イチローが日本に来てることも知らなければ、引退したことも後付けで知ったぐらい野球オンチな僕ではありますが、それでもやはり一時代の終わりを感じずにはいられなかった一昨日。

改めて引退会見を通しで眺めてみて、球史を代表するレジェンドが発する一言一言の凄まじいまでの重みを感じずにはいられなかった。聞かれたことに対し、聞いた側が期待したのと少し違う角度の答えをカマすのがイチロー流で、記者をうろたえさせることを楽しんでるんじゃないかという場面もいくつか見られた。

1時間半近い決して短いとは言えない引退会見の中で、僕が「これは!」と思った言葉がいくつかあったので、抜粋してお届けしたい。当然、感動する言葉も沢山あったし、ん?これは一聞しただけじゃわからんぞ?という言葉もあり、さすがどんな球が来ても各所にヒットを打ち分けるイチローだと思わされた。

***

「人よりも頑張ったとはとても言えない」

Q:今回の引退という決断に後悔や思い残すことはありますか?

もちろん、もっとできたことはあると思いますけれども、結果を残すために自分なりに重ねてきたこと・・・。人よりも頑張ったとはとても言えないですけども、そんなことは全くないですけども、自分なりに頑張ってきたということははっきりと言えるので。重ねることでしか、「後悔を生まない」ということは出来ないんではないかと思います。

一般人の僕から見たら、いやおそらくは同じプロ野球の世界に生きる選手たちから見ても、「異常」とも言える努力をし続けてきたイチロー。イチローの凄いところは、常に「対自分でどうか」、「対昨日の自分でどうか」、「対過去のベストな自分と比較してどうか」という軸でのみ、自らの努力を評価してきた点だと思う。

イチローは誰よりも早く球場に来てストレッチや練習をしていたり、試合が終わればビールを飲む同僚を尻目にグラブを磨き、家に帰ってもトレーニングをし、ご飯を食べ、食後にまたトレーニングをし、マッサージを受ける。これを毎日続けている。視力維持のために、テレビも見ず活字も読まず、携帯のメールすら夫人に音読してもらう。

これらは誰とどう比べても凄まじいまでの努力なのだけれど、他人と比較し始めた瞬間に、「ま、これでいっか」という甘えが必ず生まれてしまう。なぜなら、イチローは誰もやっていないことをやっているため、他人を凌駕する程度でいいのあれば、上記のようなことのいくつかは、削られてしまったとしてもおかしくはない。

あくまで自分をベストの状態にするためにやるべきことをやり続けてきたこと、そのために自分だけを軸にし続けたこと。これがイチローをイチローたらしめた判断基準だった。しかし、あれだけのことをやってきて「人より頑張ったとはとても言えない」なんて言葉が出てくるとは・・・。

***

「自分が熱中できるもの、夢中になれるものを見つけてほしい」

Q;子供たちへのメッセージをお願いします。

野球だけでなくてもいいんですよね、始めるものは。自分が熱中できるもの、夢中になれるものを見つけられれば、それに向かってエネルギーを注げるので、そういうものを早く見つけてほしいと思います。それが見つかれば、自分の前に立ちはだかる壁に向かっていけることができるんです。

それが見つけられないと、壁が出てくると諦めてしまうことがあるので。いろんなことにトライして、自分に向くか向かないかというよりも、自分の好きなことを見つけてほしいなというふうに思います。

昨今の、妙に「楽しいことだけやってれば良い」、「好きな(だけな)ことを仕事に」に傾きがちな風潮に適度な矯正をかけてくれる言葉だった。イチローは、人生において壁は現れないとは言っていない。何をしていても、壁は現れると言っている。そして、好きなこと、夢中になれることであれば、それすらをも乗り越えていけるエネルギーが湧いてくると言っている。

