先日、うちの奥さん、僕の弟、そし女帝であるおかんの3日連なる誕生日を合同で祝った。なんだか知らないうちにいとこの家族も集まることになり、大人8人、子ども3人、腹の中にcoming soonなのが2人と、総勢13人で個室を借り切って盛上がった。
個室だったのでまだ許されるものの、5歳児と2歳児は床に這いつくばって暴れるわ、お互いドヤ顔でいろんなことしでかすわ、勝手に外に出ていくわ、食事をした中華屋さんの横のラブホの噴水に興奮してディズニーと勘違いして入ろうとするわで大変だった。
とても活気のある1日だったが、なんとなく頭のなかでいろんなことがつながった1日でもあった。
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新人のチカラ

僕はずっと、企業が新人を採るということの意味を、あまり分かっていなかった。よく言われる通り、僕がそうであったように新人とはコストである。何も知らない、何も出来ない。売り上げも利益も生まず、教育コストはかかり、そのくせ給料は払わねばいけない。
彼彼女に400万払うとしたら、その1.5倍ほどを企業は負担しなければいけない。600万の純利益を生むために、いったいいくらの売り上げがないといけないのか、新人は分かっているのだろうか?ちなみに僕はそんなことは全く分かっておらず、初任給が高いだの安いだのを言っているイタい新人だった。
しかし大多数の上場企業では、新人を採る。採り続けている。勿論、いずれは社員が高齢化することが予想されるため、今のうちから継続的に新人を入れるということは、ある程度の合理性がある。しかし、であれば数年に1回の採用でいいんじゃないの?と思っていた。
短期的利益を求めてくる株主の期待に応えるためには、コストの抑制と生産性の向上は必須である。からして、新人に時間とカネをつぎ込むというのは、どうも非合理的に思えた。
 
ところで、羅王塾(仮)に、新人が入ってきた。毎週僕が開催している社内向けの塾で、過去の自己投資と事故投資3000万円分を余すところなく盛り込み、そこそこの好評を得ている。在籍している後輩、卒業した後輩はほとんど皆、過去最高益をたたき出している。
そこに噂を聞きつけて、新人が入ってきた。他の部の人間なので見る人が見れば越権行為になるし(そういう斜めからの見方はどこの職場にも存在する)、今のメンツに教えた話をまた1から教えなければならないので、僕自身も後ろ向きだった。
が、新人はとてもしつこく、熱意に押されて結局は入塾を許可した。上下関係もなく、人事権もなく、利害関係もない単なるボランティアだが、だからこそそこまでしつこくされると、こちらも応えてやろうという気になる。
そして本日がその第1回。新人は、といってもかなりの高スペック人物で、歳も僕とほぼ同じなので後輩扱いすら微妙なのだけれど、しかし僕の話を初めて聞いたようで、目を輝かせながらメモを取りまくっていた。僕の塾ではお金を取らない代わりに、毎回スベらない話をして会を盛り上げなければならないという不文律があり、ネタに困った人間は否応無く下ネタ、性癖の話に走る。
新人も躊躇無くその話に初回から踏み込み、そして大笑いをかっさらっていった。会は、最近ちとマンネリしかけていたのだけれど、発足当初のようにとても盛上がった。元々いたメンツの2人は、新人が入ったことで気合いが入ったようだった。そうか、そういうことだったのか。
どこの組織でも、新人はその無力さとは裏腹に、活力を組織に与える。何も分からないから必然会話は増え、教育に携わる人間は少なからず尊敬を得るために襟を正し、新人は次の新人が入ってきたときに、組織の親心を知る。そしてそれは無視できないほど大きなチカラとなっている。
 

『新しい』はいいことだ

合同誕生日会が盛上がったのも同じ。子どもも赤子も胎児も、全員ほとんど何も出来ない。手間がかかるばっかりだ。ごはんをゆっくり味わえたかといえば、そうでもない。数時間で怒った回数は10をくだらないだろう。
けれど、みんな笑顔だった。
企業の新人採用、羅王塾に新人が増えたこと、今回の合同誕生日会。そういうことなんだと腑に落ちた瞬間だった。
思えば、なぜ子どもはいつも元気なのだろう?あるいはなぜ大人はくすんでる人が多いのだろう?という疑問に対する答えもこれで解決することができるような気がする。
要するに、子どもとは自身が新しい存在であると同時に、普段から新しいことばかりしているから元気なのだ。寝たきり生活からハイハイを始め、立ち上がり、歩き始め、走り、砂場を経てブランコやジャングルジムを経験し、学業ではひらがなからカタカナ、漢字と進み、いつのまにか四則演算が出来るようになっていく。
生活に常に新しいことが組み込まれているので、常に元気なのだ。新しいことは効率が悪く、ヘタクソで、失敗も多い。でもそんなの関係ねぇ!とばかりに、新しいがゆえに活力が生まれる。
世の中には、同じことを続けてそれにのめり込めるヘンタイがいる。そしてそういう人はほぼ例外無く超一流になっていく。羽生さんしかり、イチロー選手しかり。しかし彼らとて、同じ競技をやっていくなかで、恐らくは新しい発見、新しい試みをしているのだと思う。だから長期間に渡って活力を維持していけるのだろう。
我々一般人の知恵としては、この新しいものを取り入れるということを、生活に組み込むこと。ジョブホッピングや一つなり極めずに次々趣味に手を出せということでは勿論ない。けれど、ただ新しいというだけで、その非効率性や非合理性にも関わらず生活に活力が生まれるのであれば、ひとつ試してみる手としては、悪くないと僕は思う。
初めてレールのないゴーカートに乗った娘は、右折も左折もできずにカートを壊しそうなほどぶつけまくりながら、叫んでいた。
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世知辛い世紀末にこのエントリを読んでいただいたことを感謝します。

退かぬ、媚びぬ、省みぬ!!!

我が人生に一片の悔いなし!!!

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