以前、とあるK-1選手と話していてこれは面白いなと思った話をシェア。「超一流のアスリートの子供はなぜ超一流になりにくいか?」について。
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超一流アスリートの子供は超一流になりにくい?
日本にしろ世界にしろスポーツ界を見渡してみると、親子で同じ業界のプロアスリートになりながらも、お父さんは超一流アスリート、息子はそこまでではない、という事例が多い。(あまり父娘とか母娘でアスリート、という事例は聞かないのでご容赦を。父娘はアニマル浜口家がそうだけど)
日本だと野球で顕著で、長嶋茂雄氏は超一流のスーパースターだったが、息子の長嶋一茂氏はそうでもなかった。野村克也氏は超一流の選手兼監督だったが、プロ野球界に送り出した3人の息子、野村克晃氏・ケニー氏・克則氏はやはりそうでもなかった。
海外だとサッカー界のレジェンド、ジネディーヌ・ジダン氏(なんで親は「頭痛が痛い」みたいな名前にしたんだろうと毎回思う)の息子4人がレアル・マドリードの下部組織に所属していると言われているが、ジダンの息子という意味での話題性はあっても、プレイヤーとしてはまだあまりパッとしない。
 
一方、お父さんが素人もしくは元プロだけどそこまでの選手じゃなかった、だけど息子は超一流、というケースも多い。
一番有名な事例としてはテニスのラファエル・ナダルで、グランドスラム優勝歴代17回を誇る怪物。テニス界で一番好きな選手。丸太みたいな左腕が魅力的。で、そのお父さん・・・じゃなくて叔父さんなのだけれど・・・のトニー・ナダルはテニスのほぼ素人。
そのトニー・ナダルをして、一介のスペインの良選手に過ぎなかったラファエルナダルを全仏だけで4連覇&5連覇&2連覇の怪物級の王者にしたてあげ、一時期はあのロジャー・フェデラーをすら圧倒する選手に成長させた。
ボクシング界のパウンド・フォー・パウンド(階級制のボクシングの階級をもし仮に万が一たとえば合わせたら、コイツが最強!という夢の比較)にいずれなるんじゃないだろうかと言われている日本の彗星・井上尚弥選手も、お父さんはボクシング経験はあれど大した選手ではなかった。
たまにテレビで親子で練習する姿が放送されてて、なんだか微笑ましい。微笑ましくて、そして強すぎる。
N(統計の母数)の数が少なくて全然分析になってないじゃないかと言われるかもしれないけれど、なんとなくの傾向ではあるが「名選手、名監督ならず」と同レベルの信憑性において、「超一流のアスリートの子供は超一流になりにくい」というのは一応の市民権をえている仮説なんじゃないかと思う。
 
で、Nの数はともかくとしてなんでこういう傾向があるの?というのがとある食事会でK-1選手と話した話。
脊髄反射的な思考としては、例えばジダンにサッカー教えてもらったら絶対に他の子より上達が早いだろうし、どれだけトロフィーをかっさらってきても、「お前はまだ世界の頂点を知らない」とか窘められて調子に乗るなんてこともなさそう。
落ちてくる体力やクイックネスはともかくとして、思考のレベルが世界一にある人が近くにいるということは何よりの財産で、息子たちが頂点を目指す上で格好のメンターになるんじゃないかと思う。道無き道を言った父と異なり、すでにそこにある道を進めるのであれば、こんなに効率の良いことはない。
 
一方で懸念点としては、よくある「父の影」みたいなものは生涯ついて回る。どんなに活躍しても「(ほんとの意味で)ジダン2世」とか言われちゃうわけだし、ちょっとでもしょぼくれようものなら「やはりジダンの息子はジダンにはなれない」と批判される。
これはこれで精神の成熟していない子供にはツライ話で、途中で折れて結果として超一流への道を見失う、なんてこともわからなくはない。プロになって当たり前、活躍しても当たり前、レジェンド級の結果を継続して残して初めて父と比肩できる、というプレッシャーは並大抵のものではない。天運も必要だろう。
 
