タイトルがいきなり高齢者諸氏(主に70歳以上)にケンカを売っているものになってしまっている気がするけれど、構わず続けることにするので気にしないでください。僕は気にしません。

高齢者が嫌いなわけはなく、むしろこれまでの日本を創りあげてきてくれたことにリスペクトの気持ち満載なわけではあるが、それとこれとは別に、高齢者は単純にトップに向いてないと思うがために、本エントリを書くことにします。尊敬する知人にはアラウンド70歳の御仁が数名いらっしゃるので、見つかったら怒られそうだけど良い機会なので老若問わず意見を聞いてみたいところ。

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35歳対83歳の戦い

(何をしているわけでもないけど心の中で)個人的に応援している政治家、音喜多駿さんが、都議を辞職し、所属する東京都北区の区長選に立候補することになった。「あの」都民ファーストの会の立ち上げに携わり、小池都政が変質してしまったことに異議を唱えて離党。その後地元で区長選に立候補という、若いのに色々経験してる御仁。 

ブラックボックスが常態化している政治の世界に、初めて「情報公開」と概念を持ち込んだのは音喜多さんだと言っても過言ではなく、クソ忙しいはずの合間を縫って日々情報発信をされている姿は政治家2.0だと言える。若い頃はチャラかったとか言われてが、そんなのはタイガー・ウッズのセックス中毒よりは100倍マシなのであります。

僕は前々から、公僕であるはずの政治家各位が「先生、先生」と言われて偉そうにしているのが気に入らなかったのだけれど、その理由は政治家が果たすべき機能にある。政治家とは、本来的に労働で何かを生み出しているわけではない。彼らの使命は、徴収された我々民の税金の分配機能を司ることであり、それ以上でも以下でもない。だから別に偉いわけではない。

にも関わらず、そのどの政治家も、集めたお金の使い道の公開という基本的なことすらして長らくしてこなかった。国政に比べて注目度の低い地方議会は特にひどい。音喜多さんに毎日毎日、議会で寝てる姿や意味のない視察旅行に行ってることを暴露されている政治家たちは、さぞかし焦っていたことだろう。

 

さて今回の北区の区長選。立候補した35歳の音喜多さんに対して、対する北区の現職区長は、なんと83歳!47歳差の戦いで、あの加藤茶夫婦の年齢差ぐらい離れてる!ちなみに僕の住んでる江東区はと言えば、まだ控えめだけどそれでも75歳。アメイジング!!!

フローレンスの駒崎さんがFacebookの記事でまとめてくれたところによると、北区、江東区のみならず、23区の現職区長は12人が70歳超え。追記すると、区長が4割が70歳を超えており、しかし東京都の平均年齢は44歳であり、そして女性区長はたったの1人しかいない。何も言えねぇ。。

以下ご参照。

【平均年齢66.6歳・一番多いのが70代】
北区 花川輿惣太 83歳
江戸川区 多田正見 83歳
豊島区 高野之夫 81歳
中央区 矢田美英 78歳
千代田区 石川雅己 78歳
台東区 服部 征夫 76歳
荒川区 西川太一郎 76歳
大田区 松原忠義 76歳
江東区 山崎孝明 75歳
練馬区 前川燿男 73歳
品川区 濱野健 71歳
葛飾区 青木かつのり 70歳
港区 武井雅昭 66歳
目黒区 青木英二 64歳
世田谷区 保坂展人 63歳
板橋区 坂本健 59歳
足立区 近藤やよい 59歳
杉並区 田中良 58歳
墨田区 山本亨 57歳
文京区 成澤廣修 53歳
渋谷区 長谷部健 47歳
中野区 酒井直人 47歳
新宿区 吉住健一 46歳

日本の未来を憂う者として、まずは東京から変わるのが良いと僕は思っている。そして東京の中でも、カネと人材が溢れる港区や千代田区が変わるならば「そりゃそうだよね」としか思わないが、相対的に豊かとは言い難い足立区や今回の北区が変わるのならば、それは今後の日本の変革のヒントになる。そんなわけで何かを変えてくれそうな音喜多さんを応援しているのである。

