人間は習慣の産物であり、日々の習慣の積み重ねでその人の今がある。

早寝早起きする人はその人なりの今を送っており、遅寝遅起きする人はやはりその人なりの今を送っている。前者は多くの場合それなりに整った生活習慣を送っており、後者は多くの場合それなりに乱れた生活を送っている。風邪で寝込んでいた最近の僕は完全に後者だった。

食事を腹八分目で管理している人はおそらくは均整のとれたカラダをしており、毎食満腹まで食べてる人はおそらくそのうちに肥満に苦しむことになる。ちょっと前まで後者を爆進していた僕は、90kgの大台を突破することとなった。

呼吸するがごとく本を読む人は年月とともに厚みのある人格を手に入れることになり、呼吸するがごとくガチャゲームばっかりやってる人は、年月とともに膨れ上がった借金といつまでも上がらない収入に悶えることになる。ちなみに僕は社会人になっても日経ジャンプと日経マガジン、日経ヤングジャンプは絶対に欠かしていない。

日頃から人の良い点ばかりを口にする人は、なぜか分からないが柔和な顔を手に入れることとなり、日頃から人の悪口ばかり言ってる人は、なぜか分からないが陰鬱な顔つきにそのうちなっていく。たまに僕のように、ほんとは世界平和を目指しているのに、世界制覇をしようとしているように見えてしまうかわいそうな人もいる。

だから現状を変えたいならば、習慣そのものを変えねばならない。意識だけを変えても無意味で、一時的に行動を変えたとしてもすぐに戻ってしまうため、変えるべきは良かれ悪しかれ今の習慣そのものである。毎日やることを、毎日変えるのである。

長年かかって作り上げられてきた自分という人間を変えるには、これしかない。

 

・・・というような話は、きっと誰でも一度は聞いたことがあると思う。そしてこういう「習慣を変えよう」というテーマの話になったときに、それなり以上の確率で出てくるのが「センターピン」という言葉だ。

ボーリングがその語源で、ボーリングの球を真ん中のピン=センターピンに当てると高い確率で他のピンもパタパタと倒れてストライクが取れる。センターピンさえ外さなければ、1−2本しか倒れないとか、ガーターになってしまうということは防げる。

だから、高い点数を取りにいこうとするならば、センターピンは決して逃してはならない。センターピンは、ボーリングで勝つための一丁目一番地になる。

 

同じように、習慣形成について語る際も、「センターピン」は必要になる。それを倒せば他の事象がゴロゴロと臨方に転がってくれ、ここさえ抑えておけば、その習慣が手に入りやすいという何か。

例えば、「早起きをしたい!」という場合。この場合のセンターピンは、色々考えられる。それまで7時に起きていたのに、いきなり目覚ましを5時にするだけで起きる時間を変えられる人は、「目覚ましを5時にセットする」というセンターピンを設置すれば良い。

でも普通はそれがなかなか出来ないから苦労するのであって、その場合は「前日の寝る時間」をセンターピンにするのも良い。7時に起きていたのを5時にするのであれば、入眠時間を2時間前倒しに出来ないと、翌日に負債が残る。25時に寝ていたのを、「23時に寝る」とする必要があるかもしれない。

「前日の寝る時間」をセンターピンにしようとすると、そもそも帰宅時間も見直す必要がある。24時に帰ったのに、23時に寝ることは不可能だ。仕事を何時に終わらせるのか、飲みに行くのか行かないのか、行くとしたら何時までに帰るのか。そうすると、「21時までに会社を出る」、「2次会には誘われても行かない」というのがセンターピンになるかもしれない。

 

こう考えていくと、早起きに関する「センターピン」は色々考えられる。

どれが正解ということはなく、自分にとって「ここを抑えとけば早起きできるぜぃ!」と自信を持てる何かを、センターピンにすれば良い。センターピンを一度決めただけで早起きが習慣化できることは珍しいため、結局は試行錯誤しながら自分なりのそれを探していくのが良いかもしれない。

