今日は、少し前から縁あって応援しているプロ格闘家・日菜太選手の練習の視察に行ってきた。

僕自身、極真空手を休み休みながら10年ほど続けてきて、格闘技のことがわからないわけではない。ただ「プロ」という存在が近くにいたわけではないため(極真にはプロがない)、プロとはどんなものぞや?というのを肌で確かめたい気持ちもあって、練習の見学をさせてもらった。

やってきたのは、東京は吉祥寺にあるクロスポイント。様々な格闘技をガチで習う場所としては都内最大らしい。

 

 

1階だけじゃなく、2階まで高レベルのトレーニング場と化している。これは立派だ。僕も久々にサンドバッグを叩かせてもらった。やばい、一瞬で息が上がる。足も上がらない。所詮は極真茶帯までしか取れてない実力か。。。

 

 

現れたのは、今回のターゲット、日菜太選手。70kg級で戦う日菜太選手は、この日はまだ試合まで時間があるということもあって77kgほどらしいのだが、それでもキレッキレな身体をしている。88kgの僕より腕が太く、おっぱいが大きい。

 

 

あれあれ?ここは吉祥寺のはずなのに、腹筋の真ん中あたりにグランドキャニオンみたいな渓谷があるぞ?

 

 

これはあれだな、旦那の垂れた腹に辟易しているファンの奥様方のために、このグランドキャニオンにワインを入れて飲ませて差し上げるとかいうプレイ用の溝だな、きっと。さすがはプロフェッショナル。リングの外でもパフォーマンスを忘れない。

肝心の練習風景はというと、試合を前にして殺気立っている選手もいたため、恐れ多くて撮影できず。。。僕も格闘技をかじった者として、試合前にどれだけナーバスになるかはわかっているつもり。神聖な空間を、野次馬根性で汚したくなかったというのもある。

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短い時間ではあったが、幾人かの先週のスパーリングやミット打ちを見ることができ、これだけでも結構収穫があった。平たく言うと、

プロとアマの違い

のようなものが分かったような気がする。もちろん、プロとアマではメンタルからフィジカルからアジリティ、そして環境や覚悟まで全てが全て異なるわけだけれど、その中でも僕が注目したのは2つの要素だった。

特に日菜太選手のミット打ち(ミドルキック×約30本を、1本あたり0.5秒ほどで打ち続ける)を見ていると、本物のプロと、僕のようなアマチュアの違いがはっきりと分かる。30本ほどのキックを息つく暇もなく、凄まじい音をさせながら打ち込んでいくその姿から見て取れたのは、プロとは、

全力で×淡々と

の掛け算ができる人たちであるということだった。日菜太選手がやっていたミドルキックのミット打ちのイメージはこんな感じ。

 

同じ練習を僕がやると、2通りの結果に分かれる。

まず全力でやると、保険屋的に言うと逓減定期保険のようなエネルギー出力になる。1発目を全力の10の威力とすると、10発目には疲れて6になり、20発目にはヘロヘロになり2の威力になる。30発の時点では死にかけている。1発限りで良いのであればかなり大きな出力を出すことはできるけれど、全くもって続かない。

一方、最後まで保たせようと淡々とやると、薄っぺらい終身保険のような出力値になる。1発目から出力を4に抑えることによって、そのまま30発目まで4の出力を保つことなら、僕にでもできる。しかし、それは試合で相手に効く蹴りではなく、練習として意味があるのかどうかすら怪しい。

全力でやればすぐに疲れてしまい、淡々とやればペースは保てるものの出力不足は否めない。アマチュアはこの二律背反する要素を、両立させることができない。

日菜太選手のそれは、1発目も30発目も、同じ全力での蹴りだった。そしてペースは全く乱れない淡々としたものだった。1発入っただけでも、受けた腕が粉砕骨折して全く不思議ではない威力の蹴りが、30発。受ける側は恐怖でしかないと思う。

この全力で×淡々とが両立できることの凄まじさは、同じ格闘技の舞台に立ったことがあるからこそ、如実に分かる。収穫逓減の限界値を超えてなお、努力し続けないと、至ることができない境地であることは間違いない。

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この全力で×淡々との2つを両立させるプロフェッショナルの姿は、思い返せば過去に各分野で見た記憶があった。

テニス界を代表するスーパースターである、ロジャー・フェデラーとラファエル・ナダル。この2人は、5セットマッチで4時間を超えるような試合をしている終盤においてすら、異常な強打やクイックネス、粘りを見せてくれたことが何度もある。え?これ1セット目のラリーじゃないの?と見まごうばかりの強烈なストローク合戦が、最終セットに行われたりする。

アマチュアの場合は、全力で試合をすれば3セットマッチですら、足を攣る人は多い。3セット目終盤ともなれば、普段それなりに高いレベルでテニスをする人たちでさえ、ショットの威力が半分以下に落ち、フットワークはヘロヘロになり、時折足を攣ってタイムペナルティを食らっていたりする。

だいたい大学のサークルの試合の終盤は、こんな感じの緩いラリーの応酬になるため、味方の応援はすれど、気持ちの中では退屈極まりない、といったことも多々あった。それはある程度仕方ないことで、サークルレベルでは試合に勝つべく淡々とプレーするために、全力をかなりの程度封印しなければ、プレーを続けることができないからだ。

ちなみにテニスのプロの端くれであった我が弟も、3セットマッチの終盤にはいつも足を攣っていた。それよりはるかに早いプレースピードではるかに長い時間戦っているにも関わらず、それでもなお全力で動き続けた全盛期のフェデラーとナダルは、異常だったと言うしかない

 

僕が生息する生保業界でも、真のプロはいつも全力で×淡々とを貫く人たちであった。

お客様一人一人に対して、いつも真剣に全力で向き合う。しかし同時に、1日3件から5件のアポは機械的に入れていくなど、淡々とした面も同じぐらい際立っていた。契約をお預かりできようが、はたまた断られようが、そういうことで一喜一憂することはない。とある顧客の要望を満たして成約にこぎつけたら、感動を届けつつも、はい次、はい次と前に進むことを忘れなかった。

僕程度の人間だと、やはりいつも全力でを優先すれば淡々とが犠牲になり、そうでない場合は逆のパターンになっていた。100m走を全力で走ってゼハゼハいうか、100kmマラソンをダラダラと走っている僕を尻目に、100m走のスピードで100kmマラソンを走るような輩を何人も見た時は、心の奥底のプライドがボキボキと粉砕されていく音が聞こえたかのようだった。

 

なお、大人だけではなく、最近では人生のプロフェッショナルである娘たちにも、同じ傾向を見てとることができる。

毎日毎日全力で遊び、笑い、泣きわめき、わがままを言い、夜になると3分前までぎゃははは!パパのおしりー!とか笑い転げてたかと思うと、いつの間にかパタリと電池が切れ、グースカ寝てる。そして次の日には何事もなかったかのように、前日と同じ全力のパワーで人生を謳歌する。そんな毎日が淡々と続いていく。

奴らの全力で×淡々とを貫くパワーは、明らかに今の僕に欠けているものであり、時に羨ましくさえある。どうにも全力で×淡々とのバランスを保つことが下手くそで、ゆえにアマチュアな僕にとっては、師は意外と近くにいるのじゃないかと、最近は特に1号機、2号機とも観察しまくるのが日課になっている。

日菜太選手、大事なことを教えてくれてありがとうございました!

 

 

 

 

 

 

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