合わせて今回の47歳差区長選にかこつけて僕の意見を言わせてもらうならば、70歳以上の人は今回の区長職をはじめとしたトップ職全般(区長、都知事、総理大臣、社長、理事長いろいろ全部)を辞して後生に譲るべきであると考えている。これは「今のところ」という注意書きがつく。もし今後寿命が150歳まで伸びるなどの医療技術の進歩が起きたら、話は変わってくる。

では、以下に僕がなぜ高齢者はトップに向いていないと考えるのか、その理由を詳述していく。僕のエントリでは、以後70歳以上の人を「高齢者」と呼ぶことにする。年齢の区分けは独断と偏見。65歳だとまだ若い気がするし、75歳だといわゆる本当の高齢者だし、男の寿命は79歳だし・・・ということでバランスをとって70歳に。

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1、もはや高齢であることは知の蓄積を意味しないから

10年経っても100年経っても生活が大して変わらなかった頃は、コミュニティのトップには「長老」が就くのが普通だった。若い頃に比べてフィジカルやアジリティは落ちても、蓄積してきた知の力は現役世代から見て偉大なものであり、長老が長老たる地位にいることには、一定の合理性があった。

それは食糧の確保の仕方であり、確保したそれらの保存の仕方であり、病気になった際の治療法であり、争いになったときの仲裁の仕方であったりした。食べて良いキノコとそうではないキノコを見極められなければ一族全体が死に至る危険性もあったし、天敵となり得る動物の習性を知らなければ、生命の危機から距離を置くことすら当時はできなかった。

年齢を重ねることは、幾多の早逝した仲間たちの屍を乗り越えて生き残ったことの証であり、平均寿命の短かかった時分においてはそれは十分に凄まじいことだった。高齢者がいなければ、知の蓄積も継承もできなかった。だから、高齢者にはそれ相応の役職があってしかるべきだった。

 

今は少し状況が異なる。産業革命以後激変し始めた世界の情勢は、昨今ますます加速しながら変化をし続けている。

ガラケーは10年でスマホに置き換わったし、今や電話のマークがなぜ電話することを表すのかを理解しない若者が増えている。仕事の連絡は電話とファックスでするものというレガシーから、メールを経て今はSlackやChatwork、Zoomでするようになっている。

ファミマで買ったものをPayPayで払い、アマゾンダッシュで牛乳を注文し、LINEのテレビ電話で実家に子供たちの成長を報告し、メルカリで昨日買ったものを今日売る。ウーバーでタクシーを予約し、映画はアマゾンプライムで観て、旅行に行く際にはエアビーで家を貸す。これが当たり前の生活スタイルになりつつある。

そしてこれらを理解する高齢者は少ない。つまり、生きる上で効果的であったり合理的であったり効率的であったりするあれこれを、高齢者は知らない。知らないから、場合によっては反発することもある。ちなみに高齢者ではないものの、僕は橋本環奈もキンプリもビッグバンも知らない。

まとめると、年齢を重ねているからといって、知の蓄積が行われているわけではないということが言える。むしろどんどん遅れるのが普通になっている。そういう時代に、もうなってしまっている。高齢者が高齢ゆえにもてはやされた時代では、もはやないのである。

 

もちろん、少数の例外は存在する。僕の尊敬する御仁たちがそうだし、孫正義さんは70歳を超えても超人のままだろう。だけど、例外はあくまで例外であり、僕が述べているのは原則である。

組織のトップには、コミュニティの中でもっとも優れた人が就くべきであり、それに体力や判断力に劣る高齢者が就くのならば、代替となる相応の能力を必要とすると僕は考える。それが以前は積み上げた知だったのだけれど、今の時代にそれはほぼ当てはまらない。なので、高齢者はトップに不適格ということになる。もちろん、相談役などの形で先輩として助言する役職に就くのはアリ。

「桜田問題外の変」で有名になってしまった桜田元五輪相は、国のサイバーセキュリティのトップも兼任していたのだが、なんとUSBも知らずパソコンも普段使えない人だった。知の積み上げができないというのは、こういうことを言う。キャッチアップが無理なものは無理で全然構わないが、まるでわからない分野のトップに就くという発想はおかしい。

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2、高齢者は未来を描けない

これも例外は多数あるが原則論の話。あとちょっとで人生が終わるかもしれないという時分に至って、それでも自分のいない30年後の世界のことを考える。これって、普通の人間にできることなのだろうか?

