多分日本国民の0.01%ぐらいしか知らない、とあるマラソン大会の申し込みが、今日から始まった。その名も、「みちのく津軽ジャーニーラン」。ほのぼのとした名前でわかる通り、青森県をジャーニーする大会である。7月13日から15日にかけての開催。(申し込みはこちらから)

部門はたったの2つであり、距離はたったの177kmと263km。制限時間はたったの37時間と51時間。まぁ、そんなに短くはないけど、ちょっと残業続きだなーぐらいな感じで寝なければゴールまでは行ける。

昨年、野辺山ウルトラマラソンを3年ぶりに走破し、「100kmイケたんだから188km(昨年は188kmだった)もイケんだろ!」と思ってトライしてみたものの、見事惨敗。120km過ぎぐらいで道端で気絶してしまい、タイムアップとなった。

とあるデブな選手が夜中にコンビニの壁で力尽きしている姿は、まるで全盛期のインリンのようだったという。

そんな素敵な大会に皆さんをいざないたく、本エントリを書いてみた。(申し込みはこちらから)

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「みちのく津軽ジャーニーラン」の特徴

「みちのく津軽ジャーニーラン」の特徴を3つ挙げろと言われたら、「長い」、「暑い」、「眠い」だと答える。(申し込みはこちらから)

まず「長い」。去年で言えば最低で188km、最高で263kmと2つしかなく、僕だと1.5日以上ずーっと走る(歩く)ことになる。これは結構長い。親切極まりないフルマラソンと異なり、一番遠いところだと20kmぐらいは補給する場所がない。

初体験だったこともあり、この長さにやられたのが昨年だった。ウルトラマラソンで14時間動くのはもう慣れたが、超ウルトラマラソンであるみちのく津軽では38時間かかる。ああ、こうやって人のカラダは動かなくなるのか、ということをまざまざと感じた。

 

次に「暑い」。青森県?東北?夏でも涼しい?と思っていたら、甘かった。青森の夏は暑かった。朝7時の集合時間の時点で汗ばみ、すぐに30度を突破。そして日陰が全くない。

山に入らない限り遮蔽物が全くないので、炎天下の下をずーっと走らねばならない。飲んだ量の10倍ぐらい、水をかぶっただろうか。一緒に走ったフジタマンは、ゴールする頃にはこんがり松崎しげるになっていた。もはや約インド人。(申し込みはこちらから)

 

最後に「眠い」。これは盲点だった。いや知ってはいたが、眠いのがこれほどツライものだとは、思いもよらなかった。はっきり言って想像をはるかに超えていた。これまでもレース中に眠くなったことはあったし、ロングのレースでは道端で数分横になるなども、ないではなかった。

しかし数十時間眠いままで走るのは初めてで、夜は幻覚が見え、朝は亡くなった祖母や犬まで出てきた。強制シャットダウンのボタンをずーっと押されながら、それでも走らねばならないという状況は過酷そのもので、すっと気を抜いた瞬間に道端でシャットダウン。以後起きることはなかった。(申し込みはこちらから)

他にも人によっては「胃がやられる」、「熱中症になる」などに苦しむ場合もあるが、僕の場合はそれは大丈夫だった。腸は弱いがア◯ルと胃は強靭で、寒さには弱いが熱には強いのがDe部たる所以。脂を燃やして走り続けるかと思ったら、最後は何もない山道で屠殺の憂き目に遭った。(申し込みはこちらから)

 

それ以外はと言えば、滅多にいかない青森という大地の自然の雄大さ、人のあたたかさ、飯の美味さ、地味に素晴らしいスーパー銭湯の施設の充実っぷりなど、至極楽しい旅になる。たった70kmだけ過去3年以内に完走経験があれば良いので、そこのあなたも入塾資格はあるものと思われる。ちょうど年が明けて半年経った頃なので、前半期の自分を見つめ直し、後半期に向けて気合いを入れ直すにもベストなイベントである。

一緒に出た「仙人」は、この上なく美脚を露わにしながらスーパー銭湯を満喫していた。

 

こんな素晴らしい「みちのく津軽ジャーニーラン」であるが、めちゃくちゃ分かりにくい申し込みサイトをスポーツエイドジャパンが作ってくれている。それと意図して検索しないと、絶対に出てこない。

(申し込みはこちらから)

あと数十人でいっぱいになる。いそがれたし。

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みちのく津軽ジャーニーランに出場する意味

さて、こういう大会に出るというと、決まって言われるのが「なんなの?」、「バカなの?」、「何になりたいの?」、「何目指してるの?」といった毀誉褒貶の「毀」と「貶」方面の言葉である。真面目に答えるとするならば、「マラソンの一つですが何か?」、「バカですけど何か?」、「世紀末覇者ラオウです」、「世界平和です」となる。

