ラオウを目指す羅王のブログ

退かぬ、媚びぬ、省みぬ!我が生涯に一片の悔いなし!!!

De部でサブ4なフルマラソンの軌跡 Vol1

time 2014/01/31


皆さんこんぬつわ、De部のFounder&CEO、主将の羅王です。人生観を変えた初フルマラソンから2ヶ月半。先日、ついに2回目のフルマラソンにてサブ4(4時間切り)を達成しました。一番速いわけではなかったけれど、もしかしたら一番重いサブ4ランナーかもしれないので、87kgのか弱い男児の感動と感謝の軌跡を記しておきたいと思います。
 
※主な登場人物
 
元帥:ランの師匠。ミケランジェロの白いダビデ像を黒に塗り直して、ハイシャイン仕上げにしたような御仁。税理士、IT、トライアスロンのスペシャリスト。人格者だが、自分よりフルマラソンを速く走る人間はキライ。ランクラブのメンバーをしきりに本業のトライアスロンに誘っているが、人格者なのに断られ続けている。極低周波ボイスなので、あまり遠くの人に話しかけるのは得意ではない。
 
熊:De部の共同経営者であり、ライバル。De部副主将なのに、自分よりはるかに小柄で細いヤツを風避けにしてハーフマラソンを走ろうとする。この例でお分かりの通り、たまに全く意味のない不合理なことに神経を費やして、勝手に疲れるクセがある。マスコット&マッチョの合わせ技で’マスコッチョ’を目指している。行動の原動力は全て嫉妬。
 
小僧:スリム部のライバル。30歳になっても子供のような感じで、きっと40代になっても子供のような感じなのだろうと思う。爆発力が結構あり、継続力があまりない。終電が苦手で、基本的には乗り過ごして終点までたどり着くことが得意。ケンカっぱやいためすぐ勝負をふっかけてくるが、いつのまにかその勝負の存在自体がうやむやになっていることも多い。
 

【学芸会の日程が決まった】

2013年11月3日に経験した初フルマラソンにて、俺はサブ4サブ4と言っていたにも関わらず、目標に20分以上も届かず惨敗した。悔しかった。
 
別に元々は大してやる気のなかったフルマラソン、1回やったら少し足が遠のくかなと思ってた。『人生で一回ぐらいは走ってみてもいいかな』程度の気持ちだったからだ。
 
が、打ち上げで頭のネジの取れた優秀だけど少しおバカな仲間たちがバシバシ『次はサブ4やったるわ!』とか『次のレースはどれにする!』と叫び出すので、俺はそいつらよりも大きな声で応戦することにした。
 
そしたら、次の学芸会の日程がいつのまにか決まっていた。3月16日、『古河はなももマラソン』だ。そこまでに徹底的に練習し、サブ4を目指すことになった。
 
でも誰も気づかないうちに、目標はサブ3.5(3時間半切り)にいつのまにかすり替わっていた。言いだしっぺという名の犯人はまだ分かっていないが、サブ4すら出来ていないのに、サブ3.5とか言ってるヤツばっかりで、よく考えたら頭があまり良いとは言えない。
 
一体誰が言いだしたのだろうか。
 
 
 
ま、なにはともあれ、De部やスリム部の目標も、いつのまにかサブ3.5が公式となったのであった。勿論、本番前にサブ4を達成しておきたいと思って、俺は勝田全国マラソンに人知れずエントリーすることにした。
 
De部とスリム部がマジでぶつかる学芸会の本番は、3月16日の古河はなももマラソン。そして学芸会前の中間発表は、勝田全国マラソンとなった。
 
 

【なかなか調子が良かった11月12月】

俺は初フルの湘南国際で惨敗した後、速やかに最前線に復帰し、また着々とトレーニングを重ねた。熊を日々呼び出し、元帥に見つからないようにコソ練し、12月の半ばにはハーフマラソンに出場した。
 