苦しさを避けたり、壁から目を背けたり、そういうものを礼賛する間違った「ありのまま原理主義」に対する警鐘だと受け取った方が良いと僕は思う。あ、「ありのまま原理主義」とは、女王として着任もせず国政もしないまま勝手に錯乱して祖国を凍らせて山に引きこもって「わたしは自由よ」とか言ってるエルサみたいな人のことを言います。

***

「あの日々は、ひょっとしたら誰にもできないことかもしれない」

Q:このシーンが一番印象に残っているというものがあれば教えてください。

10年200本続けてきたこととか、MVPとったとか、オールスター出たとかはほんとに小さなことに過ぎないと思います。(中略)ただ、去年の5月からシーズン最後の日まで、あの(試合に出たくても出られなかった)日々は、ひょっとしたら誰にもできないことかもしれない、というささやかな誇りを生んだ日々であったんですね。そのことがどの記録よりも、自分の中ではほんの少しだけ、誇りを持てたことかな、というふうに思います。

イチローは、シアトル・マリナーズ、ニューヨーク・ヤンキース、マイアミ・マーリンズとメジャー各球団を渡り歩き、最後にもう一度、シアトル・マリナーズに戻ってきた。所属球団が決まらない中で2018年3月ににマリナーズと契約し、そして5月の時点では「会長付特別補佐」の契約を結んだ。これは球団から「君は永久にウチにいてほしい」という最恵国待遇での意思表示であったと同時に、「今季はもう選手としては試合には出さない」という非情なる通告でもあった。

そこから1年弱。上記のイチローの言葉は、試合に出られないことが確定している日々だったとしても、試合に出ていた頃と同じように、1日も、1ミリたりとも手を抜かずに全力で練習し、来たる日に向けて(来ないのに)準備し続けた自分に対する、ささやかな承認の言葉だったのだと伺える。これにはグッときた。結果はもちろん目指すべきものであるが、それを叩き出すための毎日の準備についてとことんこだわるイチローだからこそ、口にできた言葉だと思う。

***

「自分のためにプレーすることが人のためになると思っていた」

Q:どんなチームにいても応援してくれたファンの皆さまの存在ってイチロー選手にとってはどういうものでしたか?

ある時までは、自分のためにプレーすることが、チームのためにもなるし、見てくれてる人も喜んでくれるかなーというふうに思っていたんですけど、ニューヨーク(ヤンキース)に行った後ぐらいからですかね。人に喜んでもらえることが、一番の喜びに変わってきたんですね。その点で、ファンの方々無くしては、自分のエネルギーは全く生まれないと言っていいと思います。

これはかなり重要なことを言っている、と個人的には思う。あのイチローですら、オリックスで首位打者を取り、マリナーズで10年連続200本安打の伝説を作り、その後ニューヨークヤンキースに移籍してようやく「人のため」に思いが至ったということである。これはなかなかに深い。

昨今は、少し生意気なことを言うとすぐに叩かれ、反比例するように耳障りが良い言葉が好まれるようになったせいか、あまりにも「世のため人のため」と安易に言う人が増えている気がする。もちろん、昔のように「金持ちになりたい」、「出世したい」、「モテたい」といった完全一人称な願望では、どこかで限界が来る。

一方で、何の力も実績もないのに「世のため人のため」とか言ったところで、それは単なる弱者のたわごとに過ぎない。エベレスト登頂を目指すのであれば、「エベレストに登ることで、子供たちに夢を与えたい」とか言うのももちろん立派なのであるが、その前に、「世界一高い場所を見てみたい」というごく素直な欲求が来てしかるべき。なのに、最近はこれを逆にしてる人がとても多い。

勘違いして欲しくないのは、「世のため人のため」は前提であるということ。これがなくて良いということではなく、あくまで「議論の余地すらないほど当たり前の話」なので、世のためにも人のためにもなるのが当たり前な一方で、最前面に出して話す話でもないということには留意しておきたい。