フルマラソンまでは「すごいですねー」ぐらいのことは言ってもらえる。100kmのレースになるとちょっと「ああ、そ、そうですか」といった感じになる。150kmを超えるレースだと色々疑われる。働いてないんじゃないかとか、異常者なんじゃないかとか、社会不適合者なんじゃないかとか。

確かに、変な人は多い。「仕事は何ですか?」の前に、「月何km走ってますか?」が挨拶になってるケースが多いし、名前は知らないがその人がどんなレースに出ているかは知ってる、なんてこともある。口数は少ないのに鍛え抜かれたふくらはぎは異様に雄弁、てな人もいる。僕の知人には、1日2時間しか寝られないほど仕事が忙しいのに、本州縦断レースのために1日3時間走っていた、というよくわからない人もいた。

総じて、おかしな人が多いことは否めない。というか否まない。

 

ただまぁ、レース自体は一人で走るわけで、その辺が駅伝にみんなで出てウェーイ、みたいな楽しくて仕方がないイベントとは異なる点。はっきり言えば、ゴールする瞬間以外はずっと苦しい。特に走るのが好きでもない人にとっては、苦行だと言っても良いかもしれない。

では、実際問題その苦しくて仕方がない数十時間を過ごす意義が奈辺にあるのかということについて、いまいちご理解いただけてない人もいるかと思うので、少しシェアしたい。一つ断っておきたいのは、「走るのが好きで好きで仕方ないぐらいハマっている」わけでは全くない点。未だに走るのはあまり好きではない。そんな僕が、なぜこういった長距離レースにチャレンジするのか?

それを理解することは、「バカなの?」と思っていただいている皆さまにとっても、一歩を踏み出す足しぐらいにはなると思う。

 

みちのく津軽する理由1:自分の現在地の確認

カーナビに住所を入力すると、現在地から目的地までのルートが出てくる。どんな道を通ってどれぐらいの速さで行けば何時に着くよ的なことがすぐにわかる。だから僕たちはよほどのことがなければ、現在地から目的地にたどり着くことができる。

これはカーナビならばごく当たり前の話であるが、人生に置き換えるとなかなかそうはいかない。まず、目的地がわかっている人が少ない。目的地がわかっていないどころか、ない人も大勢いる。ただしこれは、昨今の能力開発業界や自己啓発本の尽力により、以前より格段に状況がよくなっている。目的目標を考え、見つけ、目指す能力を手に入れることは、そんなに難しい話じゃない。

一方、現在地についてはみんな結構甘く見ている。自分のことだからそりゃ分かってますよと思ってるのかもしれないが、意外と自分の現在地は把握しにくいものである。これは、「現有戦力の確認」と言い換えても良いかもしれない。自分が何を目指しているのか云々の前に、まず自分がどんな武器弾薬、補給物質、あるいは肉体を装備しているのか。それを知らねば、目的地だけをいくら入力しても人生のナビは決して動かない。

旧日本軍が愚かだったのは、日本が戦う力をあまり持っていないことを、ほんの一部の人間しか理解していなかった点である。神風が吹くとか、鬼神のごとき強さとか、食料は現地で徴発すれば何とかなるとか、自らの力を読み誤ったことの損失は膨大だった。

みちのく津軽すると、自分の現在地がイヤというほど分かる。

 

みちのく津軽する理由2:「心・技・体」じゃない、「体・技・心」だ

みちのく津軽すると、否が応にも「心・技・体」という言葉が頭を駆け巡る。そして限界に差し掛かった時に思う。「全然違うじゃねーか!てか逆じゃねーか!」と。

確かに、最後は「心」が決めると僕も思う。でもそれは、たとえばロジャー・フェデラー(テニス界で世界ナンバーワンの在位週数が歴代1位)とアンディ・マレー(テニス界で世界ナンバーワンになったことはあるけど、すぐ陥落)の差が「心」だという点では正しいと思うけれど、あくまで世界の超一流と普通の一流(と言ってもマレー自体も相当超一流なんですけども)の差についての話である。

白鵬関が「心」について触れると何だかそんな気がしてくるが、幕下力士がすべきはまず稽古である。つまりは「体」が先に来る。次に「技」を磨く。それらをギリギリまで高めたあとに、最後にほんのひとさじ程度の差をつけるために必要なもの。それが「心」である。

