人生の血肉になるのだと、今思います。

人生は目標達成の連続です。特に男性であれば人生の大半を割くことになる仕事に置き換えると、経営者であれば利益と社会貢献、営業であれば売り上げ、IT部署であればシステムの稼動率など、各人の役割は違えど、求められることは目標達成です。

定量化できる目標と定性的に判断するしかない目標がありますが、そのいずれにしろ、目標を定めて現状とのギャップを認識し、それを埋める努力を手持ちのリソースを駆使して行う、というプロセスは共通しています。

そして、その目標達成の度合いが大きい人材がいわゆる、「付加価値の高い人材」と定義されます。付加価値付加価値と巷で叫ばれているその意味は、この目標達成能力のことと同義と思われます。

翻って、実はまさに受験戦争における勉強そのものが、この目標達成のための格好のトレーニングとなっています。仕事での目標もそうですが、広すぎる範囲の全てを網羅することは土台無理なため、想定される範囲の中から優先順位をつけ、学術的な追求をする場合を除いては、いかに効率的に点数を取るかが求められます。

例えば、教科書を一ページめから一生懸命読んだり、単語帳を一言一句暗記しようとする人は必ず受験に落ちます。そうではなく、出題者の意図を読み、大よそのターゲットを決めて集中的に勉強し、それ以外はある意味捨てる、という作業がどうしても必要です。

この作業は、営業においてお客様の嗜好を感じ取り、どのニーズに応えるかを商品に落とし込み、販売するという作業となんら変わりありません。

もうひとつの理由としては、「社会に出てからいきなり目標達成を求められること自体がキツイ」ということです。通常四半期ごと、下手をすれば毎月の目標達成の成果が問われる社会人という環境に、何のトレーニングも積んでない人間がいきなりほうりこまれることほどみじめなことはありません。

のびのびとだけ育てられた人間や、十分なトレーニングを積んできていない人間は、のびのびとしたまま社会人になります。そうして経験したことのないプレッシャーにさらされると、人は今流行の欝になります。ジムで5kgのダンベルも持ったことない人が、いきなり工事現場で20kgの角材は持てないでしょう。

それと同じことです。

社会での目標達成という要求に従わない限り給与が保証されない以上、この目標達成という作業について、出来る限り早くから取り組んでTry and Errorを繰り返しておくべきというのが僕の持論です。そしてその格好の場が、受験ということです。

一般に子供時代の失敗は、どんなに失敗してもそれが全て経験となり、成長に寄与します。しかし大人になってから、社会人になってからの失敗は、勿論経験にはなるものの、やはりしてはいけない種類の失敗というのもあります。

なので、間違いが許されるうちに、しかもどうせなら将来いいスタートラインに立つためにも、受験戦争は経験しておくべきと思うのです。

グローバル化が進む社会の本質は競争です。「共存」とか「共栄」という言葉が流行る言葉の背後には、どうしても競争が前提としてあります。受験戦争の最前線にいた昔の私ですら、世界的に見れば甘い甘〜い受験と言われています。中国や韓国の受験戦争の熾烈さは日本の比ではなく、欧米の大学の実社会に対する発言力は日本の比ではありません。

そんな中で経済も人材も国内海外問わず競争にさらされる日がもうすぐそこまで来ています。
日本の国力も学力も低下が叫ばれていますが、ひとつは日本人の目標達成能力の低下による部分があると思います。

とするならば、理不尽ともいえる環境である一定のトレーニングを積んで、日本人として体幹を鍛えることも必要ではないでしょうか。

僕はそれが受験だと思うのです。1日15時間勉強に没頭した当時の思ひ出についてはまた書きます。

ラオウを目指して〜Introduction〜



ラオウを目指す羅王のブログ~Introduction~

新卒で入社した外資系IT会社から損保系生命保険会社へ職を変え、仕事を志事として日々精進しているつもりの羅王と申します。

2010年、30歳という人生節目の年を迎えるにあたり、ブログを開設しました。

とある尊敬する方のブログを読んで、そのあまりに知行合一な生き方とブログ自体の完成度の高さに衝撃を受け、その方に追いつきたい一心ではじめることにしました。
憧れの余り形式も似通ってしまうことになりますが、いつかその方に追いつけることを夢見て・・・
(本心では、その方は1歳年下なので男としては負けたくない!!!)
10年後に読み返しても価値のあるものにしたいと思います。