あまりにも「世のため人のため」を押し出しすぎると、評価軸が「他人」になってしまう。そして「世のため人のため」を求めれば求めるほど、各地でぶつかり合うそれぞれの正義のどこに軸を置けば良いのかが、分からなくなってしまう。常に他人の目を気にしたり、評判の多寡、最近で言えば「いいね!」の数が頭から離れなくなってしまう。批判に耐えられず、ツイッターでエゴサばっかりするようになる。

そんなのは、誰にとっても良いことじゃない。だからイチローのようにある時期までは、「世のため人のためもあるけれど、結局は自分のため」という姿勢が良いのじゃないかと思う。世のためにも人のためにもならないことは即刻やめるべきだけれど、だからといってそれがすべてじゃない。世のため人のためにやってるのも、そういうことに夢中になっている自分が好きだから、という適度に自分本位な姿勢で良いと思う。

***

「楽しかったのは、3年目までだった」

Q:グリフィー(イチローが尊敬する名選手、ケン・グリフィー・Jr)が、肩の力を抜いたときに違う野球が見えてまた楽しくなるという話をされてたことがあるんですけども、そういう瞬間というのはあったんでしょうか?自分の野球が変わるというか、捉え方が変わるというか。

個人的に、これは今回の質問のハイライトだと思う。イチローの野球観、成果を突き詰める者の深層心理を最もよく深堀りする質問だった。イチローの回答は非常に重要なエッセンスを含んでいるので、ちょっと長いがだいぶ転載してみた。

現役時代にですか?ないですね。これはないです。

子供の頃からプロ野球選手になることが夢で、それが叶って、最初の2年、18−19の頃は1軍と2軍を行ったり来たりで・・・。そういう状態でやってる野球は結構楽しかったんですよ。94年に仰木監督と出会って、レギュラーで初めて使っていただいたわけなんですけども、この年まででしたね楽しかったのは。

あとはその頃から急に番付上げられちゃって、一気に。それはしんどかったです。やっぱり力以上の評価をされるというのは、とても苦しいんですよね。だからそこからは純粋に楽しいなんてことは・・・もちろん、やりがいはあって、達成感を味わうこと、満足感を味わうことは沢山ありました。ただ、じゃあ楽しいかっていうと、それとは違うんですよね。

でもそういう時間を過ごしてきて、将来はまた楽しい野球をやりたいなぁというふうに。これは皮肉なもので、プロ野球選手になりたいという夢が叶ったあとは、「そうじゃない野球」をまた夢見ている自分が、ある時から存在したんですね。

でもこれは中途半端にプロ野球生活を過ごした人間には、おそらく待っていないもの。趣味でやる、たとえば草野球に対して、やっぱりプロ野球でそれなりに苦しんだ人間でないと、草野球で楽しむことは出来ないのではないかと思っているので、これからはそんな野球をやってみたいなというふうな思いですね。

え?子供の頃からなりたかったプロ野球選手になって、なったどころか首位打者にもなって、大リーガーになって記録まで更新しまくって、これだけ拍手喝采を浴びる生活をしてきて、それで「楽しかったとは違う」ってなに?さっき野球を愛してるって言ってなかった?愛してるんだから楽しいんじゃないの?

・・・と思った人が間違いなく日本全国にいると思って、このやりとりをピックアップしてみた。この、「大好きなことをやっていて、やりがいもあって、充実感もあって、結果も出ていて、だけど楽しいわけじゃない」という感覚は、それなり以上にプロフェッショナルとして没入した経験がないと、決して理解できないものだと思う。

昨今台頭しているのは、先に述べた「ありのまま原理主義」以外に、もう一つある。それは、「キラキラ原理主義」と呼ばれる。仕事は自分がキラキラしていられるほど楽しくあるべきで、好きなこと、ドキドキすることをやるべきで、そうでないならばそれは仕事ではない。そんなふうな考え方のことを指す。