「センターピン」はまこと合理的な考え方であり、新たな習慣を作ろうとする場合、僕はいつもその分野における自分にとって最適な「センターピン」が何なのかを探すことから始めている。この考え方はわりと適用範囲が広く、資格取得や子育て、トレーニングなど、何にでも応用できている。

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話変わり、僕はこの3ヶ月ほど、不調に悩まされていた。特に直近2ヶ月はほとんど寝たきり状態で、三途の川はアイアンマンのスイムより長いのかどうだろうか、ウェットなしで泳げるかなー、とか気にするぐらい、死にそうになっていた。事業主でなかったら、とっくにクビになっていたとしてもおかしくはないぐらい、会社も休んでいた。

理由はいくつかある。年末から抱えていた慢性的な体調不良および風邪、もともとあった強度のアレルギー体質、例年よりも強烈らしい花粉、そこから発症した呼吸困難級の咳とずっと続く倦怠感。寝たきりだから入院生活と同じで、本を読みまくれるだろうと思ったら、活字が全く頭に入ってこないし、そもそも本を開いていられないぐらい弱っていた。

加えて、鼻が詰まった。これ自体は前述の症状の中では比較的軽いというか、おまけみたいなものだと思っていた。一日に何十回も鼻をかむ必要があり、めんどくさいことこの上なかったのだけれど、それはそれとして大した「敵」ではないとみなしていた。僕にとっては、咳諸々の方がずっと大敵だった。

 

ところが、鼻が強烈に詰まったせいで、味覚を失った。2−3日ではない。2−3週間の長期に渡って、味が分からなくなった。これは風邪の副産物としては、思いの外、生活に支障をきたした。何を食べても、何も感じなくなってしまった。

手の込んだ料理ほど本来は美味しいはずなのに、ただ単にべちゃべちゃした食感にしか感じられない。美味しそうな料理を目の前にしても、何も匂いが分からない。厳密には「味覚を失った」のではなく、「鼻が詰まって香りが分からなくなった」だけなのだけれど、食べ物の香りが分からないということは、食事を全く楽しめないこととほとんど同義だった。

口に含んだ瞬間の甘い、辛い、苦い、しょっぱいなどの大まかな味覚とは別に、食べ物が喉を通る際に鼻腔を通ってくる種々の香り。これが食べ物の美味さを規定しており、これが楽しめないとどんな食べ物も全く味気なく感じられてしまうのだということに、初めて気づいた。

体調が悪いし、味も分からないので、食欲もなくなる。なんだかんだで5kgほど減ってしまい、これはまずいと思ってリハビリ代わりに美味しそうなうどんを食べた。

「かき玉うどん」という名のこちらのうどんは、大変に美味しそうな見た目をしていた。んが、ご想像の通り残念ながらこちらも「ただの熱いべちゃべちゃのsomething」程度にしか思えなかった。どれだけ匂いを嗅いでも何も伝わってこず、伸びきったゴムを食べているような感覚しか残らなかった。

 

鼻が詰まると、子育てにも影響が出てくる。僕が1日の中でトップ5に入るぐらい楽しみにしているのが、「お風呂上がりの娘たちの匂い」である。

僕が帰る頃には寝るギリギリのタイミングであることが多いのだけれど、寝ようとする珍獣二匹の間に割り込んでフンフンフンフン匂いを嗅ぐ、というのが至極の楽しみなのだ。「わー!」とか「ぎゃー!」とか「あっちいけー!」と顔を押しのけられながら、珍獣たちの間にカラダを埋めると、なんだか全てが報われる気になってくる。

 

そしてなんと、この至極の楽しみまでもが、全く分からない状態になってしまった。どれだけ珍獣たちのカラダに密着しても、何も漂ってこない。どれだけ自分が愛情と嗅覚をセットにして捉えていたかが、よく分かった。