孫正義さんのように「300年先に向けてぇ!」と日々叫べる人はこれまた例外中の例外で、多くの人は自分の思考の延長戦上にしか、未来を描くことはできない。そして、高齢者には人生の残り時間という制約があるため、彼らが未来を描くことは簡単ではない。

僕は日頃から30年後のことを考えている。ただそれは、僕がまだ30代で30年後も十分に生きている可能性が高いからであり、娘たちが大きくなって結婚して子供を産んで・・・みたいな世界をリアルに想像できるからだ。30年後の世界のありようも自分にとっては切実な問題であり、僕は30年後の世界に関するステークホルダーである。だから真剣に30年後を考えることができる。

言い方を変えれば、自分が当事者ではない話に関しては、僕はさっぱり力が湧いてこない。例えば「ソマリアの30年後について考えよ」と言われても、「ソマリアって内戦ばっかで大変そうだから、平和になったらいいなぁ」程度のことは思い浮かんでも、やはり完全なる他人事である。自分も娘たちも関わらない可能性が高い事象については、ひどく力が落ちる。

 

同じように、高齢者にとっても30年後の未来は自分にとってほぼ関係ない世界の話である。日本が没落しようが、経済的に困窮しようが、我が事として捉えるのは簡単なことではない。畢竟、ほとんどの高齢者は残り10年か15年かわからない自らの人生の質の向上に目が向く。これは生物として仕方のないことであり、ごく当たり前のことである。

だからこそ、彼らはトップに向かない。トップとは、未来を創るのが仕事である。その未来に思いを馳せられない、またはその可能性が高いのならば、適任だとは言えない。同様の能力を持った若い人、その一択となる。

 

能力とは、努力の結果によって多寡で測れるものと、有無でしか測れないものがある。どんなに頑張っても男は子供を産めないし、人間は素手では空を飛ぶことはできない。「高齢者が未来を描けない」というのも、実はこれに類するものだと僕は考えていて、彼らの努力が足りないとかもっと頑張れとかそういうことを言うつもりは全くない。

単に加齢とともに失われる能力の一つが「未来を思い描くこと」なのであり、それ自体に功罪はない。しかし、トップとしてどうなの?と言われたら、完全にノーだというだけの話。

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3、トップ以外がやる気にならないから

これは今回の区長選に際して言うならば、区長になる人物ではなく北区民側の問題なのだけれど、誰が区長に就いたとしても、結局はトップ以外がどれだけ動けるかで区の経営の成否は決まる。

トップ以外みんなが「よっしゃやったるで!」となれば何もかもが変わるだろうし、「どうせ・・・」という気分のままでいたら何も変わらない。特に物事を変える際には、多少のミスや後退ではめげないこの「よっしゃやったるで!」が重要になる。そしてそういう空気の醸成には、高齢者よりも若い人間の方が適性がある。

会社が業務効率としては低い新入社員を雇うのもそうだし、囲碁界が仲村菫というわずか10歳でプロになった天才児の出現に湧いているのも、そういう理由である。オバマが"Change!"と叫んだ際にあれほどのパワーを感じさせたのは、スピーチのうまさや人種の目新しさもあったけれど、やはり若さだった。亡くなったパパブッシュ(94歳だった)が"Change!"と言ったところで、何かが変わるようには感じづらい。

至極単純な話かもしれないけれど、この空気の醸成という項目は意外と見逃せない。音喜多さんは、この空気感を持っており、現職の83歳区長にはそれがない。北野武だったら80歳オーバーになっても大丈夫そうだけれども。どちらの候補者が北区の未来に新しい空気をもってこられるか?と問えば、答えは一目瞭然に思える。

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以上3つが僕が高齢者各位がトップを辞するべきと考える理由である。

繰り返すが、高齢者をディスっているわけではなく、ナウな考え方に基づいて適材適所を推奨しているだけである。ただし、ちゃんと選挙をチェケラッチョしておかないと結局は現職当選というオチで終わるのが政治の世界の常なので、北区の皆さんちゃんと選挙に行くのがチョベリグだと思いますですよ。

おしまい。

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