これはこれで否定しないのだけれど、極めて高いレベルで仕事をしようとすると、実は楽しさよりもずっとずっと大事な要素がある。それは、ある種の「憂鬱」に近い感情である。現状に関する健全な不満足であったり、未来に対する強烈なまでの危機感であったり、もっとできるはずの自分に対する期待と叱責であったり、そういう「憂鬱」がない人は、上に行けない。少なくとも、一流にはなれない。

そしてこの「憂鬱」があると、ある程度以上の楽しさとは、同居できなくなる。少なくとも、「何も考えずにいられるほどめっちゃ楽しい!ハッピー!」とはならない。何を達成しても、「さて、次はどうしようか・・・」という憂鬱が襲ってくる。イチローのそれとは圧倒的なレベルの違いはあれど、僕もこれに近い感覚は常に持っている。だから毎年変わっていけるし変わろうとできるのだと思っている。

楽しくないわけではない。楽しめていないわけでもない。だけど、純粋に楽しいだけではない。むしろ、楽しいだけになったら、きっと自分はダメになってしまう。こんな感覚、分かる人には分かるのじゃないだろうか。

ちなみに偉そうに言っては見たけれど、数年前にこの本を読んだときには、タイトルの意味がよく分からなかった。仕事は楽しい方がええんちゃうの?と思っていた。でも、今なら分かる。人生の醍醐味の一つは、以前は全く分からなかったことが、数年経って呼吸するがごとく理解できるようになることなんじゃないだろうか。

 

***

「やっぱりヒットを一本打ちたかった」

Q:今日は涙がなく笑顔が多いように見えたのは、この開幕シリーズが楽しかったということなんでしょうか?

当然、「いやーめっちゃ楽しかったですよ!」という答えを期待している質問。どうやらいつもシュールな顔をしているイチローには似合わないぐらい、ずっと笑顔だったらしい。ところが・・・

これも純粋に楽しいということではないんですよね。誰かの想いを背負うということはそれなりに重いことなので、そうやって一打席一打席立つことって、簡単ではないんですね。だからすごく疲れました。で、やっぱりヒットを一本打ちたかったし。(期待に)応えたいって、やっぱり当然ですよねそれは。

僕には感情がないって思ってる人がいるみたいですけど、あるんですよ。意外とあるんですよ。だから、結果を残して最後迎えたら一番良いなと思っていたんですけど、それは叶わずで・・・。

先ほど述べた通り、引退試合で日米の愛に包まれたこの日ですら、幾分かの「憂鬱」を抱えていたイチロー。らしい答えだった。そして最後に「やっぱりヒットを一本打ちたかった」というのは、心の底からの本音だったと思う。

あれほどヒットを量産した漢が、それができなくなるという過酷な現実。このセリフを口にした時のイチローからは、この日一番の感情が発露していたように思う。

***

(「知らんがな、そんなの・・・」という心の声)

Q:引退会見を開いた日が第一回WBCで日本が優勝した日だったんですけども、それは何か運命的なものがあったのかなという気がするんですが。

聞かされればそう思うこともできるという程度ですかね。僕はそのことは知らなかったですけど・・・。

どうも記者が頑張って調べたイチローのデータの中に、奇跡的に日付が一致する二つの大きなイベントがあったらしいのだけれど、見事に外してしまった質問。まぁこれはもしかしたらイチローが日程を合わせてきた可能性がないではなかったため、敢えて聞いたのだろう。記者がアホだった、ということではないと思う。ただ、事象として興味深いのでピックアップ。

これは、一定以上の業績を残したレジェンドに対して、日常の単なる偶然に至るまで「奇跡だ!」と讃えたり、単なる偶然がさも必然で引き起こされたかのように見てしまう一般人の認知の誤謬の典型例だと思う。僕ら一般人だって、気づけばSuicaの残高が777円になってたり、かけようと思っていた人から電話が来たりと、日々偶然や奇跡に囲まれているわけだけれども、著名人になるとそれをことさら都合の良い勝手なストーリーにしてしまう。

そんな時はこういう本を読んで、いかに自分が勝手な想像をしながら世界を見ているかを自己省察すると良い。

 

***

「僕、ガマンできない人なんですよ」

Q:イチロー選手が現役時代、一番ガマンしてきたものはなんだったんでしょうか?

