最近、頻繁に現在6歳の長女が赤ちゃんだった頃のビデオを見ている。次女が生まれたため、ちょっと比較してみようと思って。
で、ビデオを見る前に思い出そうとしても、どうも一向に思い出せない。最初に生まれてきてくれた子なので、それはそれは溺愛したはずなのに、どうしても思い出そうとすると、今の次女の顔が浮かぶ。似てるはずなんだけど、当然細部は違うはず。なのに、頭のなかだけで思い出そうとしても、なかなかメモリが立ち上がらない。
ビデオを見返してみると、やはり同じぐらい可愛い、そして異なる顔をしていた。どちらかというと長女は都会系で、次女は郊外系。
奥さんに聞いてみたら、やはり思い出せないという。それどころか、あの死ぬほど、いや、死んだ方がマシと言えるほど痛かった出産の痛みすら、2回も経験しているにも関わらず、思い出せないという。
こんなに愛してるのに、こんなに毎日可愛い可愛いと言ってチュッチュしてるのに、僕も奥さんも忘れているとはどういうことだろうか?てことは、今こんなに可愛い長女と次女のセットコンビの姿も、時が経つにつれ思い出せなくなるのだろうか?
***
人には、「記憶」という便利なものがある。時間は不可逆性を持つため、過ぎた時間は二度とは戻ってこない。しかし、記憶があるおかげで、過去に遡って様々なことを思い出すことが出来る。動物が本能を基軸とした記憶しか持たないのに比べて、人間のそれは理性と結合して、それはそれはありがたい効果を発揮してくれている。
がしかし、あれほど痛かったはずの出産の痛みや、あれほど愛したはずの赤ちゃんだった長女の姿をすっかり忘れているところを見ると、どうも人間の記憶というのはそうアテに出来たものでもないらしいと、最近思うようになった。
僕がブログを書く意味もここにある。
ブログには、そのとき頭を巡っている思考を言語化して書いている。受験に受かったとき、就職が決まったとき、結婚したとき、娘が生まれたとき。それぞれのタイミングを捉えた場面を後で写真で振り返ることはできるかもしれない。
しかし、
嬉しかった・・・はず。
楽しかった・・・はず。
悔しかった・・・はず。
悲しかった・・・はず。
と、大体の感情のカテゴリはイメージ出来ても、実際そのとき何を考えていたのか、については、二度と思い出すことが出来ない。
アイアンマン(スイム3.8km、バイク180.2km、ラン42.2km)と、バラモンキング(同左)と、アストロマン(スイム3.8km、バイク190km、ラン42.2km)は、どれもツラかった。ツラかったというカテゴリは一緒だけれど、そのツラさの種類は全く違うものだ。同じサイヤ人でも悟空とベジータとトランクスが違うように、全く違うものだ。
けど、思い出せない。脳の容量には限りがあるので、とりあえず大枠を外さない程度に、記憶がリストラされてしまうようだ。結果として、アイアンマンもバラモンキングもアストロマンも、「ツラかったタグ」のもとに一元化されてしまう。
なので僕はブログを書いている。ブログにそのときその瞬間の思考を書くことで、いつでも過去の素敵な思い出(とよろしくない思い出も)を思い出すことが出来る。そして思い出したことを、その時点において活かすこともできる。
***
てなわけで、どれだけ愛していても、大きくなるにしたがい、その時その瞬間の姿を忘れてしまうことが分かったので、これからも頻繁にエントリとほとんど関係ない娘たちの写真を載せていこうと思う。
ありがとう僕の天使たち。
IMG_8758
IMG_8616
IMG_8723
***

世知辛い世紀末にこのエントリを読んでいただいたことを感謝します。

退かぬ、媚びぬ、省みぬ!!!

我が人生に一片の悔いなし!!!

Twitterでフォローしよう

おすすめの記事