みちのく津軽ってると、本当に強く感じる。「体」がまともに動かなくなれば、「心」なんて活躍する場所すらない。これは仕事でも人生でも一緒で、まずは「体」ありきだということ。「心が大事」なんて言えば聞こえは良いが、その前にやることが山ほどあるよねということに、青森の地で気づくことができる。

 

みちのく津軽する理由3:自分の弱さと向き合うための実地研修

鎖の強度は、輪っかがつらなるうちのもっともつながりの弱いところが決める。輪っかのうち99箇所が強くても、1箇所が弱いと鎖は切れてしまう。同じように、人間の強さは、ある意味でもっとも弱い部分の強度が決める。

昨今、「好きなことだけやってれば良い」とか、「強みを伸ばせ」といった耳障りの良い言葉が世の中を闊歩している。これはこれで素晴らしい考え方だけれど、ちょっと考えてみたいのは、「なぜ幸せそうな高齢者は幸せそうな笑顔を見せるのか」ということ。荒れる高齢者がいる一方で、見てるだけでほのぼのとしたおじいちゃんおばあちゃんもいる。

彼らは時代の背景もあって、好きなことだけやってきたわけでも、強みだけに焦点を当てられた人生を生きてきたわけでもないと思う。幼少期には戦争を経験し、戦争が終われば極貧時代が始まり、バブル期には死ぬほど働いたはず。冷静に点数をつけてみれば、ツライこと、苦しいことの方が多かったのかもしれないと思う。仕事場では今よりずっとパワハラセクハラは多かったし、家庭では便利な家電は一つもなかった。それでも彼らは幸せそうな顔を形成する年輪を刻むに至った。

それは、人生のマイナス面をきちっと見つめ、あるいは受け入れ、あるいはそれを乗り越えてきたからだと思う。嫌な部分は見ないようにしたのではなく、ガン見し続けたのである。そうして受け入れたり乗り越えた先に、到達した悟りのようなものがある。だから彼らはツラさや苦しみすら、幸せに変えることができたのである。

みちのく津軽ると、とてつもなく長い時間、自分の弱さと向き合うことになる。これは決して快適な作業ではない。むしろ、重く苦しく不快な時間が続く。しかしそうでもしなければ、今の時代に自分の弱さと徹底的に向き合う時間をとることはなかなか難しい。自宅や高級ホテルに篭って沈思黙考しても、自分の弱さなんてベッドに入りたくなる感情ぐらいなものだ。

みちのく津軽には、自分の弱さと向き合うための苛烈な研修プログラムが組み込まれている。

 

みちのく津軽する理由4:「千里の道も一歩から」は本当なのだと分かる

イチローは「1本目のヒットも4000本目のヒットも、僕にとっては同じヒットです」というような趣旨のことを言っていた。めっちゃかっこええやん。そしてこの言葉はどこまで行っても真実である。同じことが、津軽みちのくの果てしない道を走っていると心の底から分かる。

もう歩いてしまいたい、止まってしまいたい、やめてしまいたい。そういった誘惑が頭をもたげる一方で、今この瞬間に踏み出した一歩は、確かにゴールまで自分を近づけてくれている。一歩一歩は限りなく小さいけれど、しかしその一歩がなければ自分は永久に前に進めない。

誰でも知っている格言ではあるが、その意味が心の底から理解できたとき、一つ強く大きくなれるのではないだろうか。

 

みちのく津軽する理由5:「いーいーな、いーいーな、にんげんていーいーなー」と思える

アニメ「まんが日本昔話」のエンディングで、「いーいーな、いーいーな、にんげんていーいーなー」という歌があった。トルコのサウジ大使館でジャーナリストが殺されたり、国内でバカッターが店舗の売り上げを激減させてたりと、そういうニュースばかりが駆け巡る日々に、なかなか「まんが日本昔ばなし」のような気持ちにはなれない。

が、津軽みちのくってるとそういう気持ちにだんだんなってくる。よくわかんないながらも応援してくれるおばあちゃん、一生懸命そうめんやカレーを作ってくれるおばちゃん、何も言わずにトラックに載せてくれるおっちゃん(リタイヤしたとき載せてもらった)、ただただ元気な子供たち。

極限状態に身を置いていると、「普通」とか「日常」といった周囲のものに、たまらなく愛おしい気持ちが湧いてくる。走ってる間は「おいしいおやつ」に「ほかほかごはん」、「あったかいふとん」も何もありつけないけれど、そういう日々が決して当たり前のものじゃなかったんだと思い起こさせてくれる。

最近の犯罪や行き過ぎたイタズラの数々は、多分感謝の気持ちを失った人間が起こしているのだと思う。内閣と国会と裁判所に提案したい。そういうやつらは全員みちのく津軽38時間の刑にしろと。

 

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