このブログの目的は以下の3つ。

1、知(たまに恥)の共有:自分の得た知識を、少しでも周りの人の役に立つ知恵に昇華させたい。

2、Authorの備忘録とアウトプット:頭のキャパが狭く物忘れがハンパではないため、自分の生きた証を忘れてしまう前に残したい。そして、アウトプットのないインプットは無意味。

3、自分含め自分の周りの人、地域、日本、世界を元気にしたい:世界をいきなり変えることはできない。でも、自分が変われば周りも変わる。それがいつか大きなうねりとなって、世界を動かすことを信じたい。

このブログの内容は以下のレベルに定義されます。

気合レベル0:日常のどうでもいい発見や、お笑いネタなど。ただ「ちょっと聞いてよ!」と言いたいだけの場合が多い。

気合レベル1:何かをしているときに頭の片隅からいきなり沸いてでたアイデア、考えのまとめ。独断と偏見の塊です。

気合レベル2:学んだこと、経験したこと、収集した情報のまとめ。それなりに事実に基づきます。

気合レベル3:頭の中の様々な議論を整理した結果の、少しだけまとまった形のアウトプット、長い場合が多い。
また、このブログに関する免責事項は以下です。

お断り1

このブログは頭の中身を吐き出すことを目的とし、またそのクオリティを追求するため、機能として付いている絵文字や読みやすさのための文字の加工を極力行いません、そのため、若干その手のエキスパートの方のものより読みづらくなる可能性があります。これは小学校時代の図画工作や美術の成績にも起因するのですが、はっきり言って右脳系その手のセンスが全くありません。なのでやめます。

お断り2
一部の方の反感を買うような表現があるかもしれません。その場合も、未熟な成長過渡期坊主が書いたたわ言と思って流していただけるとありがたいです。人は色々な「極端」を経て、段々とバランスの取れた中庸へ向かうと思うので、その中途にある僕は、まだまだ素敵な大人になれていないです。

 
お断り3
お断りというよりお願い。間違いの訂正や、一段高いレベルの解釈含め、バシバシ感想やフィードバックをいただければ幸甚です。

 
お断り4
リンクフリーですが、万一引用したくなるような内容があった場合はその旨お伝えいただけると助かります。

 
 
 
1980年生まれ。小学校~大学まで、小学校以外の全てで受験戦争を経験しました。
小学校(瀬田)時代はまぁまぁ頭が良く、中学校(学芸大学附属世田谷)で自身のキャリアの頂点を極め、高校(学芸大学附属)では周りに天才がはびこる一方、完全にやる気をなくして堕落して(偏差値が奇跡の8!まで低下)地べたを這いずり回り、最後の4ヶ月間、1日15時間勉強してギリギリ慶應義塾大学に現役合格しました。

 
中学校入試は補欠、大学入試も補欠、ちなみに青春の全てを捧げた部活も最後は補欠、と補欠人生です。

 
大学時代に本気で取り組んだのはテニスと極真空手と飲み。
本気で目指そうとしかけたものはMBAとNavy SEALs(世界最強との呼び声もある米海兵特殊部隊)でした。ちなみにNavy SEALsはさすがに無理ですが、フランス外国人部隊ならいつでも加入できます。

 
神奈川県生まれ大学まで東京育ち、2010年までの社会人生活はほぼ名古屋でした。
新卒で世界最大手の外資系IT会社に就職するも、その直前に卒業旅行代わりにいった海外一人旅の影響で人生観がガラリと変わってしまい、所謂若者にありがちの3年で退職。

本当に生きたい人生を生き、大切なものを大切にする人生を送るために、現在の仕事である生命保険会社に転職しました。
今のところ、完璧ではないながらもそれが達成できているので満足しています。
 

 
モノになっている、いないに関わらず趣味、特技は:
 
サッカー:10年間取り組みました。そして結論から言うと全くダメでした。親からもらったこの運動神経は決して悪くないはずなのに、何故か空回り。

 
極真空手:二十歳前後から始めましたが、途中名古屋時代はほとんど出来ていないため、2010年より仕切りなおし。早々に黒帯を取得し、人生の黒帯を目指します。
個人的意見としては、仕事を極めたかったら、なんらかの形で体を鍛えることは必須だと思う。