いつのまにか1kmあたり5分で走り続けることができるようになっていて、タイムは1時間44分だった。この大会で、俺と熊を凌ぐ体格のヤツは一人も見かけなかったことを考えると、それなりに嬉しかった。
 
勿論、このペースで走り続けることが出来たとしても、フルのタイムで3時間31分かかる。全くスピードが落ちなかったとしてだ。この日は限界に近かった。つまり、まだサブ3.5の実力はないということだ。
 
一方、サブ4はといえば、かなり現実的に見えてきたと言える。後半30分プラスで走ってもいいということであれば、多少は歩いてもなんとかなりそうだ。
 
『走った距離は裏切らない』とか、『やれば出来る』という言葉は知っていた。知っていたが、その言葉の意味を身体で知った瞬間だった。
 
しかし、オチは最後に待っていた。同時期に開催される予定の極真の試合に向けた稽古で、ゴツイ黒帯の先輩方にボコボコにされ、右太腿を負傷してしまったのだ。
 
正直一週間ぐらいは痛くて寝られず、その後一週間ぐらいはズキズキ痛むのが止まなかった。試合そのものでもしっかり負傷し、年末年始は2週間ほど練習が出来なかった。
 
 

【負傷が癒えて、そしてまた負傷】

結局、年を越して1月5日に走り初めと思って予定していたお台場42km走を出場断念した。右太腿がそれどころではなかったからだ。
 
おかげさまで右太腿は完治したが、仕方ないから1週間遅らせて、これまた予定していた30km走に出場することにした。
 
が、結果は惨敗。リハビリにと思って、でもしっかり練習にしようと思って出場したが、20kmをサブ4ペースで走った後は大失速。20km~30kmは、がっつり歩いてしまってトータル3時間でのフィニッシュ。トップの選手には2回も周回遅れにされて、ショックだった。誰ひとりむっちりしてる人もがっちりしてる人もおらず、『やはりDe部はランニングに向いていないのか?俺の生き方は間違っていたのか?』と若干不安になった。
 
この日、いつのまにやら湘南国際前に痛めた左膝が、再び痛覚を刺激し始めることとなった。
 
 
 
そして次の日、しっかり休もうと思って油断していたら、小僧から連絡が。
 
『20km走りませんかぁ~??』
 
小僧は、湘南国際の時に、俺と体重を加味した賭けをして(25kgぐらい俺の方が重いので、25分ほどのハンデ)、そしてグロスで負けた。プライドを傷つけられた復讐か、30km走った後で弱っている俺を叩き潰そうとしたのか、なんとも素晴らしいタイミングでお誘いをくれた。
 
イヤイヤながらジョインすることにした。
 
結果的になんとか完走したが、しかしここで俺は致命的な過ちを犯してしまったようだ。
 
いわゆる練習不足ななかでのオーバーワークなのか、左膝の痛みが激しく、最後は引きずりながらのゴールで、何回もやめたいやめたいと申し出たが、小僧も熊も俺の情けない姿をせせら笑うのみで、全く聞く耳を持ってくれなかった。
 
俺は、体力が回復したらこの2人をレースで屠ることを、固く心に誓った。アナキンスカイウォーカーが復讐を誓ってダークサイドに堕ちていったように、俺もまた、ダークサイドに引きずり込まれようとしていた。
 
結果的には小僧に感謝することになるとは、このときの俺はまだ気づいていない。
 
 
~続く~
 
 
世知辛い世紀末にこのエントリを読んでいただけたことを感謝します。
 
引かぬ媚びぬ省みぬ!
 
我が生涯に一片の悔いなし!

家族とか教育とかの話

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羅王(AKBとも呼ぶ修羅も多いです)

羅王(AKBとも呼ぶ修羅も多いです)

「ラオウを目指す羅王のブログ」にようこそ。修羅が蔓延る世紀末の日本を、「北斗剛掌派」という思想体系を以て変える活動をしています。我が生涯に一片の悔いなし!と言える人生を送るため、101回目のダイエットに励んでいます。