この辺りが僕がパッと思いついた理由で、多分誰でも思いつくような理由だと思うのだけれど、そのK-1選手はバッサリと「違いますよ」と言っていた。
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超一流アスリートは、息子を追い込めない
”超一流アスリートは、超一流になるための道を知っている。それはあまりにツラく苦しく孤独な道であり、ほとんどの「父親」は「愛する息子」にその選択肢を強要できない”
というのが答えなのだそうだ。
 
これ以上追い込んだら壊れる可能性もある。いやもしかしたら壊れてしまって二度と戻れない修羅の道になるかもしれない。しかし世界を獲るためにはこの道を行くしかない。何があろうと俺は行く!
おそらくそんな感じで「ワンピース」を求めてグランドラインに突入し、死屍累々を差し置いて世界の頂点に到達したのが超一流を極めた父の歴史なのだろう。自分はここまで来たから良いけど、同じような努力をした、もしくはしようとしたライバルたちは、おそらく途中で脱落・挫折・絶望して散っていったのだろう。
天性の才能に加え、発狂しかねないほどの努力、そして天運。この3つか奇跡的にかけ合わさり、自分が元いた場所が形成されてるのだとしたら、才能と天運はともかくとして、その発狂しかねないほどの努力を息子に課すのは、よほど覚悟の要ることだろうと思う。
そして多くの父親は、それを息子に対して実行できないということだ。そりゃそうだ。痛みや辛さで泣き叫んだり、痙攣する(サッカー選手はどうか知らないが、競輪選手などはよく痙攣してる)子供を見てられる父親なんてそうはいない。しかも、それを自分がやらせるし、その痛みを自分は知っているのだから、あまりにツラすぎる。
ということで、超一流になる道は知っていても、そのツラさを知ってるが故に子供を追い込めない、どこかで手加減してしまう、というのが、本題の答えなんだとか。
 
この視点で見ると父親が素人、もしくはチョイプロなのに息子は超一流、という方程式が成り立つ理由も見えてくる。すなわち、
”どこまで追い込んでも父親にはそのツラさが分からないから平気で追い込める”
ということだ。
 
たとえばボクシングの井上尚弥選手。
愛読書、「はじめの一歩」によると、世界を戦うのに最低限必要な体力は、800mダッシュ(3分以内)を10本(レストは試合と同じ1分)をこなせるレベルだと設定されている。これは常人だと1本でも無理な水準。ある程度フルマラソンやウルトラマラソンを走っている僕ですら、800mを3分では走れない。フルマラソン3時間切りクラスの人じゃないと、無理なレベルである。
これは3分が1Rのボクシングの試合を模して作られた練習なのだけれど、1本だけでも死にそうになるものを、10本もやると多分死にたくなる。そして、「なんだかツラそうだなー」とは思いながらも、ほんとのところはこのツラさは井上選手の父親には分からない。だから追い込める。追い込めるから強くなる。
こういう方程式になっている。
 
最近、頓に思うのは、
人生、「何をやるか」とか「どうやってやるか」じゃなくて、「どうやり切るか」だなー
てなことだったりする。流行りの言葉で言えば"GRIT"とかになるんだろうけど、ほんとこれ。
何も起業して社会問題を解決して数百万人の人を救って・・・みたいな話だけじゃなくて、たとえば早起きにしても、ダイエットにしても、身近な仕事にしても、とにもかくにもやり切ることが大事。新しいダイエット法、革新的なダイエット法なんてものは関係なく、単に糖質や脂質を必要分以下に抑えるだけ。
ただそれだけのことが、ほとんどの人にはできず、御多分に洩れず僕もできない。
 
アスリートの世界もおそらくは同様で、少々の才能程度であればみんなが持っているなか、どうその才能を開花させ、運を呼び寄せ、超一流への階段を登っていくかは、どれだけやり切れるか=追い込めるかにかかってる。
方法なんてだいたいみんなが知っている。でも、それを自分のものにできるかどうかは別の話。その道程を知り尽くしているはずの元超一流アスリートの父親ではなく、ちょっと関係ないぐらいのキャリアの人間の方が導くことを得意としているというのは、超面白い説だなと思った。
全然関係ないけど、娘が塾の勉強とかしてて泣きながら母娘で火を吐きあってるのを見ると、本当にかわいそうになる。
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