僕、ガマンできない人なんですよ。僕、ガマンが苦手で、ラクなことラクなことを重ねてるって感じなんですね。自分ができること、やりたいことを重ねてるので、ガマンの感覚がないんですけど。(中略)カラダを動かすことをガマンするってことは沢山ありました。それ以外はなるべく自分にとってストレスがないようにと考えて行動してきたつもりです。

これも要注意な言葉。「ありのまま原理主義者」たちに間違って届かないようにと強く願う

イチローの場合、「プロフェッショナルとして生きる上での当たり前の基準」があまりにも高いから、それを「ラク」とか「自分にとってストレスがないように」と表現しているわけだけれど、これは違う角度、すなわち一般人の視点からイチローの生活を見たら、「どう見てもキツイ」し、「どう見てもストレスだらけ」な生活をしているわけ。なぜなら、僕らは野球の素人であり、イチローはプロフェッショナルの頂点に君臨する漢だから。

だからイチローの「ラクをしてる」、「ガマンはしてない」という言葉を聞いて、「あ、じゃあやっぱり自分もラクでストレスがかからない生き方しよっと!」と単純に受け取るのは危ないと思っている。イチローはあくまで「世界トップレベルで活躍する選手でいるために」という枕詞を置いて「ラク」とか「ストレスがない」と表現しているのであって、現代の少なくない人は「誰から見てもラクな生き方」をしようとしている。

それは働かない、決まった時間に起きない、義務すら果たさない、など、確かにラクではあるけれど、ラク以外の何も生み出さない単なる怠惰だ。イチローが言ってるのはそういうことではない。

***

「チームとして勝てばいいかっていうと、全然そんなことはない」

Q:野球のへの愛を貫いてきたイチロー選手にとって、野球の魅力は何だと考えますか?

チームとして勝てばいいかっていうと、全然そんなことはないんですよね。個人としても結果を残さないと、生きていくことはできない。本来はチームとして勝っていれば、チームとしてのクオリティは高いはずなので、それでいいんじゃないかって考え方もできると思うんですけど、決してそうではない。その厳しさが面白いところ、魅力であることは間違いないですね。

これはすごく良い言葉だし、現実を的確に表している。高校野球なんかだと「チームが最優先、個人は後回し」という文化が顕著であったり、これは日本の伝統的な会社文化でもそう変わらない感じなのだけれど、イチローはこの二者択一を明確に否定している。

「チームか自分か」ではなく、「チームも自分も」の"And"が大事であると言っている。ちなみにチームを最優先し、個人を押し殺しまくった漢の悲劇の物語がこちら。当時は当たり前だったのかもしれないけれど、今見ると全く共感できないあれこれが秀逸。ドラマとしてはめちゃ面白い。

***

「アメリカの野球は、頭を使わなくてもできる野球になりつつある」

Q:これから、イチロー選手が出ない大リーグ、日本のプロ野球をどうやって楽しんだらいいでしょうか。

質問はごく平凡だったが、イチローの口から出てきた答えに驚いたという意味で今回のびっくり大賞。

2001年に僕がアメリカに来てから、この2019年現在の野球はもう全く違う野球になりました。まぁ、頭を使わなくてもできてしまう野球になりつつある・・・ような。選手も現場にいる人もみんな感じていることだと思いますけども。これがどうやって変化していくのか。次の5年、10年・・・この流れはしばらくは止まらないと思いますけども。

本来は野球というのは・・・いやダメだ、これ言うとなんか問題になりそうだな。。。頭使わなきゃ出来ない競技なんですよ、本来は。でもそうじゃなくなってきているのが、どうも気持ち悪くて。ベースボール・・・野球の発祥はアメリカですから、その野球がそういうふうになってきている、ということに危機感を持っている人って結構いると思うんですよね。

