(Source:東京大学HP

素晴らしいメッセージだったと各所で絶賛(と炎上)されている東大入学式における上野千鶴子氏の祝辞。今ならネットのどこでも拾うことができるが、東大が自分で掲載しているこちらのページに全文が載っているのでまだの人は見てみるとよろし。

ハイライトは間違いなくこの部分だと思われる。特に真ん中の段落。祝辞なんだから祝えよ、という怨嗟の声も多々あるようだけれど、日本の支配者層に多くの人材を送り出す東大だからこそ、この先制パンチは正解であったと思う。

あなたたちはがんばれば報われる、と思ってここまで来たはずです。ですが、冒頭で不正入試に触れたとおり、がんばってもそれが公正に報われない社会があなたたちを待っています。 
 
そしてがんばったら報われるとあなたがたが思えることそのものが、あなたがたの努力の成果ではなく、環境のおかげだったこと忘れないようにしてください。あなたたちが今日「がんばったら報われる」と思えるのは、これまであなたたちの周囲の環境が、あなたたちを励まし、背を押し、手を持ってひきあげ、やりとげたことを評価してほめてくれたからこそです。  
 
世の中には、がんばっても報われないひと、がんばろうにもがんばれないひと、がんばりすぎて心と体をこわしたひと...たちがいます。がんばる前から、「しょせんおまえなんか」「どうせわたしなんて」とがんばる意欲をくじかれるひとたちもいます。

 

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これ、「努力は報われる」ということが意識する必要もないぐらい当たり前な環境にしかいなかった人にとっては、もっともピンと来ない部分であり、だからこそ少なからぬ東大生たちが反発したものと思われる。実際、私も東大生じゃないけどそうだった。ある時期までは、「努力は報われる」ものであると信じて疑わなかった。

上野千鶴子氏の言っていることが真実であると思い知らされたのは、高校生向けに授業を行い始めた時だった。人間の能力は偏差値なんかでは決まらない、と固く信じていたし、それは大した偏差値を持たない自分に対するエクスキューズだったのかもしれないけれど、実際その予想は大きく覆されることになった。

平たくいうと、偏差値が50を切ると人の話を50分間聞いていられなくなる生徒が爆増し、偏差値が40を切ると、目が死んでる子が爆増するということが分かってしまった。これはまぎれもない事実であり、不都合な真実だった。もちろんそれを以って人間の能力の多寡を測れると思うのは、非常におこがましい行為であるとは思うし、そんなことしないけれど、少なくとも多様性という言葉を免罪符にして、「君たちは君たちのままでいいんだよ」と言ってやることは到底僕にはできなかった。

はっきり言って、今後の彼らの人生のためにも相当程度に矯正の必要があると僕は感じた。(これ自体が傲慢と思われるかもしれないけれど、最低限のしつけすらできてない子たちを見たら皆んなそう思うはず。)

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なぜ彼らは「そういう状態」になるのか?を紐解いていくと、ほぼ例外なく親、就いた先生、周りにいる友達、の3ファクターが原因だった。

この3つが、例えば学業のような中長期の努力が必要なものに関して、「成果が今すぐ手に入らないものは必要ない」、「お前が勉強なんかしてもどうせ無駄だ」などのパラダイムを刷り込むと、自分でそれをおかしいと気づき、思考を編纂し、習慣を変えることはほぼ不可能になる。これが上野氏の言うところの東大生の僥倖と逆の部分である。

僕の話を聞いた生徒たちは、(聞いてくれてる子たちに関してだけだけど)え?勉強って報われるものなんですか!?そうだったんですね!?じゃやりますわ!という反応をしてくれることがほとんどである。つまり、”彼らは勉強とは一種の苦行であり、なんのためにやるのかはわからないがとりあえずやらねばならないものである”という程度の認識しか、学業に対してしていないことになる。これはすなわち、たかだか1回学校訪問をして伝えられる程度の話を、人生通じて誰からも聞いていないことになる。

ただし、ここからが難しいのだが、一旦「勉強すれば報われる」ということが分かったとしても、周りの同調圧力がそこから先をなかなか許さない。平たく言うと、「勉強するのがバカバカしくなるような雰囲気」が周りから迫ってきて、少しすればラクで楽しい今までの生活に戻ってしまう。勉強は二の次三の次になってしまう。

環境とは、それほどに人の人生を左右する。

 

ある人は「無知はコスト」と言っていたが、これはほんとのほんとのほんとにそうだ。無知だと、人生そのものを損する。そして、そのことにすら気づけないまま、年齢を重ねるしかない子供達が、世の中にはたくさんいる。東大生たちはたまたまそうではなかっただけであり、努力が身を結ぶという超重要なことに気づけただけでも、良い環境で育ってきたと言える。そして、そうではない人たちとは交わらないまま高級官僚になり、大企業に入っていく。

上野氏の日頃の主張がどうであれ、「お前ら、自分の実力と生まれのラッキーとを履き違えるなよ」というメッセージは、東大新入生たちにとって、これ以上ないほどの財産になると思う。惜しむらくは、このメッセージそのものが、数年経たないと彼らには本当には伝わらないものであったという点。中には伝わらないまま国や社会の中枢に行ってしまう「アホ」な東大生も、たくさんいることだろう。

賢い人たちが、賢いがゆえにアホな選択肢を採る人間になりがちなことに対する、素晴らしい警鐘。別の言葉で言えば、”ノーブレス・オブリージュ”だ。

そんなわけで、素晴らしいキャリアを築きながら、射幸心を煽りに煽り、自制に難ありの低所得層からお金を巻き上げるだけの会社を経営されている方達にも、この祝辞をちゃんと読んでいただきたい。

おしまい。

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追記

個人的にはとっても良い祝辞に思えたのだけれど、違和感を持った人や真正面から反論している人もいたので、載せておきまつ。知の蓄積とは、各方面からの意見を受け止めた上で進めていくべきものだと思うなり。

 

超理系文章による徹底的な批判。やっぱ東大生、頭良い。でも友達にはなりたくない。

 

悲喜こもごも。全体的に、「外の人」は大絶賛。「中の人」はややキレ気味な印象。 

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