 
テニス:ピートサンプラスに憧れて、遅まきながら高校から開始。髪型と胸毛以外は全てマネをしました。(締まりのないべろ出し、やる気のなさそうな歩き方、カカト上げ、サーブのフォーム、体力のなさetc.)バックハンドには自信があります。でも何よりの自慢は、6歳下の弟がプロのテニスプレーヤーであること。そして何よりムカつくのは、その弟がイケメンで、少なからぬ良質な遺伝子を全て持っていってしまったこと。
そのせいで、ほとんどの場で「タケロウくんのお兄さん」に成り下がってしまっている。

 
ゲーム:元自称スーパーゲーマー。特にやりこんだゲームは、マリオカート(ドンキーコングで全国レベル)、ぷょぷょ(全国大会出場)、スト2およびストゼロ(強すぎてゲーセンで絡まれた。全盛期はスーファミの場合、片手でプレーして相手に10連勝)、ドラクエ(昔勇者になりたかった)、FF(昔パラディンになりたかった)、ファイナルファイト(マイクハガーのような肉体を目指した) ゲームの3D化とともにテンションが下がり、最近は引退気味。やりだすとハマって大変なので自分から距離を置いてます。

 
マンガ:ジャンプ全盛期には、鬼畜のようにマンガを読み込みました。ドラゴンボール(かめはめ波とファイナルフラッシュの練習は数知れず)、幽々白書(同じく霊ガンの練習は数知れず)、ダイの大冒険(アバンストラッシュは何度も試したが大地も海も切れず・・)、スラムダンク(豊玉の板倉と山王の一之倉がお気に入り)、北斗の拳(憧れは写真の通り、悲劇の帝王ラオウ。黒王号の似合う漢になりたい。) 最近の一押しはキングダム。秦の始皇帝があんなに素晴らしい人間だったかどうかの史実は別として、軍事ものマンガでは圧倒的に面白い。

 
英語:ネイティブレベルのペラペラは無理でも、ヘラヘラを目指してます。学生時代にTOEIC900を出して以来、「留学してないけども留学3年~5年はした程度に見える英語」という、非常に中途半端なレベルを自身としては維持しているつもりで、この勉強法をいずれ日本の英語教育の改革に使えたらと思っています。みんながみんな英語圏に生まれるわけでも、みんながみんな英語習得にお金を割けるわけではないと思うので。

 
旅行、一人旅:アメリカ、カナダ、ペルー、ボリビア、メキシコ、台湾、香港、韓国、シンガポール、インド、モルジブ、エジプト、トルコ、イタリア、スイス、ドイツに行きました。僕の人生観を根底から覆したと言っても過言ではないほど、大きな影響を与えてくれています。世界の平和を本気で願うきっかけになりました。

 
能力開発:主に読書とセミナーにて。寄付と自己啓発/能力開発だけは、人生のいかなるときも欠かしてはいけないと思います。F1と一緒で、人生という長いレースに勝ちたければ、必ずピットインが必要です。ただ走るだけではタイヤが磨耗して、疲れるだけです。普通の人の酒代やタバコ代、遊び代を読書やセミナーに費やしていることについて、「そんなんで楽しいの?」と言われることや思われてることもあるでしょう。それに対する反論は、「自己啓発/能力開発により自身の能力や器が拡張するのを実感することほど楽しいものはない。人生とは可能性の追求だ。」と返します。

 
仕事:やればやるほど今の仕事は魅力に溢れ、ほぼ趣味になっています。家族には申し訳ないですが、休みがなくても全然平気。家族とお客様と運と仲間たちに恵まれて、2010年現在はMDRT会員(世界TOP1%)のステータスとなっています。ただしボクシングの王座と一緒で、なるよりも、それを維持することの方が難しいため、精進は欠かせません。

 
家族:妻と2009年10月に無事生まれてきてくれた娘(☆現在の僕の「彼女」)のおかげで人生が素晴らしいものになっています。ありがとう。目指すテーマは「宇宙いちハッピーな家庭」 世界いちでなく、宇宙いちというところが妻の要求水準です。
 

 
全体として、とにかくラクをしたいため、そのラクをするために必要な努力ならいくらでもしますよ、というスタンスで生きているふしがあります。また、とにかくこれだけは誰にも負けない、という専門分野や強みがないのが悩みです。それなりに手広くやっているわりには、あまり誇れるものがないところが痛い点。

人生理念は「愛」「感謝」「成長」です。
そんな顔してよく言うよ、と言われたらそれまでですが、ラオウだってあの恐い顔の奥底に、優しさと愛を従えてるんです。この3つを意識して、実践し始めてから、人生が変わりました。

そんな僕ですが宜しくお願い致します。