だから、日本の野球がアメリカの野球に追従する必要なんて全くなくて、やっぱり日本の野球は頭を使う面白い野球であってほしいなっていうふうに思います。アメリカのこの流れは止まらないので。せめて日本の野球は、決して変わってはいけないこと、大切にしなくてはいけないことを、大切にしてほしいというふうに思います。

これは結構びっくらこいた。育ててもらったのは日本だけれど、やはり日本の野球のレベルは低く、アメリカのそれは高い、だから俺はアメリカで現役を終えるんだ・・・と、そういう感じでアメリカでのプレーと引退を選んだのかと思っていたイチローの口から出た、まさかの本場アメリカの野球に対する明確な批判の言葉。

類推するに、これはあまりに進みすぎたデータドリブンなアメリカの野球に対する警鐘なんだと思う。映画「マネーボール」では、2000年代初頭当時、弱小球団で莫大なカネも良い選手も持っていなかったオークランド・アスレチックスのGM、ビリー・ビーン氏が、選手の「出塁率」や「フォアボール率」など、打率やホームラン数に比べて注目されていなかった数字に着目してチームを編成し、アスレチックスが強豪にのし上がっていく様子が描かれている。

これはこれで面白い映画だったのだけれど、この後何が起きたか、というのがより重要である。弱小アスレチックスがデータを活用し始めたことで、「じゃあウチも」と、もっとカネも実績もある球団がデータを使い始めた。結局すぐにこの手法はキャッチアップされてしまい、いまやデータを活用することは全球団で常識となってしまったため、なんだかんだとカネ次第な時代に逆戻りしてしまった・・・というオチ。

で、多分なんだけど、イチローが野球を始めた頃から2000年代初頭までは、こういうデータに基づいた野球は、全て選手が自らの汗と努力でやっていたものだったんだと思う。王さんや長嶋さんの頃も、もちろんそうだった。試行錯誤のプロセスと結果は全て選手自身に責任があり、だからこそ頭を使って練習方法から食べるもの、プレーの仕方やフォームまで、色々と試していた。

それが今や、データでいろんなことがわかってしまっているため、選手が自分でそれを考える必要がなくなってしまった。今までは、肉体的なことはもちろんとして、考えることもプロとして重要な要素であったのに、それが今や外注できるようになってしまった。そしてこうすればカラダが強くなる、こうすればヒットが打てる、こうすればホームランになるなど、「正解」が容易に手に入るようになってしまったので、みんな考えなくなってしまった。

アメリカはそういう野球の最先端を行く地であり、その分野に関しては日本はまだまだ遅れているけれど、だからこそアメリカだけを正義と考えずに、選手たち自身が考える野球を続けていってほしい。少なくとも、アメリカ万歳で思考停止するようなことにだけはなってほしくない。

・・・なんてことをイチローは言ってるのじゃないかと思ったんですが違いますかね?

***

「やりたいと思えば、挑戦すればいい」

Q:子供の頃からの夢であるプロ野球選手になるというのを叶えて、これだけ成功して、今何を得たと思ってらっしゃいますか。

メジャーリーグに挑戦するということは、どの世界でもそうですけど、大変な勇気だと思うんですけど、でも成功すると思うからやってみたい、それができないと思うから行かない、という判断基準では、後悔を生むだろうなというふうに思います。やりたいならやってみればいい。できると思うから挑戦するのではなくて、やりたいと思えば挑戦すればいい。その時にどんな結果が出ようとも、後悔はないと思うんですよね。

じゃあ自分なりの成功を勝ち取ったところで達成感があるかどうかは疑問なので、基本的にはやりたいと思ったことに向かって生きたいですよね。(中略)得たものですか?こんなものかなぁ、という感じです。

ラオウ御大が言ってることを、イチローが証明してくれた。「我が生涯に一片の悔いなし!」と言って死ぬためには、やはりやりたいと思ったことをやるべきだろうと改めて思った。とりあえず、ロシアとエストニアとルワンダに行きたい。