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「香りが分からないと、食事の満足度がゼロになる」

これは、僕にとっては前述した「センターピン」ではなく、いわば「逆センターピン」を発見した気分だった。料理にはたくさんの構成要素があり、見た目や味付け、調味料や素材の良し悪しが食事の満足度に関係してくる。ただその中で、香りが感じられないことがここまで食事の満足度を引き下げるとは思わなかった。

香りが分からないと、はっきり言って何を食べているかも認識できない。香りが分からないせいで、食事全部が台無しになってしまう。それぐらい、香りの存在が大きなものだったということに、それを失って初めて気づいたのである。

 

生活や仕事の他の局面でも同様に、「センターピン」ならぬ「逆センターピン」が存在する。それが倒れてしまうと、他もバタバタと機能不全に陥ってしまう。倒すべき「何か」が存在するのと同様に、そんな倒してはいけない「何か」が、存在するのだと思う。

例えば今回の僕に代表されるように、「健康」というのは誰にとっても代表的な逆センターピンになる。健康があるから全てがうまくいくかどうかといえばそれは断言できないけれど、健康を数ヶ月に渡って失ったせいで、生活と仕事のクオリティは驚くほど下がってしまった。今まで通りのリズムに戻るには、おそらくここから数ヶ月はかかるのではないかと思う。

「家族」を逆センターピンに挙げる人もいる。どんなに仕事がうまくいっても、趣味が楽しくても、家族関係がよくないと全て台無しになってしまう。同僚や友人であれば最悪切るという選択肢が採れないわけではないけれど、家族となると切るわけにはいかない。切れないのに、関係は悪い。これは膨大なストレスを生む。

またもう少しミクロな世界に話を落とし込むと、例えば「休日の起床時間」などは僕にとっては結構な逆センターピンになる。休日だからといって起きるのが11時とかになってしまうと、もうはっきりいってその日は終わりだー!という気分になってくる。逆に、5時に起きてトレーニングできた日は、自分に勝ったと素直に思える。

個人的などうでも良い話を繰り広げるならば、そう高級でもない立ち食い寿司で「あじ」と「サーモン」が不味いと、その店の印象は僕の中ですこぶる悪くなる。他がどんなに美味しくても(といってもそんな確率は極めて低いのだけれど)、あじ&サーモンが僕の中では逆センターピン化していて、この両者の味でその店がアウトかどうかを決めている。

飲食店に関して言えば、「トイレが汚い」のは致命的な逆センターピンだ。二度といかない。トイレにはその店の衛生観念の全てが体現されており、ここでバツがついた飲食店が僕の脳内メモリで再浮上してくることは、まずない。

 

こう考えてみると、マクロな視点でもミクロな視点でも、「センターピン」同様に「逆センターピン」もそこら中に転がっていることが分かる。

人生攻略の一つの必勝法は、自分のバイオリズムを知り、自分の反応パターンを認識することだと思う。自分はどういう時に調子が出て、どういう時に堕落するのか?どういう時に攻めが充実し、どういう時に守りが崩壊するのか?

人は、年齢とともに攻めが下手くそになってくるとともに、今まで気にしなかった守りの方も意識しないといけなくなってくる。昔は気にもしなかった健康も、意識して時間とお金を投資しないと保てなくなる。腹は、普通にしていれば出てくるし、抜け毛は普通にしていれば増えてくる。

今回見つけた「逆センターピン」という概念は、どの分野にせよ守りを強化する際に必ずチェックしておくべきだし、何が自分にとってのそれに該当するのかを今一度考えようと、絶不調の数ヶ月を経て改めて痛感した。

ちなみに、以前咳のしすぎで肋骨を折ったことが一度あり、その時はカバンも持てないし歩けないし娘も抱っこできないし・・・ということで、「肋骨って倒しちゃいけない逆センターピンやん!」と強制的に気付かされたことがある。以来、どんなに咳をしても肋骨だけは守ろうと、変な咳の仕方をする癖がついてしまった。

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