***

「チームとしての連携は、苦しんで、諦めました」

Q:日本の野球で鍛えられたことって、なんだったんでしょうか。

基本的な基礎の動きって、おそらくメジャーリーグの選手より、日本だったら中学生レベルの方が上手い可能性だってありますよ。チームとしての連携もあるじゃないですか。そんなの言わなくたってできますからね、日本の野球では。でもこちらでは、なかなかそこは。個人としてのポテンシャル、運動能力は高いですけど、そこにはかなり苦しみました。ま、苦しんで、諦めましたよ。

これは笑った。いかに日本の組織力が高いかということでもあるので、全部が全部、個人主義が良いということでもなくて、日本人なりの強みを活かして世界と戦っていければと思う。

***

「外国人になったことで、今までなかった自分が現れた」

Q:孤独を感じながらプレーしてるって前におっしゃってましたけど、今も感じていますか?

質問と答えが全く異なるのがイチロー流だが、この答えは右傾化しつつある世界に対するメッセージであるように思われた。

アメリカに来て、メジャーリーグに来て、「外国人」になったこと・・・アメリカでは僕は「外国人」ですから。外国人になったことで、人の心を慮ったり、人の痛みを想像したり、今までなかった自分が現れたんですよね。

この体験というのは、本を読んだり情報を取ったりすることは出来たとしても、体験しないと自分の中では生まれないので・・・。孤独を感じて苦しんだこと、多々ありました。ありましたけど、その体験は、未来の自分にとって、大きな支えになるんだろうと今は思います。

だから、辛いこと、しんどいことから逃げたいと思うのは当然のことなんですけど、でも、エネルギーのある元気なときにそれに立ち向かっていく。そのことは人としてすごく重要なことなんではないかと感じています。

今、世界が「右傾化」していると言われている。アメリカはトランプ大統領就任以降「アメリカファースト」という名の右傾化戦略を採っているし、右も左も大した力を持っていなかった日本ですら、最近では嫌韓嫌中本が書店に並び、ちょっと偏ったナショナリズムが台頭してきている。

そしてこういった間違った右傾化のほとんどが、「外部情報をシャットアウト」することによって成し遂げられている。嫌韓、嫌中について言えば、韓国のことも中国のこともよく知らずに、また現地に行って調べたり情報を収集したりしようとせずに、ことさら嫌韓、嫌中情報だけを集めて騒いでいる、という人がとても多い。これは、はっきり言えばとても頭の悪い右傾化であると僕は思う。

イチローは、「外」を知ることで「中」を知ることができたと言っている。確かにしんどいし、キツイけど、自分とは異なるものに身を浸し、それで初めて見えてくるものがあると言っている。僕のしょうもない卑近な事例で言えば、海外バックパッカーをしていたときに、世界各地のなんの愛想もない飛行機のCAに辟易して初めて、日本の航空会社のCAさんたちの偉大さに気づいたということがあった。ちなみに学生の時だったせいか、感動のあまりその場で告白してしまった。

真に日本を愛している人は、ちゃんと海外のことも知っている。

 

1時間20分にも渡ったイチローの引退記者会見、その完全解説版を書いたつもり。現場からは以上であります!

「イチローの草野球教室」を楽しみにしています!

***

世知辛い世紀末にこのエントリを読んでいただいたことを感謝します。
退かぬ、媚びぬ、省みぬ!!!
我が生涯に一片の悔いなし!!!
メルマガ希望:kusog.akaba(アットマーク)gmail.comまで。組織の人財育成について書いてます。
いずれも申請の際は、世紀末覇者として最低限の自己紹介と愛のある一言をお願いします。
欲しいものリストはこちらです。万が一くれる人いたら泣いて喜びます。http://amzn.asia/7ZSHn0D

Twitterでフォローしよう

おすすめの記事